雨上がりの朝
朝の光が、白いカーテンを透かして差し込んでいた。
部屋の空気はしっとりとしていて、
昨夜の雨の名残りがまだ漂っている。
窓を開けると、遠くの街路樹から金木犀の香りが届いた。
その香りに、胸の奥がわずかに疼く。
けれど、それは痛みではなく、
やさしい呼吸のような感覚だった。
机の上には、封筒の束。
どれも乾いて、色が少し褪せている。
その横に、小さなガラス瓶。
中の花びらはほとんど溶けて、
金色の影だけが残っていた。
陸はその瓶を手に取り、
朝の光にかざした。
光が屈折して、虹のような帯を作る。
まるで、昨夜見た観覧車の輪のようだった。
「おはよう」
誰に向けて言ったのか、自分でも分からない。
でも、言葉を口にした瞬間、
胸の奥がふっと温かくなった。
⸻
出勤の準備をしながら、
玄関の鏡に映る自分の顔を見た。
少し変わった気がする。
表情が柔らかく、目の奥に光がある。
郵便館へ行く道を歩いていると、
猫が足元に擦り寄ってきた。
灰色の毛並み、濡れた尻尾。
見覚えのある猫だった。
「お前、また来たのか」
猫は小さく鳴いて、
陸の足元にくるりと丸くなった。
金木犀の花びらが、その背中に一枚落ちる。
陸は笑って、手を伸ばした。
猫の毛の温もりが、
どこか懐かしいものを呼び起こす。
⸻
坂上郵便館の扉を開けると、
カウンターの上に一枚のメモが置かれていた。
新しい筆跡。
けれど、その癖はどこか見覚えがある。
MNEMO-POST 再起動完了
管理者:R-12
※本日より運用再開
陸はしばらくその紙を見つめて、
小さく頷いた。
館内の照明をつけると、
光が壁一面のポスト口を照らした。
そこに一通だけ、新しい封筒が入っている。
白く、何も書かれていない。
陸は封筒を取り出し、
ペンを手に取って、ゆっくりと書いた。
宛先:未来の誰かへ
題名:また来い、また恋
そして、ポスト口にそっと投函した。
カチリという音が、
静かな館内に響いた。
⸻
外へ出ると、空は澄んでいた。
雲の切れ間から差し込む陽光が、
濡れた街を金色に染めている。
風が頬を撫で、
どこかで小さく金木犀の花が揺れた。
陸は立ち止まり、
空に向かって小さく呟いた。
「また来い」
そして、もう一度。
「また恋」
その二つの言葉が、
光の中でひとつに重なった。
朝の光の中、陸は歩き出す。
足元の水たまりに空が映り、
世界が静かに息をしていた。
金木犀の香りの中で、
どこかで誰かが、
また新しい記憶を始めている気がした。




