第8話 下準備
煌びやかでありながら、人の営みの温もりの感じられない殺風景なリビングでは、一人の男が食事の後始末をしていた。ブロンドの髪を後ろで縛っている中年の男。二メートルはあろう背丈を持ち、その身体は肥え上がっているわけでも無ければ華奢でもない。ほどよい厚みとしなやかさを兼ね備えている。
彼はいつもの如く気が僅かに沈んでいた。テーブルに置かれていた、一切手を付けられていないサンドイッチを皿ごと持ち上げ、同じ部屋に備わっている簡易キッチンへと運ぶ。そして皿に対応している専用の電子クローシュを被せ、側面に付いているタッチパネルで内部の湿度と温度を調節した。これでいつでもベストなコンディションで食すことが出来る。たとえ残業続きで帰宅が遅くなろうとも。
ここ最近における自分の主は、もはや深夜か夜明け直前の帰宅が定番と化していた。ここ二ヶ月間はその有様だったため、流石に今夜こそはと思ったものの、やはり意味の無い期待だったようだ。怒っているわけでも無ければ、食事に手を付けてもらえない事を悲しんでいるわけでもない。心配であった。高まった緊張を維持しつつ、下から上がって来る報告への対処、思考、決断を繰り返し、好きでもない相手とのおべんちゃらに四六時中付き合わされる。その負担は計り知れない。既に夜の十一時を過ぎている。今日もまた彼女の顔を見れずに終わってしまうか。
そう考えていた矢先、緊急の暗号通信がナノマシンを介して自身の脳に流れ込んできた。
”やっほ~セバっち。標的見つけたから送るね”
”追伸:女の子のテリトリーに無断で入るのはデリカシーが無いぞ”
馴れ馴れしい挨拶をしてくるこの人物の事はよく知っている。同時に、彼女がわざわざ連絡を寄越して来た事で、これまで想定していた緊急事態がようやく現実のものとなったのだと分かる。男は脳に流れ込んできたデータを基に、ARによって網膜に必要な情報を映しながら移動を開始する。
”セバスチャン、メッセージは受け取った ?”
自分の主からの声が聞こえた。
「エレーナ様。先程受信しました」
ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンやズボンを引き千切りながら、服の下に隠れていた身体を露にする。人工の筋線維と合金によって作られた外骨格に包まれているその姿は、素人目に見ても彼がサイボーグである事を知らしめる要素になり得るだろう。
”手段、装備、投入する人材。その全てはあなたに一任する。恐らく他の企業も動いてる筈…絶対に彼の身柄を先に抑えて”
「かしこまりました。私を含めたシノビ部隊を投入します」
通信を切り、エレベーターで早急に屋上へと向かう。既に複数の軍用の飛行型移動車両…通称、ランドオフビークルが待機しており、スラスターの出力を制御しながら離陸を心待ちにしている。指令を出した覚えは無いが、シノビ部隊は揃いも揃って察しが良い。情報を既に拾い上げてくれているのだろう。
「想定よりも早かったですね」
ハッチから悠々と乗り込みつつ、セバスチャンは中で待機している兵士達へ言った。
「社長の方から我々にも指令が来ていました。フェンファン・テクノロジー社からの協力依頼と併せて、彼等より先んじる必要があると。あなたの事ですから、必ず声をかけて下さるだろうと思い、事前に選抜をさせて頂きましたよ」
出迎えてくれた覆面姿の副隊長の話を聞きながら、セバスチャンは車内に備えられたポッドへ手をかざす。義体の認証確認が終わり、ポッドが開かれると中にあった装備を身に纏い始めた。自身の義体専用に作られた戦闘用拡張機構。自動着衣式の装甲は、ポッドの中に設定されている特定の足場に立つと、自動で肉体の接合部にドッキングと装着を行ってくれる。装甲によって覆い尽くされた彼の姿は、さながら鋼の巨人であった。
「状況はどうなっていますか ?」
離陸を始めたビークルの中、体幹を一切崩すことなく立ったまま、セバスチャンが運転席へ尋ねた。
「先行しているビークル二台からの情報によれば、標的であるヒロシ・タニシタは湾港へと向かっているそうです。う~ん、やっぱりどっかで見た顔なんですよ、コイツ」
コックピットにいるパイロットが言った。
「あなた日本出身だものね。もしかして親近感ってヤツ ?…それ以外の情報では、自宅からの逃亡時に追手を数名殺害しています。すぐにフェンファンから寄越された映像も送りますよ。逃亡に使っているのはヴィンテージ車両。GMR六十五…うっそ、V8の最終モデル ? マジで残ってたんだ 」
「感心してる場合かよ。終売済みとはいえ、ウチの製品だ。下手したら逃亡を手助けした可能性があるなんて、無茶苦茶な因縁付けられるかもしれない」
「どの道手遅れでしょ。それに今は売ってないんだから、言い逃れなんていくらでも出来る。でも、確かに面白いわね。道路全体の通行記録を見るに、購入してから一度も動かしてない。それにわざわざAIサービス対象外の非正規ルートで買ってるから、探知されるまでの時間も稼げる…こういう事のために用意してたんだとしたら、割と用心深いタイプかも」
若い女の隊員も助手席でデータを弄りながら、パイロットと標的の素性について語らい合っている。その間にもセバスチャンの方へデータを絶え間なく送ってくれるお陰で、全体像の把握には手間取らなかった。
「我々はこのまま、標的の運転する車両への接近を至急行います。先行している二機の内、一機は湾港へと急行。あの辺りには一部の住民が隠れ家や、物品の隠し場所として利用するコンテナ区画がある。しらみつぶしで行けと伝えてください。もう一機は引き続き偵察を続けるよう。光学迷彩の起動と、交通システムへの侵入も承認。他社に存在を勘づかれない様にお願いします。指示を出しますから、随時情報の更新は忘れずに」
「了解。因みに近づいてどうするんです ?」
「パイロットと機体のサポート要員を残し、私も含め全員で降下。そして標的と接触します。一刻を争う状況です…直接会った方が早いでしょう。武装はいつでも使えるように。恐らく、正面からの交戦はほぼ確定ですからね」
――――逃げなければ。だがどうやって ?
人目を避けながらガレージをこじ開け、車に乗り込んでエンジンの起動ボタンを恐る恐る押し、モーターとガソリンエンジンを発動させてヒロシはアクセルを踏む。その間にも、今後の身の振り方について思考を緩める事はしない。腹立たしい事に、今の自分には有効な手札がほとんどないか、容易に無効化される恐れがある。だからといって頭を真っ白にして絶望するなどという暇はない。
まず、闇雲に人は頼らない方が良い。エリュシオンで三大派閥に存在を知られず生き続けるなど不可能に近い。見知った間柄とはいえ、下手に接触をすればそこから動向を察知されてしまう。おまけに懐柔に使えそうな資産も少ない。資本主義の煮詰まった先とも言えるが、ここに住む連中も企業も、利益にならないと判断した人間相手には口も利かない所か嬉々として殺しにかかる。金持ち無罪、貧乏有罪と脳味噌にスローガンが彫り込まれていても不思議ではない。それほどまでに資本の獲得と維持に執着している連中が、自分の話を聞いてくれるとは思えない。
そうなれば、残すはこの島からの脱出しかない。ひとまず目指すべきは島の最南端にある湾港エリアだろう。以前に買っておいたコンテナ兼隠れ家がある。賃貸ではなく、完全な所有物として購入しておいた。こうしておけば自費でのメンテナンスが必要な反面、無闇やたらと探られる心配はない。手動で鍵も開けられる。コンテナの中には今時珍しい、紙の偽造パスポートと隠しておいた他の武器装備を用意しており、おまけに変装用の衣装と現金もある。後はブローカーに手配してもらい、現金が使用可能な地域へ亡命を図ればいい。一般的な旅客機の使用は不可能である以上、荷物という形で輸送用の船舶か航空機に隠れ忍びながら動くか。
後はどこへ動くか。韓国、中国、カナダ、台湾、欧州、一部を除くアフリカ諸国、それと日本…少なくともこの辺りは確実に避けるべきだ。エリュシオンの息がかかっている、或いは取り込まれつつある地域なのだから。そうなればその近辺についても、近寄らない方が賢明という事になる。そうすると紛争地帯…それもエリュシオンと繋がりが小さい場所が最低条件になる。州同士でのシビル・ウォー真っ只中のアメリカか…アフリカ諸国との線引きが微妙だが、中東もありかもしれない。あそこは四六時中燃えているから、身を隠すには最適である。だが、こうしてリストアップしてみて改めて分かるが、碌な逃げ場がない。つくづく、企業連合の覇権がいかに脅威かを痛感する。
そうこうしている内に、湾港エリアへと向かう大橋に続く交差点が見えてきた。丁度信号が青に切り替わったばかりである。定期的に来たことがあるからこそ分かるが、ここは一度青になってから暫くは赤にならない。全速力で良い。その筈だった。いきなり変わり始めたのだ。それも段階的にじゃない。間髪入れず、黄じゃなく、瞬時に赤。
「やられた」
その言葉を最後に、慌ててブレーキを踏もうとするが間に合わない。ほとんど減速がないまま交差点に入り、やがてヒロシの車は側面に激しい衝撃を食らう。信号の動きを不審に思わない脳天気なアホが躊躇わず発進しやがったのだ。二度三度転がり、車体は塗装が剥げて銀色の傷にまみれる。ぶつかってしまったトラックやその後ろから追突してしまったミニバン、そしてその先にいるひっくり返った無様な鉄の亡骸を、上空から光学迷彩を纏ったビークルが見張っていた。
「報告。交通システムへの侵入、および信号の作動による自動運転システムの攪乱に成功。民間人の巻き込みによる複数のインシデントが発生したため、早急に一帯の封鎖を要請。標的の車両は走行不能。オーバー…なあ、まさか死んでないよな ?」
「報告によれば、雑に扱っても問題ないらしい。これぐらいなら大丈夫の筈だと。正気とは思えんが、隊長が言うんなら信じるしかないだろ」
「見かけと口ぶりの割に無茶苦茶するよな…ちょっと待て。レーダーに反応があった」
機内にいたシノビ部隊のオペレーター達が標的の状態を危惧していたが、すぐにそれどころではなくなった。彼らのレーダーには、次々に敵性車両の存在を検知し始め、それはこの場所で戦争が始まる事を意味していたからに他ならない。




