第7話 スタート
二日が経ち、ヒロシは自身に起きた異変について、色々と分かってきたことがあった。この体は、不死身と化している。厳密に言えば違うのだが、一通り試した事柄を整理するとそう解釈せざるを得ない。というよりも、人に説明しても信じてもらえないような変異が体に起きていた。
目が覚め、まずは即座に通信を全て遮断する。手遅れだとは分かっているが、こうしておけばこれから起こる出来事についてはどこにも漏れないだろう、現時点では。とにかく考えるべきは、生えてしまった手足と完治している体の傷である。あの空間で、巨大な手によって何かをされた事までは覚えている。だが、それ以降に自分の脳裏に焼き付いている光景が、果たして現実のものかが分からなかった。しかし、現実でないのだとしたら、今この場にいる自分の存在を説明出来ない。
そう、試す他無いのだ。ヨロヨロと立ち上がり、最初に手にした物はキッチンから調達した包丁であった。この手の痛みには慣れている。それがせめてもの救いだろう。恐る恐る前腕に突き立ててから、さっと手前へ引いて皮膚を斬りつける。瞬間、再び視界が真っ暗になった。目が覚めると自分はまた全裸であり、先程と同じく無数の人の列が並んでいる。そしてやはり、彼らは自分が斬りつけた皮膚の箇所だけがタールに濡れていない。無理やり腕を引き千切ってみると、案の定その部位は自分の体に吸収される。そして現実に戻る。腕を確認すると、傷が完全に消えていた。
自分が見ている物は現実だろうか ? 今度はキッチンから持ってきたストップウォッチを起動した状態で、腕を切り付けた。再び同じ現象が引き起こされ、現実に戻る。ストップウォッチは動いており、すぐに停止をしたが更に試してみる。元に戻れたらすぐに停止。それだけを言い聞かせてから再びストップウォッチを起動し、腕を切りつける。再び現実に戻って来る。そしてすぐに停止。やはりだ。一秒すら経っていない。いや、指で押すまでの時間の無駄を考えれば、もっと早い。
自分は負傷したほんの僅かな瞬間に、あの不可思議な空間に送り込まれ、そこから怪我をした体の埋め合わせが出来るパーツを頂戴しているのか。ありあわせの光景と記憶から推察できる点としては、その理屈になるだろう。ここまで来ると、実験はエスカレートした。他の傷ならばどうか ? 致命傷は ? 或いは……自殺。部屋にある物で試せる行為は全て試した。
結論としては、全て同じである。熱したフライパンを顔に押し付けた事による火傷、頸動脈の切断、頭部を狙った拳銃による自殺。即座に試せる分については、常に同じであった。不可解な空間に意識を連れ去られ、負傷した肉体の代替となる”パーツ”を人型の影から調達し、吸収する。そして必ず、自分が目を覚ます所から視界が再開される。不死身…とも違う。確かに体に伝わる悪寒、意識が遠のく安らかな心地よさを感じる事があった。恐らく死んではいるのだ。しかし、強制的に引き戻されている。
一度だけ、あの空間で肉体を選ばなかった場合に何が起こるのかも試そうとしてみた。だが、出来ないのだ。空腹に支配された者が僅かな食い物に群がる様に、渇きに苦しむ者が泥水だろうと啜りに行く様に、目の前に置かれた肉体たちを自分の本能が欲し、奪うように体を動かしてくる。それは欲望とも違う、抗いようのない強烈な使命感にも似た衝動。これをしなければいけないと何者かが体を操っているのではないかとさえ思えてしまう。
とにかく、自分はどんな事になろうと必ずこの世界に帰還できる。それを前提にしてこれからの動きを考えれば良いのだ。最悪、無敵の人として捨て身で暴れる事も視野に入れた方が良いだろうか。しかしそのためには装備が必要になるだろう。それとも金はあるのだから、いっそエリュシオンを出てしまうか ? いや、それはどうもいけ好かない。フェンファン・テクノロジー社側の言い分と、相応の報酬を手に入れない以上はこちらとしても逃げるわけにもいかないのだ。譲歩をしてしまえば最後、「こいつは搾り取ってもいい人間」と判断されかねない。それで地獄を見てこの地に移り住んだのではないか。同じ轍は踏まない。
すぐにでも行動を起こさなければならない。が、別の問題が生じていた。ナノマシン経由ではなく、テーブルに無造作に放っていたタブレットから資金源の確認として、自身の口座を調べようとした時、ヒロシは別の異変に気付く。
「どういう事だ… ?」
無いのだ。為替や株式取引に使っていた証券口座も、普段の貯蓄や生活に使っていた銀行口座も、それどころか全てのサービスから締め出されている。差し押さえられているだとか、ログインが出来ないという話どころではない。記録していた口座番号やログイン用のIDを手動で入力しても、存在しないとされて新規でのアカウント作成を促される。避けたい事ではあったが、一か八かでナノマシンでアテナを起動する。しかし、これも失敗に終わった。目を疑うしかない。「エリュシオン行政サービスに登録情報が存在しません」という通知文が表示されるばかり。つまり、アテナを利用する事すら出来なくなっている。
「……フェンファンか」
これらのサービスを取り仕切っているのがフェンファン・テクノロジー社である以上、疑念の矛先が向くのは必然であった。凍結どころか存在そのものを抹消されるなど、そんな権限を持つ者は限られている。しかし、今は原因よりもまず目の前に置かれたこの難題を乗り切らなければならない。
金も無い。ありとあらゆるサービスも制限されている状況下で、これからどうするべきなのか。あるとすれば護身用に自宅で隠し持っている武器装備と、愛車達の鍵くらいだろう。尤も、アテナから締め出されている以上は、車たちも満足に動かせない。アテナを介したセキュリティ・プログラムを使用しているため、ロックの解除もエンジンの始動も出来ないのだ。他の車もあるにはあるが、少し悪目立ちしてしまうだろう。何しろセキュリティ・プログラムに対応できない様な、骨董レベルのヴィンテージ品である。
荷物を纏める暇も無い。一方でそもそも、この家に対した物は置いていない。すぐにでも出ていける。ならば急ぐしかない。そう考えたヒロシは自殺テストに使った拳銃を、急いでクローゼットから取り出して身に着けたホルスターにしまい、すぐに車の鍵と予備の弾薬を取りに向かう。その時、インターホンが鳴った。
恐ろしい速さで拳銃を抜き、胸元で構えながら玄関の様子を見るためのモニターに近づく。暗い。最後に使ったのは一週間前に宅配のハンバーガーを注文した時である。このような急な故障は考えにくい。塞がれているのか。アテナを使ってカメラの映像を送って欲しい所だが、それも出来ない。歯痒くて仕方がなかった。
「はい」
引き続き呼び鈴が鳴り、このままでは埒が明かないと判断したヒロシはそれに応じる。しかし、意外な声が響いてきた。
「タ、タニシタさん ?」
「…エドワードか ?」
「良かった。無事だったんだ」
エドワードであった。だがヒロシに生じたのは安堵ではなく、より強い疑念と警戒、そして敵意である。この男に自分の住所を教えた覚えはない。
「どうやってこの場所を調べた ? それと、玄関口の映像がインターホンのモニターに映っていない。何か知ってるか ?」
「インターホンについては、僕にもわかりませんが…住所についてはその…調べたんです。ほぼ無断ではありますけど」
「調べた ?」
「今、少し大変な事になってるんです。タニシタさん…フェンファン・テクノロジー社が、全てのリーパーとテロ班の連中に対してあなたを標的とした無力化要請を通達してます。しかも臨時報酬付きで」
眩暈が悪化しそうな気分だった。フェンファン・テクノロジー社はこの場所を統治しているエリュシオン企業連合の最上位に位置する、いわばトップである。富川工業とネクサス・ニューロ社を含めて三大派閥とされてはいるが、影響力としては群を抜いていた。そこから察するに、恐らく他の企業達にも連絡をしているであろう。つまり、この瞬間…エリュシオンにいる全ての企業とその従業員たちが自分にとって敵となったに等しいのだ。
「俺は暫く出勤していなかったんだが、その間にお前は何をしていた ?」
「僕も色々と検査を受けさせられていました。軟禁状態でしたよ。そしたらさっき言った通達がいきなり来て…マズいと思ったんで、知り合いのツテを使ってこの場所の事を調べてもらったんです。あなたを助けたい。僕にそうしてくれたように」
信用すべきか ? ヒロシは銃を握ったまま、インターホンの下に付いているタッチパネルでドアの施錠を解除すべきか悩んだ。賄賂程度にビビるくらいである。まだエリュシオンでの生活に関して日が浅いエドワードに、個人情報を調べられる程のコネがあるとは思えない。だが同時に、その実直さ故に人情とやらを優先した可能性も否定はできないだろう。どちらを取るべきか。
重要な局面だ。そう思っていたヒロシだが、突然として閃いた。というよりは気付かされた。自分があまりにも常人の範囲で物事を考えすぎていたのだ。開けてやればいい。その上で、エドワードが救援にやって来たのか、それとも裏切るつもりなのかを見る。後者である場合は、こちらも相応の手段を以て攪乱するしかあるまい。どの道、出入口は一つなのだから、ドアを開けて突破するしかない。そして、今の自分ならば死ぬ気で…いや、死ぬ前提で実行すれば容易いだろう。
「…二十秒後にドアを開ける」
ヒロシはそう言い残し、静かに玄関へ近づいて下駄箱にしまっていた車の鍵を掴む。そしてすぐにリビングに戻ってから予備の弾薬を格納している弾倉の状態と、拳銃のチャンバーを確かめる。そこから拳銃は握ったまま、それとは反対側の手でホルスターに納めていおいたナイフを取り出して首の頸動脈付近に当てると、インターホンのモニターに備わっている開錠用パネルを指を伸ばして押す。リビングと玄関の間には廊下があり、その廊下から玄関までが見える位置に立つ。これでいい。
ドアが静かに開き、ベストを身に纏ったエドワードが、散弾銃を構えながら入って来た。これから自殺でも見せつけるのかという態度で待ち構えているヒロシに一瞬だけ面食らったようだが、すぐに気を取り直して銃を降ろす。
「タニシタさん、何をしてるんです… ?」
「テストだ。見極めるためのな」
その言葉の直後、ヒロシは自分の首をナイフで掻っ捌いた。血が溢れ、すっかり汚れ切った服を更に濡らし、そのまま仰向けにわざと倒れる。
「ああ、クソッ」
意識が薄れていくが、随分と慣れてしまったものだ。どれぐらいの間隔で視界が暗転するかが分かっている上にどうせまた戻ってくると分かってる以上、エドワードと周辺の動きも冷静に聞き取れる。
「すぐに来い ! 誰でもいいから報告を! 標的が自殺した !」
「どうする⁉」
「どうせ金が減るだけだ。死体だけでも持って帰ればいい」
「だけど拘束した方が良いって言ってたろ。どうすんだ ? 死なれるとマズいんじゃ…」
意識が遠のいていく中で、ヒロシは状況を整理する。そして同時にエドワードの事を、この瞬間から殺しても構わない人間として扱う判断を下した。
肉体が再生し、意識が戻った。しかしすぐに動かずに、息を止めたまま薄眼で様子を見る。間抜けな連中であった。こちらに背を向けて話し込もうとしている。ここからは迷う事もない。ヒロシは上半身を起こし、背を向けている一人を躊躇いなく撃った。
「なっ…⁉」
全員が慄きながら怯んだが、すぐに攻撃に入り出す。だが彼らは信じられない光景を見た。銃撃によって蜂の巣にされながら、ヒロシは難なく起き上がって来る。そして顔の肉を吹き飛ばされ、砕かれ、抉られようが真っ直ぐな殺意の籠った目でこちらを見つめ、拳銃の照準を合わせてきた。何より恐ろしい事に、その状態でこちらへ向かって平然と歩いて距離を詰め始めたのだ。
ヒロシは無造作に、後ずさりするエドワード達へ足や頭や胴体へ乱射し続ける。この狭い空間ならばどこかしらには当たる。慎重にならなくてもいい。弾が尽きれば、そのまま弾倉を垂直に落下させて次を装填する。その間も弾丸は浴びせられるが、もう気にするまでもなかった。やがて廊下とそれを囲む壁が赤く染まり、悲鳴すら上がらなくなった頃合いで、ヒロシは倒れている敵達を足で蹴りながら様子を見る。中には、前に武器倉庫で見た日本人も混じっていた。
「タ…タニシタさん…」
すぐに動いた方が良いと考えている時に声がした。後ろを向くと、うつ伏せで倒れているエドワードがこちらへ手を伸ばしている。ヒロシは彼に近づき、何か言おうとしていた彼の言葉を銃声で掻き消し、頭蓋骨に穴を開けてやった。万が一にも生きていられたら困る。そのまま振り返る事なく扉を開け、ヒロシは逃亡を開始した。
――――エレーナ・フカワは、自らのオフィスにてホログラムを使った通話を行っていた。とはいっても、自らはボイスチェンジャーとアバターを使用して身元を分からなくしており、相手方には生体認証を介した上で顔と声を出すように設定している図々しさである。
「しかし、クーデターを起こされるのも時間の問題かと思っていましたが…想定以上にしぶといのですね」
眠る事の無い街の、爛々とした風景を背後にエレーナがホログラムに映し出された初老の女に話しかける。
「頂いた莫大な資金と、人手はありますから…簡単ですよ。制度を導入しました。国民達の政治意識の向上と銘打ち、我々の政策や政権の応援、更にはエリュシオン企業連合によるサービスへの感謝を、ソーシャル・メディアを通じて拡散させるように促す…その回数や質に応じてパトリオット・スコアと呼ばれるポイントを本人の個人番号に付与するのです。勿論、そのスコアは真逆の事をすれば減らされてしまう。批判、中傷、更に過激な言動などですね」
「ほう、贈収賄による脅迫を国民に行っていると」
「どうか誤解なさらず。模範的な国民かどうかを示すための指標…それを可視化させ、誰でも確認できる様にしただけです。テストの成績のように。ただどういうわけか、そのスコアを示せばエリュシオン企業連合のサービスに利用可能な商品券やクーポンを配布してくれる物好きな民間の慈善団体がいるというわけですが」
話し相手になっている政治家の言葉は、エレーナにとっては中々にグロテスクであった。つまりはコンコルド効果である。金と時間を国民に浪費させ、万が一にも途中で折れてしまえば、これまでの愛国者としての自分の活動が実を結ぶことは無いと告げられてしまう。これまで積み上げてきた全てを無駄にしたくないと、更に必死に活動を続ける。さながら水商売にハマり込んだ間抜けな客のようなものであった。更には報酬を手に入れる事も可能とする事で、国民間に格差を作り、分断を引き起こしてしまおうというわけである。
人間が自己で積み上げてきた物を簡単には捨てきれないという執念と、利益に対する嫉妬心を利用した戦略。それを国家が試している時代なのだ。大量のボットアカウントによるスーパーチャットや、仮想通貨の様な身元を割り出されにくい代物でエリュシオン企業連合が提供している政治資金が、こんな事に使われるのは少々癪ではあったが。
「しかし、どうです ? こうして反乱因子の誕生を未然に防げる確率が上がった事で、政治情勢は比較的穏やかになりました。我が国…日本での事業を拡大したがっているエリュシオン企業連合にとっても、願ったり叶ったりでは ?」
「それについては賛同しましょう。しかし、政権内部に不穏な動きがあるというのはいただけません。特に…近日こちらへ独断でいらしてくるという大臣については」
「先程の制度を提案した張本人ですが…いかんせん悩みの種というのは我が国の政府、特に他の閣僚たちからも苦言を呈されています。ですから、”お願い”をしたわけです。そちらで存分に…”おもてなし”をしていただきたい。そうすれば、日本はエリュシオン企業連合に対し、ウィンウィンを約束する過去最大規模の投資案を提示させていただく準備があります」
初老の女性がそこまで話していた時、エレーナの視界に移っているARのインターフェースに緊急連絡が暗号通信によって入った。仕事仲間からのメッセージであり、「”彼”が動き出した。座標と関連するリアルタイム・データをセバスチャンと同期済み」と添えられている。
「分かりました。詳細については後で調整を行いましょう。また会える日を楽しみにしています…タカキ首相」
彼女は急く形で連絡を終え、すぐさま別の連絡先へとナノマシンによる通信で呼びかけ始める。この争奪戦、何が何でも勝たなければならない。




