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アルタード・カオス  作者: シノヤン
チャプター1 : 仮初の楽園

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第6話 何もしてない

 エリュシオンのファッション街の片隅に、人の気配の無いタトゥースタジオがあった。ネオンすら付いていない寂しい雰囲気であったが、それもその筈である。扉の電光掲示板にはシンプルなフォントで休業日とだけ記されていた。


 その店に一人の若い女が接近してくる。半袖のTシャツから露出している腕や首元には、黒い刺青の片鱗があった。耳と右の眉にピアスを開け、髪は染料によって真紅に染まっている。そんな彼女の背後には、人間の下半身に荷台をくっ付けたかのような奇妙なロボットが追従しており、その荷台には買い込んだのであろう食材や酒が山積みになっている。


 ジーンズのポケットに入っていたスマホを取り出すと、そのまま画面を弄り始める。すると、ダウナー的でどこかボンヤリとしていた彼女の表情が明るくなり、口元をほころばせて小さくガッツポーズをした。欲しいとねだっていた、AI創作サービスの素材として使うアニメと映画のアーカイブデータを送るという、愛しの父親からの伝言であった。今や鑑賞用の娯楽というものは、クリエイターへのインセンティブと引き換えに作品のデータを人工知能へラーニングさせ、自分好みにカスタマイズされた映像を眺めるだけの代物になってしまったが、ハズレを引く事が無いという点においてコストパフォーマンスに優れていた。


 自分の趣味が更に充実すると分かれば、俄然仕事にもモチベーションが湧く。若い女は鼻歌交じりに店に入り、物静かな店内を素通りする。客を座らせるための椅子や、受付のカウンター、インテリアとして飾っているアーケードゲームの筐体には目もくれず、そのまま奥に備え付けているエレベーターへと向かった。生憎今日は、”副業”の日なのだ


 そのままエレベーターでロボットと共に地下へ降り立つと、電源のスイッチを押す。僅かに薄暗い照明によって照らされたのは、さながらSF映画の人間電池の格納庫といった所だった。所狭しと培養カプセルに入れられ、体の至る所に電極を刺されたまま目を閉じている老若男女が並んでいる。口と肛門には妙な管を接続されており、おまけに全員が手足を切断されてダルマと化していた。余計な物だからである。


 「ヘルメス、冷蔵庫の前で待機しといて」


 少しざらついている軽い声で、若い女がヘルメスという名前のロボットに告げた。ロボットは何か相槌を打つわけでもなく、地下の中央に備えられたコンピュータの隣にへ向かい、そこに鎮座している冷蔵庫の前で立ち尽くす。コンピュータの電源を立ち上げ、荷物を冷蔵室と冷凍室に仕舞い込み、彼女はエナジードリンクの缶を開けた。コンピュータを起動して真っ先に立ち上げたのは、世界各地のSNS…それも、マルチディスプレイ全部を埋め尽くすほどの大量のウィンドウを表示する。


 SNSを生体認証と紐づけするようになったのは今や一般的だが、逆に言えば肉体さえあれば幾らでもアカウントは作れてしまう。彼女の背後に並ぶポッドたちは、アカウントの複製のためだけに世界各国から調達された身寄りのない人間達であった。それらを生体ボットとしてSNSでのトレンド操作に利用させてもらうのだ。


 陰謀論、排外主義、ポリティカル・コレクトネス…話題は何でもいい。その時その時の、企業や行政役人たちの依頼によって投稿内容は決まる。自分自身のイデオロギーは混ぜない。現実を見ない癖にナルシズムを極めてるインフルエンサーやタレント達のアカウントに特攻させ、ただAIに書かせた適当な文章で彼らを必死に褒めたたえて注目させるだけである。自分が流行や社会の変化の旗振り役になれている…そんな幻想を抱かせたうえで、都合の良い操り人形にしていくのだ。注目が集まり、金が稼げると分かれば差別主義者にだろうと過激派社会主義者にだろうと喜んで鞍替えする。SNSに嚙り付いている類の連中など、その程度のものである。企業やAIによって踊らされているピエロだと自覚も出来ないオツムをした、英雄気取りのオナニー狂いども。


 依頼料や、自身の投稿が見られた回数によって発生するインセンティブは中々の物であり、少なくともヴィンテージの酒とエナジードリンク代には困らない。そんな小遣い稼ぎをしようとした所、女の元に暗号通信による連絡が入った。アテナとのナノマシン接続を断ち切り、コンピュータの方からスピーカーを利用して音声を繋げる。


「暫くご無沙汰だった。聞こえるだろうか ?」


 勿論録音するつもりだが、ご丁寧な事に声の加工もリアルタイムで行っていた。つまり、素性が分かる様な情報は会話中に出すなというメッセージである。プライベートでこしらえたものだからセキュリティには問題ないと伝えているのだが、見知った間柄であろうとここまで警戒をしてくれるのは一人しかいない。


「はい繋がってるよ。どした ?」


 若い女の方も、恐らくわざとであろうノイズ交じりの声に笑顔で応じる。声の主が誰なのかは何となく分かっている。そして、”彼女”が自分に話しかけてくるときは、決まって面白い事が起きる前触れ…虫の知らせというやつであった。前に道路の交通情報へのアクセスと車台情報の管理に関するシステムの制作を頼まれたが、恐らくそれ絡みだろう。


「以前話していたシステムはもう動かせるか ?」

「車で逃亡するタイプの”標的”の情報を細かく調べられるようにするやつ ? 一週間前に仕上げが終わった。いつでも動かせる。何かあった ?」

「机の近くに封筒がある。そこに書かれてる人間の個人番号と、彼がこれまでに行った為替、株式、仮想通貨、生活物資に関する取引に目を通しておいて欲しい」


 ふと机の端に目をやると、確かに真新しい小ぶりな茶封筒が礼儀よく鎮座している。


「…これどうやって置いたの ?」

「細かい話は後で幾らでもする。アクセスは ?」

「はいはい今やった…まさかチビのアジア人とは。コイツが標的 ?」

「車両の取引に関する情報は ? 仮にこの男が逃げるとして、どの車を使うと思う ?」

「ほーん、中々良い趣味してる。フカワのハヤブサ・クロスオーバー…三十四式、これはSUVの…ライトスティング・Gローバーの最新モデル。後はフカワのフォルテ・セダンタイプだね…どうだろう。どれもディーラー経由でやって登録タグ付いてるから、余程の間抜けじゃない限り逃走手段としては避けるかな…しかもアテナのアカウント紐付けして電子ロックサービスまで使ってる。フェンファンが何か細工をしたら起動すら出来ず全部終わるんじゃない ? あ…でも…これなら行けそう。スポーツカーだね。フカワのGMR六十五…博物館行きの代物感あるけど、ナンバー付けてしっかり登録してる辺り、一応動かせる様にしてる。しかも…やっぱりだ。これだけ正規のディーラーじゃなくてオンラインマーケット。それも認可されてないルートから仕入れてる。アテナとの紐づけもやってなさそう」

「もし使うとするなら可能性が一番高いという事か ? 念のため、今出した車両の情報についてはいつでも特定できるように態勢を整えてほしい。他の経歴についても、調べ上げてくれ。また追って連絡する」


 一方的な会話だった。通信はそこで終わり、若い女は困ったような顔をして書類と画面に表示された情報を見比べる。


「こいつは何やらかしたのやら ?」


 彼女の見つめる先には人相の悪い元日本人の男…ヒロシ・タニシタの入社時の証明写真が映し出されていた。





 ――――不思議な感覚だった。朧げな視界だが、なぜか不安や恐怖はない。自分は来るべき場所にようやく来れたという気さえする。そんな安堵があった。暗闇だが、川の様な場所にいるという事だけが足に伝わる濡れて冷え切っている感触から分かった。失った手足、そして胸の中心部だけが、黒いタールのような液体で染まっている。試しに上半身にすくった液体を当ててみても、これっぽっちも湿らせる事すら出来ないのだ。


 上半身 ? ここに来てようやく気付いた。自分は服を着ていない。先程までは確かにあった筈の服が無くなり、一糸纏わぬまま、寂し気に男根をぶらつかせているだけの惨めな姿である。暗闇だというのに何も見えない事による恐怖心も無い。


 いや、見える。確かにそこにいる。慎重に近づいた場所に、無数の人が立っていた。そのどれもが黒いタールまみれの様な姿になっており、直立不動のまま果ての無い長さで横一列に並んでいる。妙なのは、自分とは入れ替えになっている形で手足…それも自分と限りなく近い人肌のものが濡れてないままである。全員がそうだった。


 奪おう。どうしてかそう感じた。呼吸や、体に染み込んだ日常の癖の如く、必要だからやらなければならない。それと似た類の衝動が体を突き動かしてくる。気が付けばタール濡れの人間たちから、手足を発泡スチロールの如くもぎ取っていた。奪われた側の人間は川の中に溶けて沈んで行き、やがて奪った手足達もまた、自分の体に溶けるように吸収される。すると、みるみるうちに色が、艶が、本来の姿へと戻って行く。それが最後の光景だった。




 ――――目が覚めたヒロシは、自宅の床に寝転がっていた。頭痛と発熱。そして吐き気が彼を襲う。体をゆっくり起こすが、袖や靴が破け、手足が露になってしまっている。間違いない。任務で派遣された空間で、確かに失った筈の物であった。胸の傷も治ってしまっている。


 全ては悪い夢だったか ? そう思いたいが、現実は非常にも夢じゃないと突き付けてきた。部屋全体が黒く濡れていた。被害が大きかったのは床に散らばった大量の書類たち。道路利用料金の請求とその一方的な改定の報せ、家のみならず出先の私設での利用も含めた水道と電気の請求、図書館や公衆トイレ等の公共の福祉設備に関する今月の請求、エリュシオン内における大気清浄費用における今月分の請求…保険など存在しないが故に割高な医薬品代…一般的な国家と違い、どこのどんな場所にいても金を消費し続ける。そんなエリュシオン生活におけるありとあらゆる請求や、企業による勝手な契約変更の書類たちが、自分が確かに見た黒い川と同じような漆黒の液体びたしになっていた。


「生きてる…」


 再び横になり、ヒロシはひたすらに呼吸を整えて気を確かに持とうとする。一つ分かっているのは、自分がどうにか生き永らえた事、フェンファン・テクノロジー社が知ってか知らずか、いずれにせよ労災として報酬の上乗せを要求しなければならない事、そして今すぐにそのための報告書を作成しなければならない事である。だが、この時、ヒロシにはすぐに対策しなければならない致命的なミスがあった。


 アテナによる生体の五感記録情報を放置しており、更には位置情報さえもフェンファン・テクノロジー社に知られてしまっていたのだ。

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