第1話 婚約破棄から四人同時求婚の急転直下
「リディア・セヴェラン。お前との婚約を、この場をもって破棄する」
建国祭を祝う、王城の大夜会。
シャンデリアの眩い光が降り注ぐ広間の中央で、その声は音楽を断ち切るように響き渡った。
華やかなドレスや夜会服に身を包んだ貴族たちの歓談がピタリと止まり、無数の視線がいっせいにこちらへ向けられる。
私、リディア・セヴェランは、目の前に立つ見目麗しい青年――ヴァルモント公爵家の嫡男であり、七年間私の婚約者であったオスカーを見つめた。
彼の顔には、微かな高揚感と、自らの正しさを疑わない確信が張り付いている。
「理由をお聞かせいただけますか、オスカー様」
平静を装って問い返す私の声は、ひどく冷たく、事務的に響いたかもしれない。
手にした扇子の柄を握る指が、自分でも驚くほど白く震えている。けれど、それを悟られるわけにはいかなかった。
「理由だと? 言われなくても分かっているだろう。お前には華がないのだ」
オスカーは冷笑を浮かべ、周囲の貴族たちへ同意を求めるように視線を巡らせた。
「次期公爵夫人には、社交界を牽引し、多くの貴族たちと円滑な関係を築くための魅力が必要不可欠だ。だが、お前はどうだ。夜会に来てもろくに会話も弾ませず、衣装はいつまでも機能性ばかりを重視した流行遅れ。おまけに、いつも実家の駅路管理だの帳簿だのと、裏方の実務ばかりに偏重している。そんな土埃の舞うような真似事ばかりしている女に、我がヴァルモント公爵家を支えられるはずがない」
痛いところを突かれた、と思った。
私は彼が望むような、華やかで愛らしい令嬢にはなれなかった。代わりに、自分ができることで――実務や調整、記録の整理で役に立とうとしてきた。そうすれば、少しは彼に認められ、愛される条件を満たせるのだと信じていた。
けれど、彼にとっては、私が裏でどれだけ数字を合わせ、荷札を整理していようと、それは「公爵夫人にふさわしくない地味な行い」でしかなかったのだ。
オスカーの隣には、見事な真紅のドレスを着こなしたマリアンヌ様が寄り添っていた。彼女は社交界でも一、二を争う華やかさで知られる令嬢だ。彼女の戸惑うような視線が、痛ましかった。
(……ここで取り乱しても、意味はない)
私は震える指先を隠すように、扇子を強く握り直した。
感情を処理する前に、まずは状況を整理しなければならない。これは公式な婚約だ。両家での合意なしに、一方的な破棄が許されるはずはない。だが、彼がこの公の場で既成事実を作ろうとしている以上、もはや修復は不可能だ。
「……承知いたしました。ヴァルモント公爵家からの正式な書面をお待ちしております」
私が深く一礼をして受諾の意を示すと、会場のあちこちからヒソヒソと嘲笑交じりの囁きが漏れた。
『やはり、あの地味な令嬢では公爵家には不釣り合いだったのよ』
『オスカー様もさぞご苦労なさったことでしょう』
同情はオスカーに集まり、私を見下す冷ややかな空気が広間を満たしていく。
「お待ちを。彼女が不要だと言うのなら、私が正式に求婚させていただきます」
その声は、重苦しい空気を切り裂くように真っ直ぐに響いた。
群衆を割って歩み出てきたのは、王国最大の流通網を持つ白梟商会の会頭、ノア・ベルクだった。
「ノア会頭……? 商会のトップが、一体何の冗談だ」
オスカーが眉をひそめる。
「冗談ではありません。五年前、腐るはずだった我が商会の荷を、一枚の時刻表で救ったのはリディア嬢です」
ノアは私へ向き直り、芝居がかった手つきで一礼した。
「私が求めているのは、物流の詰まりを共に解ける相棒です。リディア嬢、私と世界を回していただけませんか」
どよめきの中、漆黒の軍服を着た北境辺境伯レオンハルト・グレンが歩み出た。
「俺も申し込む。ただし、決めるのは彼女だ」
レオンハルトはオスカーを鋭く見た。
「五年前、俺の兵百人は、彼女が考えた小箱で冬を越した。土埃の真似事ではない」
「なっ……辺境の砦の件だと? それは駅路監督局の……」
「現場の兵は、彼女の名を知っている。俺は、その人を伴侶に迎えたい」
レオンハルトは私を見た。その眼差しに浮ついた熱はなかった。
「僕も、正式に申し込みたい」
柔らかな声と共に、隣国アルセリア王国の第三王子、ジュリアン殿下が進み出た。
「三年前、二つの樽を並べた彼女がいなければ、両国は剣を抜いていました」
ジュリアン殿下は優雅に一礼した。
「リディア嬢。どうか我がアルセリアの王子妃として、私の隣に立っていただけませんか」
「ば、馬鹿な……っ!」
オスカーが後ずさった。
彼の目には、信じられないものを見るような混乱と激しい動揺が浮かんでいる。
「商会長に、辺境伯、隣国の王子まで……? ただ帳簿を見ているだけの女だぞ!」
「静かに」
レオンハルトの低い声が、オスカーの上ずった問いを止めた。
「彼女を値踏みするために立ったのではない。俺たちは、自分が求婚する理由を述べただけだ。返事をするか、誰かを選ぶか、何も選ばないか。それを決めるのは彼女だ」
ノアは芝居めいた笑みを消し、ジュリアン殿下も差し出していた手を下ろした。三人とも、それ以上は私へ近づかなかった。
私は震える扇子を握りしめたまま、目の前の光景に言葉を失っていた。
(どうして……? 私はただ、目の前の詰まりを直しただけなのに)
だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
広間の最奥、貴賓席に最後まで座っていた人影が、ゆっくりと立ち上がった。
四境交易会議のため十年ぶりに公式訪問していた、ノクス魔族連邦の統治者――魔王ザフィルだった。
彼が歩みを進めると、会場にいた誰もが道を明け渡し、水を打ったような静寂が落ちる。
「人間どもが、その娘を不要だと言うのなら。ならば、我が求婚しよう」
ザフィルの声は、静かだが魔力を含んだように響いた。
「二年前、人間に不利な調査結果を、この娘は人間の王宮へ隠さず提出した。我らが信じるのは、その記録だ」
オスカーは、もはや声も出せずに絶望的な表情で私と四人の男たちを交互に見ている。
私は、白く震える自分の指先の向こうに立つ、魔王ザフィルを見つめ返した。
ザフィルは私の名を呼ぶように目を細め、告げた。
「リディア・セヴェラン。――我が伴侶となり、魔族の地へ来るが良い」




