第八話 プールよりアプローチより山村
千賀:山村、山村、どうして山村は山村なの?
山村:親の苗字だからだが?
まず俺を出迎えてくれたのは、昔懐かしい塩素の香りのする温かいシャワーだった。
「おぉ〜」
吸血鬼だったら、この時点で動きが止まる足元の水流に、俺は足を洗われていた。
「流れる水ってこんなに気持ちの良いものだったんだな」
次に俺を迎えたのは、体操スペースだった。
人間は筋肉をほぐさねば、攣ってしまう事を思い出して俺は笑みが溢れた。
そんな不便なところも、愛おしい。
「腕をおーおきく回して、いち、に、さん……」
俺は昔懐かしい体操を思い出しながら、ちらほらといる他のお客さん達と共に身体をほぐした。
プールは、確かに言われた通りにとっても広かった。
「キャンペーンやってまーす」
受付で薄着のお姉さんが何やら配っている。
「あなたも、町長に会いたいかー!」
「会いたいです!」
俺が元気良く答えるとお姉さんは気を良くしたのか、ニコニコと応対してくれた。
「ここでは、このハイテクな腕輪をお貸しします。アトラクションの入り口でピッとやって下さい。それで、全部回ったらまたここに帰ってきてもらえれば、町長と写真撮影ができます」
「分かりました、行ってきます」
俺は素直に頷いて、早速一つ目のプールへと向かった。
一つ目のプールは、長いコースの流れるプールだった。
隣には、大小様々な浮き輪が置かれている。
「受付です、ここで登録して、良かったらお好きな浮き輪をどうぞ」
俺はピッとやってから、昔からずっと気になっていた大きなシャチの浮き輪を選んでみた。
他のお客さんの邪魔にならぬ様に浮き輪を浮かべ、その上に跨ってみた。
ぷかぷかと浮きながら、ゆっくりと風景が流れ、わずかな風が俺の肌を直に撫でる。
つま先は少しだけ水に濡れ、確かにプールにいることを教えてくれる。
単純に楽しいし、昔からやってみたかった事が叶えられて嬉しい。
ただ一つだけ。
「山村〜」
俺は山村を呼びながら、シャチに乗り続けた。
途中大きなカーブがあった。
自転車の要領で持ち手を曲げたところ、様々な要因が重なってシャチは転覆した。
「わぶっ!」
突然の水に俺は驚いたが、すぐに身動きができる事を思い出し、床を蹴って立ち上がった。
「ふぅー」
顔を水に浸けるのも、水特有の浮遊感を味わうのも本当に久々だった。
呼吸が苦しいのも、勿論懐かしい。
吸血鬼の時は、別に呼吸をしていなかったからな。
ただ嗅覚を使う為だけに、大気を肺に入れるという虚しい行為だった呼吸も、人間ならば生きている事を再認識させてくれる大事な生命維持行為だ。
ふと、俺はどうしてこんなにも、人間の有り難さを教えてくれる事ばかりが続くのかと疑問に思ったが、それもプールで遊んでいる内に忘れてしまった。
次のプールは、アスレチックプールだった。
ピッとやり、ぐるりと一周してみるが、やはり山村がいないと物足りない。
「山村」
山村のコメントは無い。
次は、洞窟探検プールだった。
様々な煌びやかなイルミネーションや、潜って超える岩場など、中々楽しめる内容だったが山村がいない。
「山村ぁ」
次は滝のプールだった。
最早プールとは何かという哲学に入りかけた俺は、滝に打たれながらも頭の中は山村で一杯だった。
その次は、普通の競泳プールだった。
久々にバタフライ等を泳いでみたりもした。
飛び込み台があったので、飛び込んでみたりもしたが結局山村はいない。
次は一度外に出てからの波のプールだった。
「おおお」
絶対吸血鬼の身では不可能な、揺れる水に逆らって泳いでみるのは中々達成感があって面白かった。
ただ揺られているだけでも謎の充足感がある。
まるで、クラゲか何かになった様な気分だ。
山村がここにいたら何と言うだろうか。
最後は、まさかの十連ウォータースライダーだった。
「全部やってからピッとします!」
受付の方はそんな事を言うので、俺は流れる水の上に丈夫そうな浮き輪を置き、覚悟を決めてパイプの中に入って行った。
「お疲れ様でした」
最後の十連スライダーは、かなりの恐怖もあり、隣で山村に支えていて欲しかった。
「にゃまむら……」
少し目が回って疲れたので、外のビーチパラソルの下で水分補給をした。
いつも飲んでみたいと思っていた、半球のバニラアイスが上に乗った青い炭酸飲料を片手に、俺は平和なプールを眺める。
幸せな時間だった。
山村がいれば、もっと、もっと幸せな時間だったに違いない。
「山村……」
[お前、お前なぁ?! 何なんだよ! 俺の名前呼び過ぎ! 俺の名前はお前の鳴き声か何かなんかよ]
「山村だ!」
俺は寝そべっていたベンチからがばりと起き上がった。
「俺は、やはり山村がいないと駄目だ」
[なんでだよ]
「山村がいないと、俺は本当に幸せにはなれない」
[そんなことないだろ]
「そうなんだよ、山村」
俺は目の前にいない山村に言い聞かせた。
[お前の俺が好きってのは、どうせ食欲と結びついていた錯覚みたいなもんだ。たまたま俺がそれを受け入れていたってだけで、お前の本心じゃないだろ]
「どうしてそんな事を言うんだよ、山村!」
俺は山村のあまりの無理解に立ち上がった。
[分かったから、転ばないように落ち着いて座って聞け]
俺は山村の言う通りに座って、飲み物を飲んだ。
「寧ろ、今俺は人間だ。食欲も何も関係なしに、それでも山村を求めている。これを愛している以外に何と呼べばいい?」
[……]
山村は黙りこくっていた。
俺は更に畳み掛ける。
「山村。俺は、山村だから一緒にいて楽しいし、山村だから触れたいし、山村だから一緒に暮らしたいんだ。ずっと一緒だったのに、折角俺が人間になれたのに、山村だけが隣にいないのは、とても寂しいんだ」
[……善処する]
「山村!」
山村の善処は、かなり前向きに検討してくれるという事である。
これは脈があるのではないか。
俺は喜び勇んで、飲み物を一気に飲み干した。
とは言え、まずは山村を魔王城まで助けに行かねばならない。
「おめでとうございます! 町長との記念撮影です」
そこには、茶髪の妙齢の女性が佇んでいた。
モデルさんの様な整った容姿にオーラが溢れている。
「あなたが私に会いたい人?」
「はい。次の街に行かせてください」
「いいわよ、名前は?」
「千賀です」
「分かったわ、手続きを進めとくわね。それで、今晩の予定は空いているかしら?」
女性は自分の端末に色々と俺の事を打ち込んでいる様子。
「空いていません」
「えっ?」
俺が即答すると、女性は戸惑っている。
「私と同じ時が過ごせるのよ?」
「先約がありますから」
俺は「さっさと写真撮りましょう」と据え付けられたカメラの前に立った。
女性も「あ、あぁ」と俺の隣に立ち、写真を撮影した。
「一つ聞いてもいい? あなたがそこまで入れ込むのってどんな子なのかしら?」
「俺の、大事な人です」
俺は自慢げにそう告げてから、「じゃあ宿屋を探すんで」と出ようとした腕を掴まれた。
「何ですか」
「実は、プール併設のホテルがあるの。良かったら泊まらない?」
俺は、山村と一緒にナイトプールを楽しむ光景を思い浮かべて「分かりました、荷物を取って来ます」と腕を振り払った。
俺は一応上にアロハシャツを羽織り、下はそのままにベルトだけして更衣室から出た。
女性の町長は別れたその場で待っていてくれたので、そのまま案内してもらう事とした。
「あなた、いい男よね。あなたのお相手に妬いちゃうわ」
俺は山村を思い、少しは山村にも焼き餅を焼いて欲しかったので「どうぞどうぞ」と言っておいた。
「なら、ちょっと遅いけどお昼くらいは一緒に食べない? おいしい店を知ってるの」
この女性には興味はないが、美味しい店とやらには興味があったので、「いいですね、行きます」と返事をした。
ホテルは格式高そうだったが、プールサイドホテルだからか、俺がアロハ海パンでも嫌がらずに対応してくれた。
きっとこのままプールから来る客がメインの層なのだろう。
部屋を確認するだけしてから外に出て、女性の町長と共にプールサイドを歩く。
「あなた、この先の街には何の目的があるの?」
「魔王城に山村を迎えに行く為です」
「迎えに行く?」
怪訝そうな顔で復唱されたが、俺は「はい」と答えた。
「俺の大事な山村を助ける為に、俺はこの世界にやって来た」
「そう、なの……ねぇ、こんなの聞いたことあるかしら?」
女性の町長はくるりと振り返って、俺を見た。
「魔王ヤマムラが、人間じゃないって噂よ」
「山村は人間だよ」
俺は即答した。
俺は人間の山村に今まで生かされて来たからだ。
それは間違いない。
だが、本当にそうなのか?
山村は、俺を軽々と持ち上げてはいなかったか。
不自然に風呂から出たり、力余ってボタンを飛ばしたり、普段は絶対にやらない様な事をしてはいなかったか。
極めつけに、山村は、この夢に来てからずっと身体が冷たい。
「山村は……」
山村は何かを隠している。
俺はそれを、突き止める必要があるのだと感じた。
「ここよ、魚介パスタが有名なの。好きなの頼んでね」
町長はそう言って俺にメニューを渡した。
俺は迷わずに、海鮮ペペロンチーノを注文した。
この前山村が冷凍パスタで食べていたからだ。
町長は「ペスカトーレとペペロンチーノを一つ」と注文し、俺は町長と向き合った。
「ヤマムラって男性じゃなかったかしら?」
「あぁ、はい」
何を当たり前の事を、と思ったところで、俺は男色疑惑を掛けられているのだと悟った。
「別に俺は、性的嗜好として男性を好む訳ではありません」
「じゃあ、どうして?」
「山村だけが、俺に向き合ってくれたからです」
「例えば?」
俺はセットのサラダを突きながら、今までの山村を思い返した。
「そうですね、俺の食欲や、所有欲、温かさを求める本能に付き合ってくれる一方で、俺が山村から貰い過ぎている時は山村が俺を叱ります」
「あなたが求めるだけ、くれる訳じゃないのね」
「それで良いんです。山村の全てを俺に付き合わせていたら、山村はきっと俺の近くにいてくれなくなるから」
そう言ってからちらりとメッセージを見ると[よく分かってんじゃねぇか]とあった。
俺は胸が温かくなるのを感じた。
「ふーん?」
町長は注文したパスタが来たので食べ始めた。
俺のも少し遅れて来た。
久々にペペロンチーノと言うかパスタを食べたが、相変わらず素晴らしい料理だ。
日本人好みの味にされているのか、麺はもちもちしており、魚介もイカやムール貝、エビ等がふんだんに使われている贅沢な一皿だった。
「美味しい」
「あら、それは良かったわ」
町長は微笑み、俺はこの人の場所に山村がいない理由を探した。
「女性、好きなんでしょ? 私じゃダメ?」
「興味無いですね。それに、もう俺は」
町長のアプローチに、俺は性機能ごと失われた話をしようとして、今は人間である事を思い出した。
夢であるからか、排泄機能までは付けられていない様だが、もしかしたら……。
ただ、俺にとって男性機能は支配の象徴だった。
父や弟が無理やり俺を押さえつける為に使う男性性を、俺は、人に向けるのが恐ろしかったのかも知れない。
「俺は?」
「俺は。誰とも恋愛をする気はありません」
「ワンナイトとかは?」
町長はまだ食い下がって来た。
もしかすると、町長も引くに引けないのか、それとも断られるのを分かっていて興味本位で聞いているのか。
どちらにしろ、あまり良い気分では無い。
「この話はもうしません。そんな話よりも、今目の前の美味しさを楽しむのに俺は精一杯なんです」
そう言って、俺はムール貝の蓋をこじ開けた。
「悪かったわね、あなたが魅力的だったからつい、悪戯心が湧いちゃったのよ」
「別に、もう終わった話なんで。では」
俺は目的を果たしたので、今日はさっさとホテルに引き篭もって山村を待つ事とした。




