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婚約破棄され売られた欠陥聖女は、隣の大国で『魔獣の聖女』と呼ばれることになった  作者: 一十一
第3章 銀と金の双聖女

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第22話

 三国共同調査団が最初に向かったのは、テレジア王国北西部の開拓地だった。


 王都から馬車で二日。


 そこは、地図の上では新街道予定地と記されている場所だった。

 だが、実際に目にした景色は、ルシアが想像していたものよりずっと荒々しかった。


 森が、途中で断ち切られている。


 木々は根元から伐られ、太い幹が道の端に積み上げられていた。土は掘り返され、岩肌が剥き出しになり、ところどころに作業小屋が建っている。


 人の手で、無理やり道を通した場所。


 そう感じた。


 ルシアは馬車を降り、足元の土を見た。


 乾いている。

 表面は硬いのに、少し踏み込むと崩れる。

 草の根が少ない。雨が降れば流れやすい土だ。


 森だった頃には、きっと違ったのだろう。


「……ここが、魔獣の移動経路の起点ですか」


 セシリアが隣で呟く。


 白い聖女の外套ではなく、今日は動きやすい旅装だった。だが腰には治療用の小箱を下げ、銀の聖眼はいつでも使えるようにしている。


 ルシアは頷いた。


「記録上は、この辺りから群れの目撃が増えています」


 前方では、テレジアの開拓責任者が早口で説明していた。


「もちろん、正式な認可を受けた開拓です。街道が通れば物流は改善し、辺境の村にも物資が届きやすくなります。鉱山も国益に関わる重要事業でして」


「結論から言うわ」


 マグダレナが説明を遮った。


「街道の意義を聞きに来たのではないわ。魔獣がなぜ動いたかを見に来たの」


 責任者は一瞬詰まった。


「そ、それについては、魔獣の習性による自然移動の可能性も」


「自然移動なら、三国同時に軍用魔獣の不調が増えた理由も説明して」


「それは……」


「数字で」


 マグダレナの声は低い。


 責任者は黙った。


 ノーマンが後ろで小さく呟く。


「施設長の“数字で”は、だいたい逃げ道の扉を閉める音です」


「ノーマン」


「はい、心の記録に留めます」


 ルシアは少しだけ息を吐いた。


 緊張した場に、ほんの少しだけ空気が通る。


 だが、視線を森へ戻すと、胸はまた重くなった。


 ここには何かがない。


 木々だけではない。

 草も、匂いも、水の気配も薄い。


 ルシアの碧眼が、静かに金色へ変わる。


 世界の輪郭が沈み、土地に残った痕跡が淡く浮かび上がった。


 地面に残る蹄の跡。

 爪が引っかいた岩。

 折れた枝。

 踏み荒らされた低木。

 乾いた沢。


 そして、いくつもの魔獣の気配。


 恐怖。

 空腹。

 警戒。

 水を探して歩き回った焦り。

 幼い個体を守ろうとして進路を変えた群れの乱れ。


 ルシアは無意識に胸元を押さえた。


 これは襲撃の痕ではない。


 追われた跡だ。


「お姉様?」


 セシリアがそっと声をかける。


「……水場が、消えています」


 ルシアは低く言った。


 周囲の視線が集まる。


「この先に、沢があったはずです。たぶん魔獣たちは、そこを使っていました。でも、土が崩れて流れが変わっている。水が細くなって、群れを支えられなくなったんだと思います」


 責任者が慌てて反論する。


「沢については、工事の都合で一時的に迂回させただけです。水源を断ったわけでは」


「群れにとっては同じです」


 ルシアは地面の跡を見た。


「いつもの水場に水がない。匂いが変わっている。道が塞がれている。それだけで、魔獣は別の場所へ移動します」


 イレーネが腕を組む。


「その別の場所が、ヴァルミアの谷だったわけか」


「フランキス側にも流れています」


 アルベルトが地図を開いた。


「こちらの山道を抜ければ、フランキス国境の低地へ出る。迎撃部隊の出動増加とも時期が合う」


 ルシアは、さらに奥の伐採地へ目を向けた。


「それだけではありません」


 金色の視界に、別の痕跡が見えた。


 低い茂みの跡。

 根ごと掘られた薬草。

 噛み跡の残る、枯れた茎。


 ルシアはしゃがみ込み、土の中から折れた葉を拾った。


「これは……月露草です」


 マグダレナが眉を上げる。


「月露草?」


「胃を冷やし、痛みを和らげる薬草です。ペガサスにも使いました。ここには群生地があったのだと思います」


 責任者が困惑した顔をする。


「ただの雑草では」


「雑草ではありません」


 ルシアの声は、思ったよりはっきり出た。


「魔獣たちは、自分で食べていたのかもしれません。飛行や移動で胃が荒れた時、ここで月露草を食べて整えていた。けれど伐採で群生地が消えた」


 ノーマンが記録板へ書き込む。


「水場消失、薬草群生地消失。魔獣の自己調整手段が失われた可能性あり」


「自己調整……」


 セシリアが小さく繰り返した。


「魔獣たちは、自分で薬草を選んでいたのですか」


「たぶん」


 ルシアは葉を指先で撫でた。


「全部ではないと思う。でも、体が覚えているものはあるはずです。お腹が重い時にこの草を食べるとか、傷がある時に水辺の泥で冷やすとか。人が知らないだけで」


 セシリアは、壊された草地を見た。


 その銀の瞳に、怒りではなく悲しみが浮かぶ。


「私たちは、傷ついた後しか見ていなかったのですね」


「うん」


 ルシアは立ち上がった。


「でも、ここでは傷つく前のものが壊されています」


     ◇


 調査は半日続いた。


 伐採地の奥には、古い獣道があった。


 今は丸太と土砂で半ば塞がれている。

 その手前には、何度も行き来した魔獣の足跡が重なっていた。塞がれた道の前で引き返し、別の斜面へ向かった跡もある。


「ここを通れなかったから、群れは南へ逸れたのか」


 イレーネが地図へ印をつける。


「その先が、ヴァルミアの谷です」


 ルシアは頷いた。


「おそらく。しかも群れには幼い個体がいました」


「分かるの?」


 マグダレナが尋ねる。


「小さい足跡があります。大人の個体が囲むように歩いている。移動速度も遅かったと思います」


「幼獣連れの群れを、山から押し出したわけね」


 マグダレナの声が冷えた。


 責任者が青ざめる。


「我々は、魔獣の繁殖地とは聞いておりませんでした」


「調査したの?」


「それは、開拓予定地としての調査は」


「魔獣の生息調査は?」


 責任者は黙った。


 マグダレナはそれ以上責めなかった。

 ただ、ノーマンへ視線を向ける。


「記録」


「はい。開拓前の魔獣生息調査、不十分。繁殖経路、薬草群生地、水場の確認不足」


 ノーマンの声も、いつになく真面目だった。


 ルシアは塞がれた獣道の前に立った。


 金色の目に、魔獣たちの残した混乱が見える。


 いつもの道がない。

 水の匂いが違う。

 子どもが疲れている。

 後ろから人の音がする。

 斜面を下るしかない。


 そして、その先に人里がある。


 魔獣たちは人を襲うために来たのではない。

 ただ、道を失っただけだ。


 そう思うと、胸が痛かった。


「お姉様」


 セシリアが隣に立つ。


「どうすればいいのでしょう」


「元の道を、全部戻すのは難しいと思う」


 ルシアは言った。


「でも、通っていい道を作ることはできます。水場を残して、薬草の群生地を保護して、人里へ向かわないように香りや柵で誘導する。軍用魔獣には、討伐ではなく見張りと誘導を任せる」


「テレジアだけでは足りませんね」


「うん。フランキスとヴァルミアにもつながる道だから」


 セシリアはまっすぐ前を見た。


「なら、三国で決めなければ」


「そうだね」


「お姉様」


「うん?」


「私、王都に戻ったら、陛下にこの場所を見たことを伝えます」


 セシリアの声は震えていなかった。


「聖女として、傷を癒やすだけでは足りないと。傷つく場所を作らないことも必要だと」


 ルシアは妹を見た。


 セシリアは変わった。


 いや、きっと変わったのではない。

 もともと持っていた真っ直ぐさが、自分の意思で向く場所を見つけたのだ。


「うん」


 ルシアは小さく頷いた。


「一緒に伝えよう」


     ◇


 夕刻、調査団は開拓地の仮設詰所へ戻った。


 そこで待っていたのは、フランキスからの急使だった。


 馬型魔獣は息を荒げ、騎手の外套には泥が跳ねている。かなり急いで来たのだろう。


「アルベルト殿下!」


 急使は馬から降りるなり、膝をついた。


「国境監視所より緊急報告です。山岳北部の魔獣群が、さらに南下を始めました」


 アルベルトの表情が変わる。


「規模は?」


「先日のヴァルミア谷の群れより大きいとのこと。複数の群れが合流している可能性があります」


 イレーネが低く言う。


「合流……」


 マグダレナが地図を広げる。


「進路は?」


 急使は震える指で、地図の一点を指した。


 三国境。


 フランキス、ヴァルミア、テレジアの境が重なる地域。

 そこには、小さな町がある。


 交易町リンドベル。


 人も物も魔獣も集まる、国境の要所だった。


「このまま進めば、二日以内にリンドベルへ到達します」


 詰所の中が静まり返った。


 先日の村とは規模が違う。

 三国の交易路が交わる町。避難にも時間がかかる。

 そこへ複数の群れが流れ込めば、被害は比べものにならない。


 しかも、フランキスのペガサスもヴァルミアのワイバーンも、まだ万全ではない。


 ルシアは地図を見つめた。


 金の瞳が、ゆっくり光を帯びる。


 線が見える気がした。


 壊された水場。

 塞がれた獣道。

 消えた薬草。

 押し出された群れ。

 疲弊する軍用魔獣。

 そして、三国境へ向かう大きな流れ。


 これは偶然の災害ではない。


 人が見落としたものが、積み重なって起きた結果だ。


 セシリアが隣に立つ。


「お姉様」


「うん」


「今度は、もっと大きいですね」


「うん」


 怖い。


 けれど、もう目を逸らすことはできない。


 ルシアは地図の上に手を置いた。


「討伐だけでは、きっと止まりません」


 マグダレナがこちらを見る。


「なら?」


「群れが何を求めて動いているのかを見ます。水か、餌か、安全な道か。そこを間違えなければ、リンドベルを避けさせられるかもしれません」


 アルベルトが静かに頷いた。


「三国共同での初動になるな」


 イレーネが拳を握る。


「ワイバーンは、出せる個体を選びます。無理はさせない」


 セシリアが銀の瞳を上げた。


「負傷者と負傷魔獣は、私が診ます」


 マグダレナが地図を叩いた。


「結論から言うわ。ここが第1部最大の山場ね」


 ノーマンが思わず顔を上げた。


「施設長、今なんと?」


「何でもないわ。急ぎなさい」


「はい。記録と薬箱、全部持ちます。今度こそ腰が終わります」


「腰は後で考えなさい」


 慌ただしく人が動き始める。


 ルシアは地図から目を離さなかった。


 母国で欠陥聖女と呼ばれた自分。

 銀の聖眼を持つ妹。

 フランキスの人々。

 ヴァルミアの騎士たち。

 そして、道を失った魔獣たち。


 すべてが、三国境へ集まろうとしている。


 ルシアは静かに息を吸った。


 今度こそ、壊れる前に手を届かせなければならない。

皆様、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。


この作品をここまで続けてこられたのは、読んでくださる皆様のおかげです。

本当に励みになっています。


もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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