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婚約破棄され売られた欠陥聖女は、隣の大国で『魔獣の聖女』と呼ばれることになった  作者: 一十一
第3章 銀と金の双聖女

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第20話

 協議室の空気は、凍りついたように動かなかった。


 国王の言葉が、まだ床の上に重く残っている。


 ――王室の人材を、国の目を、勝手に失わせた。


 ルシアは、その言葉を胸の奥で何度も繰り返した。


 国の目。


 そんなふうに呼ばれるとは思っていなかった。


 自分は、ずっと欠けているのだと思っていた。

 聖眼を持たない。

 癒やせない。

 祓えない。

 だから、せめて邪魔にならないように、隅でできることをしてきただけだった。


 だが、国王は今、その仕事を「国の目」と呼んだ。


 嬉しいというより、まだ怖かった。


 そんな大きな言葉を、自分に向けられていいのか分からない。


 ギルバートは顔色を失っていた。


「陛下、私は……アージェント家の長として、家の判断を」


「家の判断で、王室付薬剤師の職を処理したのか」


 国王の声は低かった。


「ルシア・アージェントは、王室の任命を受けていた。家の娘である前に、王室の職務を担う者だ」


 ギルバートは言葉を詰まらせる。


 オスカーが一歩前に出た。


「陛下。フランキス王国からの申し入れは正式なものでした。ルシアにとっても、能力を活かせる道であったと」


「本人に、そう説明したのか」


 国王が問う。


 オスカーの唇が止まった。


「婚約破棄を告げた同じ場で、国外移送を通告したと報告にある」


 国王は書類へ視線を落とした。


「さらに、私物は事前にまとめられ、翌朝には迎えが到着していた。これは相談ではない。通告だ」


 オスカーの表情が硬くなる。


 ルシアは、あの日の執務室を思い出した。


 伯父の冷たい声。

 オスカーの淡々とした表情。

 すでに荷がまとめられていた私室。


 自分には何も選べなかった。


 その事実を、今ここで他人の口から聞かされるのは、不思議な感覚だった。


 痛い。

 けれど、少しだけ楽でもあった。


 あれは自分の勘違いではなかったのだと、誰かが証明してくれているようで。


「オスカー・ヴァーダンド」


 国王の声が、さらに冷える。


「そなたは婚約者として、ルシアの仕事をどう評価していた」


 オスカーは一瞬、答えに迷った。


「……魔獣用の薬餌や補食は、一定の効果があるものと」


「一定の効果」


 王妃が静かに繰り返した。


 その声に、協議室の全員の視線が移る。


 王妃エレオノーラは、穏やかな表情のままオスカーを見ていた。


「あなたは、あの子に何と言いましたか」


 オスカーの顔がわずかに強張る。


「王妃陛下、それは」


「調合法はすでに発表されている。だから、本人にそれほどの価値があるとは思えない」


 王妃の声は、静かだった。


「そう言ったのではありませんか」


 ルシアは息を呑んだ。


 その言葉を、王妃が知っている。


 おそらく、調査の中で聞き取られたのだろう。

 あの日の会話まで、すでに王室へ届いている。


 オスカーは反論できなかった。


 王妃はゆっくり続ける。


「調合法があるなら同じものが作れる。そう思ったのでしょう」


「……はい」


「けれど、今この国では、同じ調合法で作った補食が以前ほど効いていない」


 オスカーの肩が揺れる。


「理由は分かりますか」


 答えはなかった。


 王妃は、机の上に置かれた一冊の記録帳へ視線を落とした。


 それはルシアの記録だった。


 薬草の乾燥具合。

 個体ごとの食後反応。

 天候による配合変更。

 水分量と休息時間。


 誰にも見向きもされなかった、細かな記録。


「薬は、文字だけで効くものではありません」


 王妃は言った。


「誰に、いつ、どの状態で、どれだけ与えるか。それを見極める目があって初めて、薬は薬になる」


 その言葉が、ルシアの胸に深く沈んだ。


 ずっと、自分でも分かっていなかったことだった。


 薬草を混ぜているだけではない。

 餌を作っているだけでもない。


 見て、考えて、調整していた。

 それが仕事だった。


 王妃はギルバートへ視線を移した。


「あなた方は、その目を見なかった」


 ギルバートの顔が歪む。


「王妃陛下、ルシアは聖眼を持ちません。アージェント家としては、聖女の家の責務を」


「聖眼がない者に価値はない」


 王妃は淡く遮った。


「その考えが、今回の失態を招いたのです」


 協議室に、誰も声を出せない。


 王妃は、今度はルシアを見た。


 その眼差しは、あの日、王家の馬型魔獣の前で向けられたものと同じだった。


 静かで、まっすぐで、逃げ場がないほど優しい。


「ルシア」


「……はい」


「私は、あなたを王室付薬剤師に推薦しました。あなたが王家の魔獣を救ったからです」


 ルシアは、何も言えなかった。


「けれど、推薦しただけで、その後あなたがどう扱われていたかを十分に見ていませんでした」


 王妃は、わずかに目を伏せる。


「それは、私の落ち度です」


「王妃陛下、そのような」


 ルシアは思わず声を上げた。


 王妃が謝ることではない。


 少なくとも、ルシアはそう思った。


 けれど王妃は首を振った。


「見出した才を守ることも、王室の役目です。私はそれを果たしきれなかった」


 その言葉に、ルシアの胸が締めつけられる。


 責められなかったことが、苦しい。

 誰かのせいだと叫べれば、もっと楽だったのかもしれない。


 でも、王妃はルシアを責めなかった。

 自分の痛みを、なかったことにもしていない。


 だからこそ、ルシアは深く頭を下げた。


「王妃陛下に、以前いただいたお言葉を覚えています」


 声が少し震えた。


「よく見てくれてありがとう、と言っていただきました。あの時、私は……自分の仕事を、少しだけ信じられました」


 王妃の瞳が、わずかに揺れる。


「だから、謝らないでください。あのお言葉は、私にとって本当に救いでした」


 協議室に静かな沈黙が落ちた。


 セシリアが、向かい側で目を潤ませているのが見えた。


 マグダレナは腕を組んだまま、何も言わない。

 だが、その表情はいつもより少しだけ柔らかかった。


 国王が再び口を開く。


「処分を申し渡す」


 ギルバートとオスカーが、同時に身を強張らせた。


「ギルバート・アージェント。王室付薬剤師の不当な離職処理、および他国との人材取引に関する調査が終わるまで、アージェント家当主としての宮廷出入りを停止する。家の財務記録も提出せよ」


「陛下……!」


「異議は調査後に聞く」


 国王は続けた。


「オスカー・ヴァーダンド。そなたは王室管理魔獣に関わる一切の職務から外す。ヴァーダンド家には別途監査を入れる」


 オスカーの顔から血の気が引いた。


「私が、魔獣管理から」


「そなたは、価値を見誤った」


 国王は冷たく言った。


「見誤った者に、今この国の魔獣を任せることはできない」


 オスカーは唇を噛んだ。


 あの日の彼なら、冷静に反論しただろう。

 だが今は、言葉が見つからないようだった。


 ギルバートも同じだった。


 欠陥と呼び、役立たずと見なし、家から遠ざけた娘。


 その娘が、今や王の前で専門職として扱われている。

 自分たちは、その価値を見誤った者として裁かれている。


 その事実だけで、十分に重い断罪だった。


     ◇


 処分の言い渡しが終わると、国王はルシアへ向き直った。


「ルシア・アージェント」


「はい」


「テレジア王国は、そなたに正式に謝罪する」


 ルシアの呼吸が止まった。


 国王が、頭を下げるわけではない。

 けれど、その声は王としての謝罪だった。


「王室付薬剤師であったそなたを守れず、不当な形で国外へ出した。さらに、そなたの専門を軽視した結果、国内外の魔獣管理に支障を来した」


 ルシアは、ただ立っていることしかできなかった。


「そのうえで、協力を求めたい」


 国王の声は、命令ではなかった。


「テレジア、フランキス、ヴァルミア三国による魔獣移動および医療・保護の共同調査に、専門家として加わってほしい」


 戻れ、ではない。


 命じる、でもない。


 協力を求めたい。


 その違いが、ルシアには分かった。


 だからこそ、すぐに答えられなかった。


 自分がテレジアに協力する。

 それは、この国へ戻ることとは違う。

 けれど、あの日の痛みをなかったことにすることでもない。


 ルシアは一度、目を閉じた。


 思い出すのは、売られると知ったあの夜。


 うつむいて行っても仕方がない。

 自分にできることを探して進むしかない。


 そう言い聞かせて、国を出た。


 そして今、本当に自分で選ぶ時が来ている。


 ルシアは目を開けた。


「協力します」


 セシリアの顔が明るくなる。


 だが、ルシアは続けた。


「ただし、私はテレジアへ戻るために協力するのではありません」


 ギルバートが、かすかに顔を上げる。


 オスカーもルシアを見る。


「私は今、フランキス王立魔獣医療・保護施設の薬剤師です」


 声は震えていなかった。


「フランキスで必要とされ、そこで働くと決めました。ですから、三国の魔獣を守るための専門職として協力します」


 マグダレナの口元が、わずかに上がる。


 アルベルトも静かに頷いた。


 王妃は、柔らかく微笑んだ。


「それでよいのです」


 その言葉で、ルシアの胸の奥から、何かがひとつ落ちた。


 戻らなくていい。


 許すために帰る必要もない。

 恨み続けるために離れる必要もない。


 自分は、自分の仕事をする場所を選んでいい。


 セシリアが立ち上がった。


「陛下」


 国王が視線を向ける。


「私も、共同調査に加わらせてください」


 ギルバートが何か言いかけたが、国王の視線で黙った。


 セシリアは続ける。


「私は聖眼で傷を癒やせます。けれど、それだけでは足りないと知りました。テレジアの聖女として、傷つく前の仕組みを学びたいのです」


 国王は王妃を一瞥した。


 王妃は静かに頷く。


「許可する」


 セシリアは深く頭を下げた。


 そして、ルシアを見る。


 銀の瞳が、まっすぐにルシアを映している。


 ルシアも、そっと頷いた。


 かつて比べられるだけだった姉妹は、今、同じ場所に立っていた。


 銀の聖眼と、金の魔眼。


 癒やす目と、見抜く目。


 どちらが上でも、どちらが欠けているのでもない。


 二つが並んだ時、ようやく届く命がある。


 協議室の外では、王都の鐘が鳴り始めていた。


 その音は、あの日ルシアが売られると知った時に聞いた鐘と、同じ王都の鐘だった。


 けれど、今は違って聞こえた。


 終わりを告げる音ではない。


 新しい仕事の始まりを告げる音だった。

皆様、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。


この作品をここまで続けてこられたのは、読んでくださる皆様のおかげです。

本当に励みになっています。


もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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