2章「vs後輩」_17話
ポエテランジュの大暴走後。
3日ぶりに目が覚めたアンジュに、家族は安堵と歓喜で泣いて彼女を抱きしめた。父親だけでなく妹まで失うことに耐えられなかったのだ。
アンジュは何が起こったか全くわからず目を点にしながら、ぎゅうぎゅうと抱きしめられていた。
しばらく為されるがままに抱きしめられいたアンジュだったが、『ねぇポエテランジェは?帰ってきたんでしょ?気配がする』とあたりを見渡した。
実際はポエテランジェではなく、アンジュから漏れ出ている魔力だ。顔を見合わせた家族を不思議そうに眺めながら、彼女はポエテランジェの子供たちすらいないことに気がついた。
『かくれんぼ?』
シーツや枕をめくり、楽しそうに友人たちを探し始めた。部屋を探そうとベッドから降りようとした孫をやんわり留め、兄弟の祖父がアンジュに説明を始めた。
アンジュは静かに話を聞いている。
その様子をセオドアたちは固唾を飲み込みながら見守る。今は状況が飲み込めていないのか普段通りだが、祖父から話を聞けばきっと思い出す。凶暴な姿になった大精霊が、力を暴走させながら自分に向かってきた記憶が。叫ぶかもしれないし、恐怖で気を失うかもしれない。
凶悪な亡霊や災厄の精霊とも対峙してきた中央区の召喚士が、未だ恐怖で震えるような出来事だ。アンジュは今まで彼女らと親しく過ごしてきた分、より傷ついている可能性がある。さらに自分の姿が変貌したのだ。
妹がどんな反応をするのか全く予測できず、彼らはただただ不安に沈んでいた。
自分が犯した仕打ちに絶望した大精霊は、精霊界の巣に篭り処罰を待っていた。子どもたちも共にいる。人間が起こした出来事に翻弄されたとはいえ、愛おしい子供を傷つけた罪のケジメはつけなければならない。
眠るアンジュの側で、今後を家族は話し合う。まそして必要な時以外は絶対に姿を見せないようにする制約を追加で施す決定になった。
本当にアンジュとポエテランジュを想うならば、契約を破棄することが最善であった。罪と恐怖は消えないが、お互い顔を合わさなくて済むだけ楽になるはずだ。しかし父親がいなくなった今、家族が安全に暮らしていくには安住の地と安定した収入が確定している領土は失えなかった。ポエテランジュと契約を破棄すれば、たちまち領地を狙う者から攻められ、奪われる恐れがあるからだ。
『家族の安全と安寧が第一だ』
最終決定を下したライオネルは青ざめ、無機質な表情であった。大好きなポエテランジュらに処罰を下さなければならない。2度と皆で笑い合う温かな日常には戻らない。悲痛な色が滲んでいる。それでも彼は当主となる。父親の死、妹に起こった事故、これからの家族のこと。すべてを背負うと決めた彼の覚悟を、誰が責められると言うのか。
皆が見守る中、アンジュは顛末を聞き終えた。自分に起こった変化を見るため、祖父から手渡された鏡に姿を写した。
『ポエテランジュみたい!』
瞬く間に顔を輝かせ、アンジュは嬉々として容姿を受け入れた。
流石に想定していなかった反応を前に、家族は呆然となる。彼女はさらに『ポエテランジュに見せたい!お揃いしたい!』とまで言い出した。ベッドから飛び降り、契約者となったライオネルに何度もおねだりする。
『ポエテランジュが怖くないのかい?』
『なんで?』
『だってアンジュを殺したかもしれない。それに、彼女が迫ってくる姿は怖かっただろう?』
屈んだライオネルはアンジュと目線を合わせた。ワザと怖い単語を使った言い方は、妹がきちんと事態を理解していないと判断したからだ。
それでもアンジュの態度は変わらない。心底不思議そうに首を傾げている。まるでこちらが、おかしな反応をとっているように思えてくるほど。
『怒った顔はおばあちゃんやお母さん、お姉ちゃんの方が怖かったよ』
『それは絶対に、ない』
『あるよ!』
大精霊よりも怖いと言われた3人は、顔を見合わせる。普段穏やかな表情を浮かべている彼女たちが怒ると、かなり怖いのは事実である。
大精霊が怒り狂った顔を正面から受けたのはアンジュだけであるので、真実はわからない。
アンジュはケロリとしたまま、こう続けた。
『それに『精霊は人智を超えた、恐れるべき存在』ってお父さんがずっと言ってた。みんな仲良くしてくれてるけど、怖い存在だって忘れたことないよ!遊んでても目が光る時あるし…』
『それでも『愛すべき隣人で手を取り合える友人』なんでしょ?』
当時6歳。デュドネの言いつけを本当の意味で理解していたがわからないが、遺言となった言葉は彼女の心の柱となっていた。
ライオネルに突如呼び出されたポエテランジュの方が酷くおびえていた。アンジュを見るなり姿を隠そうと、しかし誰に触れることをためらい、その場でオロオロと右往左往していた。
アンジュは構わずポエテランジュに抱きつき、自分の容姿を嬉しそうに報告し始めた。
普段と変わらない態度が理解できず、ポエテランジュが助けを求めるようにライオネルたちに目を向けた時、彼らは苦笑いを浮かべるしかできなかった。夢か幻術を見ているのかとセオドアは頬をつねったが、痛みは本物であった。
つまり現実である。
向こうの世界で、こちら側の様子を伺ってた子どもたちも次々と姿を現した。
アンジュにじゃれつき、いたずらを仕掛ける。彼女も彼らを撫で、笑っている。
そこにはいつもと変わらない、賑やかなブルナー家の日常があった。
アンジュが大反対をしたこともあり、ポエテランジュたちへの追加制約は施さないことになった。代わりに感情の高ぶりを感知、規定値を超えた場合は行動を強制的に失わせる機械か魔術を施すかと議題に上がったが、別次元の上位存在に対し不敬であるとされ、その話も流れた。
彼女への処罰は、アンジュの特訓に必ず付き添うことになった。
周囲からは散々「ぬるい」「甘い」と言われたが、そもそも人間のせいで暴走したポエテランジェに罰を与える方がおかしいと、ブルナー家族は取り合わなかった。
実際にはホッとしていた。家族同然のポエテランジュたちと離れ離れにならなくて済む。アンジュの強さに彼らは救われた。
ここで少しだけ秘密話を。記録に残っていない本当の顛末についてだ。何も処罰されないことになったポエテランジェは、自らの罪を2度と起こらせないよう、そして彼らの信頼に応えるために、ある秘術を兄弟に伝授したと言う。それはあまりにも危険であったため、彼らは術が漏れないように策を講じた。秘術を知るためには5兄弟から聞き出すしか方法はないが…。この顛末を知るのも5兄妹だけであるため、秘密があることすら誰も知らないのだ。
兎にも角にも。
ブルナー家も、アンジュも変わらず深く精霊たちを愛している。むしろ絆は強固なものになった。
しかし一方で、同じ人間に傷つけられることが多くなってしまったアンジュ。
『人の方が怖い』
誰にも聞こえない声で呟いた本心を、彼女は覚えていない。
最初は痛みに泣くこともあったが、いつの間にか全てを割り切るようになった。誰に何を言われようと、どんな感情を向けられても。全て心に届く前に消えていく。それは悪意だけでなく、好意の感受すら鈍くした。
そして皆の幸せのためにと自分すらも割り切り、1人離れようと行動する。
家族はそれが1番気に入らない。今悪意を持つ彼らは、遅かれ早かれいつか牙を向いた。悪縁が切れてむしろ清々した。アンジュは何も悪くないにも関わらず、責任を感じている。気にしていないといくら伝えても、頑なに1人を選ぼうとする彼女に頭を悩ませる日々が続いた。
そんな時。アンジュに好意を寄せる、アルフレード・ランゲが現れた。
彼女の得意的な能力にも容姿にも一切悪意を抱かず、卒業後も諦めずに想いを叶えようと奮闘する青年。
家族は密かに期待しているのだ。
彼なら、もしかしたらー。
「おぉ!」
観衆がどよめく声で、セオドアの意識は現在に引き戻される。
訓練が始まり真っ先に蹴り飛ばされ気絶していた新人、ダンケが起き上がったのだ。彼は結界に突進すると、一撃で結界を打ち壊した。驚きで目を丸くするアンジュを掴もうと、ダンケは両腕を伸ばした。アンジュは身を翻すと、つかさず腕を打つ。ダンケは地面に叩きつけられる。
それも今度はすぐに起き上がり、追撃を行う。命からがら枠内に残っていた数人は、ようやく回ってきた好期を逃さまいとダンケの支援を始めた。
セオドアはアルフレードが優しく微笑むのが目に入り、思わず顔を顰めた。後輩たちの奮闘に嬉しさを感じているようにも見えるが、眼球は忙しなく動き、とろりと目元が緩んでいる。
動き回る婚約者を追っているのは明白であった。
相手を知っている身としては、気恥ずかしさを感じてしまうほど熱烈な目線。職場でする顔つきではないが、セオドアはこうしたアルフレードのアンジュへの想いは認めている。でなければ人気が高すぎて面倒ばかりのアルフレードと引き合わせない。シャワー室から飛び出してアンジュを探す男だからこそ、セオドアはしぶしぶ2人の中を応援しているのだ。
「アルフレード・ランゲ」
振り向いたアルフレードの顔つきは元に戻っていた。少し緊張しながらも、セオドアとしっかり目を合わせる。
「アンジュの意識にも問題があることは、俺たちだって分かっている。アイツがああなった責任もある」
応援はしているが何事にも限度がある。眼下で繰り広げされている"茶番"が、今後も繰り返されるならば考えを改めなければならない。いくら2人が愛し合っていようと、妹が傷つくのは看過できない。兄としても、もう言われのない悪評や噂が聞こえてくるのは絶ちたいのだ。
「理由がどうあれ、たとえアンジュが悪かろうと。アイツが傷つくなら縁を断ち切るからな」
「離れる気はありません」
「なら、しっかりしろ。身を引き締めろ。お前が思っている以上に、アンジュは割り切りが良すぎる。自分すらもな.勝手に思い込まれた末に、捨てられないようにな」
セオドアは中庭に背を向けると、建物内の薄暗い廊下を進んでいく。アフはアルフレードに舌を「べっ」と出した。
彼らは一度も中庭を振り返る事なく、歩き去った。
「…他人様の事情に首を突っ込むのは野暮ですが。離れたくないのなら、奮闘し続けるしかありません。貴方の良いところは、追い詰められても、とにかくぶつかっていくところです。むしろそこからが本領発揮と言えます。ぶつかっていきなさい」
「…はい。ありがとうございます」
ドォォォン。
大きな音が響き渡る。足元がかすかに揺れる。力を込めたダンケの拳が、地面に直撃していた。アンジュがダンケの攻撃を避けたようだ。
硬い地面を殴った振動でダンケの動きが止まったのを、アンジュは見逃さなかった。素早く巨大に力強い足蹴りを入れる。素早く後方へ飛び、距離を取ると再び中庭を跳ね回り始めた。
温かみのある白い髪は陽の光を受けて、真っ赤な瞳は高揚で妖しく輝いている。
アンジュの獰猛な姿に、セオドアとの会話で一度落ち着いていたアルフレードの胸の高鳴りはぶり返す。
元同期が起こした追加試験から数年。さらに研鑽を重ね、戦い方も、美しさも一層増したアンジュ。多くの人は恐ろしさに足を震わせるが、アルフレードには分からない感覚だ。
猛威を振るう圧倒的な存在。心から楽しんだ時に溢れる笑顔。精霊基準の感性に、頑固でわからずやな性格。怒りに満ちた瞳も、驚異的な身体能力も。全て、全て、全て、すべて。
出会ってから7年経った今この時にも、アルフレードはアンジュに魅了され続けている。
(やっぱり今日、会いに行こう)
中庭で対峙するアンジュとダンケ。実に真剣だが、どこか楽しそうにも見えてしまう。性格も能力も似た所がある2人は、訓練後も交流は続くだろうとアルフレードは推測する。忙しさで予定を反故する言葉下手な婚約者よりも、素直で溌剌とした後輩の方が魅力的に映るのではないだろうか。不安と嫉妬が入り混じる。
(アンジュ。俺もっと頑張るから)
中庭で暴れ回る婚約者へ、アルフレードは想いをさらに募らせる。
ただ今は静かに、訓練の決着を見守り続けるしかなかった。




