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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
六.美濃攻略
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美濃攻略―④:政略結婚――もう一つの嫁入り

二人の姫の嫁入りー穏やかな幸せ

〈姉上様

 朝夕の暑さに、身も心も疲れを覚えますが、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。

越前・近江の地は山深く、尾張とはまた趣を異にし、初めのうちは心細さもございましたが、夫・長政様の温かさに助けられ、日々を重ねております。


夫は文にも武にも秀でたお方でございますが、時に戦の話題が多く、胸がざわつくこともございます。夫はいつも兄上様との盟約を守ると申しております。夫自身、兄上様の事がお好きなご様子に安堵しております。この平穏な日々が、どうか末永く続きますようにと願っておるところにございまう。


 私はまだ年若く、戦国の世に翻弄される身ではございますが、妻として、この家を明るく守っていければと念じております。何より、長政様にとても大切にしていただいておりますので、こちらの暮らしにもすぐに慣れてしまいました。どうぞご安心くださいませ。


 それでも、いつも私の身を案じてくださった姉上様のお言葉が、恋しゅうございます。もしご都合が叶いましたならば、折を見てお便りいただければ、何よりの支えとなりましょう。

どうかお身体をおいといくださいませ。   

                  市                   かしこ 〉                         


この文を読んだとき、私は、心から安堵した。政事のために嫁いだ姫が、それでも幸せを見つけておる。そのことが、何より嬉しゅうて、胸の奥が温かくなったりもした。私と信長と間、また違った夫婦の絆を結んでおられるのであろう。否、私と信長の方が普通の夫婦とは異なる我ゆえ、比べようもない事ではあるが――。


 その翌年、永禄8年(1565年)のこと。信長は、遠山直廉(なおかど)の娘を、織田の養女として甲斐の武田信玄の四男・史郎勝頼殿に嫁がせることにした。これは、武田と手を結ばんがための策。美濃の斎藤家も手強うはあったが、信長にとっては、むしろ武田のほうがよほど恐るべき相手と見えておったようじゃ。


――ここだけは、敵に回してはならぬ。


そう思うほど、信玄は手ごわい相手。すでに木曽谷一帯を掌中に収め、美濃とも交易を通じて気脈を通じておる。もし信玄が美濃に刃を向けるようなことがあれば、手の打ちようがないほどの脅威となろうことは明白。そうならぬよう、信長は織田掃部介(かもんのすけ)を使いに立てて、信玄のもとへ遣わした。


「信長公は、今川義元公を討ち、尾張をほぼ平定されました。間もなく美濃も平らげられる見通しにございます。さすれば、信玄公の御領とも隣国となりましょう。ここにて縁を結び、互いに交わり深めたく存じます。ついては、信濃におられる勝頼様に、織田の姫を娶っていただければと……」


と、かように申し入れた。信玄の機嫌を損じてはならぬゆえ、ことさらに低姿勢での言上と相成った。信長にして見れな、内心は狸入道目、と言うところであるが、今はまだこちらに権を交えるほどの力はないと判断しておった。それ私とて同意見である。


 武田信玄といえば、甲斐源氏の棟梁。家柄も由緒正しく、領地は甲斐・信濃・駿河と三ヵ国にまたがる。守護大名の名門にして、武威もまた天を突く勢い、下手に戦える相手ではないのだ。


「可愛い姫ゆえ、良縁をと願うておりましたが、織田にはしかるべき男子がなく……このたびは、ぜひとも勝頼様にお受けいただければと存じます」


かような言葉を添え、織田からの縁談は運ばれ、信玄はこれを受け入れた。外から見れば、織田の丁重な申し出に機嫌を良くしたふうにも見えたが、内実は違ったと思われる。先に信長と手を結んだ三河の松平元康――その元康への牽制の意図も込められておったのじゃ。この時点で信玄がまだ元康を恐れていたとは思えぬが、警戒するに越したことはない相手と見ておったのであろう。早々に今川と手を切って、織田と同盟を結んだのであるから、食えぬ男よ、くらいは思うておったであろう。


 今川が斃れた今、信玄としては駿河を手中に収める機を伺っていた。だが、その進路には元康が立ち塞がる。ここで信長と姻戚関係を結べば、元康の出方を抑える一手にもなる。信玄にとっては一石二鳥の策であったのじゃ。


 かくして、この年の11月13日――市姫と同じ歳のその姫……名は、なんと申したかな。はて、とんと思い出せぬ。確か、雪のように色の白い姫だった。少し線が細く、体もそれほど丈夫そうには見えなんだ。このようにか細い姫が、見知らぬ土地へ行ってやって行けるのかと思うたほどじゃ。はっきりとは思い出せないので、ここでは雪姫と申しておきましょう。この雪姫、高遠城の勝頼殿のもとへと嫁入りなされた。姫は、道中で雪を戴く山々を見上げ、尾張とは違う鋭い冷気に身をすくめたという。


――こんな山奥で暮らすのか……。


そう思うと、寂しさが胸をよぎったそうな。けれども、本丸の玄関先まで迎えに現れた勝頼殿の姿を見て、その不安は吹き飛んだ。当時の勝頼殿は二十一歳。信玄公が大入道のごとき威容と聞き及んでいた雪姫は、その息子もさぞ恐ろしげな面魂かと覚悟しておったようだ。


「例え岩のようなお方でも、心を尽くして添う覚悟をしておりまする」


と、嫁ぐ前に申されておった。されど、実際の勝頼殿は違った。母の諏訪御料人の血を色濃く受け継いだのであろう、美貌と気品に満ちた若武者であった。雪姫は内心、(わたくしより綺麗では……)と思ったほどじゃという。

お読みいただきありがとうございます。

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