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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
三.君主・信長
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君主・信長ー⑦:武装と知略――食えない男

猿と貴公子

 父様も、信長が護衛として槍隊くらいは連れて来ようとは思っておった。されど、まさか弓隊や鉄砲隊まで引き連れてくるとは、夢にも思わなんだことであろう。実のところ、もし信長が噂にたがわぬウツケ者であったならば、この会見の場で討ち取ってくれよう、とさえ考えておられたそうな。


 全く、何を考えておるのやら、だ。そんなことしたら尾張に残っている娘の命がどうなるか分からぬわけでもあるまいに。だが、その目論見は見事に外れた。もし私がそこに一緒にいたら「ざまあご覧あそばせ」と父様に言ってあげたものを。


 これでは手出しは叶わぬ。こちらが刀を抜いたが最後、返り討ち必定――父様は慌てて正徳寺へ引き返し、御堂の縁に控えさせていた家来を下がらせ、重臣を除いては軽武装を命じた。もし向こうが合戦を仕掛けてきたら、応戦せねばならぬと考えたからだ。それも尤もなこと、というほどの人数で信長は会見の場に向かっているのであるから。しかしながらこれは信長が父・道三という人物を、相当重く見ておったということである。私としては、実に嬉しい限りである。


「してやられた」と、内心、父様はそう思われたそうな。「はてさて、やはり娘の申したとおりの男よの」と。そう思うと今度は実際に会って言葉を交わすのが楽しみとなった。

 

 正徳寺に戻った父様は、信長が姿を現すのを今か今かと待ち受けておった。あの猿の如き格好のまま現れて、どのような弁を弄するのか、それはそれで見もの。あの男がどんな言葉を吐くか、興味津々といったところであった。されど、ここでもまた、父様は意外な展開に驚かされる事となった。

 到着した信長は、供の者を境内に控えさせ、自らはまず手前の一室に入った。


(何じゃ?休憩でもしておるのか)


 人が待っておるというのに、いったい何を考えておるのやら。わざと焦らせておるのでは、と勘繰りたくもなる。そんな風に思いながら、父様は信長が会見の間に入ったという知らせを待っておられた。しかししばらくして、そこから現れたのは見知らぬ貴公子の如き若者である。


(む?どこから湧いて出たのじゃ、あの若者は?)


と、その場にいた父様の供の者は思ったという。

 しかも、やけに堂々としており、品格すら漂わせておる。髪は折り曲げにし、褐色の長袴をまとい、由緒ありげな短刀を()き、颯爽たる美男子――それが信長であると気づいた時、家来たちは皆、たいそう驚いたそうな。私はこの話を戻った信長自身から面白おかしく聞かされた。


「わしだと分かった時の、あの驚きようよ。そちにも見せてやりたかったわ」


それはさぞ愉快であったろう。何やら企んでおるとは思うておったが、まさかそんな戯れ事のようなことを本気で考えておったとは。やはり、信長という男は面白き男よ。父様も、さぞや肝を潰されたことであろう。その父様のお顔を私も見たかったものを。面白いことを為すときは、ぜひ私もその場に連れていってほしいものじゃ。


 さて、信長はそのまま縁を進み、案内(あない)を待っていた父様の重臣・春日丹後(かすがたんご)堀田道空(ほったどうくう)の前を通り過ぎ、これを完全に無視してその場にどっかと座り込んだ。


「あ、あの……」


丹後と道空が声を掛けようにも、信長は柱にもたれて、素知らぬ顔。まるで取り付く島もない。そうこうしているうちに、父様が現れ、二人の重臣は慌てて平伏した。信長は彼らに一瞥をくれるも、表情一つ変えず、柱にもたれたまま。


父様もまた何も言わず設けられた席に腰を下ろす。見兼ねた道空が信長の脇により


山城守(やましろのかみ)様がおいでなさいました」


と、囁く。信長は口の端でニッと笑うと


「であるか」


と答えて徐に腰を上げた。その態度、まことに不遜である。


 父様も、最初はこのふてぶてしい若者を見て「はて……」と首を傾げたそうな。それが先ほどの、猿の如き男――信長と気づいたとき、驚きと共に、妙な愉快さが込み上げたという。


(なんと、面白い男よ)


心の底からそう思ったとのこと。さすがは親子、初めて信長を見た時の、父様の感想と私のそれとはまるで同じ。父様は、このような若者を見るのは生まれて初めてであった。正直、得体の知れぬ不気味さすらある。されど、この男が娘婿かと思えば、なぜか心が躍る。それも私と同じじゃ。やがて信長は父様の前に進み出て、恭しく頭を垂れ、


「お初にお目にかかりまする。織田上総介信長にございます。今後とも、よろしくお願い奉りまする」


と、実に大仰に申し述べた。


「これはこれは、山城でござる。お見知りおき下され」


信長の圧に、父様はやや押され気味であったそうな。涼やかにして人を見透かすような鋭い眼差し、筋の通った高い鼻、紅でもひいたかのように艶やかで形の整った唇――先ほど見た猿とは、まるで別人。周囲の動きを瞬時に読み取るその眼の動きには、明晰な頭脳が窺える。


(胡蝶、そなたの目はまことに侮れぬな)


と、父様は心の中で唸っておられた。世の者がこの男をウツケと呼んでいたとは、まこと馬鹿げた話。この目を見れば、いかなる男であるかは明らかであろうに。天下を取る者とは、かくの如き人物かもしれぬと、父様は真剣に思われたそうな。


 杯を交わし、湯漬けを共にして、短き会見は終わった。帰途、信長は再び例の異様な装束に戻っていた。途中まで父様は信長の行列を見送られたが、尾張衆の長槍に比べ、父様の供は短槍ばかり、鉄砲隊もおらぬ。道三の行列は、信長のそれよりも貧相に見えたらしい。


 父様は少なからず癪に障ったが――信長のほうが一枚上手であったことは認めざるを得ない。それもまた痛快でもあったのだ、と、これも後の文に書かれてあった。


お読みいただきありがとうございます。

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