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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
三.君主・信長
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君主・信長ー③:静寂を裂く知らせ――政秀の死

諫言の果てに――。

信長は、母上である土田御前との関係が、あまりよろしくなかった。お義母上(ははうえ)様は保守的な方で、織田の伝統的価値観に重きを置いておられた。そんなお義上母様の目には奔放で気ままな信長は粗野で乱暴者にしか見えなったのであろう。


――何故に私の息子があのような乱暴者なのだ、と受け入れられなかったのだ。それに比べて品行方正な弟・信行は素直な良い息子に見えた。品行方正な弟・信行の方を、母上様は殊更に可愛がっておられた。おそらく母上様は、織田の家督を信行に継がせたきおつもりであったのであろう。ゆえに、私が正室として迎えられたことも、お気に召さなかったに違いない。


 私が嫁いだことで、信長が跡目となる可能性は格段に高まった。元よりお父上様がそれを望んでおられたのだから、致し方ないでのはあるが。信長がどれほど「ウツケ」と呼ばれようとも、父上様は長子相続を重んじるお方であった。それに、信秀様はきっと信長の尋常ならざる才を見抜いておられた、と私は思っている。


 だが、それがまた母上様には癪に障ったのかもしれぬ。信行(信勝)は素直で良い子なのに、どうして信秀様にはそれが分からぬのか、と。


 実のところ、信長と母上様が心を通わせるような会話をなされた場面を、私は一度たりとも見た覚えがない。きっと信長は、幼き日より母の腕に抱かれた記憶もなく、その身を案じられたこともなかったのであろう。熱を出そうと、怪我を負おうと、世話をしていたのは政秀だと聞いておる。けれども信行が病で臥せった折には、母上様は寝食を忘れて看病されたという。その光景を、信長はどんな思いで見ていたのだろうと想うと、胸が少しばかり痛む。両親に殊の外可愛がられていたと、思っている私には理解もして差し上げられぬ。


 我ら武家の子は、親との縁が薄いことも多い。幼くして亡くすこともあれば、人質として他家に送られるのも珍しくはない。されど、同じ親の元、同じ屋敷で育ちながら、片や溺愛され、片や冷遇されるというのは──それは早くに生き別れるよりも、辛かろう。冷遇された者の胸に宿る孤独、それは心を蝕む。信長の内に潜む二面性も、そうした幼き日の孤独から生まれたものかもしれぬ、今になれば思い当たる節も多々ある。


 翌年の正月、1月3日。私は信長と、珍しくゆっくりと茶を嗜んでいた。常に外を駆け回っておる信長と、こうして静かに時を過ごすなど、実に稀なことだ。信長は当主となった今も、相変わらず小姓を集めて合戦の稽古に興じたり、鉄砲鍛冶の村を訪ねては、自ら鉄砲を研究したりしている。城に腰を落ち着けておる姿など、滅多に見ぬ。


「今日はどうなされました? このように静かにお茶など召されるとは、珍しいこともあるものですね」

「正月だからな」


その言葉に、私は思わずふふっと笑ってしまった。


「何がおかしい?」

「いえ、あまりにも普通で、なんだか殿らしくないと思いまして」

「そうか…」


私の言葉に、信長もふと笑を浮かべた。


「…今年は、梅が早く咲きそうだな」


そう言って、信長は庭の梅の木に目をやる。そういえば、この冬は少しばかり暖かい。とはいえ、まだ早すぎるのではと思いながら、私もその枝先に目を走らせる。言われてみれば、既に芽吹こうとする蕾がいくつかあるようだ。


「咲くのが早ければ、散るのも早い。…まあ、咲ききればそれで良いか」


その言葉を聞いた時、このお方は一体どのような最期を迎えるのだろうか──ふと、そんな思いが胸をよぎった。


 この城は、元は駿河の今川氏豊(いまがわうじとよ)が築いたものを修築したと聞く。その際にあった梅の木を、そのまま残してあるのだとか。ここに鶯でも訪れて鳴いてくれれば、さぞや風情も増すものを──などと物思いに耽っていた、その時。


 ドタバタと廊下を駆ける足音が響いてきた。あっという間にその気配は近づき、襖が勢いよく開け放たれた。


「申し上げます!」


襖の前に平伏(ひれふ)したのは、平手政秀の三男・甚左衛門である。

「なんだ、甚左。そのように慌ておって」


静寂を乱されたことで、信長は少々機嫌を損ねたような顔をしておる。


「も、申し上げます…!」


甚左衛門の様子は尋常ではなかった。これはただ事ではない、と胸騒ぎがする。信長も同様に感じたのであろう、苛立ちをあらわにして怒鳴った。


「早く申せ!」

今暁(こんぎょう)、父・政秀が、割腹して果てましてございます!」

「は…?」

(え…?)

「今、何と申した?」

「で、ですから…父が…」

「自刃したと申すか?」

「さ、左様にございます」

「たわけたことを申すな! 偽りならば、そちの首、今すぐ刎ね落とすぞ!」

「わ、私めが…なぜ、このような偽りを申しましょうや…」


信長にとって、それは実の父の死以上に、信じがたいことだったに違いない。その眼には明らかな動揺が浮かんでいた。


 政秀は、日頃より繰り返し、信長に対して行いを改めよと諫言していた。


「お改め頂けぬならば、この皺腹、搔っ切って見せますぞ」


そんな言葉を、何度も耳にしたものだ。されど、それは脅し文句──信長も私も、そう受け止めていた。まさか本当に…このような形で果てるとは…。この自刃が、政秀の信長への最期の諫言であることは明らかである。


(政秀殿…それはいけませぬ、それは…あまりにも、早まりすぎです)


私は心の内で、何度もそう繰り返していた。もはや「早まった」では済まぬ。信長も、同じ想いであったろう。父・信秀亡き今となっては、自身の行く末を見届けてほしかった者こそ、政秀であったはずだ。

父上様の死は、病によるもの、天命であった。されど、自害はそうではない。それも、自らの不徳のゆえに命を絶たれたとなれば──それは、悔しさどころの騒ぎではない。自責の念に押し潰されそうになるのも、無理からぬことだ。


「なぜ、もっと早くに知らせなんだ! このたわけがッ!」


信長の怒声が、静けさを裂いた。


※注)史実では平手政秀の自刃は天文17年(1548年)1月3日、濃姫の輿入れ前です。濃姫の輿入れが天文18年(1549年)ですので、実際には濃姫と政秀は顔を突き合わせていません。なので、こちらの物語で書かれている輿入れ後の濃姫と政秀の関りなどは全てフィクションとなりますのでご留意ください。


お読みいただきありがとうございます。

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