刺客ー④:山の庵――生を拾われる
谷底―残された者の戦
どうやら足を痛めたようだ。骨までは折れておらぬようだが、まともに歩ける状態ではない。まさに満身創痍である。
(ここで襲われれば、終わりだな……)
周囲を見回す。闇にも次第に目が慣れ、地形の起伏が見えてくる。
「蘭丸!」
呼べども、返る声はない。少し離れたところに、黒い塊が見えた。息を詰めて近づく。追手の死体であった。衣を探るが、印となるものは何もない。徹底して素性を隠している。
(蘭丸は……やはり、川か……)
「蘭丸!」
流れに向かって叫ぶ。川は激しく、岩に砕けて水飛沫を上げている。ここに落ちたのであれば、すでに流されている可能性が高い。
それでも、諦めるわけにはいかぬ。私は川辺を離れ、林の中へと身を移した。進むうち、再び気配を感じる。枝を踏む音、衣擦れ。姿は見えぬが、確かに何かを探っている。身を低くし、木陰に伏せる。息を殺す。時の感覚が狂う。短い刻が、まるで一夜のように長く感じられた。足音が遠のいた――そう思った刹那。別の方角から、また気配。
(しつこい……)
私を確実に消す、その意志がはっきりと感じられた。
「……誰の差し金じゃ」
思わず呟いたが、答えはない。私は身を潜めたまま、動かずに夜を越えた。動けば気取られる。生き延びるためには、ただ息を殺すほかなかった。やがて空が白み始める頃、追手は諦めたのか、それとも川に流されたと見たか、気配は次第に遠のいていった。
私は漸く体を起こし、ゆっくりと歩み出す。足は重く、痛みで思うように進まぬ。それでも一歩ずつ前へ出る。ふと川の流れを振り返る。
(蘭丸……生きておれ……)
その念だけが、かろうじて私を動かしていた。
「……うっ」
腕に鈍い痛みが走る。逃げることに必死で気づかぬうちに斬られていたらしい。血はすでに乾きかけているが、動かすたびに裂ける。構わず進む。頭が重く、意識がぼやけてくる。足がもつれ、目の前の石に躓いた。体が前へ崩れ、そのまま地に倒れ込む。
(なんと無様な……)
思わず苦く笑う。信長が見れば、さぞ笑うたであろう。あの者は、倒れる者を哀れむより、立てと叱る男であった。その声が聞こえるようじゃ。
――立て。生きろ――
耳元で、そんな声がする。そうだ、止まるわけにはいかぬ。止まれば終わる。だが視界が揺れた。地面が遠のく。気力が費える。
「……ここまで、か」
掠れた声が、自分のものとは思えぬほど弱い。私は木の根元へ崩れ落ちた。体が言うことを聞かぬ。意識が、底へと沈んでいく。
「こんなところで終われぬ……前へ、進まねば……」
その思いだけを残し、闇に落ちた。
※ ※ ※
ぱち、と薪の弾ける音がした。
薄く目を開けると、土と煙の匂いが鼻をつく。低い天井、太い梁は煤に黒ずみ、囲炉裏の煙が長く染みついている。火の温もりが、微かに頬へ触れていた。山の者の住まいであると、一目で知れた。私の傍らに、幼い子が二人、顔を寄せて覗き込んでいる。目が合うと、男の子がはっとして駆け出した。
「おっ母!」
外から女の声が返る。
「どうした?」
「目、覚ましたよ!」
やがて戸口から女が入ってきた。三十に届くかという頃合い、日に焼けた頬の女である。身を起こそうとすると、全身に痛みが走り、息が詰まる。
「あー、無理するでねえ。まだ熱も残ってるんだから」
「私は……」
「山の中で倒れてたんだと。うちの亭主が見つけて、ここまで運んできたんさ」
「それは……手間をかけた。かたじけない」
女は目を丸くし、首をかしげた。
「やんだ、おめえ様、武家のお方かい?」
その言葉に、はっとする。長く染みついた言葉遣いは、容易には隠せぬものだ。蘭丸にも、幾度となく窘められておった。
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