堕落編 18話 だから歩いて行くんだね
僕──色絵瑠璃は護衛軍本部にある青磁にぃの研究室から同敷地内に存在する幹部達が使用する寮へと走っていた。樹教の目的は朝柊の強奪。それを阻止しなければいけない。
それに今は1分でも1秒でも早く援軍が欲しい。その為翠ちゃんには機関へ行ってもらい、大将補佐である泉沢先生を呼びにいってもらっている。
その代わりに僕は朝柊の居るであろう寮へ行こうとしている状況である。ちなみに現在は病棟である4階の廊下。多少の無茶をすればここから飛び降りて直接は向かえる。
「こんな時、筒美流が使えれば早く現場に駆けつけられただろうけど……」
僕が廊下の窓を開けようと、それに触れた瞬間、進行方向先の階段から感情生命体化した人がコチラへ向かって来ている気配を感じた。
『足音が聴こえない。まだ遠い? いや、そんな気配じゃ無い。もしかして宙を飛んでる? それじゃあ窓から逃げても追いかけてくる? どちらにせよ足留めは食う。急いでるし、消耗もしたくは無い。でも病室には患者が居る。巻き込むのは論外だ……』
そう思考した結果、僕はそのまま窓から身を投げ出し特異能力を発動させる。
『僕の『物質操作』に触れたモノはどんな物理法則を持っていようが僕の支配下に置かれる。筒美流の舞空術の要領で空気を固めれば空中に足場を作る事も可能だが……』
空中から先程身を投げ出した窓を確認する。するとそこには白を全体の印象とした蚕蛾のような感情生命体がコチラを恨むような形相で睨み見下ろしていた。
「久しぶりだね……衿華」
「衿華の名前を呼んでいいって許可した覚えはないけど?」
「随分、雰囲気が変わったね」
「黙ってよ。貴方の声聴くとイライラして仕方ないの」
僕はすぐさま臨戦態勢を取り彼女に問う。彼女は額に血管を浮き出させ、今まさにその怒りに似た感情のせいで血管がはち切れそうになっていた。
「君は何がしたいの?」
「黙れ黙れ黙れ。これ以上衿華から紅葉ちゃんを奪うな」
衿華も身を乗り出し、背中に生やしたその羽根で空を飛ぶ。
「ふーん。……嫉妬?」
僕がそう言い返すと衿華は片方の瞼をピクリと痙攣させると、僕にだけ届くように殺意を込めた『衝動』を放った。
「……殺す」
慟哭と共にコチラへ突っ込んでくる衿華。それを特異能力でいなすと、今度は僕が衿華を見下ろす形となった。
「え、僕なんか悪い事言った? あー……そっかこれ煽りになるのか」
「あ⁉︎」
「誤解だよ。ただ僕はキミの出してる衝動の言及をしただけで……」
「は? 舐めてるの? 余裕でいられるのも今のうちだよ。その瞬間移動の特異能力の弱点は知ってる。使用時間が極めて少ない。だから攻撃をいなせるのも今のうちだけだって!」
得意げに笑う衿華に僕はため息を洩らす。
「違う殺人じゃあなんの解決にもならない」
「……⁉︎」
僕は右手の中に握られた得体の知れない人の臓器のような肉の塊を衿華に見せる。特異能力で大雑把に抜き取った為、何かは正確に分かりにくいものだが感情生命体としての衿華の核だ。先程、衿華の突進をいなした時に抜き取ったものだ。
「僕が言ったら癪に障るだけだと思うけど、これを潰したらどうなると思う? 出来ればキミを殺したく無いのだけど」
「返してよ!」
衿華は即座に僕の方へ突進してくる。
特異能力を使えば衿華を止められるだろう。だが、それは殺してでも止めるという最終手段に近い形だ。もし、今衿華の気持ちを蔑ろにして止めたのなら、紅葉に精神的に負担をかけてしまう。僕としては紅葉にはちゃんと幸せになって欲しいと思っている。だから、衿華は殺さない。
「かと言って、脅して止めてもそれは同じか」
相手の狙いが時間稼ぎだとしても上等だ。衿華を救う事も、朝柊を救う事も、紅葉を救うことも。
全部やってやる。この力はそれを成すための力だ。
僕は核を衿華に投げ返し、覚悟を決めた。
「……来なよ衿華。僕は君と向き合うぞ」
『物質操作』:第三段階──『絶対領域』、全解放。
それは僕の核を中心として半径1メートルにわたる球状の絶対不可侵領域。素粒子にすら干渉可能な僕の切り札。きっとこの能力の正体もこうして対面したのだから、衿華にも理解できているのだろう。
「衿華は何を賭しても紅葉ちゃんを幸せにする覚悟でお前の前に立っている! 紅葉ちゃんにはお前が一番要らないんだよ!」
衿華は指先から糸を放ち僕の『絶対領域』を囲うように巻きつける。さながら蚕の糸のような白く綺麗な糸。『絶対領域』が触れた感覚ではこの糸は物理的に千切れるものでは無い。感情生命体化による、後天的で副次的に獲得した特異能力なのだろう。
だが、僕の『絶対領域』の前にはその効力も意味を無くす。糸は解れ、粒子となり空中分解されていく。
「くそぉ……」
「『嫉妬』に駆られても良い。僕を恨んでも良い。『嫉妬』がどれだけ重くて苦しみを生む感情か……理解はしているつもりだけど、口が裂けても君のこと理解できるなんて怖くて言えない。だけど君をその怨嗟の炎から救い出す事はできる。だからキミの苦しみを理解させてくれよ」
「衿華はお前のそういう上から見たような態度が大嫌いなんだよ! そうやって衿華にはない力で衿華から大切なものを奪っていく!」
きっと『嫉妬』は全ての争いの火種になり得る感情なのだろう。人類の歴史だって言わば『嫉妬の歴史』と言って過言でないほどに。戦争も宗教も恋愛も仕事も子育ても勉強も他人への羨望や嫉妬で凝り固まっている。勝者がいれば敗者もいる。所詮は椅子取りゲームで隣の芝は青く見える。全てを手にするなんて事はきっと烏滸がましい事だ。
でも僕は『絶対』をその名に冠した『特異能力』を持っている。僕の願いがそれならば、僕自身が天上天下唯我独尊である事を鼓舞し前に進むことがきっと正しいのだろう。
僕はこの能力のせいで他人から期待され、嫉妬され、失敗した日なんかにはこれ見よがしに迫害される。僕はそんな他人が一番怖いけど、衿華がそんなことをする人間には見えない。
「僕の言葉が君には届かないのは分かってる。それでもこの言葉を口にしないではいられないのは君の事を信頼しているからだよ。君は人の痛みを誰よりも理解できる人なんだろう? どうして自らを苦しめようとする事をするんだ?」
「うるさいうるさいうるさい、いい加減黙ってよ! 衿華は人の痛みすら理解できないお前が許せないの! それなのに上からペラペラペラペラと!」
衿華の話す言葉はまるで反抗期の子供のそれだ。
「だから言っているだろう⁉︎ 君の痛みが理解出来るなんて恐ろしくて口に出来ないって!」
「じゃあ! 理解できるように努力してよ!」
なんて理不尽なことを彼女は言うのだろう。本当に情け無い僕にも非はあるが。
「普通の人はそれが出来ないんだよ! 君の力が全人類にあればとっくに世界平和なんて実現してるよ! それだけ君は特別なんだよ! そんな君が僕は心底羨ましいよ! 皆が皆特別だとは思わないでほしい! 正直言って僕だって君に嫉妬しているよ! いつまで紅葉の心を引きずれば気が済むんだよ!」
「うるさい! そんな話を今しないでよ! そもそも衿華の事が理解できないのならなんで止めるの! 良い加減にしてよ! お前こそ何がしたいの!」
とうとう衿華は僕の『絶対領域』に侵入してきた。僕は領域自体には衿華を排除するようなプログラムをしていない。その為、このままでは衿華の攻撃は通るだろう。
「僕はみんなを救いたい。勿論、君を含めた全員だ」
「壮大な事を言えば怯むと思った? オマエの言ってる事は何もかも薄っぺらいのよ! 甘いの! 考えが浅はかなの!」
「……知ってるさ。僕は周囲の環境に恵まれた。だから恩返しくらいはしたい」
僕はそういうと、衿華は能力を発動させずに僕に聴いたこと位無い位の声で怒鳴りつけられた。
「オマエが何を知ってるって言うの⁉︎ それとも皮肉なの⁉︎ 衿華だってオマエの過去ぐらい知ってるよ! オマエが実の姉に監禁されていた事くらい覚えてる。オマエがそれを嘆いていたことも。衿華はその話を聴いた時同情した! でも今、オマエはそれを自分自身で否定した! 監禁されていた事が恵まれていたとでも言うの? それともその当てつけに衿華達を不幸にしたいの⁉︎」
「違う。そんな事考えてない」
「だったら何……? これ以上衿華の前に立たないでよ」
「目的とか結果とか、そういうのじゃないんだよ。ただ僕はそれでも君の前に立たないといけないんだと思っただけさ。その感情が僕の身体を突き動かしている。僕の行動の結果十中八九、君を苦しめる事になるだろうなとは思うよ。それにそこまで代償を払ってもキミを救えないかもしれない。だとしても、僕は君の前に立ち続ける。コレが僕のエゴだとしても君に否定されてももう変わらない」
僕は衿華の意思が硬いことを理解した上でそれでも尚、彼女の前に立つ事を選んだ。僕の言葉を聴き衿華は怒りようやく胸ぐらを掴んだ。
「舐めたマネしてくれたね……。コレでオマエの勝ち目は無くなった。なんで特異能力を全開放したの? 制限時間あるんでしょうこの能力」
「君の心を知る為だ」
「ムカつく。嫌いな人間相手に理解を示そうそと擦り寄られても嫌なのが分からないの?」
「分かってる。だけど、そのお陰でキミの心が知れた」
「じゃあ殺すわよ」
「確認取らずともやれば良いさ。嬲り殺しにしても良い。キミの思いつく限りの拷問をすれば良いさ」
僕は彼女がそんな事しないと確信してそういうと衿華は僕を投げ飛ばし、強い口調でこう言った。
「……本当にムカつく。やる気の無いオマエを殺したところで衿華が満たされない事知ってるくせに。あぁ……本当に腹立たしい」
「それはなんとまぁ、嫉妬深いことで」
「はっきり言って本当に嫌いよ、オマエなんて」
「分かったから。わざわざ言わなくて良いって。それでキミはどうしたいの?」
衿華は僕を見下ろす様な形で言い放つ。
「認めたよ。オマエより劣っていることを。オマエは衿華の敵でオマエを超えた時ようやく初めてようやくこの感情は満たされる。だから、来るべき時の為に今は待つ」
「へぇ……」
「だから、首を洗って待っていなさい。オマエを殺すのは衿華だ」
「良いよ。僕の心を折る気なら。なんだって構わない。だけどその前にやる事があるよね?」
「えぇ……そうね。紅葉ちゃんの心を救わなきゃいけない」
「多分救う方向性でも対立しそうだけどね」
すると、衿華は目の色を変えて、寮の方向を見た。
「この反応。多分紅葉ちゃんは黄依ちゃんを既にそうなればもう後戻りは出来ないか」
「……?」
「知らないのね……。どこまでも甘えた考えを持つヤツだこと。一応、教えといてあげる。私達の悪意っていうのはオマエ達の想像を超えて襲ってくるよ」
「……は?」
「紅葉ちゃんはずっと教えてくれなかったけど、あの子の正体は多分衿華達の教祖の漆我紅様だよ」
……え?