自分を作るために見つめるもの
1
土をこねる。
腰を入れて、全身を使って。魂を込めるように――。艶やかに純粋に滑らかな感触を掌に感じたら、丸めてろくろの上に載せる。
ゴゴ、ゴゴ、ゴゴ……。ろくろのリズムを体の芯でとらえると、水を含んだ掌を土に添わせる。指の間にしっとりとした生命を感じながら。ゴゴ、ゴゴ、ゴゴ……。土に体温が宿ってくる。
目を閉じてそのぬくもりを感じていると、指先に節くれだった熱がふれた。
私は、すぐに我慢ならなくなった。目を見開いて絡んだ指を見て、気持ちがぶれた。土はぐにゃりとねじれた。まるで役に立たない道端の土のように。
目の前にしっかりした腕が伸び、私の腕と同じ角度を保っている。
私はすばやく立ち上がると、彼から離れた。
工房の窓枠に手をついて、外を見た。青い夜だ。
「まだ怒ってるのか、しょうがないな」
彼は、子供を諭すように白髪の混じった長い前髪を土で汚れた手を避けて腕で払った。
「怒ってるとか、そういう話じゃないでしょう。もう、とっくに終わってるのよ。いい加減にしないと、今度こそ本当に奥さんにばれますよ」
「とっくに知ってるよ、あいつは」
彼はしっかりした肩を軽くすくめ、私の横に来た。
私は窓枠から手を離して彼と距離をとった。窓枠には、私の手の形に土が残った。
「私、辞めます、ここ」
彼の目には動揺のかけらもなかった。ただ、苛立ちに似た光が私に向けられた。
「やっと個展をしようって時に、そんなこと言っていいのか」
私は、前掛けを乱暴に外して一瞬彼の顔に投げつけようかと思った。が、そうするほど彼に対して情が残っていないことに気づいた。適当にくるくるとたたむと、土もヘラも水もそのままにして工房の外に出た。
山あいの道を、車を飛ばして帰る。
この道を何度行き来しただろう。高速に乗ってアクセルを踏む。東に昇る黄色い月が、まるで金貨のようだと感じた。アルバイトをして食いつなぐ生活にも疲れた。工房の手伝いを続けても、自分の未来が開けると思えなかった。
何とか陶芸家として食べていけるように。そう思って芸大の大学院を出て、すぐに憧れの彼の許に弟子入りした。彼と深い関係になるのに時間はかからなかった。妻と別れるというありきたりな言葉に騙されるつもりもなかった。私と関係を持った頃、彼に長女が生まれた。
「作ろうと思って、できた子じゃない」
私は責めもしなかったし結婚を強要しもしなかった。なのに彼は、求めてもいない言い訳をして、生まれたての自分の子のことをこういった。そこで、気持ちは覚めてしまった。ただ、一切の関係を絶たなかったのは、自分の陶芸家としての道に甘い夢を抱いていたからだ。いつか、きっといつか。そう思って丹波の工房に通い詰めた十年という時間が残したものは、路傍の石のような、役にも立たない惰性の情だけだった。
たしかに、私には才能がないのかもしれない。けれど、こんな死んだような気持ちでは、ものを作ることなんてできやしない。
不毛な彼との関係は、この十年ほどの間、切れたり繫がったりしてきた。その間、幾人かともつきあってみた。でも、彼も含めて、誰一人心から信頼できる人はいなかった。
「信頼できる人がいないんじゃなくて、あんたが誰も信頼しないんじゃないの」
翌朝、チャイムが鳴って、学生時代からの友人の雅子が息子を連れて訪ねてきた。近所に住んでいるからといってしょっちゅう訪ねてくる。
私は、寝たのだか寝ていないのだかわからない頭で、パジャマのまま玄関を開けて彼女を内に入れた。勝手知ったる他人の家で勝手に湯を沸かし勝手にコーヒーを入れる。先日生まれた息子は、床の上で手足をばたつかせ、生きてるぞといわんばかりだ。ぐっと握った指で、これからまだまだしっかりした長さを約束されているだろう未来を力強く手繰り寄せているような動きだった。
ベッドルームに戻って、デニムによれよれのTシャツを素肌の上に着る。ブラジャーなんか苦しくてつける気にならなかった。
居間に戻るとコーヒーがローテーブルに用意されていた。そこで昨日の経緯と工房を辞めた話をすると、鼻で笑われたのだ。
「瑞希って潔癖すぎるのよ。潔癖な上に自虐的なのよ。その上、臆病なんだわ」
私のどこが潔癖なのかわからないし、随分な言われようだと思った。だが、反論する気力もわかない。
「あたしなんかさ、いっつも頑張ってたわよ。泥に汚れながら頑張っててもなかなかうまくいかなくてさ、でも、やっと結婚できたし、高齢出産だけど、こうやって立派な子供も産んだわよ」
そう言って、満足気に産みたての赤ん坊を抱きかかえ、私の方に向けて膝の上に座らせた。
私だってドロドロだ。雅子はいつも分かったふうな口を聞く。そして平然と人をジャッジする。頭が働いてきたのか眠気がとれたのか、私はやっと雅子の言葉に反感を覚えた。
結婚して子供を産むってのが、そんなにご立派なことなのか。そこが目標だって言うのが私には理解できない。こうやってめでたく目標達成した彼女は、この後は何を目標に生きていくんだろうか。そんな目標達成のために捕まった男が哀れに思えてくる。結婚と出産さえできれば、相手はだれでもいいと言うのか。夫を利用したに過ぎないじゃないか。そんなことを思いつつ雅子を見ていると、その口で信頼を語るのかという気がしてきた。
「瑞希だったらきっと、三十七で子供なんてありえない。とても産めない。もし頑張って生んだとしても育てる体力ない、って言うわよ」
私は、苦いコーヒーを飲んだ。熱くて喉を焼いたようだった。
「人のことああだこうだ言ってる暇があったら、帰って掃除でもすれば? 夫が仕事に出たらすぐに人んちに上がりこんでさ、うちは喫茶店じゃないのよ」
「ばぁばが面倒だもん。いいんだ、昨夜の残りがあるから、お昼、適当に一人で食べるでしょ。私たちはどっかランチにでも行こうよ」
「私、今日は実家に帰るの。たまには両親の世話もしないと」
雅子は、ふんと鼻で笑った。
「ほぅら、始まった、自虐的性格。週に二回も帰って、食事作ったり掃除したり世話しちゃってさ」
「だって、世話するの私しかいないんだから、仕方ないじゃない」
「多恵子ちゃんだっているじゃないの」
「あの子には家庭があるでしょ、それに滋賀から大阪まで帰って来いって言うの。近くに住んでる私が面倒見るの当たり前じゃない」
「それが自虐って言うの。自分の人生は自分が好きにすればいいのに。そうやって、売れない陶芸家気取って両親の世話して、一生終わるつもり? おじちゃんやおばちゃんが死んだら、あと何するのよ」
喉の奥がヒリヒリした。やっぱり火傷したんだ。
「とにかく今日は忙しいんだから、ほら、帰って帰って」
無理やり外へ追い出すと、着替えて大きな買い物袋をもって実家に向かった。朝ご飯を食べていなかったことに気づいたが、どうでもよかった。
実家では、両親がクーラーもつけずにTVを見ていた。
むわっと熱い空気の中、買ってきた食料を急いで冷蔵庫に詰める。脱水症状になったら危ないからクーラーつけないと、と注意すると、年をとると暑さを感じないのだと六十も半ばの両親は涼しい顔をした。十一歳になる愛犬がぐったりとして冷たい床を選んでへばりついている。
昼食を食べ終えて、父と母が喜んで見ているTV番組に付き合っていると、何だか昨日のことが遠い昔のような感じがしてきた。傷ついてもないし後悔もしていない。ただ漠然とした不安が、胸や肩のあたりに漂っているだけだった。
電話が鳴った。お昼頃にかかってくるのはたいてい投資だの保険だのの勧誘なので、私が出て撃退してやろうと立ち上がる。が、電話に一番近い母が受話器をとった。
「はい、黒山でござ……、あ、曜子ちゃん」
そう言ってから、母がハッと眉をあげた顔で、私を見た。
私は耳を疑った。
曜子――。
久しぶりに聞く名前だった。いや、二度と聞くことはないし、口にすることもない名前だと思っていた。私の不機嫌な顔をちらちらと母は気にしている。
「うん、わかった。じゃあ、木曜日の九時に、直接お寺に行ったらいいのね」
電話の主の途切れない話を無理やり遮るようにして、母が受話器を置いた。
「おばあちゃんの十三回忌の相談で、この前からちょくちょく電話があるのよ」
聞いてもいない言い訳が私に向けられ、私は待ってましたとばかりに口を開いた。
「御仏壇にも参らせないっていきまいてた人間が、なんで法事に私たちを呼ぶのよ」
「お母さんだけよ。さっと行ってすぐ帰ってくるから」
「そういうことじゃなくて、なんで今更、あの曜子が電話をかけてきてるのって、聞いてるの!」
私の剣幕に、母は困ったように視線を泳がせて、立ち上がってさっき拭いたばかりのキッチンのテーブルを拭き始めた。
「ほら、やっぱり、十三回忌って特別な区切りだから」
「三回忌も七回忌も呼ばれなかったけど?」
母は、黙り込んだ。布巾を洗うふりをして水を出し、私に背中を向けた。
その背中を見ると少し言いすぎた気がした。たしかに、母にしたら自分の母親の十三回忌にはさすがに出たいだろう。私はそう思いなおして、それ以上の追及をあきらめた。でも、これだけは言っておきたい。
「法事に行くのは勝手だけど、私は絶対、曜子を許さないから。あの女、今更電話してきて。今度は何を企んでるのかわかったもんじゃない」
十二年前より一回り小さくなった母の背中が、少しかわいそうに見えた。でも、私は、今の発言を撤回する気にはなれなかった。実際、私は曜子が、もし目の前で野垂れ死にしようが、病気で誰にも寄り添ってもらえず孤独になろうが、あの祖母の残した家で孤独死していようが、自業自得だと思っている。いやそれ以上に、いい気味だと笑ってやるつもりだ。それくらい、私はあの女を憎んでいた。
「お父さんは? あれだけ利用されるだけされて、挙句馬鹿にされたのに、いいの」
父は、TV画面から視線をそらさないまま、
「お母さんの好きにさせてやれ」
と呟くように言った。
私は収まりがつかなくて、滋賀に嫁いだ妹に電話をかけた。
一応母を慮って、かつて自分が使っていた二階の部屋にこもった。多恵子は電話に出ない。忙しいのだろうか。留守電のアナウンスが聞こえて、私は電話を切った。
それにしても、よく電話なんかかけてこれたものだと思った。そうして、曜子の顔を思いだした。十二年ぶりに思いだす彼女の顔は全くぼやけてなかった。鮮明に目の前によみがえった。丸く広い額をすべて出して、長いチリチリのくせ毛を後ろにひっつめにし、てっぺんでお団子にまとめている。つるんとしたうりざね顔のとがった顎。ぎょろりとした大きな目の周りにバサバサと音が鳴りそうなほど長いまつげ。鼻はつんと上を向いていて唇はプルンととんがっている。スペイン人かイタリア人によく間違えられていた。
それに比べて、母は日本人形のような顔立ちだった。似ているといえば、祖母から受け継いだ大きな目くらいだ。顔立ちが違っていて当たり前だった。母とは、父親が違うのだ。年齢も、八つも離れている。母と曜子を繋いでいるのは、唯一、祖母の存在だけだった。




