第26話 攻防、焼ける街
巨大な尾が、横薙ぎに払われた。
リセナはそれを紙一重で躱し、地を蹴って距離を取る。
着地と同時に、白銀の髪が熱風に大きくなびいた。
レザリアスの尾が空を切った先、街の外壁の一部が轟音とともに崩れ落ちる。
石材が砕け散り、粉塵が夜空へ舞い上がった。
膠着が、ゆっくりと形を変え始めていた。
どれだけ斬りつけても鱗を破れないと悟ったのか、レザリアスは徐々に攻めの姿勢へ転じている。
最初のうちは様子見に徹していたその巨体が、今では大振りの攻撃を織り交ぜるようになっていた。
リセナはそのたびに躱し、時に炎を斬り払いながら、後退を繰り返している。
北門は、既に二人の背後にはなかった。
いつの間にか、戦いの舞台は城壁の内側――街の入り口付近にまで移り込んでいた。
レンリは、その事実に遅れて気づいた。
膠着していると思っていた戦いは、少しずつ、しかし確実に押し込まれていたのだ。
リセナが後退するたび、レザリアスがその分だけ間合いを詰める。
獲物を追い詰める獣のような、静かな圧力がそこにはあった。
石畳を踏みしめる足の裏に、熱が伝わってくる。
見渡せば、通りの左右に並んでいた建物の屋根が、いくつも赤く燃えていた。
避難が済んでいたはずの家々の窓から、細い煙が漏れ出している。
レザリアスが振るう尾や、時折こぼれ落ちる火の粉だけで、木造の部分はあっという間に炎を纏っていく。
レンリは、今更のように理解した。
戦っているだけで、街が壊れていく。
「くそっ……」
思わず声が漏れる。
街を守るために残ったはずだった。
それなのに、目の前で街そのものが焼かれていく。
レザリアスの巨体が、再び動いた。
今度は前脚を大きく振り上げる。
狙いは、後退しきったリセナの真上だった。
「危ない――!」
叫んだところで、レンリにできることはない。
攻撃魔術を放つ術も、間に合うだけの速さもない。
だが、心配は杞憂に終わった。
リセナは既にその場を離れていた。
爪が石畳を叩き割った直後には、離れた位置で澪剣を構え直している。
その動きに、疲れは見えない。
少なくとも今は、まだ。
それでも、レンリの胸の奥では、焦りが少しずつ形を成しつつあった。
このままでは、いずれ街全体が焼け落ちる。
リセナが躱し続けられるとしても、その間にも街は蝕まれていく。
人がいなくなった通りで、店も、家も、積み重ねてきた誰かの暮らしが、次々と炎に呑まれていく。
自分に何ができるのか。
考えても、答えは出てこなかった。
まだ、防御術式を展開できる余力はある。
けれど、この戦闘の速度と、この規模の炎の中で、いったいどこを、どうやって守ればいいのか。
リセナに張り付いて盾になったところで、逆にその隙を突かれかねない。
攻撃はできない。
そう――できない。
目の前で、リセナが戦っている。
それを見ているうちに、胸の奥に溜まった焦りが、喉元までせり上がってくるような気がした。
自分も何かしなければ。
その衝動に押されるように、レンリの指先が動いた。
魔力を集める。
いつもの防御や治癒とは違う。
もっと鋭く、荒々しい流れ。
攻撃のための魔力。
「……っ!」
首筋に、鋭い痛みが走った。
荒い刃の鋸で、内側からゴリゴリと削られているような感覚だった。
「ぐっ……!」
耐えきれず、レンリは魔力を散らした。
指先から淡い光がほどけ、夜の熱気へ消えていく。
首筋を押さえながら、荒く息を吐く。
「くっそ……」
分かっていた。
分かっていたはずなのに。
それでも、目の前で誰かが戦っているのを、街が破壊されていくのを、ただ見ているだけというのは耐え難かった。
その時だった。
――ガチャリ。
小さな音がした。
レンリは顔を上げた。
戦場の喧騒の中では、聞き落としてもおかしくないほどの小さな音だった。
けれど、確かに聞こえた。
音のした方へ視線を向ける。
通りの奥。
崩れかけた建物の陰に、何かが動いた気がした。
レンリは目を凝らす。
避難は、もう終わっているはずだった。
少なくとも、兵士たちはそう言っていた。
なのに。
瓦礫の隙間。
暗がりの奥で、小さな影が揺れた。
「……えっ……?」
レンリは息を殺した。
もう一度、目を凝らす。
いた。
瓦礫の奥に、誰かがいる。
小さい。
人間の子供――。
「そんな……」
声が漏れた。
その瞬間だった。
遠くで、レザリアスの咆哮が轟いた。
レンリが振り返る。
炎を纏った巨体が、再びリセナへ迫っていた。
リセナもまた、それを迎え撃つように地面を蹴る。
二つの影が、燃え盛る街路を駆ける。
その進路が、少しずつ重なっていく。
――こちらへ来る。
レンリの視線が、瓦礫の奥へ戻った。
そこには、逃げることもできずに身を縮めている子供がいる。
「――こ、子供が――!?」
レンリの声が、焼けた街に響いた。
そして、その向こうから。
炎を纏った巨大な影が迫っていた。




