↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/49

第18話 それぞれの街の景色

 宿の中へ足を踏み入れた瞬間、外気とは違う柔らかな暖かさが身体を包んだ。


 石造りの建物らしく、床も壁もひんやりとした質感を残している。それでも館内には温泉の熱がほんのりと満ち、冷え切っていた身体が少しずつほどけていくようだった。


 レンリは受付で宿代を払い、鍵を受け取る。


 財布の中身は、見ないようにした。


 見れば、心細くなるだけだ。


「二階のお部屋になります」


 案内された部屋は決して広くはなかったが、二つ並んだ寝台と、小さな机、そしてバルコニーへ続く硝子戸があった。


「わぁ……」


 荷物を床へ置くと、レンリはそのままバルコニーへ足を向けた。


 夕暮れの街並みが、一望できる。


 石造りの家々の屋根から、白い湯気がゆるやかに立ち昇っていた。


 通りには明かりが灯り始め、人々の話し声が遠く小さく聞こえてくる。


 備え付けの長椅子へ、レンリは崩れるように腰を下ろした。


「はぁ……」


 柔らかな椅子の感触に、身体中の力が抜けていく。


 二日間、まともに休んだ記憶がない。


 逃げて、隠れて、また逃げて。


 気を張り続けた身体は、安全だと分かった途端に、途方もない疲労を訴え始めていた。


「……ちょっとだけ」


 不意に眠気を感じて、しばし瞼を閉じる。


 ほんの少しだけ。そのつもりで。


 隣にいるリセナは、何も言わずに座っていた。


「……ここ」


 鈴の音のように小さく澄んだ声。


 レンリは目を開き、リセナの横顔を見つめる。 


 紅い瞳が、夕暮れに染まる屋根の連なりをゆっくりと辿っていた。


「この街……とても、穏やか」


「ん……?」


 レンリの返事は、眠気に引っ張られてぼんやりとしていた。


「まあ……そうだね……」


 瞼が重く、声もどこか遠く聞こえる。


「ここまで来れば……魔族が頻繁に出る場所からは、かなり離れてるからね……」


「……そう」


 リセナは小さく頷いた。


「……街って、こういうもの、なの」


 その言葉に、レンリの意識がほんの少しだけ浮上する。


「どういう……意味?」


 レンリはウトウトしながら、ぼんやりと問い返した。


「記憶がないと、そういう感覚ってのも曖昧になるものなのかな……?」


「私の……」


 リセナは街を見つめたまま、言葉を探すように続けた。


「私が思い浮かべる……街というのは……もっと、人が多かった」


 少し間を置く。


「暗くて……もう少し騒々しくて……こんな景色では、なかったような気がする」


「……へえ」


 レンリの返事は、間延びしていた。


 半分眠りかけた頭では、その言葉の違和感に気づく余裕がなかった。


「あんたが、元々どこにいたのか知らないけど……そんな街も、あるのかもね……」


「……そう」


 リセナはそれ以上、何も続けなかった。


 ただ、遠くの屋根を見つめる紅い瞳が、わずかに細められる。


 その横顔はいつもと変わらない。


 何を考えているのかまでは、レンリには分からなかった。


 沈黙が落ちる。


 レンリは目をこすりながら、バルコニーの外へと視線を移す。


 少しずつ日が落ちていき、ぽつぽつと街に明かりが灯っていく。


 レンリは眠気を振り払おうとするかのように、大きく伸びをした。


「でも、ここはいい街だろ? 平和だし、何よりも――」


「……何より……も?」


「ここには、いい温泉があるんだ」


 レンリはにっと笑った。


「助けてもらったお礼をするって言ったでしょ。ガイドによると、ここの湯は最高らしいんだ」


「へえ……」


「このまま部屋にいても寝ちゃいそうだし、さっそく行ってみない? 横になるのは、それからでも遅くない」


 リセナは少し考えるように間を置いてから、小さく頷いた。


「……ええ」


「そうと決まれば、行こっか」


 レンリは立ち上がる。ちらりとリセナに視線を送る。


 リセナは、夕闇に沈んでいく街を振り返っていた。


 穏やかな灯りが、いくつも瞬いている。


 先程語った街の情景とは何もかもが違う、この街の景色を。


 リセナは、しばらくその景色を見つめた後、小さく息を吐いた。


 その表情は、いつもより少しだけ柔らかく見えた。


 まるで、この街を見て、ほんの少しだけ肩の力が抜けているような。


 レンリには、そんな風に思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。