#1 鳥取旅行
戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。 ―ジョージ・オーウェル
平和への道はない。平和こそが道なのだ。 ―マハトマ・ガンディー
二〇二四年五月二十六日、鳥取県境港市。春の訪れから幾何かの日がたち、人々の移動も落ち着いた時期。
この日、米子空港に、一人の男が降り立った。
「ここが鳥取か…思ったより、その、なんだ…簡素なところだな」
男の名は不破 赳太郎。御年十九歳。彼がはるばる鳥取まで来たのは、何も冷やかしや道楽では、ない。確固たる理由があるのだ。
ミリオタ、という概念を知っているだろうか。平たく言ってしまえば、戦車や戦闘機、あるいは戦艦などをこよなく愛する人間を総称したものである。
一般的に煙たがれることの多いモノではあるが、それでも彼らは彼らの好奇心を止めることはない。
そして、不破自身もミリオタである。
この日、境港市に位置する航空自衛隊美保基地で、美保基地航空祭が敢行されるのだ。
ミリオタたる不破が、それをみすみすと見逃すはずもなく、遠路はるばる鳥取まで飛行機で飛んできたというわけだ。米子空港から美保基地までは、そう遠いわけではない。しかし、本日は祭事であるため、よほどの混雑が予想される。そのため、不破は美保基地方面に向かうバスへと乗車した。
バスに揺られながら、彼は無作為にスマートフォンを取り出す。今日行われる催し物について、追加の情報がないか目を凝らす。
ふと、両目の奥にしびれるような鈍痛が走る。
実はこの男、遠足を前に興奮で眠れなくなる小学生のように寝不足なのだ。
不破はなぜここまで楽しみなのか?理由は、ただの航空ショーではないからだ。不破の目が、【本日のゲスト】という項目に止まる。
そこには、やけにイイ笑顔でサムズアップをしている、ガタイのいい男が映っていた。
自衛隊にとんと興味のない人でも、この名を聞いたことくらいはあるだろう。
蜂見 忠兵衛。年齢25歳。若年ながら、日本国航空自衛隊の一等空佐にその身を置く男。かつて、自衛官候補生採用試験、一般曹候補生試験、航空学生試験、それらすべてをトップクラスの成績で突破した天才。現役自衛官でありながらテレビ出演も多く、ネットの掲示板などで行われる「生物最強ランキング」なるものでは、ライオンやアフリカゾウなどと同列に扱われており、人類限定でのランキングをしたら必ず出禁になるレベルの圧倒的な強さを持っている。
現在の日本国での「個人最強戦力」はこの人物であると、だれもが認める男である。
そんな、仮にも暇とは言えない身分の人間が、なんと今回美保基地航空祭に特別ゲストとして参加するというのだ。不破が寝不足である原因は、そこにあるのかもしれない。
「早く蜂見さんに会ってみたいな…!生蜂見に会えたらサインはマストだよなぁ…!」
独り言をつぶやいている間にも、バスは目的地へと向かう。
数分後、バスから降りた不破を待ち受けていたのは、とんでもない人の群れであった。
どこを見渡しても、人、人、人。息の詰まりそうな空間を前に、されど不破は臆さずぐいぐいとその集団の末尾に加わる。憧れの人物に会えるのならば、人の群れなど気にしないようだ。
やはり蜂見忠兵衛のネームバリューは抜群である。ここ数年の航空祭とは比にならないほどの人口密度。
不破とて、ただ蜂見を拝むためだけに来たわけではない。
「わぁ…オープニングフライトはC-2かぁ…生で見るのは何時ぶりだっけな…あ!あれはF-2か!支援戦闘機も飛ばしてくれるのか、豪華だなぁ!」
前日の寝不足が嘘かのように、不破の目が輝く。
そんな彼の興奮を、もう一つ助長する出来事があった。
「蜂見一等空佐がまもなく到着します!」 設置されていたスピーカーが声を張り上げる。
まだその姿は現れていないのに、ドッと歓声があがる。
じつは、不破を含む観客は、蜂見がどこに現れるか知らされていない。
不破は、集団の最後尾にいたため、道路にもっとも近い位置にいた。
(蜂見さん見たいけど…あっち側に来られたら難しいかもな…)
「オウあんちゃん、そこ失礼するぜ?」
ふと不破の後ろから野太い男の声が聞こえた。
「あっすみませ……えっ?」
日本国航空自衛隊一等空佐、蜂見忠兵衛が、そこにいた。
「はっ、はち、蜂見さん!?」
狼狽した不破は、しどろもどろになって叫ぶ。すると、その声が聞こえた群衆たちは、一斉にぐるりと不破のほうに視線を向けた。
蜂見が、呆れたような、面白がっているような声を出す。
「おぉ…まさかこんな早く気づかれるとはナぁ…」
「うおおおお!本物だぁぁぁぁ!」 「蜂見さぁぁぁぁぁぁん!」 「うおおおおっ!」
群衆の興奮が、最高潮に達する。
ドドドドドドドドド、と地響きのような足音をたて、群衆が不破と蜂見の方向へ突撃してくる。
群衆の波に押される直前、蜂見の足元に「何か」があるのを、不破は確かに見た。
あるいは、五芒星。あるいは、星形といったほうが正しいのかも知れない。
不破が見たのは、世にいう「魔法陣」で、あった。
「えっ。なんだこりゃ…う、うわああああああああああ!!」
とたん、群衆の波にのまれる。意図せず蜂見に体当たりをかましてしまう。
「すみませーーーっ!」
さすがの蜂見も百人を優に超える人数に逆らえなかったのか、体勢を崩してしまう。その反動で、不破の体も前に傾く。
「あ」
不破の右足が、本来蜂見が居た位置にとって代わって魔法陣を踏む。
その刹那、感じたことのない力が不破の肌にびしびしと突き刺さった。
足から身体へと、一瞬のうちに魔法陣のなかに吸い込まれる。
群衆の波の中であることが災いして、誰一人として不破の消滅に気づくものはいない。
不破は何が何だかわからないままに、どこかへと消えていった。
「あ、うう…なんだよ、もう…」
頭を振りつつ、ふと疑問に思う。
さっきまでの喧騒はどこへ消えた?
恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
中世の王室とはこのようなものだろうか。
目も眩むほどのシャンデリア、目が回るほど広い、広い部屋。十歩ほど歩いた先には長い階段があり、床は一面真っ赤な絨毯でその荘厳さをこれでもかと感じさせる。
「は…?え…?」
階段の向こうにはきらびやかな椅子があり、そこにだれかが座っている。その両脇と、階段の一段下にも二人ずつ人間がいる。
「....%4”34$?.<>#”....」
その椅子から馴染みのない言語で話しかけられ、不破は状況を理解する以前に処理がパンクする。
あわや発狂しかけた不破の耳に、聞きなれた言語が飛び込んできた。
「…蜂見では…ないのか?」
不破は混乱しながらも、半ば無意識に一歩踏み出そうとした。
階段を上ろうとした。
あの椅子に座っている人間の胸倉をつかみ、状況を問い質そうとした。
一歩を踏み出す刹那、なにかに足を取られて転ぶ。
「ぐっ!…ん?」
不破が足を取られて転んだもの。それは、まだ温度を持っていた。
おそらく数分前まではその心臓は鼓動していたのだろう。
すでに息絶えているであろう、若い男がそこには倒れていた。
「あぶっ」
不破は、なんとも情けない声を上げ、白目をむいた。
度重なる複雑怪奇かつ奇々怪々な現象たちを前に、ついに脳のキャパがオーバーしたのだ。
不破はその場に倒れた。気絶したのだ。
不破赳太郎、十九歳。
異世界に転移する。
不定期




