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森人の詩  作者: すばる
第八章 運命(さだめ)
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(3)

「必要ない、か――」

 人は生きていける――自分がいなくとも。それは小夜(さよ)に言われる前から、伊吹にもわかっていた。

 森人の二つの役割。外界にいる梯の片側の森人に森の大切さを、自然の営みを、これから起こりうる運命を伝えること。そしてもう一つは、運命に反して神域に迷いこむ人の「心」をもとの世界へと帰してやること。

 しかし、人々はもはや森の言葉を聞かなくとも生きていけるほど、十分に強くなった。そして後者の役割もまた、森人など必要しないのかもしれない。

 なぜならば、伊吹が迷い込む人々の「心」をもとの世界へ帰そうとどんなに力を注いだところで、帰りたくない人々はここで朽ち果てていくことを選ぶ。そしてまた逆も然り。人々は一時的に迷っただけなのだ。自分がどうすべきなのか、自分がどうしたいのか。心の底では本当はわかっているはずなのに。

 伊吹はいつものように大樹のもとへ歩み寄ると、天へと広がる枝葉を見上げた。

「ぼくは、何なの?」

──伊……吹?──

 低くずっしりとした佳音が響く。

 今にも泣き出しそうな顔でいる一人の少年の名を大樹は呼んだ。

──ドウ…シタ?──

 伊吹はゆっくりと首を横に振った。

「ぼくは、どうしてここにいるの?」

 ぎゅっと拳を握り締めながら、伊吹は震える声で問う。

 分からなくなった。

 何もかもが分からなくなってしまった。

 自分は良かれと思って、大樹に頼み結界を強めてもらった。かの少女が二度とこの地に入ってこられぬようにするために。そうすることが小夜のためになると思っていた。そしてそれこそが自分が最も望んでいることだと。

 だが壁の向こうで少女は悲しみと怒りが混じりあった表情で自分に向かって何と叫んでいたか?

「ぼくがしたことは間違っているの?」

──信ジテシタノ……ダロウ……己ノ成スコト…ヲ……――

「そう……だったんだろうか」

――少女ノタメ……ダッタ――

「分からないんだっ」

 伊吹の瞳から一滴の涙が零れ落ちた。

「本当は、ただ怖かっただけだ! 自分では大丈夫って思っていても、ああでもしないとぼくは小夜を置いてここから出て行ってしまうかもしれなかった。ただそれが怖くてあんなことを頼んだんだ。小夜のためっていいながら、ぼくは自分のことしか考えていなかったっ」

 伊吹は一気に心の内に閉じ込めていた思いを大樹にぶつけた。その後は、ただただ涙が止まるすべなくあふれ出る。

「ぼくは何? どうしてぼくはここにいるの? どうしてぼくはここにいなくちゃいけないの? ぼくが森人だから? 森人って何?」

 大樹は伊吹に何も言葉を返すことなく、黙っていた。

 清らかな光あふれる空間で、伊吹の嗚咽だけが聞こえる。

 そうして、長い時間が過ぎ、伊吹の心が落ち着いた頃、大樹は一言静かに問うた。


――オ前ハドウシタイ?――


「……」

 それはいつも伊吹が迷い込んだ幾多の魂たちに問い続けた言葉だった。

 本来の運命に反してこの世界に迷い込み、伊吹の言葉を聞いた魂たちがひとつの決心をするきっかけを与えるために。伊吹が、どんなにこの世界でもあなたたちは幸せになることができぬのだと訴えた後、それでも迷い続ける魂たちに、最後の一歩を踏み出す勇気を与えるために。

「君はどうしたい?」

 幾度となく繰り返してきた言葉を、今度は自分に投げかける。


 ぼくはどうしたい?


 たったそのひとことで、目の前の霧がすっと晴れていくような感じがした。

 自分はどうしたい?

 森人とか、大樹とか、この世界がとか、そういったことすべてを取り除いて、いったい自分はどうしたい?

 このままこの世界に残りたいのか? 小夜のためと言い続け、この世界で永遠に迷い込む魂たちを現実へと戻す役目を続けるのか? それが己の望むことなのだろうか?

 ――否。

 伊吹は涙をぬぐうと、森人の役目を果たそうと決心した日から決して口にすることのなかった言葉を口にした。

「――戻りたい。ぼくは小夜がいる現実へ戻りたい。どんなに苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、暖かい日差しを感じることができる世界へ帰りたい」

 それまでの迷いをふっきるかのように伊吹ははっきりと告げた。


 その瞬間のことだった。伊吹と叉羅沙をまばゆい光が包み込んだ……

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