(2)
(私は諦めないぞ……絶対に)
あの不思議な空間に行くことができなくなってから半月。小夜は時間さえあれば森へ入った。
昨日は行けなかった。でも今日は行くことができるかもしれない……。
諦めきれず、小夜はその日も記憶を辿りながら道を歩いていた。
確かに行けた場所だ。それが突然行けなくなってしまうことなどありはしないはずだ。
絶対にまた会うんだ、伊吹に。
強く心で思いながら、小夜は道を歩き続ける。
(あ……霧か……)
白いものが立ち込めてきたのに気づき、「まずい」と思ったときには、もはや前も後ろも分からぬ状態となってしまっていた。
小夜は途方にくれ、その場に立ちすくむ。
闇雲に歩き回って、いつかのように迷子になってしまってはどうにもならない。
シャラン……
ため息をついた小夜の耳に、どこかで聞いた音が入ってきた。
シャラン、シャラン……
澄んだ不思議な音。心に染み入る清らかな……。自分はどこでこれを聞いたのだろうと、思い返す。
(あっ)
銀色の大樹が、脳裏に鮮明によみがえる。この音は紛れもなくあの場所で聞いたものだ。
顔を上げた小夜は、目を大きく見開く。
「伊吹っ!」
フッと揺らぐ空気の向こう側に人の姿が見えた。
見覚えのある姿。紛れもなくあれは伊吹だと小夜は駆け寄った。
腕を伸ばす。だが、伊吹に触れることはできなかった。
ゆらりと彼の姿が歪む。
そこで小夜は悟った。
目の前に見える伊吹は、そこにはいないのだと。何かの力が作用して、そこにいるように見えるのだけど。
――小夜……?――
久しぶりに聞く伊吹の声。嬉しさのあまり熱い思いが心の底からこみ上げてきた。涙で視界が揺れる。
「ああ、よかった……伊吹……」
ほっと気が緩んで、涙声になる。
「心配したんだぞ……」
――小夜……――
嬉しさと悲しさのない混ぜになった伊吹の表情。
今にも大粒の涙が零れてきそうな――。
「伊吹、一緒に外へ出よう」
ゆっくりと伊吹が首を横に振るのを見て、小夜はさらに大声で叫ぶ。
「言ったじゃないか、一緒に出ようって! 私の村に一緒に行こうって!」
両手を差し出す。だが、伊吹は何も言わず、瞳を伏せた。
「ばかっ。もう、もう十分じゃないかっ。何でお前がそこにいる必要があるんだっ。お前だけがどうしてそこで苦しみ続けなくてはならないんだ。人間はお前が思っているほどやわじゃないっ。お前がいなくったって、お前がそこで人間たちの心を見守らなくったって、人間たちはやっていけるっ」
印象的な伊吹の瞳が一瞬大きく見開かれた。
「だから行こうっ。私と一緒に行こうっ」
だが、伸ばした手は虚しく宙を掴む。ぎゅっとこぶしを握り締め、小夜は叫ぶ。
「待っている。お前がそこから出てくるって私は信じてる」
――小……夜――
涙で伊吹の姿が霞む。
「待っている! いつも別れる場所にある大きな岩のところで! 明日の夕暮れ、私はそこで待っている」
――……ありがとう――
小さくつぶやく声。
きゅーんと切なげに鳴く叉羅沙の声。
大きく伊吹の姿が揺れた。そうして足元から徐々に消えていく。
「伊吹、伊吹っ!」
何度も繰り返し叫ぶ。だが、どんなに叫んでも、もはや伊吹の姿は見えなくなってしまっていた。




