あの言葉
水曜日。
朝、教室に入ると、男子数人が机を囲んで話していた。
男子A「いや、絶対そうだって。あの子、水瀬のこと好きだったんだろ」
男子B「顔がいいから?」
男子A「まあ、最初はそうじゃね?」
聞き覚えのある名前が出た気がして、俺は足を止めた。
男子C「でも、結局別れたんだろ? 何があったんだよ」
男子A「俺も詳しくは知らん。なんか、思ってたのと違ったとか」
……。
思わず、苦笑いが出そうになった。
別に珍しい話じゃない。
俺が以前付き合っていた女子と別れた理由なんて、だいたいそんなものだ。
最初は向こうから好意を向けられる。何度か話して、告白されて、付き合う。
最初のうちはそれなりに楽しい。
けれど、しばらくすると、相手の態度が少しずつ変わっていく。
そして最後には、決まってあの言葉だ。
『ごめんね。なんか、思ってたのと違うんだよね』
最初に言われたときは、正直、意味がわからなかった。
付き合う前と後で、俺が別人になったわけでもない。
それなのに、何が違うというのか。
……まあ、今なら多少はわかる気もするけど。
男子B「水瀬、おはよー」
朔「おう。朝から何の話?」
男子A「いや、別に。ちょっと恋バナ」
朔「へえ。俺も混ぜろよ」
男子A「お前は当事者だろ」
朔「……は?」
男子Bが吹き出した。
男子B「いや、今ちょうどお前の元カノの話してたんだよ」
朔「朝から人の恋愛遍歴で盛り上がるなよ」
男子A「だって気になるだろ。お前、何人かと付き合ってたじゃん」
朔「何人かって言い方やめろ。そんな大した人数じゃない」
男子B「そこは否定しないんだな」
朔「うるせえ」
笑いが起きる。
別に、怒るほどのことじゃない。
俺が何人かと付き合っていたのは事実だし、隠すようなことでもない。
ただ、自分の知らないところで話題にされると、妙な気分にはなる。
男子A「で、実際どうだったんだよ。なんで別れたん?」
朔「……普通に、合わなかったんじゃね?」
男子A「お前、振られた側だろ?」
朔「そうだけど」
男子B「そこ、あっさり認めるんだ」
朔「別に、付き合ったら絶対うまくいくわけでもないだろ」
俺がそう答えると、男子Aは少し考えてから頷いた。
男子A「まあ、それはそうか」
話はそこで終わるかと思った。
しかし、教室の後ろから別の声が飛んできた。
女子A「でも、水瀬くんって、顔で選ばれてる感じはするよね」
女子B「わかる。付き合う前はすごくよさそうに見えるタイプ」
女子A「それ、褒めてる?」
女子B「半分くらい?」
朔「聞こえてるんだけど」
女子B「あ、ごめん!」
謝りながらも、女子Bは笑っていた。
俺も笑って返す。
朔「せめて全部褒めろよ」
女子A「じゃあ、顔は百点!」
朔「よし」
女子B「中身はこれからの評価ということで」
朔「採点厳しくない?」
また笑いが起きた。
いつも通りだ。
こういう冗談を言われることには慣れている。むしろ、自分から話に乗っかったくらいだ。
だから、気にする必要なんてない。
……ないはずだった。
*
午前の授業が終わり、昼休み。
弁当を広げていると、七海がやってきた。
七海「朔、朝から人気者だったね」
朔「聞いてたのかよ」
七海「ちょっとだけ」
朔「絶対ちょっとじゃないだろ」
七海「まあまあ。元カノの話で盛り上がるなんて、青春だねえ」
朔「他人事だと思って……」
七海は楽しそうに笑いながら、向かいの席に座った。
七海「でも、あれって本当なの?」
朔「何が?」
七海「付き合った子に、思ってたのと違うって言われたって話」
箸を持つ手が、ほんの少し止まった。
朔「……本当だけど」
七海「そっか」
それだけだった。
いつもなら、もう少しからかってきそうなものなのに。
朔「何だよ。もっといじってこないの?」
七海「いじってほしいの?」
朔「いや、そういうわけじゃないけど」
七海「じゃあ、いじらない」
七海は卵焼きを口に運んだ。
少ししてから、ぽつりと言った。
七海「朔ってさ、付き合ってるとき、相手の話ちゃんと聞いてた?」
朔「……聞いてたと思うけど」
七海「そっか」
朔「何だよ、その反応」
七海「別に。朔のことだから、相手が何を好きかとか、ちゃんと覚えてなさそうだなって思っただけ」
朔「失礼だな。覚えてるに決まってるだろ」
七海「じゃあ、前に付き合ってた子が好きだったもの、一つでも言える?」
朔「……」
七海「ほら」
朔「いや、待て。今思い出してる」
七海「ゆっくりどうぞ」
朔「……」
七海「……」
朔「お前、食べながら待つなよ!」
七海「お腹すいてるんだもん」
俺は結局、答えられなかった。
相手が好きだった食べ物も、よく聴いていた音楽も、休日に何をしていたのかも。
思い出せることはある。
けれど、いざ聞かれると、驚くほど何も出てこなかった。
七海「まあ、昔のことだしね」
朔「……おう」
七海「でも、次に誰かと付き合うなら、ちゃんと相手のこと知ろうとしたらいいんじゃない?」
朔「……なんか、先生みたいだな」
七海「誰が先生だ!」
いつもの調子に戻った七海が、俺の弁当をのぞき込む。
七海「それより、その鶏肉一個ちょうだい」
朔「話の流れが雑すぎるだろ!」
七海「いいじゃん、一個くらい!」
朔「自分の弁当食え!」
七海は笑いながら、自分の席へ戻っていった。
俺は弁当を食べながら、さっきの質問を思い返していた。
相手が好きだったもの。
……本当に、何も思い出せない。
*
放課後。
帰り支度をしていると、隣の席から声がした。
澪「水瀬くん」
朔「ん?」
澪「今日、昔の彼女の話をしてたのね」
朔「……聞こえてたのか」
澪「近くにいたから」
朔「まあ、隠してたわけじゃないけど」
澪「何人かと付き合ってたんだ」
朔「まあ、それなりに」
澪「そう」
澪は鞄に教科書をしまった。
いつものように、特に興味がなさそうな顔をしている。
朔「……何か思うところでも?」
澪「別に。恋愛経験が多いんだなって思っただけ」
朔「それ、褒めてる?」
澪「褒めてない」
朔「即答かよ」
澪「でも、少し残念だった」
朔「え?」
澪「水瀬くんって、相手のことをよく知ってから付き合うタイプなのかと思ってた」
朔「……なんで?」
澪「なんとなく」
俺は、言葉に詰まった。
なにか澪から失望に近いようなものを感じた。
それ以上、澪は何も聞かなかった。
俺も、それ以上は話さなかった。話せなかった。
澪が教室を出たあと、俺はしばらく自分の机を見つめていた。
他人を評価することと、他人を知ること。
俺はずっと、その二つを同じものだと思っていたのかもしれない。
顔がいい。性格がいい。話していて楽しい。
そうやって相手を評価することはできても、その人が何を考えているのか、本当は何を好きなのか、何に傷つくのか。
そこまで知ろうとしたことは、あまりなかった。
スマホを取り出す。
特に意味もなく、クラスの連絡画面を開いた。
少しスクロールすると、七海から送られてきたメッセージが目に入った。
『明日の数学の課題、絶対忘れないでね!』
その下には、俺が送った『お前こそな』という返信。
……そういえば。
俺は、七海の好きなものをどれくらい知っているんだろう。
毎日のように話している。
一緒に帰ることも多い。
それなのに、いざ聞かれたら、答えられないことがあるのかもしれない。
朔「……めんどくさいな」
思わず、声が漏れた。
人のことを知るというのは、案外難しい。
そして、俺は今まで、その面倒くささから逃げていたのかもしれなかった。




