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第1話:婚約破棄されたけど、ずっと憧れていた薬草の宝庫へ行けるのでOKです!

 


 朝のやわらかな日差しを受けて、じょうろからキラキラと輝く水のシャワーを浴びる薬草達に、リリィは微笑みかけた。


「おはよう、微睡み草。今日も良い香りをさせてるわね。これならどんなに疲れた人の喉も、すうっと楽にしてあげられるわ」


 リリィの言葉に応えるように、微睡み草はぽわんと心安らぐ香りを漂わせる。


 薬草学の大家クローバス伯爵家の長女であるリリィにとって、薬草園は何より大切な場所だった。


 幼い頃からドレスよりも土にまみれ、薬草と親しんできたリリィにとって、朝の水やりと薬草達への声かけは、命の次に大事な日課だ。


 その日も愛しい緑へ挨拶をしながら奥に進むと、薬草の保管や調合をする建物から明かりが漏れていることに気付いた。


(あら? 昨日、灯りを消し忘れたかしら?)


 朝の作業が始まる前の静かな時間。窓から漏れる不自然な明かりに首を傾げ、「大切な希少種が盗まれていたらどうしよう」と少し足早に近づいたその時、ガチャリと扉が開いた。


 朝一番の清々しい空気を破って、ねっとりとした甘い香水の匂いが漂い出る。


「バジル様……もうお別れなんて寂しいですわ」


「そんな顔をしないでくれ、愛しのローズ。私の心はいつも君と共にある」


 朝露に濡れる庭園で、熱い抱擁を交わす男女。その姿を見て、リリィは目を見開いた。


 妹のローズと、見覚えのある茶髪の男――バジルだった。

 年頃の男女の睦み合いなら、リリィだって生温かい目で見過ごしただろう。だが残念ながら、そこには一つ、大きな問題があった。


 バジルはローズの婚約者ではない。


 何を隠そう、たった今、目の前で立ちすくんでいるリリィ自身の婚約者だった。


「あの……バジル様? これは一体……」


 おずおずと、リリィが声をかけると、二人は驚いた顔で振り向いた。


「まぁ! お姉様!?」


 ローズはわざとらしく震えながら、バジルの背後に隠れる。


「リリィ……君か……」


 バジルは眉間に皺を寄せながら、ため息をついた。


「この際だからはっきりしておこう」


 リリィはきょとんと目を丸くする。


「無能で地味なお前とは婚約破棄だ! 聖女である妹を妻に迎える!」


「え? あ、はい! わかりました!」


 勢いに押され、思わずリリィは元気よく答えた。


 バジルは「……は?」と間の抜けた声を漏らした。

 劇的な修羅場を期待していたのだろう。肩透かしを食らったように固まっている。


「その……薬草園の管理は引き継げますか?」

 リリィは薬草園を振り返りながら、そう言った。


「……フッ、哀れな女だ。ショックのあまり、現実を受け入れられず薬草の話しかできないか」


 バジルはリリィの言葉を都合よく解釈し、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「いえ、希少種の育成だけ気になって……」


「バジル様……っ! 嬉しい!」


 リリィの声を遮り、感極まったように、ローズはバジルに抱きついた。


「ああローズ。私は真実の愛のために戦おう……!」


(はて……私は朝から何を見せられているのかしら?)


 リリィは首を傾げた。



 ♣︎♣︎♣︎



 それから数刻後、事態はあっという間に進んだ。


「すまないな、リリィ。婚約破棄された令嬢は社交界でどんな扱いを受けるかわからない。しばらく地方で静養していると言っておこう」


 父であるクローバス伯爵が馬車に乗り込もうとするリリィをわざとらしく気遣うように言った。


 バジルの生家、バーロック侯爵家からの婚約破棄だ。家格の低い、我がクローバス伯爵家に出来る事などなにもない。

 そもそも、婚約相手が妹に変わった所でなんの問題もなかった。


「構いませんわ。お父様。それより、王宮や神殿に卸していた薬や薬草は大丈夫でしょうか?」


「ああ、ローズがいれば大丈夫だろう。最近では神殿も、あの子こそ緑の精霊に選ばれたシャムロックの聖女ではないかと騒いでいる」


「……そう、ですか」


(ローズは私が調合した薬を王宮へ運ぶだけだったけれど……やっぱり、聖女の力があったからなのね)


 リリィは微笑んで、馬車に乗り込んだ。


(ローズもクローバス家の娘だもの。……少し心配だけれど、きっと大丈夫)


「……では、行きます」


『行って()()()』は飲み込み、リリィは代わりに薬草の鉢を抱え直した。


(でも、良かったわ。大切な子達をいくつか株分けしてもらえて)

 リリィは馬車にたんまり積んだ薬草達を見て微笑んだ。


(ゼルビアナ地方は辺境と言われているけど、この地方でしか育たない薬草達がたくさんあるのよね)


「これからはもっと広い土地で、のびのび育ててあげるからね」


 リリィは緑の葉に触れて、優しく語りかけた。


 同時に馬車がガタガタと動き出す。

 その頃には、父の姿はもうなかった。


 遠ざかっていく伯爵家の屋敷を、リリィは一度も振り返らなかった。


 それよりも、腕の中の苗だけをそっと抱きしめ、以前から憧れていた薬草の宝庫の土地へ行けることに胸を躍らせていた。


「待っててね、ゼルビアナの薬草達。新しい特効薬、たくさん見つけてあげるから!」


 朝日を浴びながら、リリィは軽やかに王都を後にするのだった。



 ♣︎♣︎♣︎


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