第13話 燃やされる証拠
裁定所の評判は、少しずつ、町に広がっていった。
力で押さえつけられてきた者たち、声で言いくるめられてきた者たちが、証拠を手に、納屋を訪れるようになった。盗まれた家畜のこと。返してもらえぬ借金のこと。土地の境界をめぐる争い。
私は、一件ずつ、証拠を照合し、記録に残した。
リーゼは、めきめきと文字を覚え、簡単な記録なら、もう自分で書けるようになっていた。
だが──町には、それを快く思わない者がいた。
代官、ボルツ。
辺境ヴェルデを治める、王都から派遣された役人だった。
彼は、これまで、町の揉め事を「調停」と称して取り仕切り、その「調停料」で私腹を肥やしてきた。力のある者の味方をし、弱い者から金を巻き上げる。それが、彼の「裁き」だった。
裁定所は、その商売の、邪魔だった。
「お貴族様の、遊びかね」
ある日、ボルツが、手下を連れて納屋に現れた。
でっぷりと太った、脂ぎった男だった。
「ここの流儀はな、力と銭で決まるんだよ。証拠だの記録だの、素人の遊びは、ほどほどにしときな」
「遊びではありません」私は、静かに答えた。「人が、正しく裁かれる場所です」
「正しく、ねえ」ボルツは、鼻で笑った。「正しさで、飯が食えるかい。──まあ、いい。せいぜい、お遊びを続けな。長くは、続かねえだろうがな」
彼は、意味ありげに笑って、去っていった。
その夜だった。
私が眠りについた頃、納屋の外で、焦げ臭い匂いがした。
目を覚ますと、戸の隙間から、赤い光が漏れていた。
火だった。
何者かが、納屋に、火をつけたのだ。
「リーゼ! 起きて!」
私は、リーゼを揺り起こし、二人で外へ飛び出した。
炎は、納屋の壁を、すでに舐め始めていた。
「記録簿が……!」リーゼが、叫んだ。「あの帳面が、燃えちまう!」
彼女は、火の中へ駆け戻ろうとした。
私は、その腕を、強く掴んだ。
「行ってはいけません」
「でも、記録が……あたしたちの、記録が……!」
私は、燃え上がる納屋を見ながら、静かに告げた。
「大丈夫です」
「な、なんで、そんな……」
「あの中にあるのは、写しです」
リーゼが、私を見た。
「ヴァルターさんに、教わりました。証拠は、一か所に置くな、と。──だから、記録簿の原本は、毎晩、別の場所に移してあります。町の、信頼できる人たちに、一冊ずつ。燃えたのは、写しだけ。原本は、無事です」
炎を映す、リーゼの目が、見開かれた。
「じゃあ……記録は、消えてねえのか」
「ええ。消えていません。──それどころか」
私は、燃える納屋を背に、振り返った。
火事の騒ぎを聞きつけて、町の人々が、集まり始めていた。
誰もが、燃える納屋を見て、ざわめいていた。
「あの裁定所が……」
「火を、つけられたのか」
「誰が、こんなことを……」
私は、集まった人々の前に立った。
そして、はっきりと、告げた。
「皆さん。見てください。──事実だけで人を裁く場所が、今夜、何者かに焼かれました」
人々が、静まり返る。
「私は、誰がやったとは、申しません。証拠が、まだないからです。証拠もなく人を責めるのは、私の流儀ではありません」
私は、燃え落ちていく納屋を、指し示した。
「ですが、これだけは言えます。──この火をつけた者は、『記録が残ること』を、恐れたのです。なぜ恐れたか。記録に残ると、都合の悪いことがあるからです」
人々の間に、ざわめきが広がった。
誰もが、心の中で、同じ名を思い浮かべていた。
「記録は、燃やせます」私は続けた。「ですが、皆さんが今夜見たこの光景は、燃やせません。皆さんの記憶に、残ります。──そして、焼かれた記録簿の原本は、すでに皆さんの中の何人かが、預かってくれています。今夜の火は、何一つ、消せなかった」
ヴァルターの言葉が、現実になっていた。
記録を、人の心の中にも残す。それが、証拠を、不滅にする。
炎は、やがて、消えていった。
納屋は、灰になった。
けれど、その夜を境に、町の人々の中で、何かが変わった。
裁定所は、もはや、私一人のものではなくなっていた。
お読みいただきありがとうございます。
代官ボルツの放った火。しかしコルネリアは、ヴァルターの教え「証拠は一か所に置くな」を実践し、原本を町の人々に分散させていました。燃えたのは写しだけ。
そして彼女は、火事すらも「記録が恐れられた証拠」として町の人々の記憶に刻みます。裁定所は、もう彼女一人のものではなくなった──「人の心に残す記録」が、力に勝ち始めます。
次話、いよいよ代官ボルツとの決着。彼が握りつぶしてきた事件を、コルネリアが証拠で覆します。
ブックマーク・評価、心より感謝いたします。




