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魔族の騎士  作者: らつもふ
9/25

人の心

 満月が美しい夜だった。

 ボッシュとマールシェが右翼、、ザライドマセルとコスメールが左翼を担当し、いずれもヒポグリフに騎乗し低空でゆっくり前進していた。

 本来であればもっと高度を取って、一気に急降下して敵陣に突入する方が良いのだが、如何せん、悪魔バルベリスが普通の白馬に跨り、昔ながらの貴族が着るようなフリルが付いた服装で優雅に中央を進んでいたため、それに合わせて進軍する必要があったのだ。

 「バルベリス様……その御姿で戦場へ行くのですか?」

 さすがにボッシュは聞いてみたのだが、返ってきた言葉は、

 「これは昔の人間が着ていた貴族服という代物です。どうですか?いいでしょう?」

 だった。

 バルベリスは悪魔の中でも特に人間の姿に憧れのような感情を持っていて、昔の人間が着ていたような姿がお気に入りだった。

 ボッシュたちはそんな時代を知る由も無いので「いいでしょう?」と聞かれても「あ、はい」としか言えなかった。

 しかし、それ以上に5色騎士団としては……今では4色騎士団なのだが、不満があった。

 それはこのペアリングだった。

 ボッシュとマールシェは同い年だが、どうもソリが合わないのか、何かと口論になってしまうのだ。従って、それが面倒なので二人とも自分から話そうとはせず、結果、無言のまま重苦しい時間が過ぎるのだった。

 そして、ザライドマセルとコスメールも不満があったが、こちらは先のペアとは違いワイワイ話していた。

 その内容は、ボッシュとマールシェの悪口を言い合っていたのだ。

 ザライドマセルはマールシェを気に入っており、コスメールはボッシュの事が好きなのに、いつもボッシュとマールシェが組んでいるのが二人は気に入らないのだ。

 しかし、ペアを決めた悪魔には逆らえないので、自然と悪口の対象がボッシュとマールシェとなるのだった。

 そんなコスメールは、海岸にたくさんの船が漂着している事に気づいた。

 「ちょっとマセル!あれ見て!」

 コスメールは海岸を指さしてザライドマセルを呼ぶ。

 「おいおい、お嬢さん。ひと回り以上も年長である私の名前を省略するのはどうかと思うけど、『ザライド』じゃなくて『マセル』の方をチョイスするのはどうだろうか?」

 そんなことを言いながらコスメールの指さす方を見るザライドマセル。

 「ふむ……船、だな」

 「そんな事は見ればわかるよ!問題はどうしてこんなに沢山あるのかって事!」

 青の騎士コスメールが大きな声で言う。

 「ああ、たぶん東方人が島から逃げて来たんだろう。ベルゼブブ様たちが敵の国を直接攻撃する事になっていただろう?私達はバルベリス様があんな調子だから攻撃が遅くなってるがな」

 白の騎士ザライドマセルはそう言いながら、親指で後方を指さした。

 「そんじゃあ、マセルからメッセージでバルベリス様に連絡しておいて。あたしらは漂着した船の調査をするって」

 「ガキんちょが仕切るなって!全く……」

 そう言いながらもザライドマセルはメッセージで報告を上げた。

 するとバルベリスから「了解しました。こちらは任せて下さい」と連絡があった。

 二人は海の方へヒポグリフの針路を変え、コスメールが海岸線を、ザライドマセルが沖の方を調査する事にした。

 コスメールは砂浜に沢山の足跡や馬車の跡を確認し、それらが全て東方人らが立てこもる町へ向かっている事に気づいた。

 「これはかなりの人数が合流したと見るべきね……」

 ヒポグリフを操りながらそう呟くコスメール。

 すると、ボロボロの帆船からまさに何人もの人影が砂浜に降り立つのを発見した。

 「漂着した船に人影を発見。これより攻撃を開始する」

 そうメッセージで連絡すると同時にヒポグリフを突入させるコスメールは、双剣を両手で握りしめ船のデッキへ飛び降りた。

 着地と同時に目にも止まらぬ速さでダッシュすると、次々と東方人を切り捨ててゆく。

 悲鳴が月夜にこだまするが、すでに気力も体力も底をついているのか、東方人はその場で命乞いをするだけで、ほとんど無抵抗のまま死んで行った。

 「何、この人たち……?」

 コスメールは何とも言えない嫌な気分になった。

 大陸では力があるものが生き残る世界だ。よって、大陸に生を受けた者は常に生きるために戦うのが普通であり、それは子供や老人だって同じなのだ。

 それが、目の前の者達はどうだ?命乞いをして泣き叫ぶだけで、自らは何の努力もせず戦う意思も無い。こんな弱い奴らが同じ人間だと思うと吐き気がする。

 「こんな奴ら、どうせこの大陸では生きて行けるわけがない!だったらあたしがこの場で殺してあげる!」

 コスメールは怒りをぶつけるように無抵抗の東方人を切って行った。

 全ての東方人を虐殺するのに、さほど時間はかからなかった。


 一方、ザライドマセルは沖合に漂流する木造船を発見していた。

 マストは折れ、木の葉のように大海原を漂っていた船は、かなり傷んでいるようだった。

 ザライドマセルは上空を旋回して船の様子を見ていたが、デッキには大勢の人が折り重なるように倒れており、とても生存者がいるようには見えなかったので、その船はそのまま放置して周囲の調査に向かった。

 遭難した船の残骸なのか、島から流れてきたものなのかはわからないが、海には木の破片や布等がたくさん漂っており、悪魔の攻撃が熾烈であった事が容易に想像できた。

 先ほどコスメールから攻撃開始のメッセージが届いたが、海上は見渡す限り浮遊物……所謂ゴミしかない。

 ザライドマセルはこの調査はあまり意味が無いと判断し、コスメールと合流するために陸地へ針路を取った。

 その背後で、ごみに紛れた小船の上空に、光り輝く図形が徐々にその形を現していた。

 ザライドマセルは海面を調査しながら陸地へ戻っていたため、背後の異変には全く気付いていなかった。

 その図形は正七芒星であり、七つの頂点が輝き始めていた。

 最初にその光に気づいたのはコスメールだった。

 「なに?あの光……?」

 沖合の方が明るくなっていた事に違和感を覚えたのだ。

 「マセル?そっちの方が光っているみたいだけど、なんかあったの?」

 メッセージを受け取ったザライドマセルは「は?何が?」と一人つぶやきながら周囲を見渡した。

 すると、海面に反射して自分の後方が光っていることに気が付いた。

 「なんだ?あの光?」

 ザライドマセルが呟いたその瞬間。

 夜空に一筋の光が輝いた。

 ボッシュもそのやり取りをメッセージで受けており、何気なく東の海へ視線を向けると、途端に鳥肌が立った。

 「あ、あれは……!巫女の術!!」

 ボッシュは大きな声で叫ぶと、光の方へ向けて全力でヒポグリフを飛ばした。

 「ちょっと!ボッシュ!?どうしたの!?」

 マールシェがボッシュに声をかける。

 「お前はこのまま進め!私はちょっと離れる!」

 ボッシュはそう言うと、すぐに姿が見えなくなった。

 何もわからず茫然としていたマールシェだったが、ボッシュの慌て方を見るとただ事ではなく、その彼がこのまま進めというのだから、状況がわからない自分はそれに従うのがベストだと判断し、マールシェは一人そのまま進軍した。

 ボッシュはあの光に見覚えがあった。

 ──悪魔アスモデウス様を焼き、ソイマンを殺した東方人の巫女が使う術だ!

 ボッシュは悪魔バルベリスの部隊と合流したのは2日前で、その当日にボッシュが知っている東方人の情報を全員に伝えていた。

 もちろん正七芒星の術についてもその時に教えており、空に図形が描かれ始めたら完成する前に巫女を討てと言ってあった。

 騎士団のスピードをもってすれば、それも可能だろうと考えていたのだが、まさか、発動するとは……あやつら、油断したな!?

 途中の海岸の砂浜で、コスメールが不安そうに沖を見ながら立ち尽くしているのが見え、ボッシュはメッセージで左翼軍として元の任に戻れと伝え、自分はそのまま沖に向かった。

 コスメールは自分も一緒に行こうとしたが、大好きなボッシュが戻れと言うのだから、渋々ながらそれに従った。

 そのころ、すでに七芒星は夜空から消え、月夜だけが空に輝いていた。

 「ザライドマセル!どこにいる!?返事をしろ!」

 メッセージで呼びかけるボッシュ。だが、何度呼びかけても返答が無い。

 ボッシュは巫女の攻撃を警戒しながら、ゴミが漂う海面を注意深く調査していた。

 すると、海面をバシャバシャと叩く音が聞こえてきた。

 ボッシュはすぐにその音の方向へ向かうと、炭化し黒ずんでいる瀕死状態のヒポグリフが海面で溺れているのを発見した。

 『キーッ、キーッ……』

 弱弱しく鳴きながら必死に首をもたげてボッシュを見ている。

 ボッシュはすぐに飛んで行くと、その背中に一人の人間が横たわっていた。

 その人間は兜はしておらず、顔面は完全に炭化し原形を留めていなかった。だが、鎧の形状から、間違いなくザライドマセルだと確信したボッシュは、すぐにその黒い塊を自分のヒポグリフに移動すると、溺れていたヒポグリフは足掻くのを止めて、穏やかな表情で海の中に沈み始めた。

 ───私が来るまで主人を守り続けたのか。

 ザライドマセルのヒポグリフが暗い海中に沈むと、その直上を旋回し別れを惜しむようにボッシュのヒポグリフが大きな声で鳴いた。

 東方人が大陸にやって来たこの短期間で、5色騎士団は二人もの騎士を失った。

 ボッシュは怒りに我を忘れそうになったが、これからは自分が何とかしなければならないという使命感がそれを抑えていた。

 すぐにそのままバルベリスの元に馳せ参じると、現状報告を行った。

 「……そうか。ではザライドマセルはお前たち人間の村、グラードに送っておこう」

 バルベリスはそう言って、上位アンデッドを呼び出す呪文を詠唱すると、夜空に無数のコウモリが現れ、次第に竜巻のように渦を巻き始めた。それは徐々に人の形と変化し始め、遂にはヴァンパイアへと姿を変えたのである。

 ヴァンパイアは黒焦げとなったザライドマセルを、無数の眷属たるコウモリによって持ち上げさせると、そのまま西の夜空に消えて行った。

 それを見届けたバルベリスはボッシュに向かって口を開いた。

 「これでお前たちの心配事は解決しました。心置きなく目の前の戦いに集中するが良い」

 「はっ。ご配慮いただきましてありがとうございます」

 ボッシュは白馬の前で跪き、頭を下げた。

 そこに事態を聞いたマールシェとコスメールが駆けつけて来ると、すぐにヒポグリフから降りて、ボッシュの両隣に並んで跪いた。

 「緊急事態と聞きましたので馳せ参じました……」

 マールシェがそう言って頭を下げると、そのままボッシュを見る。

 「一体、何があったの?」

 この問いにボッシュは地面を見つめたまま答えた。

 「ザライドマセルが敵の攻撃を受け、戦線を離脱した……」

 「え!?まさか……マセルはあたしと一緒にいたのに!?」

 コスメールが驚きの声を上げる。

 「おそらく、本国の島から脱出し沖合を漂っていた巫女と遭遇し、例の光の攻撃を受けたと思われる……」

 「あの光……あれが……そうだったの!?」

 コスメールがあの時の光景を思い出しながら口にした。唇が震えている。

 「それで、ザライドマセルを攻撃した敵は?」

 マールシェが冷静に聞いてきた。

 「わからない。海面にはゴミが散乱していて、ざっと見ただけではどこにいるのかわからなかった……だが、あの光……前に私が見た時よりも輝きが足りず、照射時間も短かったように感じる……」

 「何が言いたいの?」

 マールシェはあくまでも冷静だ。

 「つまり、敵の巫女もすでにかなり体力を消耗していて、最後の力を振り絞って攻撃したとすれば、放っておいてもそのまま海の藻屑となるだろう」

 「その見解がいいかどうかは別として、敵討ちに走らず、冷静でいることについては合格ね……」

 マールシェはそう言って頭を上げると、表情を引き締めてバルベリスへ視線を向けた。

 「バルベリス様、こうなった以上、編成を少し変更すべきと存じます」

 「申してみよ」

 「はっ。これまでは攻撃を重視した陣形で進んでおりましたが、巫女による長距離攻撃を考慮して、我々3名が3方向に広く展開し周囲を警戒したく思います」

 「それは任せますが、敵の攻撃に対する備えは大丈夫ですか?」

 バルベリスは馬上で口髭を軽く引っ張りながら訊いた。

 「お任せ下さい。敵の巫女は術を発動するまでに多少の時間が必要のようです。兆候は四方の空を警戒することで察知が可能です」

 「そうですか。では、騎士団は敵の巫女だけに注意を払って下さい。私は目の前に敵軍が現れたらこれを焼き払いましょう」

 「「承知しました」」

 3人は同時に返答すると、すぐにヒポグリフに騎乗して3方向に分かれた。

 マールシェは右、コスメールは左、ボッシュは中央を警戒する。

 そのボッシュはコスメールへメッセージを送った。

 「コスメール、ザライドマセルがやられたのはお前のせいではない。気に病むことは無いぞ?」

 ボッシュはコスメールがかなりのショックを受けていた事が気になっていたのだ。

 「ボッシュさま!ああ、何とお優しいお方……あたしは大丈夫です。必ずボッシュさまをお守りします!」

 「え!?あ、ああ………いやいや、私じゃなくてバルベリス様をお守りするのだぞ!?」

 「はい!承知しました!ボッシュさまぁ!」

 元気になるのはいいことだ。だが、何かが違う気がするボッシュであったが、とにかく今は敵の巫女を警戒しなくては……。

 しかし……巫女とはあの檀上にいた皐月という少女たちの事だ……。

 ボッシュは屋敷での出来事を思い出していた。

 まだ幼い少女らは、敵である自分に対しても礼をつくし、我々魔族の人間について真剣に考えてくれていた。

 そもそも東方人は、神にそそのかされて何も考えずに魔族に対して戦いを仕掛けてきた……単一種族の島国という事もあり、世間知らずの純粋な心を利用されたのか?………こんな形で出会わなければ、もしかしたら……。

 そこまで考えたボッシュはブンブンと首を振った。

 自分たちは魔族であり、魔族に敵対するものは力でねじ伏せる。これがこの大陸における法だ。

 「東方人は敵だ!」

 ボッシュはそう叫ぶと、目前に迫った東方人らの町へ近づいた。

 まだ前回の戦いの爪痕が生々しく残っており、辺り一面焦げた臭いが立ち込めていた。

 矢倉や城壁は跡形も無く焼け落ち、前に戦った時とは全然違う景色が広がっていた。

 ボッシュはそのまま町へ進むが、人影は全く無かった。

 「こちらボッシュ。町には全く人影がありません。引き続き調査します」

 メッセージを入れてから町の奥にある屋敷へ向かった。

 大剣を手にしてヒポグリフから降り、玄関から以前に通された大広間を覗いてみるが、やはり人の気配は無く、屋敷内を一通り調査したが真っ暗で誰も発見できなかった。

 ボッシュは再び屋敷の外の公路に戻ると、南の方へ向かったと思われる数多くの足跡や馬車の跡を発見した。

 「東方人はこの町を放棄したのか?」

 そう呟きながらヒポグリフに乗り込み、垂直上昇して南の方角を眺めてみるが、特に何も発見出来なかった。

 すでに遠くへ逃げ去ったか!?

 「──いや、そう見せかけて実はまだ近くにいるかもしれぬ」

 ボッシュはメッセージで敵が町を放棄した事を伝え、マールシェとコスメールには敵が近くにいないか捜索するよう指示を出すと、自らはバルベリスを屋敷に迎え入れる準備をした。

 東方人は昼間に行動し、夜は寝る性質がある。もしかすると、今は動かずにじっとしている可能性が高く、そうなると上空から発見するのは難しいかもしれない。

 だが、意外にもマールシェとコスメールから敵を発見したと連絡があった。この時、すでにバルベリスは屋敷に入っており、檀上の椅子に座って一息ついたところだった。

 「二人から敵を発見したと報告がありましたね?」

 「はい」

 ボッシュとバルベリスは難しい表情で首を捻った。

 マールシェは西を、コスメールは東を捜索していたはずで、その二人から敵発見の報が届いた。しかし、公路についた痕跡をみると南へ逃げているように見える……これは、つまり、敵は分散したという事を物語っていた。

 「敵の規模を報告してください」

 バルベリスが二人の女騎士に聞くと、すぐに返答があった。

 「こちらマールシェ。敵は約200名ほどで平原を西へ向かって歩いています」

 「東の海岸は150人くらいです」

 二人の報告を聞いて「うーむ……」と唸るバルベリス。

 これほど細かくいろいろな方角へ分散されると、無駄に捜索範囲が広くなり、下手をすると大陸全土を調査対象としなければならなくなる。

 「発見した敵は殺さずに本隊の場所や分散した目的を聞き出せ」

 ボッシュが指示をすると二人から「了解」と返答があった。

 バルベリスは屋敷の大広間の檀上に椅子を置き腰かけながら周囲を見渡していたが、どうやらこの屋敷が全て木でできていることに関心があるようだった。

 ボッシュは床に跪き口を開いた。

 「それでは私も東方人を探しに行って参ります。バルベリス様のお世話は……」

 「不要です。私の世話はアンデッドを召喚してやらせます」

 「承知いたしました。それでは行って参ります」

 ボッシュは頭を下げてから立ち上がると、屋敷を出てヒポグリフを南へ向けて飛ばした。

 かなりのスピードで公路沿いに南下すると、徐々に草木は少なくなり、辺りは岩と土の荒野へと変化してゆく。

 その昔、大陸の中央にそびえ立つシャフローネ山が噴火した時に、溶岩や噴石が大陸の南東に集中したため、この辺には大小様々な石や岩が散乱していると伝えられていた。

 そのような土地の上空を、これほどのスピードを出しているのだ。ちょっとした岩陰に隠れられたら、まず見つける事は難しいだろう。

 「……なのに、どうして出てくる!?」

 大きな岩の陰から一人の男が飛び出してくると、弓を構えてボッシュに対して射掛けてきた。

 矢は全く当たらず、男はすぐに二射目を準備する。

 その時にはすでにヒポグリフが目前に迫っており、男は慌てて頭を押さえて地面に伏せた。

 ボッシュは男の頭上近くを通り過ぎると、振り返って後方を見る。

 男はヒポグリフの衝撃波によって吹き飛ばされ地面を転がっていた。

 その近くの大きな岩陰には、50人ほどの人間が体を寄せ合って身を隠しているのが見えた。

 「出て来なければ発見されなかったものを……!」

 ボッシュは舌打ちしながらヒポグリフを旋回させると、その大きな岩の前に着陸させ、大剣を握りしめて大地に降り立ち、ゆっくりと近づいた。

 50人ほどの人間は怯えながらボッシュが近づくのを見守っていた。

 誰も発せず、誰も動かず、誰も何もしなかった。

 隠れていた者達は、皆、ボロボロの着物を着ており、武器は携行しておらず、手荷物もほとんどないように見えた。

 「お前たちはそんな恰好でどこに向かうとしているのだ?この先は砂漠地帯だ。恐らくこのまま進んでも死ぬだけだぞ?」

 ボッシュがそう言うと、赤ん坊を抱いた女が叫んだ。

 「あんた達が攻撃してきたからこうして逃げてるんじゃないか!この先に何があるのかなんて誰も知らないよ!」

 「何を勝手な事を……元々は神のお告げとやらに踊らされて、お前たちが先に大陸に攻め込んできたのだ。自業自得だろう?」

 「だからって無関係な民まで殺すことはないじゃないか!」

 「この大陸では兵士は殺しても良くて、民は殺してはいけないという規則はない。近い将来、その民から兵士が生まれる可能性もあるだろう。であればそんな区分けは意味が無く、単なる責任逃れでしかない。同じ東方人として罪を償え」

 するとその女は抱きかかえていた赤ん坊を両手で差し出しながら言った。

 「じゃあ、この子にも責任があるって言うのかい!?まだこんな小さな子に何の罪を償えって言うんだい!?」

 おそらく1歳にも満たないその赤ん坊は、布に包まれた状態でスヤスヤ寝ていた。

 「国は悪魔に襲われ、命からがらこの大陸に逃げ延びてきたのに、見ての通り逃避行は終わらない……もう、あたし達は疲れたんだよ……」

 女はそう言うとその場に崩れるように座り込んだ。

 周囲からはすすり泣く声が聞こえてくる。その場にいる全員が無気力で、疲れ果てているようだった。

 ボッシュは理解した。この者達は自分たちが暮らす島から焼け出されてこの大陸に逃げてきた者であるのだと。

 一通り全員をゆっくり見渡すと、毅然とした態度で言った。

 「お前たちが目的も無く彷徨っている事は理解した。だが敵である以上、このまま見過ごす訳にはいかない」

 そう言うと、大剣を鞘から抜き放った。

 「殺せ!殺すがいい!」

 女は絶叫した。

 その刹那、ボッシュの大剣は一閃し、その場にいる者達を一瞬にして両断した。

 岩陰は血の池が広がり、地面に落ちた赤ん坊はみるみる母親が流した鮮血に染まって行く。だが、何事も無かったように赤ん坊は眠っていた。

 ──こんな砂漠に赤ん坊を放置していてもどうせ死ぬだけだ。であれば私の手で──。

 ボッシュは赤ん坊目がけて大剣を振り下ろした。が──。

 『こんな小さな子に何の罪を償えって言うんだい!?』

 先ほどの女の姿がフラッシュバックする。

 勢いよく振り下ろされた大剣は、赤ん坊の鼻先のぎりぎりの所でピタリと止まった。

 ボッシュはしばらくそのまま赤ん坊を見つめていたが、おもむろに左手で赤ん坊を拾い上げると、その顔を見ながら呟いた。

 「お前の母はこの中でたった一人、死を覚悟しながらもこの私に意見した……そして死してもなお、お前を守ろうとした……その心意気に免じて、お前だけは助けてやろう」

 ボッシュはそう言うと、赤ん坊を左腕に抱えたままヒポグリフに飛び乗った。

 『グルル……』

 ヒポグリフが赤ん坊に対して警戒音を発する。

 魔族ではなく、敵と認識している種族の子であれば、ヒポグリフのこの反応も仕方ない。

 「相棒、少しの間だけ我慢してくれ」

 ボッシュはそう言うと、西に針路を取った。

 荒野を抜けると、徐々に草木が増えてくる。

 更にしばらく飛行すると、シャフローネ山脈へ通じる道端の岩陰に赤ん坊を置いた。

 「もしも散り散りとなったお前たちの仲間が、偶然ここを通ればお前は助かるだろう。お前に強運があればの話だがな」

 ボッシュはそう言って赤ん坊の頭をやさしく撫でると、すぐにその場を後にした。

 帰途の途中で、他の女騎士たちと合流し、彼女らが発見したという東方人の状況について聞いておく。

 「200人の東方人は全て普通の民のようで、本国の島から流れ着いて、訳も分からず平原を彷徨っていたみたいだ」

 マールシェがそう言うと、コスメールが同調してきた。

 「そうそう!こっちも同じで、海岸に打ち上げられたんだって。先行部隊のことは知らないみたいだったよ?」

 「だったよ?」

 ボッシュが何気なく聞き返した。

 「うん。もう全員殺しちゃったからね」

 まあ、そうだろう。魔族に攻撃を仕掛けてきたやつらだ。容赦する必要はない。

 「マールシェの方は?」

 「こっちも片付けた」

 「そうか。じゃあ町に帰還しよう。状況を整理したい」

 「「了解」」

 ボッシュは一路、屋敷に向かってヒポグリフを飛ばした。

 

 

 一方、ボッシュが赤ん坊を道端に置く所を、偶然遠くで息を殺しながら見ている者がいた。

 「ボッシュ殿……!うぐっ!」

 「巫女様!お静かに!」

 小梅に口を抑えられ、ボッシュに声をかけるのを制止された皐月の巫女は、その手を振りほどくとボッシュの行動を黙って見守った。

 ボッシュは何かを岩陰に置くと、すぐにヒポグリフに乗って飛び去ってしまった。

 「ボッシュ殿……一体あの岩陰で何をされていたのでしょう?」

 皐月は草陰から道に出ると、ボッシュがいた岩へ向かって走り出した。

 「巫女様……!危険ですから、そのように目立つ事は避けて下さい!」

 小梅が慌てて皐月に駆け寄ると、皐月の背中を押して中腰にする。

 「もう!普通にしているのと中腰でいるのとで、何の違いがあるというの?」

 などと文句を言う皐月だったが、岩陰までたどり着くと驚きの声を上げた。

 「どうしてこんな所に人間の赤ちゃんがいるの!?」

 その声を聞いて、小梅が皐月の前に出て赤ん坊を抱き上げた。

 「まだ生きています……この寝巻、間違いなく我が民です」

 「まさか、ボッシュ殿がこの子を救ってここに連れてきたの!?」

 「敵であるボッシュ殿がですか?……巫女様、いくらなんでもそれは無いと思います。そもそも、どうしてボッシュ殿が赤ちゃんを連れているんですか?」

 「そんなことは私にもわかりません。しかし、ボッシュ殿がこの小さな命をお救いになった事だけは事実です!」

 皐月はそう言うと、両手を組んで天に向かってお祈りを始めた。

 「ああ、神よ!ボッシュ殿は魔族でありながら、遂に人の心を手に入れました……ボッシュ殿に幸あれ!」

 「ちょっと、巫女様!敵将を祝福してどうするんですか!?それにあの方は助けた命をまた道端に捨てたじゃありませんか!」

 小梅が慌てて皐月の腕を掴むと、すぐに道端の草むらに向かう。

 「もしかすると、改心出来るかも知れません。私がボッシュ殿をお救いしなければ……!」

 「何を訳の分からない事を言っているのですか?とにかく、早く先へ進みますよ?他の者達も待っているはずです」

 小梅はそう言いながら腕の中の赤ん坊に目をやると、その顔は綺麗に汚れが拭き取られていることに気づく。

 まさか……あの魔族の赤い騎士が!?

 小梅は内心で驚きながらも、それは表面には出さず、とにかくドワーフのコロニー跡があるという場所に急ぐ必要があったので、ボッシュの事はひとまず後回しとした。




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