接触
ソイマンから敵は人間であるという報告を受けたアスモデウスは、意外にも表情を変えずに「ご苦労」と偵察任務に対して労いの言葉をかけると、自分の考えを口にした。
「お前の話を総合すると、グラード以外にも人間がいた、という事になる。そして、その人間がホゼイランを占領した……理由はどうであれ、我々に敵対して来たもの達だ。そのまま野放しにする事はできない……」
アスモデウスはランタンの薄暗い明かりの中でそう言うと、目の前で跪くソイマンに一言だけ確認した。
「ソイマン……お前は先鋒として、その務めを果たす事ができるか?」
「勿論でございます。この命に懸けてご期待にお応えします」
ソイマンは間髪入れずにそう答えた。
アスモデウスは満足そうに頷くと、椅子から立ち上がり「攻撃準備」を下した。
軍に随行していたネクロマンサーは、アンデッドを召喚すべく一斉に黒魔術の儀式を開始した。そしてアスモデウス自身も多数のスケルトンを召喚すると、敵を討ち滅ぼすことを命じた。
ソイマン率いる先鋒軍の内訳は、レイス:1000体、バンシー:1000体、スケルトン:3000体、オーク:100体、ゴーレム:2体であり、完全にアンデッドに偏った編成となっていたが、これは敵がどのようにアンデッドを倒したのかを見極めるための作戦であった。
日はすでに落ち、月明かりだけが公路を照らす中、ソイマンは進軍開始の命令を下した。
この時、ソイマンには一つの考えがあった。
それは敵陣を偵察した時に感じた、敵の『備え』についてだった。
町は柵を巡らし、矢倉を建て、土嚢を積んでいた……一見、しっかり備えているように感じるかも知れないが、実はすでにソイマンは敵陣を突破しているのである───つまり、敵は空に対する警戒は完全に想定していなかったのだ。
更には、地上の防御方法にも問題があるように見えた。
あのような柵を設けても、霊体であるバンシーやレイスには全く通用しないし、ゴーレムのように4メートルもある巨人にとっては、柵や土嚢など、そこにあって無いようなものだ。
もっと言えば、そもそも全てが木製という点も問題だ。この大陸には炎を吐く種族は多く存在するし、火を生成する魔法だってある。だからこそ建造物には、火に耐性がある石が使われているのであるが、こうして見るとあまりにも文化が違いすぎる。
そして、かの者たちは、今まで見た事が無い甲冑や服を身に着けていた………これらの事象を総合して考えると、ある考えが浮かび上がる。
「あの人間たちはこの世界の住人ではない。そして、この世界のことを何も知らないはずだ。……我々が向こうの事を知らぬようにな」
であれば、知識を蓄積される前に全滅させれば良い。
ソイマンも当初は相手の出方を窺おうと思ったが、同じ人間であるのなら知能はかなり発達しているはずであり、戦いが長引けば長引くほど人間という生き物は厄介さを増すのだ。
それらを踏まえて、ソイマンはバンシーを最前線に置き、次いでレイス、スケルトンとアンデッドを配置した。そして自らは上空から敵の動きを逐一観察しようと考えていた。
ソイマンの先鋒隊は山間部を抜けると広い平原に出た。
この場所こそがサラミス平原であり、公路の先に見える僅かな光が目的地のホゼイランだ。
ソイマンは、先鋒隊の全軍がサラミス平原に揃ったのを確認すると、ヒポグリフの上で斧を高々と掲げ「突撃!」と大きな声で叫んだ。
するとバンシーが泣き叫びながら一斉に前進を開始した。
バンシーは幼い少女の霊体で、その顔はシワシワで苦悶の表情をしており、かなり抜け落ちた黒く長い髪を振り乱し、緑色の服に灰色のマントを靡かせながら空中を飛んで移動するが、その体は下半身は無く両手を前に出しながら、大きな声で泣き叫びながら飛び回るのだ。
その声は数キロ先まで聞こえるほどの大音量であり、人が泣き叫ぶ声のような、それでいて動物が発する断末魔の様な何とも形容し難い、絶叫と呼ぶに相応しい声を発するのだが、ある程度知能があり、音響耐性が無い者がこの声を聞くと、あまりの恐怖にすくみ上り、動くことができなくなってしまう。この時、同じ霊体で、いわゆる人魂であるレイスに触れられると、その者の魂は肉体から抜け出てしまうのだ。
月夜のサラミス平原にバンシーの絶叫が響き渡り、遂に戦いの火蓋が切って落とされると、魔族は一斉に敵陣に襲いかかるのだった。
最初は何の音かわからなかった。
だが、心は何故かどんどん不安定になって行く───。
そんな思いからなのか、異変を察知した敵は自ら門を開け放つと、がむしゃらに突撃を敢行してきた。
それこそが魔族の思うつぼなのだ。
敵対する者の心の隙を突く。これが魔族の真骨頂なのだ。
突撃をしてきた敵は、次々とバンシーによってすくみ上り、レイスによって次々と恐怖の中で死んで行った。
そのような中でも精神力がある者は、バンシーの絶叫の中でも辛うじて動くことが出来た。
しかし、残念ながらそれも悪あがきでしかなかった。
夜目が利かない人間という種族は、基本的に夜行性である魔族には為す術もなく切り伏せられる運命にある。しかも、スケルトンという戦うために生まれた狂戦士が相手となれば、人はあまりにも分が悪かった。
敵はサラミス平原に次々と死体の山を築き、恐怖に怯え、逃げ惑った。
ソイマンは上空からこの様子を見ており、このまま行けば魔族が町を奪還するのも時間の問題だと考えていた。
だが、敵は徐々に統制が取られ、落ち着いて行動する姿が見られるようになってきた。
篝火を点けたり火矢を放って周囲を照らし、敵の戦力を見極めようとする動き。
無駄に突出するのではなく、防衛ラインを築いて徐々に後退する動き。
何より、バンシーによる恐怖に打ち勝つ精神力……普通の人間にはそのような強靭な心は持ち合わせていないはずだ。
それが末端の兵士までをも奮い立たせ、恐怖に打ち勝つほどの圧倒的な存在が敵にはあるに違いない……。
ソイマンは、これほど早く敵が霊体に対して適応してくるとは思ってもいなかった。
今やバンシーの叫び声ですくみ上る者はほとんどおらず、霊体だけで敵部隊を潰走させる算段が見事に崩れてしまっていた。
「だが……」
ソイマンはニヤリとほくそ笑んだ。
「……疲れる事を知らないアンデッドを相手に、どこまで耐えることが出来るかな?」
上空で旋回しながらソイマンが興味を持ってその様子を見ていると、ちょうど3000のスケルトン部隊が敵陣に対して、一斉に突撃をかけている所だった。
スケルトンには筋肉は無く、完全なる骸骨の姿であるため、一見するとひ弱に見えるのだが、魔法によって生前の時よりも数倍ものパワーを与えられているため、戦闘力は非常に高かった。
尚、今回のスケルトン部隊は人型の種族だけが召喚されており、元々の種族は人間、オーク、ドワーフの混成部隊となっていた。
敵は接近戦による消耗を抑える為に、前線を下げつつ遠巻きで弓矢を一斉に放った。
しかし、スケルトンは骨しかないため、弓矢によるダメージはほとんど与えられず、時間稼ぎにもならなかった。
その時、門から凝った木工細工が施してある輿が現れた。
輿は女官だろうか……前6名、後ろ6名の女性たちが木製の輿を担いでゆっくりと前に進んでいた。その輿には祭壇が置かれ、その前にこれも奇妙な出で立ちで、上半身は白色で前面で着合せ、胸から下が赤色の襞が付いたキュロットにも似たものを着用した少女が座っていた。右手には玉串、左手には勾玉を握り目を閉じて精神を集中しているように見える。
「巫女様がお見えなったぞ!」
「おお!巫女様!」
敵は途端にモチベーションがぐんと高まり、その少女が乗る輿を中心とした陣形に移行して行く。
「あの娘が敵の総大将ということか……?」
ソイマンは上空で旋回しながら独り言のように呟いた。
「さあ、どうする?このままだとアンデッドに蹂躙されてしまうぞ?」
まるで第三者のように戦況を見守るソイマン。
輿の上の少女はゆっくりと目を開くと、左手の勾玉を天空に向け何かの図形を描き始めた。勾玉が描く場所が白く輝き始める。
ソイマンはその図形から近過ぎる場所に居たため、全容を見るために更に高度を上げた。すると夜空に白く輝く逆五芒星が完成していた。
「これは……何だ……!?」
夜空に大きく描かれた逆五芒星はこの戦場を覆うほどの大きさで、不気味に白く輝きながら地上を照らしていた。
少女はぶつぶつ何を唱えながら右手の玉串を小さく振っている。
見る見るうちに、左手の勾玉が白い光を放ち始めた。
少女はそれを夜空に輝く逆五芒星の頂点に向けると、大きな声で叫んだ。
「滅!!」
少女は一気に左手の勾玉でその逆五芒星を両断した。
逆五芒星は砕け散り、光の粒子が地上に降り注いだ。
その白く輝く光の粒子は、敵味方を問わず逆五芒星の直下に居た者達全員が浴びる事となった。
「!?」
ソイマンはすぐに異変に気が付いた。
アンデッドの動きがピタリと止まっている……。
レイスやバンシー、更にはスケルトンまで完全にその状態のまま固まって動かくなっていた。
全ての光の粒子が地上に降り注ぎ終わると、今度はアンデッドの体から光の粒子が上昇して行った。
まるで体から煙が立ち昇るかのように、全てのアンデッドから光の粒子湧き出ていたが、同時に体が光に溶け込んで徐々に消えていた。
戦場にはおびただしい数の光が天に向かって立ち昇り、まるで花粉が風に乗って舞うように上昇して行く。
「こ……これが……アンデッドを葬った……敵の秘策……なのか……?」
ソイマンは上空で旋回しながら、地上から舞い上がってくる大量の光の粒に圧倒されながら呟いた。
アンデッドの体は光の粒子となって空に飛んで行き、遂には全てのアンデッドが地上からその姿を消していた。
「な……何と言う力だ……。5千のアンデッドが……一瞬で……全滅しただと!?」
この目で一部始終を目撃したソイマンだったが、眼下で繰り広げられたものは、全く信じられるものではなかった。あんなものを多用されれば圧倒的な強さを誇る悪魔であっても苦戦は免れないだろう。
突然アンデッドという支えを失った魔族軍は徐々に押され始めた。
「全軍撤退せよ!私は中央の敵を食い止める!両翼はゴーレムが支えよ!」
ソイマンはそう言いながらヒポグリフを急降下させると、敵の最前線の頭上を掠めるように低空で通り過ぎる。
するとその後を追うように衝撃波が敵を襲い、敵兵は土煙と共に吹き飛ばされた。
ソイマンはそのまま敵の頭上を進み、女官が乗る輿を強襲しようと前を見ると、少女は輿の上でぐったりとした状態で倒れ込んでおり、それを担ぐ女官らは急いで戦場から離脱しようとしているのが見えた。
「……なるほど。あの術はかなり体力を消耗すると見える」
ソイマンは衝撃波を当てるべく、ヒポグリフを少女が乗る輿へ向ける。
敵兵をなぎ倒しながら低空で敵陣深く侵入するソイマン。
「!?」
ソイマンは鞍上で咄嗟に大斧を上段に構えると、その瞬間、凄まじい斬撃がソイマンを襲った。
金属音と共に目の前で激しく火花が散る。
そこにはヒポグリフの高さまでジャンプし、勇敢にもソイマンへ切りかかってきた男の姿があった。
男は落下しながらソイマンを指さし大声で叫んだ。
「裏切り者め!この俺と勝負しろ!」
ソイマンは一瞬、誰の事を言っているのかわからなかった。
「裏切り者……だと?」
ソイマンはいろいろな意味で驚いていた。
敵が自分達と同じ言葉で話しかけてきた事、そして、初対面の自分に対し……しかも5色騎士団の団長である自分に対して、裏切り者呼ばわりしてきた事……そして、何より……。
「この私に勝負を挑んでくる者が現れるとは!……久しぶりだ……この湧き上がる感覚!」
ソイマンはヒポグリフに着陸を命じると、敵中のど真ん中に降り立った。
敵はソイマンを一定の距離を保って取り囲むと、ジリジリとその範囲を狭めてきた。
ヒポグリフはそれを見て、咆哮を轟かせた。
その声は大気がビリビリと震えるほどの大音量で、取り囲む範囲を狭めていた敵は驚きふためいて、包囲の輪を広げたのだった。
ソイマンはヒポグリフからゆっくりと降りると、3歩ほど甲冑の音を響かせて前に出た。
「私は魔族先鋒軍指揮官にして5色騎士団団長のソイマンだ」
そう言いながら大斧を軽々と肩に担ぎ上げる。
その仕草を見て、敵中から「おおっ」と感嘆の声が上がった。
これを受けて、先ほどソイマンに切りかかった男が進み出てくる。
くせ毛の黒髪はボサボサで白髪が混じっており、右の頬には斜めに刀傷の痕が目立つ。胴と籠手、脛当てくらいしか防具は無いようで、陣羽織という赤地に金色の刺繍がされた派手な袖なしの上着を着ており、腰には二本の刀を帯剣していた。勿論、防具も刀もソイマンは初めて見るものだった。
ボサボサ頭の男は歩きながらソイマンに話しかけた。
「ほう……やはり俺たちと同じ言葉を使うのか……。それにしても、良く敵の真っただ中に単騎で降り立ったものだ。よほどの馬鹿か、もしくは………よほどの手練れという事か?……おい、お前ら!これは1対1の勝負だ!誰も手出しするんじゃないぞ!?」
そう言うと男は立ち止まってニヤリと笑った。
「……俺の名前は時宗<ときむね>だ。一応、この軍勢を率いている者だ。まずは俺の呼びかけに応じてくれた事に礼を言おう」
「いや、礼は不要だ。私もちょっと興味があったものでな」
「そうかい」
時宗はぶっきらぼうに答えると、左手を鞘に添え、右手をいつでも刀を抜けるように構える。
ソイマンは大斧を両手で持つと自分の目線と同じ高さで構え、時宗との距離を測りながらじりじりと前進する。だが、時宗は自分から勝負を挑んでおきながら、一向に剣を抜こうとしなかった。
「抜かないのか?」
相手の真意を知るためにソイマンが聞くと、時宗は全く集中を切らすことなく答えた。
「俺の剣技は居合術と呼ばれるもので、この状態が正規の立会の状態だ。気にするな」
「なるほど……」
剣を抜かない状態から始まる剣技とはな……面白い!
ソイマンは俄然、目の前の男に興味を抱いた。
時宗と名乗る男は、私の動きから目を離さないよう、全身全霊でこちらの動きを見切ろうとしている、いわば受け身の剣……つまり、この私よりもスピードに自身があり、私の攻撃を受け流す自信があるということか。
「では、お手並みを拝見しようか」
ソイマンはそう言うと、無造作に、それでいて凄まじい速度で大斧を振り下ろした。
「!!!」
時宗は抜刀途中の刀で大斧を受け流しつつ、そのまま刀を返して必殺の一撃を狙っていた。
だが、ソイマンが振り下ろした鉄の塊はあまりにも速く、あまりにも重かった。
火花を散らして刀を滑る大斧の威力は、完全に受け流すことは出来ずに、そのまま体ごと吹き飛ばされた。
地面に転がった時宗の手は痺れ、鞘から完全に抜き放つ事が出来なかった刀身は刃こぼれしてガタガタとなっていた。
──つ、強い!
時宗は一度剣を交えただけであったが、ソイマンの力を思い知った。
これまで自国にあって、自分より強い者など誰もいなかった……だが、この大陸は何もかもが違っていた。
得体の知れない化け物が大挙して押し寄せ、やっと同じ人間に出会えたと思ったら、空飛ぶ化け物に乗り、鬼神の如き強さを誇るとは……!
時宗はすぐに立ち上がると、刃こぼれした刀を抜き放ち、更に脇差も抜刀し左手で握りしめた。
二刀流……そもそも刀とは二刀流で使うものなのだ。左手で敵の攻撃を払い、がら空きの敵を右手で切りつける。これこそが刀の極意なのだ。
時宗は半身になってソイマンと対峙した。
「すまなかった。貴方には最初から全力で挑まねばならなかったようだ……」
「うむ。では時宗とやら……貴殿の全力を見せてもらおう」
ソイマンは大斧を右肩に担ぐと、今度は時宗が攻撃してくるのを待った。
それを見て時宗は苦笑した。
……何たる余裕と風格!
ソイマンと言ったか……自由に打ち込んで来いと言うが如く、構えもせずこちらの動きを観察しておるわ……だが、隙が無い。打ち込む隙が全く無いのだ。
そこまで考えると、時宗は自らを嘲笑した。
その隙を作るのが自分の剣技ではないか!?
時宗は意を決すると、真っ直ぐに切り込んだ。
ソイマンはそれに合わせるように大斧を振り下ろす。
斧が時宗の頭を捉えるその瞬間、時宗の体は残像のように透け、大斧が空を切った。
するとソイマンの左側面にその姿を現し、一気に懐に飛び込んでくる時宗。
ソイマンは振り下ろし空を切った大斧をそのまま思いっきり地面に叩きつけた。
すると、その衝撃波はソイマンを中心として放射状に放たれた。
時宗は突然、空気の壁のようなものに激突したかと思うと、そのまま5メートルほど吹き飛ばされた。
咄嗟に左腕で体を庇ったため、致命傷とはならなかったが、肋骨と左腕は骨折していた。
ソイマンはうずくまる時宗を見下ろしながら近寄る。
「うむ……スピードだけなら私よりも速いかもしれぬが、所詮は子供だましの技だ。私には通用しない」
「……そ、そのようだ……な……」
時宗はそう言うと刀を地面に突き刺し、そこに体重を預けながらヨロヨロと立ち上がった。
『時宗様!』
『時宗様をお守りしろ!』
『この者を一歩も近づけるな!』
周囲の兵士らが時宗の前に壁のように立ち塞がり、全員が決死の覚悟でソイマンに向かって刀を向けた。
「やめろ!……誰も手を出すなって言ったはずだ……!」
時宗は目の前の人垣を掻き分けながら進むと、再びソイマンと対峙した。
「随分と慕われているようだな?」
ソイマンが大斧を右肩に担ぎながら時宗に話しかけた。
「まぁな。人望と面の皮は厚い方なんだ……」
時宗はそう言うとニヤリと笑った。
ソイマンはこれを聞いて大きな声で笑った。
時宗も一緒になって笑い始める。
ソイマン自身も驚いていた。こんなに大きな声で笑ったのは何十年ぶりだろう?少なくとも魔族になってからは一度も無いはずだ。
「……時宗。貴殿との勝負は次の機会まで預けておく。それまでに出来る限りその体を回復させておくがいい」
「ソイマン………わかった。次に会うときを楽しみにしている」
「うむ」
ソイマンは頷くとヒポグリフを呼び、その鞍の後ろに大斧を括り付けると、おもむろに自分のヘルムに両手をかけると、ゆっくりとヘルムを外して素顔を晒した。
白髪交じりの頭髪に立派な髭が印象的で、その表情は威厳に満ちていた。
「……また戦場で会う事を楽しみにしているぞ」
ソイマンはそう告げると、ヒポグリフにひらりと跨り、一気に上昇を開始した。
周囲は土埃が巻き上げられ、目を開けていられないほどだった。
ヒポグリフは上空で一鳴きすると北に向かって飛んで行った。
それを見送る時宗は独り呟いた。
「あれこそが本当の武人だ……俺如きはまだまだひよっこだった……でも、何故敵にいるのだ?……なぜ……」
時宗はしばらくの間、北方の夜空を見つめていた……。
◆
ホゼイランを奪った東方人は、大陸の東の海を隔てた更に東にある小さな島国の民だった。
悪魔が統治するラーゼラル大陸……神々にとっては、本来であれば人に『神の知恵』を授け、それを以って人は悪魔を討つはずだった。
しかし、蓋を開けてみれば悪魔が勝利し、人は魔族に降り、悪魔は大陸を統治することになった。
「それも運命」
と、神々もその結果を受け入れていたのだが、30年もの年月が過ぎると、神も天界にあって再び刺激を求めるようになっていた。
そもそも地上の生物の中で一番愛し、その手助けをしてきた人間が魔族に堕ちるなど、あってはならぬことなのだ。
そこで神々が目を付けたのが東方人だった。
小さな島国で暮らす東方人は、巫女なる者を使い、神を信仰する民だった。
神々はこれは好都合と、戯れにその巫女なる者達に『神の力』を授け、同時に神の言葉として「海を隔てた西の大陸を支配する邪悪なる者を討ち滅ぼすべし」と命じたのだった。
外の世界を知らぬ東方人らは、神のお告げとなれば命がけで事に臨んだ。
12人の巫女から3人を選び、第一次討伐対として大陸に派遣した。
その地で、東方人らは愕然とした。
得体の知れない化け物が大地を闊歩し、人間の姿は皆無であったのだ。
これこそが神のお告げにある『邪悪なる者』に間違い無しと判断した東方人は、ホゼイランを邪悪なる者から解放するという名目で戦いを挑み、辛くも勝利したのだった。
だが、村の中には人の姿は無く、周囲に斥候を出すがやはり怪物の姿しか発見できなかった。
東方人らはとにかく拠点となる町を作るべく、山から木材を切りだして家屋を建て、畑を耕し町の規模を大きくしていった。
そのようなある日、空飛ぶ人間が現れたと聞き、時宗は部下を連れて急いで屋敷を飛び出した。
「人間がいた!」
時宗は喜んで門の上に駆け上がると、その人間は怪物に跨り、こちらを観察するように上空を旋回していた。
その人と呼ばれる者は、見た事が無い金属の鎧を着ており、化け物を自在に操りながらこちらを眺めていた。
時宗は同胞と思っていた。
だが、自分達を見下ろすその姿は、完全に敵対しているように見えた。
「弓を用意しろ」
時宗は部下に命令した。
「しかし、あれは人間に見えますが……!?」
部下も命令であっても、やっと大陸で出会った人間に射掛けるのは躊躇われていた。
「奴が乗るのは化け物だ。もしかすると、我々が討ち取った化け物たちの仲間かもしれぬ……弓を用意しておけ!」
時宗は部下に向かって叫んだ。
この命令は矢倉の兵士たちにも伝わり、弓の準備を行った。
すると、突然、高度を下げながら猛スピードで、こちらに向かってくるではないか。
「あれを射よ!」
時宗は大きな声で命令した。
弓矢は一斉に放たれたが、接近する空飛ぶ化け物には全く当たらない。
「何をしておるか!?次を射よ!」
時宗が叫ぶが、その時はすでに怪物は門を通過していた。
「速い!速すぎる!」
兵士たちは全く怪物の速度についていけない状態だった。
運よく化け物は高度をとると、北の方角へ飛んで行ってしまった。
「助かった……のか……?」
時宗はその恐ろしさを目の当たりにすると、すぐに屋敷に戻って今後の対策を練る事にした。
奴はまた現れる……おそらく次に会うときは、大軍勢を引き連れてここにやって来るだろう。
「化け物に魂を売った人間……不浄なる者など絶対に許すことはできない!」
この時、時宗は大陸の人間と戦う事を決意したのだ。
このような事があったからこそ、ソイマンに切りかかった時に時宗は「裏切り者!」と叫んだのだった。
だが、実際にソイマンという者に会ってみると、鬼神の如く強さを誇りながらも、威厳と尊厳に満ちた立派な武人だった。
「弱き者をみくびらず、蔑まず、一人の武人として俺と相対する度量……まさに武人の鑑と言える者だった……」
時宗は布団の中で仰向けになりながら呟いた。
その傍らで酒が入った陶製の徳利を手酌で注ぎ、ぐっと飲み干す男の姿があった。
「お前にそこまで言わせるとは、敵は相当な猛者だったようだな?」
この男は影千代<かげちよ>と言い、時宗に次ぐナンバー2の実力の持ち主だった。目は切れ長で鼻は高く、黒髪は後ろで一つに束ねて結んでいた。時宗が寝込んでいると聞き、酒を持って訪ねてきたのだ。
「俺なんて全く相手にならないほどの強さだったぞ!?」
「なるほどな。その敵に散々やられて戻って来た挙句、巫女様に体を癒してもらい、今は布団の中でヤケ酒を煽っているって訳か」
「酒を飲んでいるのはお前だけだろう!?俺は巫女様の言いつけを守って大人しく寝ているだけだ」
「ちげぇねぇ……」
影千代はそう言いながら、御猪口に酒を注ぐと、再度一気に飲み欲し「ぷはーっ」と息を吐いた。
すると影千代は真剣な表情になると、自分が持つ御猪口を見つめながら時宗に話しかけた。
「敵はすぐにやって来ると思うか?」
この問いに、時宗は天井を見つめたまま「ああ」とだけ答えた。
影千代は「そうか……」と言いながら酒を煽ると、更に続けた。
「……皆、不安になっている………そりゃそうだろう……我が軍で最強と呼ばれるお前が手も足も出なかったのだからな……だが、再びお前が全軍の前に顔を出せば、多少なりとも不安が解消されるだろう……」
「わかっている……」
時宗はそう言うとゴロンと横になり、影千代に背中を向ける。
影千代は更に独り言のように呟いた。
「我が巫女様はしばらくの間は回復に専念されるだろう……おそらく、これからが本当の戦いになるだろうな……」
影千代はそれ以上何も言わずに、蝋燭の明かりの中、一人酒を煽っていた。