それは東より来たる
赤色で統一された馬車が夕日を浴び、更に燃えるような赤となっていた。
その馬車を引くのは装甲装飾されたヒポグリフで、大空を駆けるように力強く飛んでいた。
ヒポグリフとはグリフォンと馬の間に生まれた生物で、上半身はグリフォン、下半身は馬の姿であり、グリフォン同様、翼で空を飛ぶことが出来る。そのため、魔族の間では移動手段としてヒポグリフを使う事が多かった。
その真っ赤な馬車には、同じく赤色の甲冑を身にまとった金髪でくせ毛の人間が窓の外を眺めていた。
本来、ヒポグリフは人嫌いであるため、基本的になつくことは無い。だが、この赤い甲冑の者は魔族であるため、なんら問題は無かった。
赤の騎士ボッシュは大魔王サタンの要請に応え、魔都にある『天地の塔』に向かっていた。
『天地の塔』は、下は地獄に繋がり、上は天界に至ると言われる、大魔王サタンが住まう巨大な塔である。すでにボッシュの目前にも空を貫いてそびえ立つ不気味な黒い塔が迫っていた。
ボッシュが座る椅子の傍らには、ヘルムと大剣が置かれており、開け放たれた窓から入り込む風で金髪がなびいていた。青色の瞳で外を眺める男の年齢は23歳。その実力は悪魔にも認められるほどで、将来を有望された青年であった。
──今から30年前。
大魔王サタンは『6柱』と呼ばれる悪魔将軍を使い、遂にこのラーゼラル大陸の統一に乗り出した。
元々この大陸には神に創られし人間が、他種族と共存しながら暮らしていたのだが、神の寵愛を一身に受ける人の存在が気に入らない魔族は、その圧倒的な力で支配しようと目論んでいた。
他種族と比べ、一番非力である人間は魔族の前ではあまりにも無力で、種が絶えるのも時間の問題と思われていた。
それを天界から眺めていた神は、このまま愛すべき人間が滅びるのは忍びないと感じ、戯れに人に対して『神の知恵』を授けた。
『神の知恵』とは、所謂、錬金術であり、魔族を倒すことが可能な武具を作り出す知恵を人に与えたのだった。
これにより形勢は一気に逆転し、遂に人は『天地の塔』にまで魔族を追い詰めた。
しかし、それは天をも貫く塔である。
人はどうしても塔を攻略する糸口が見つからず、長年に渡る戦いで疲弊した人は、魔族に大敗を喫したのだった。
それ以来、人は魔族として生きることになり、大陸にいる全ての人は生まれながらにして、サタンに対して絶対忠誠を誓う事になったのだった。
こうして魔族が大陸を支配する事となったのだが、その統治方法は絶対的な力による支配だ。
確かに力の支配は暴力的な側面が色濃いが、普通に暮らすだけであれば、シンプルでわかりやすい統治方法であり、魔族の力をもってすれば非常に効果的で合理的な方法なのだ。
サタンは力ある者は種族に関係なく厚遇した。もちろん、人間に対しても同じだった。
『血の盟約』により、生まれながらにして魔族だったボッシュは、魔族である事を誇りに思っており、呼ばれればいつでもすぐに馳せ参じようと、いつもそう心掛けていた。
やがてボッシュが乗る馬車は『天地の塔』に到着すると、すでに開け放たれた『天空の門』と呼ばれる黒岩石で出来た門を通過する。
その先は同じ黒岩石で出来た平らな広場になっていて、横には馬車を止めるスペースがあったが、いつも通りボッシュが一番乗りのようで1台の馬車も止まっていなかった。
ボッシュは広場に降り立つと、ヒポグリフに停留所で待つように指示をする。
ヒポグリフは短く吠えると、広場の横のスペースに移動した。
ボッシュはヘルムを左の小脇に抱え、右手で鞘に収まった大剣を握りしめ、マントを翻して歩き出した。
この場所は地上数百メートルもの上空にあり、塔から張り出すように形成されていて、基本的にはここ以外から塔の内部に入る事は出来なかった。そのため、過去の人間は空を飛ぶ手段が無く、どうしてもこの塔を攻略する事が出来なかったのだ。
ボッシュの目の前には巨大な扉が閉まっていたが、ある程度近づくと、大きな音と共にゆっくりと外側に開き始めた。
扉は人が十分に通れるほどの幅まで開くと自動的に止まり、ボッシュがその隙間を通り抜け塔に入ると、再び扉は大きな音と共に自動的に閉まった。
塔の通路は巨大な洞窟になっていて、両側には篝火が並び通路を薄暗く照らし出していた。
ボッシュはガチャガチャと甲冑の音を響かせながら先に進むと、塔の上下を貫いた巨大な空間に出た。
そこには何体ものドラゴンフライという生物が優雅に飛行しており、一瞬、ここが塔の中であることを忘れてしまうような光景だった。
この大きな縦穴は、上を見ても下を見ても漆黒の闇が広がり、この空間がどこまで続いているのか見当もつかなかったが、塔を上下に移動するには、この場所を使う以外なかった。
ボッシュは無言で巨大な穴に張り出した木製の桟橋を進むと、その先端に1体のドラゴンフライが巨体を並べた。その姿は妖怪『一反木綿』に4枚の羽を付けたような姿をしており、一見するとドラゴン族とはかけ離れた姿をしているが、それもそのはず、名前にはドラゴンと付いているが実際には巨大な大人しい昆虫の仲間である。
この昆虫は塔の中を自由に回遊しており、希望する者がいれば目的の場所へ連れて行ってくれるのだ。そんな普段は大人しいこの生物は、ドラゴンの名がついている通り、威力は弱いながらも『炎の息』<ファイア・ブレス>を吐くことができるため、塔の守護者の役割も担っていた。
ボッシュは、そんなドラゴンフライに躊躇することなく近づくと、桟橋からその背中に飛び乗った。
「サタン様が待つ大広間まで頼む」
ボッシュがそう言うと、ドラゴンフライは高音で一鳴きしてからゆっくりと上昇を始めた。
この『天地の塔』には階段は無く、そもそもフロアという概念もない。上下の移動は、もっぱらこのドラゴンフライに乗り、行き先を告げて連れて行ってもらうのだ。
従って、自分がこれから向かう大広間が塔のどの位置にあるのかは、ボッシュ自身もわかっていないのだった。
まあ、本家の悪魔達は自力で飛べるので、天空の門から大広間までの行き方くらいは知っているだろうが、塔の全体像はサタンしか把握していなかった。
ボッシュは暗闇の中、何とも言えない浮遊感に身を任せていた。この感覚は何度体験しても全く慣れる気配がなかった。
ドラゴンフライの乗り心地は、ヒポグリフとは比べられないほど「不安」なのだ。
そうこうしていると、徐々に上昇するスピードが落ちて行き、桟橋の前で停止した。
ボッシュは桟橋に飛び降り、ドラゴンフライに礼を言うと、その巨大な昆虫は高音で鳴いてからゆっくりと桟橋を離れ、再び塔の中を回遊するために闇の中に消えて行った。
ボッシュはそのまま洞窟のような通路に入って行くと、すぐに少し開けた明るい場所に出た。
正面には、篝火で照らし出された大きな観音開きの扉があり、その両側には巨人族である土色の肌のトロールの姿があった。
トロールは身の丈が3メートルほどある巨人族の仲間で、太陽光が苦手なトロールはこの塔中で、サタンから要所の守備を任されていた。
筋骨隆々のトロールは知能がそれほど高くないため、逆に余計な事を考えず与えられた仕事だけを愚直に行うので、魔族からは非常に重宝されているのだ。
ボッシュは扉の近くまで進むと、2体のトロールがのそりと扉の前に移動しボッシュの行く手を阻む。
この2体のトロールとはもう何度も会っているが、全く融通が利かないトロールは毎回ボッシュを通してくれないのである。
だが、それが彼らの仕事なのだから仕方ない……ボッシュはそう割り切っていつものように大きな声を出した。
「私は『5色騎士団』の一人、赤騎士のボッシュ!サタン様の命により参上仕った!ここを開けられよ!」
ボッシュの声が洞窟内に反響する。
すると、どこからともなく女の声が聞こえてくる。
『よく来た、ボッシュよ。さあ、通るが良い』
女がそう言うと同時に2体のトロールは背を向けると、扉に取り付けられている大きな金属製の丸い取っ手を両手で握り、全力で引き始めた。
地鳴りのような音を響かせながら、高さが5メートルはある巨大な扉が観音開きにゆっくりと開き始める。
ボッシュは歩を進めると、その隙間から中に入って行った。
それを確認したトロールは、今度はゆっくりと扉を内側に押して扉を閉め、自分達の定位置である扉の両脇に戻った。
ボッシュは、檀上の玉座まで続く赤い絨毯の上に乗ると跪いて頭を下げた。
「ボッシュよ。近こう寄れ」
先ほどの女の声が響く。
ボッシュは立ち上がると、絨毯の中央を進んで行く。
その両サイドには魔族の幹部達が並んでおり、人間であるボッシュを蔑むように見つめていたが、ボッシュは堂々と玉座だけを見てそのまま最前列まで歩を進めると、右側にズレて絨毯の中央を空けた状態で跪き、右手の大剣をそっと床に置いてから改めて口を開いた。
「赤の騎士ボッシュ、只今参上しました」
すると檀上の向かって玉座の右側に立つ者がこれに答えた。
「ご苦労さま。相変わらずそなたが一番乗りとは、全く殊勝なことですね?」
すこし皮肉めいた言葉を発するこの女性の声は、先ほどから聞こえてくる声の主だった。
頭から漆黒のローブを被り、右手には杖を持ち、左腕から手に掛けて毒蛇が巻き付いていた。黒髪がローブのフードから見え隠れしていたが、その表情は全く見ることが出来なかった。
「はっ。有難うございます、アスタロト様」
勿論、ボッシュも皮肉と知って礼を述べているのだ。
その誰にも屈しない、ひょうひょうとした態度がアスタロトの鼻に突く。
「……まあ、よろしい……ボッシュよ。残りの者達はいつ到着するのです?」
「すでに……」
ボッシュがそう言うのと同時に、外から大きな声が聞こえてきた。
『緑の騎士ソイマン以下、黒の騎士マールシェ、白の騎士ザライドマセル、青の騎士コスメール、サタン様の参集に応じ馳せ参じました!』
「……うむ。入るがいい」
アスタロトはそう答えながらボッシュを見るが、ボッシュは頭を垂れた状態でその顔色は伺えなかった。
扉が開く大きな音と共に『5色騎士団』の4人が大広間に入場してきた。
先頭は緑の騎士ソイマン。右手には大斧を持つ重装歩兵の中年男で、先の戦争では人の代表として『血の盟約』を結んだ人格者だ。5色騎士団の長にして、人の町グラードの長でもある。頭髪は白くなり、毛量もかなり減ってきたが、その武芸は衰えることを知らず、人間の中では最強と言われるボッシュでさえ、一目置く存在であった。
そのソイマンの後に続くのは黒の騎士マールシェだ。黒色の長髪で黒い瞳を持つ非常に美しい女性で、軽装鎧に片手剣とラウンドシールドを装備する。常にクールで非情。ボッシュとは同い年だが何故かウマが合わない。しかし戦場に置いては、お互いに絶大な信頼関係で結ばれている。防御力に長け冷静であるためボッシュと共に殿を務めることが多かった。
更にその後に白の騎士ザライドマセルが続く。
彼はボッシュやマールシェよりも2歳ほど年長者で、長槍を扱う重装歩兵のいわゆる脳筋タイプだが、誰よりも先に敵中に切り込んで一瞬にして戦力を分断するほどの猛者だ。感情が表面に出やすく、うっかりミスが多いため、いつもソイマンに怒られている。暇さえあればマールシェにちょっかいを出すのだが、やはり今も自分の前を歩くマールシェの後ろ姿しか見ていなかった。
そして、最後の小柄の女性が青の騎士コスメール。
双剣の使い手で騎士団の中では一番若く、まだ少女のあどけなさが残る。しかし、武芸の天才と呼ばれる逸材で、スピードを重視するため軽装鎧を好む。つい最近まで無敗を誇っていたが、ボッシュに敗れ連勝記録はストップする。それ以来、断っていた騎士団に入り鍛練に励んでいる。
ソイマンが最前列の中央、その左側にマールシェが並び、二列目にザライドマセルとコスメールが並ぶと、全員が一斉に跪いて頭を垂れる。
「ここに5色騎士団、参上仕りました」
ソイマンが宣言する。
「ご苦労さま……」
檀上のアスタロトが答えると、更に続けた。
「……それでは、これより我らが大魔王サタン様がご入場される。全員控えるが良い」
「「はっ!」」
大広間の両側に控えていた魔族の者たちも一斉に跪き、頭を垂れ、サタンを出迎えた。
先ず側近であるベルゼブブが先頭となり、檀上の向かって左奥からその禍々しい姿を見せた。
ベルゼブブはサタンに匹敵するほどの実力者と言われ、サタンの右腕となる存在である。その姿は巨大な蠅のそれであり、小さな羽音と共に1メートルほどの高さでゆっくりと移動している。その赤い目を直視すると、恐怖のあまり意識を失うと言われているが、全ての嘘も見抜くことも出来ると言われている。
その後ろから、人間の姿をした美しい肉体を持つ中性的な面持ちの男が続いた。
引き締まった体には、絹の布が巻かれているだけであったが、この美しい姿の前では、どんなに煌びやかな装飾であっても色褪せてしまうだろう。そして、その美しさをも凌駕する圧倒的なオーラを身に纏っている彼こそ、堕天使ルシファーであり大魔王サタンであった。
蠅王ベルゼブブに先導され入場したサタンは、玉座の前で一同を見渡すとゆっくりと腰を掛けた。
玉座の向かって左側にはベルゼブブが宙に浮いたまま控え、右側にはアスタロトが頭を下げて控えていた。
「皆の者、面を上げよ」
サタンは透き通るような美しい声でそう言うと、全員が一斉に頭を上げてサタンに視線を送った。
それを見てアスタロトが話を進める。
「それではこれより緊急会議を始めます。議題は東方の拠点となる村、ホゼイランが何者かの手によって奪われた件です……」
そう前置きをすると、アスタロトは簡単に事件の概要を説明した。
大陸の東部は魔都からも遠く、土地は痩せ南側は砂漠が広がり、開拓が遅々として進まない寂れた地域であった。
そんな地域に魔族はホゼイランという村を作り、ゆくゆくは東部地方の拠点にしようと考え、大陸中央にそびえ立つシャフローネ山から川を引いてくる土木作業を行っていた。
それらの力仕事は、疲れを知らないアンデッドが担当する事で昼夜を問わず急ピッチで工事を進めていた。
そのような折、ホゼイランが何者かによって奪われたという知らせが入ったのだ。
当初、村を襲ったのは南東の砂漠地帯に住まう、リザードマンらの仕業と考えられたが、そのような事実は無い事が後になり判明した。
そこでこの度、全軍を招集して今後の対応を話し合う事となったのだ。
ただし、この場で話す内容は、敵に攻撃を仕掛け村を奪還する事は当然の事として、誰がその役を引き受けるか、という事であった。
「この私が敵を蹴散らしてご覧にいれましょう」
この声にアスタロトは檀上から見て左側の魔族の列の、1番先頭に並ぶ悪魔に顔を向けた。
そこには序列5位のアスモデウスという将軍がいた。
アスモデウスは人、羊、牛の3つの顔を持っており、正面が人の顔で左側面に羊の顔、右側面に牛の顔があった。
「アスモデウスですか……いいでしょう……副官としてソイマンを連れて行きなさい」
「「はっ」」
アスモデウスとソイマンが同時に返事をする。
「それでは早速、出立の準備を」
「「承知しました」」
アスモデウスとソイマンは一礼すると立ち上がり、後方の巨大扉へと姿を消した。
するとサタンが静かに口を開いた。
「アスモデウスは調子に乗りやすい性格だ……アスタロトよ。おぬし自ら現場に赴き、密かに戦況を見守り結果を報告せよ」
「御意」
アスタロトは頭を下げると、更に続けた。
「サタン様。もう一人、同行させてもよろしいでしょうか?」
「誰だ?」
「赤の騎士ボッシュでございます……」
これを聞いたサタンは少し考えてから口を開いた。
「お前からボッシュの名前が出るとは意外だったが、まあ、いいだろう。認めよう。ボッシュ、よろしく頼む」
「はっ!仰せのままに!」
ボッシュはそう言って頭を下げたが、内心では冷や汗をかいていた。
アスタロトは明らかに自分を嫌っている。それは誰の目からも明らかだ。それなのに、一人でも十分遂行可能である監視任務に、あえて自分を随伴させようとするのは、何か裏があるに違いない……。
そんなボッシュの思考を遮るように蠅王ベルゼブブが話始める。
「他の将軍も、今一度、この大陸に火種となる問題が無いかを調査をしてもらいたい。レヴィアタンは北方、ネビロスは西方、バルベリスは南方の村や町を巡回せよ。……尚、黒の騎士マールシェ、白の騎士ザライドマセル、青の騎士コスメールはグラードに戻り、次の沙汰を待て」
「「承知しました」」
ベルゼブブに名前を呼ばれた者達は一斉に返答し頭を下げた。
それを見ていたサタンは満足した顔で最後に一言だけ発した。
「皆の者、よろしく頼む」
◆
準備を整えたアスモデウスとソイマンが魔都を出発したのは2日後の事だった。
この時点での兵力はオーク300体、ネクロマンサー10体、ゴーレム5体であった。
オークは猪の顔に長く黒い髪の毛を持つ人型の種族で、知能は高くないが人の言葉を話す。頑丈な体を持ち、他の人型生物と敵対している。自分達を世界で一番勇猛な戦士と自負している種族だった。
数字だけみれば300強の兵力は少なく感じるが、召喚士<ネクロマンサー>は戦場でアンデッドを大量に召喚する事が出来るため、実際にはもっと大軍勢になるのだ。
また、ゴーレムは強固な岩で出来た操り人形で身の丈4メートルもあり、過去に戦場で名を馳せた者の命を吹き込み服従させているので、その戦闘力は強大だ。
兵力だけが戦闘を行うために必要なパラメータではないのだ。
これから約1ヶ月をかけて東の拠点であるホゼイランに向かう事になるのだが、悪魔が自身の翼を実体化し本気で空を飛べば、大陸の東西の端から端まで3時間ほどで着くことができるほどの飛行能力を持っており、3面の顔を持つアスモデウスも例外ではなかった。
しかし、一軍を預かる将として、他の種族たちに合わせて行動するのは当然である。それはアスモデウス本人も理解しているからこそ、時間の無駄とも思える移動だけに、これほどの時間を費やすのだ。
「敵がどのような者なのかはわからないが、いつもの通り制圧すればいいだけの事」
アスモデウスは目的地であるホゼイランから100キロほど離れた村に立ち寄った時に、呑気にそのような事をソイマンに言っていた。
しかし、ソイマンはいつもよりも慎重に行動するよう諌めた。
「敵はアンデッドの村を襲ったのです。不死の者を倒せるなど、この大陸ではそうそう聞ける事件ではありません」
これを聞いたアスモデウスは「確かに……」と呟いて考え込んだ。
アンデッドを倒すには大きく3つの方法がある。
一つは、物理的に動けなくする方法で、例えば実体があるゾンビであれば、手足を切断する事でその場から動けなくできるし、小屋の中に閉じ込めたり、深い穴に埋めるという方法も有効であるが、実体が無いレイス等の霊体系のアンデッドには効果が無かった。
もう一つは、回復薬を投げつけたり、回復魔法を唱えたりする方法だ。アンデッドとは一度死に、そこから魔術等によって不死の存在として現世に現れた者であるため、生命力を回復させようとすると、限りなく死亡した直後の状態に近づくことになり、それはアンデッド化する前の状態……つまり単なる死体に戻る事を意味するのだ。そのため、下位アンデッドであれば、比較的簡単に消滅させることは理論上は可能だった。
だが村には数百のアンデッドがいたはずであり、その全てに高価で希少な回復薬を使用したとは考えられず、回復系魔法を唱えることが出来る者は大陸にはほとんどおらず、そもそも1体ずつそんな事をしていたら自分の魔力が先に尽きるだろうし、あまりにも時間がかかり過ぎるので、この方法が取られたとは思えない。
最後の一つは、大陸の人間だけに伝わる『神の知恵』で作り出された武器を使う方法だ。元々は不死の存在である悪魔を滅ぼすための武器であるが、転じて全てのアンデッドに対しても特効となる武器だ。だが、これらの武器は人間にしか使用できず、現存するものは5色騎士団の5人が持つ大剣、大斧、長槍、片手剣、双剣のみで、これらが使われる事は魔族に絶対服従である人間には出来ない所業であった。
つまり『アンデッドの村が奪われた』という事件は、その辺のオークやコボルドの集落が奪われるのとは意味合いが全く違うのだ。
「敵はアンデッドを簡単に倒す方法を持っている……のか……?」
すなわち、悪魔であるアスモデウスにもそれが有効であるという事になるのだ。
「そう考えて行動すべきです。そこで先ずは下位のアンデッドの一軍を敵にぶつけ様子を見ます。もしもそれが倒されたとしても、その方法や術者をある程度特定することは可能となるはずです。本格的に攻め込むのはその後でよろしいかと」
ソイマンは自分の考えをアスモデウスに伝えた。
すると、アスモデウスの曇った表情だった3面の顔は途端に晴れ、ソイマンにアンデッド軍を指揮する先鋒を命じると更に続けた。
「良いか?戦場にあって、敵の策謀をしっかり見極めるのだぞ?」
「承知しました」
ソイマンは返答するとすぐに陣中に出立の指示を出す。
「これより奪われたホゼイランに向け出発する。私は一足先に上空から敵の様子を見て来るので、全軍、これより公路に沿って南進せよ」
ソイマンの指示でアスモデウス軍は村を出発した。
それを一通り見届けると、ソイマンは緑色の装甲で覆われている自分のヒポグリフに直接跨ると、大斧を担いで空へと飛び立った。
「南へ」
ソイマンの指示に応えるように、ヒポグリフは甲高く一鳴きすると、猛スピードで羽ばたいた。ソイマンは首の付け根の鞍上で、なるべく身を低くして風の抵抗を抑える。
矢のように一直線に空を駆け抜けるヒポグリフは、1時間も掛からずに目的地であるホゼイラン上空に達した。
ソイマンは高度をなるべく高く取り、敵の様子を見ることにする。
眼下には家々が整然と建ち並び、高台には指揮官の邸宅だろうか?大きな館が建っており、その周囲は空堀されており、襲撃の備えもそれなりにされているように見えた。もう、以前の村の形跡は何もない。この規模はすでに村どころではなく、町……それもかなり大きな町と言えるだろう。
そして驚くことに、この町の建造物は全て木で出来ているのだ。
この大陸では、建造物は石造りが一般的であり、木を使うのは細工が必要な部分的な箇所だけであった。それなのに、全ての建築物が丸ごと木造で出来ている町など、ソイマンは見た事も聞いたこともなかった。
しかもこの町は、外周を幾重にも柵を張り巡らし、門と矢倉を建て、土嚢を積み、来たる敵の襲撃に備えていた。
ホゼイランが陥落してから3ヶ月ほどしか経っていないのに、これほどの城郭を作れる種族とは、どのような者たちなのか?
ソイマンはどうしてもその者達を、直接この目で見てみたいと思い、高度を下げて一気に町の上空を通過しようと考えた。
ヒポグリフは一度北に転進し町との距離を取ってから、再び公路に沿って正面から低空で町に突入した。
矢倉からは弓矢を放ってきたが全くもって遅い。高速で動く敵に向かって矢を放った事が無いのか?
ソイマンはそう思いながら敵兵を見て愕然とした。
「そ、そんな……馬鹿な……!?」
矢倉の上には見た事が無い鎧……おそらく軽装鎧に属するものを着用し、皿の様なものを逆さにして頭に乗せた奇妙な姿の人間がそこに居た。
門の上を通過し、町の上空から町民らを観察すると、皆、布を巻いた不思議な服を着ていて、藁で編んだ靴を履いていた。そして、やはり間違いなく人……これは人だった。
ソイマンはすぐにヒポグリフに上昇を命じると、自軍に向けて針路を取る。
「……どうして、ここに人がいるのだ……?」
ソイマンは訳が分からなかった。
この大陸に住む人間は、魔都の隣にある小さな村であるグラードに集められ、悪魔の監視下の中で細々と生活を営んでおり、村人は許可無しには村を出る事はできなかった。これは過去に悪魔を滅亡まであと一歩の所まで追い詰めた人間への罰であり、不自由な生活は今後も続くのである。つまり、グラードの外にいる人間は5色騎士団以外にはあり得ないし、そもそも『血の盟約』により、人間は魔族に逆らう事は絶対にできないはずなのだ。
できないはずなのだ……が……あれは、間違いなく人だ。
見た事が無い文化ではあったが、同じ種族を間違える訳がない。
では、あの人間はどこから現れたのか?そして、どうして『血の盟約』があるのに魔族の村を襲う事ができたのか?目的は何なのか?
敵が人であるのなら、対話することも可能のはずだ。だが、敵は力で村を奪ったのだ。これは明らかに魔族に対する敵対行為であり、力で統治する世界である以上、絶対に力で敵をねじ伏せなければならないのだ。
グラードに住む民に疑念を持たれないようにするためにも、ここは毅然とした態度で臨む必要がある……。
ソイマンは決心すると、急いで軍に戻り、アスモデウスに見たままの事を報告したのだった。




