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魔族の騎士  作者: らつもふ
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速戦即決

 この世界では、正式な手続きを経た誓約……いわゆる『ゲッシュ』は絶対遵守され、特別な強制力が働くようになっている。

 元々は神が混沌とした世界を正すために作った強制力だと言われているが、ゲッシュした内容は後から変更が利かない。そのため、ゲッシュ後にその内容を修正したい場合は、追加で修正内容をゲッシュする必要があり、最初に誓約を行った当人同士が修正内容を了承しゲッシュする必要があった。

 悪魔アスタロトがケット・シーの王と締結した内容も同様だ。二週間のあいだ、ケット・シーの内政に干渉することは出来ず、領内での戦闘行為も出来ず、宿以外の施設へは入れないのだが、内容の修正をしたくても、おそらくケット・シーの王は応じないだろう。

 いや、更にケット・シーとして利益となるゲッシュを条件に追加することで、もしかすると修正に応じるかも知れないが、そうなると完全にゲッシュの泥沼にはまる事になるだろう。

 土砂降りの中アスタロトが呟く。

 「まさか、このような事態になるとは……」

 アスタロトらは、巫女の攻撃を避けるため対岸の北西の森に身を隠し、遠くに見えるガゼ地区を眺めるしかできなかった。

 4人は大きな木の幹の下に寄り添うように集まり、今後について話をしていた。

 「王宮に東方人がいるのであれば、下手に近寄る事もできません……」

 一般兵用のレザーアーマーがやけに似合わないボッシュが、金髪から水を滴らせながら報告した。

 「………」

 アスタロトも滴るローブのフードを深く被り直しながら考え込む。

 「……今回の件は東方人の策略かもしれません」

 「そ、それはどういう……?」

 突然予期しない事を言われ、ボッシュは受け答えに戸惑いを見せた。

 アスタロトは顔を上げると口を開いた。

 「先ほども言いましたが、今はちょうど乾季にあたります。この時期にこれほどの雨が降った事は過去に一度もありません………これは水の精霊たちの仕業と見て間違いないでしょう」

 「水の精霊……ウンディーネですか?」

 「そうです……」

 ボッシュの言葉にアスタロトは即答すると、更に続けた。

 「……ウンディーネはゲッシュにより長らく中立を保っていましたが、最近になってゲッシュが破られたと聞いています。ですが、ウンディーネは再びゲッシュすることなく、噂では東方人の側についたとか………それにしても、これほど積極的に東方人へ加担するとは予想外でした」

 アスタロトはそう言って視線を遠くに見えるケット・シーの王宮へ向けた。

 「……残念ですが、今はどうする事もできません」

 「………」

 ボッシュはケット・シーに協力を求めると決まった時点で、今回の作戦は乗り気ではなかったのだが、こうなってはケット・シーに執着する必要は無くなった。

 「申し上げます……」

 ボッシュはそう言いながらアスタロトを見ると、アスタロトは無言で頷いて話を促したので、ボッシュも頷いてから先を続けた。

 「東方人の巫女がケット・シーの王宮にいた事は七芒星の輝きを見ても明らかです。しかし、東方人としては本来、巫女の居場所は秘密にすべきはずで、我々を一撃で葬れるという確信があって初めてその術を行使するのが普通の考えです。それなのに、あの巫女は到底攻撃が当たるとは思えない状況であるにもかかわらず術を発動し、自分の居場所を私達に知らせました。それは何故か……?」

 「私たちの注意を巫女へ向けさせる必要があった?」

 マールシェが横から口を挟む。

 「その通りだ」

 ボッシュは一瞬マールシェを見て同意すると、再びアスタロトに目を向けて話を続けた。

 「東方人らは隠密で行動する必要があったと思われますので、おそらく王宮に入場したのは巫女とその取り巻き数名だけであり、大多数の者達は今なお別の場所で隠れ潜んでいるはずです。我々がシャフローネ山方面を捜索しているのを見て、ガゼ地区に注意をひきつけて時間を稼ぎたかったのかもしれません」

 「……その隙にシャフローネ山に潜んでいる東方人が別の場所に移動するとでも?」

 「その可能性がある……という事です」

 アスタロトの質問に、少し曖昧に答えるボッシュ。

 「だとすると、東方人は愚かとしか言いようがないですね……?」

 アスタロトはそう言うと、少し言葉を溜めてから続けた。

 「我々とケット・シーのゲッシュは二週間で切れます。つまり、二週間待つだけで我々はガゼ地区を全滅させる事だって出来るのです。その間、我々が取るべき行動はたった一つ………ガゼ地区から巫女が脱出しないよう監視する事だけです。勿論、ガゼ地区周辺を警戒する必要はあるでしょうが……」

 「た、確かに、言われてみればその通りです………さらにつけ加えるのなら、西からはベルゼブブ様率いる捜索部隊も接近しています………そう考えますと、東方人にとっては時間を稼ぐことにメリットは無いように思います………」

 「巫女は時間を稼ぐために自分の存在を我々に知らせた訳ではない………つまりあの行動は、明確な作戦行動と捉えるべきでしょう……」

 「つ、つまり……私達を本気で倒しに来た………?」

 コスメールが険しい表情で呟く。

 「そういう事になるな……」

 コスメールに同意するボッシュ。

 「東方人は速戦即決を望んでいる……であれば、すでに戦いは……!?」

 「戦闘用意!周囲を警戒せよ!」

 アスタロトは鋭い声で命令を発すると、三人の騎士たちは三方向に一斉に散って行った。それを見届けたアスタロトは、ローブから樫の木で作られた細く短い杖<ワンド>を取り出した。このワンドは、複雑な装飾が施された長さが20センチほどしかない魔法の杖であり、これを使うという事は、アスタロトが本気で魔法を行使しようとしている現れなのだ。

 二週間、巫女をガゼ地区内に足止めしておく事……たったそれだけでケット・シー諸共、巫女を殺すことができるのだ。

 しかし、それは簡単な事では無かった。

 警報<アラーム>や罠<トラップ>を仕掛ける事で、ガゼ地区にいる者達の行動を制限する事は可能だが、設置系の魔法は実際にその場所に行かねばならず、つまりそれは、巫女に発見される危険が非常に高くなることを意味する。

 せめて天候が回復し、ワイバーンが使えれば何の苦労も無いのだが、自分の足で移動するとなるとあまりにもガゼ地区は広く、現実的ではなかった。

 であれば、残るはベルゼブブと同じ手を使うしかない………。

 アスタロトは無数の骸骨戦士<スケルトン>と、6体の首なし騎士<デュラハン>を魔法によって召喚した。

 デュラハン1人に500人のスケルトンを与え、ガゼ地区を包囲するように展開させ、24時間体制でガゼ地区を監視するのだ。これで巫女をガゼに足止めする事が出来るので、あとは自分達が東方人らの襲撃に気をつければ良いだけだった。もしも城内から巫女が術を使ってきたとしても、これまでの情報から巫女は術を連続して使用することは出来ず、使用後は一定時間のインターバルが必要である事は承知している。

 部隊を散開しておくことで1回の攻撃で複数部隊がやられるのを防ぐだけで、ある程度の時間を稼ぐことが出来るはずであり、アスタロトとしては、失った部隊を追加補充してあげるだけで良いのだ。

 アスタロトは先ほどの召喚で魔力のほとんどを使い果たしていたが、東方人が相手であれば魔法など不要だろう、と考えていた。

 しかし、その考えはすぐに根底から覆される………。

 『グワアアアァァァァッ!!!!』

 嵐の中、凄まじい叫び声が辺りを包んだ。

 「こ、この咆哮は……まさか………!!」

 魔力がほとんど残っていない現状にあって、アスタロトは恐らく生まれて初めて恐怖を感じたのかもしれない。

 視界が利かない森の中では不利であると感じたアスタロトは、6枚の漆黒の翼を実体化して大きく広げると、弾かれるように空に舞い上がった。

 上空では強風に煽られないように6枚の翼を駆使して姿勢を制御する。

 すると、目の前には黒く巨大な塊が雨風をものともせず、翼をゆっくりと羽ばたかせながらこちらに近づいていた。

 「……アース……ドラゴン……地竜か!?」

 アスタロトは右手を額に翳して、降りしきる雨をガードしながら目の前のアースドラゴンを見上げた。

 漆黒のフードは後方へ吹き飛び、肩で切り揃えられていた黒髪と共に激しくバタつかせながら、強風の中を6枚の翼で何とか飛ばされないように耐えていた。

 ふと見ると、アースドラゴンは何かをブツブツ言っている事に気付いた。

 反射的に眼下へ視線を移すと、真紅の巨大な魔法陣が森を覆っていた。

 「これは!……広範囲魔法!一気に勝負を掛けて来たか!?」

 森全体を飲み込むほどの広範囲、かつ上位魔法……おそらく『メテオ・ストライク』と読んだアスタロトであったが、魔力が回復するにはまだ時間が必要であった。

 アースドラゴンには物理攻撃が効かない………今の彼女には地竜に対抗できる術はほとんど残されていなかった。だが、アスタロトにはNo.3としてのプライドがあった……そのプライドに掛けて、ここで敗れる訳にはいかなかった。

 全く打つ手がない訳ではない───。

 意を決したアスタロトは大きな声で叫び出した。

 「うあああぁぁぁぁっ!!!」

 絶叫と同時に身に着けていた漆黒のローブが四散すると、美しくも豊満な白い肉体が露わとなった。

 しかし、徐々にその肌は見る者を不快とさせる赤紫へと変色していくと、口が横へ大きく裂け始め、瞳の色も真っ赤に燃えていった。

 全身が鱗のようなもので覆われ始め、両手足の爪は鋭く伸び、あたかも人と蜥蜴の融合体が6枚の翼で飛んでいるようだった。

 これこそがアスタロトの真の姿である。

 天使や悪魔などの本当の姿は、このようなグロテスクな姿をしており、だからこそ神々は美しい生物を創る事に心血を注ぎ、その集大成である人間を寵愛したのだろう。

 アスタロトは真の姿となり、人間の姿を維持する必要が無くなったため、持てる力を最大限引き出すことが可能となった。

 「シャーッ!!」

 息を吐きながら、アースドラゴンに向かって飛んで行くと、その顔面に向けて長く鋭い爪を突き立てた。

 ガキィイイイン!!

 地竜の大きな顔面に火花を散らせたアスタロトだったが、そこにはキズ一つつけることが出来なかった。

 アスタロトは続けざまに毒ガス攻撃を行った。

 命ある者はこのガスを浴びた瞬間に即死する猛毒であり、耐性があると言われる同族の悪魔でさえ、本気のアスタロトの毒攻撃には手も足も出ないと言われていた。

 アスタロトは地竜に向けて、紫色の毒ガスを体から噴出させた。

 しかし、この嵐の中では毒ガスはすぐに強風に流されて四散してしまい、全く機能しなかった。

 その間も地竜は魔法の詠唱を続けており、地上の魔法陣はより広大に、より鮮明な赤になっていて、詠唱が完了するのも時間の問題だった。

 アスタロトは魔力が枯渇した現状において、最後の手段とも言える攻撃に出た。

 大きく裂けた口を大きく開くと『悪魔の炎』を吹き出したのだ。

 この炎は、一度火が着くと3日間消える事が無い煉獄の炎だったが、やはり強風に煽られた影響で、地竜の背中に小規模の炎を燃え上がった程度であった。

 地竜の背中は引火して燃え広がるようなものは何もなく、物理攻撃が通らないほどの岩があるだけなので、単に背中で小さな炎が3日間燃えているだけでしかなかった。

 アスタロトは魔法さえ使えたらと思ったが、そのような事を考えるようではすでに万策尽きたか……と自嘲するしかなかった。

 『アスタロト様!回避して下さい!!』

 このメッセージにアスタロトはすぐに反応して、嵐の中、強風に身を委ねつつ6枚の翼も使って瞬時に地竜と距離を取った。

 そこへ、凄まじい衝撃波が襲ってきて、アスタロトは空中でバランスを崩した。大気が歪み、見えない壁が激しくぶつかって来たような感覚だ。

 耳を劈く爆発音と共に地竜の姿は大爆発の中に消えた。

 大気を伝ってきた凄まじい威力の衝撃波を全身に受けたアスタロトは、そのまま地上に叩きつけられた。

 この衝撃波は天空にまで達し、空を埋め尽くしていた灰雲に巨大な穴を開けて、そこから星や月が顔を覗かせた。

 「……こ、これは……どうしたのだ……!?」

 アスタロトは頭を擡げて上空をみると、月明かりに照らし出されたアースドラゴンが、全身から血を吹き出しながらゆっくりと降下していた。

 地上には大剣を振り下ろしたままのボッシュの姿が見える。

 「ボッシュ……あの子が地竜を……!?まさか……それほどの力を……!?」

 アスタロトは傷ついた体を何とか起こすと、ボッシュと地竜に注力する。

 アースドラゴンは大きな地響きと共に土砂を激しく巻き上げて墜落すると、森の木々を薙ぎ倒しながら地面を滑り、ボッシュの目の前で止まった。

 ボッシュはゆっくりと大剣を肩に担ぐと、アースドラゴンに向き直る。

 「どうやら物理攻撃が全く効かないという訳ではないようだ」

 ボッシュはそう言いながらアースドラゴンに向かって歩きはじめる。

 「………見事だ……赤の騎士ボッシュよ………よくぞ我の魔法攻撃を阻止した……」

 アースドラゴンは大きな顔をボッシュに向けながら口を開いた。

 「前に会った時に、貴殿は『次にあった時は、その瞬間、魔法の餌食にする』と言っていたからな。先制で魔法を使う事は読めていた。だが、詠唱が長い魔法を選択してくれてこちらとしては助かったよ」

 「ああ、ボッシュの言う通りだ。………この魔法攻撃で決着をつけようと、少し欲張ったのが悪かったようだ……だが、それにしても……」

 アースドラゴンはそう言いながらゆっくりと体を起こすと更に続けた。

 「……我にこれほどの傷を……それも物理攻撃で与えた者はボッシュ、お前が初めてだ……」

 黒く岩山のような体のいたる所から鮮血が流れていた。

 ボッシュはその姿を見て、徐に大剣を背中の鞘に納めると、アースドラゴンに話しかけた。

 「さあ、取引だ。アースドラゴン、東方人に寝返った種族を教えてもらおうか?情報としてそれくらいであれば、東方人にとってもそれほど痛手ではないだろう?」

 そう言って屈託のない笑顔を見せるボッシュ。

 ──全く、この男は憎めないヤツだ。

 アースドラゴンは内心で笑いながら口を開いた。

 「ボッシュよ。取引というからにはそちらも何かを差し出さねば成立しないぞ?」

 「それはわかっている………そうだな、教えてくれれば、貴殿を逃がすというのはどうだろう?」

 「なに!?」

 アースドラゴンは驚いた。

 まさかこの男は我をこのまま倒す事が出来ると思っているのか!?

 確かに物理攻撃で我に傷つける事は出来た。それは認めよう………だが、だからと言ってそれが我を倒せる事を指すわけでは無い。こんな吹けば飛び、踏めば潰れるような小さな人間に、古代竜<エンシェントドラゴン>である我が敗れる訳がないのだ。

 それなのに、この男の自信に満ち溢れた表情は何だ!?

 傍から見れば、我は血を流して這いつくばっているように見えるかも知れないが、こんなものは表面的な傷であり、今後の我の行動には何ら影響を与えるものではないのだ。

 アースドラゴンは4本の足でしっかり立ち上がると、ボッシュを見下ろして話を続けた。

 「我が人間であるお前に、本当に負けると思っているのか?」

 「この場面は、どちらが勝つとか負けるという話ではない。貴殿はすぐに西に向かい、ベルゼブブ様が率いる東方人討伐部隊の本隊を抑える必要があるはずだ。このまま私と死闘を繰り広げて、ベルゼブブ様に勝てると思うか?少なくとも同族であるレヴィアタン様くらいは、貴殿が倒さねばならないのではないか?そのためには、ここで無駄な体力を消耗し時間を掛けている場合ではないと思うが違うか!?」

 「………」

 ボッシュの意見も一理ある………しかし、ボッシュら魔族の人間はともかく、悪魔であるアスタロトだけはここで討っておかねば、後々面倒な事になる。そうなると、弱っている今というチャンスを逃す訳にはいかない!

 アースドラゴンはそう考えながらアスタロトへ視線を向けると、表情にこそ見せなかったが、アスタロトの背後………遠くに何か光るものを発見した。

 ──なるほど……ここは退いても良いか……。

 アースドラゴンは再びボッシュへ視線を向ける。

 「わかった、赤の騎士ボッシュよ。お前の提案を受けよう」

 「よし。ではまず貴殿からだ………現時点で東方人に味方する種族を教えてもらおう」

 「いいだろう。先ずは水の精霊ウンディーネと海の守護者サーペント、更に森の守護者エルフ……そして、猫族ケット・シーだ」

 アースドラゴンは躊躇することなく言ってのけた。

 「なるほど。では、現在交渉中、もしくは交渉対象となっている種族は?」

 「ボッシュよ。それは取引項目に入っていなかったはずだが?………まぁ、いいだろう。特別に教えよう………」

 アースドラゴンはそう言いながら、大きな翼を広げるとゆっくりと羽ばたき始めた。

 「……砂漠の民である蜥蜴族<リザードマン>、風の妖精シルフ、そして………」

 アースドラゴンはゆっくりと地面を離れると、上昇しながらボッシュを見つめ言葉を続けた。

 「………お前たち、魔族の人間だ!」

 「………!」

 アースドラゴンはそう言うと力強く羽ばたき、血を滴らせながら上昇して行く。

 ボッシュが放った剣圧による衝撃波の影響なのか、今では空を覆っていたぶ厚い雲は消えて無くなり、晴れ渡った美しい夜空が広がっていた。

 「さらばだ!赤の騎士ボッシュ!お互い生きていればまた会おうぞ!」

 アースドラゴンはそう言い残すと、西の空へ消えて行った。

 ボッシュはアースドラゴンの言葉を復唱していた。

 「……魔族の人間だと……!?」

 東方人は我々魔族の人間と手を組みたいと言うのか!?馬鹿な!……あまりにも馬鹿げている!

 ボッシュは思いっきり地面を蹴飛ばして、何とも言えない心のもやもやを払拭しようとした。

 『ボッシュ……』

 これは、アスタロトからのメッセージだ。そう言えば、自分の攻撃でアスタロトを墜落させたのだった!

 ボッシュは慌てて振り向くと、遠くに紫色の何とも形容し難い姿となったアスタロトが倒れていた。

 「申し訳ございません!アスタロトさ……ま……!?」

 ボッシュは目を丸くして息を飲んだ。

 もちろんアスタロトの本当の姿に対して驚いたのではなく、そのもっと向こう側………何やら光り輝くものを見つけたからである。

 「マールシェ!アスタロト様をお守りしろ!コスメールは南の海岸付近で光る場所を探れ!私は……!」

 ボッシュの言葉を遮るように、突如として、北から地響きと共に鬨の声が辺りに響き渡った。

 森に視界を遮られ状況を把握しきれないが、恐らく東方人が一斉に攻めて来たのだろう。

 『……私は敵の軍勢を相手にする!』

 この地響きから察するに、数千は下らないだろう。

 ボッシュは背中の大剣の柄に手を掛けたその時、マールシェからメッセージが届く。

 『たった一人で、敵の軍勢を迎え撃つと言うの!?』

 振り返ると、マールシェは足元が悪い中、飛ぶような勢いでアスタロトの元に向かっていた。

 『大丈夫だ、心配ない………もう嵐は止んだ。つまり………!』

 ボッシュの言葉に呼応するかのように、上空から聞きなれた咆哮が聞こえてきた。

 真っ赤な装甲装飾を装備したヒポグリフが、上空から翼を広げたまま滑空してくる。そう、長年一緒に戦ってきた相棒だ。

 『コスメールもヒポグリフで急ぎ海に向かえ!おそらくあの光は巫女だ!急げ!』

 『わかりましたですっ!ボッシュさまぁ!』

 コスメールは返事をすると同時に大きくジャンプした。

 そこへ青色の装甲装飾を装備したヒポグリフが滑り込んで来て、空中でコスメールを鞍に乗せ、そのまま南に向かって直進して行った。


 その瞬間───。


 眩い光の束が地面を這うように海から放たれると、一直線にアスタロトに向け照射された。

 「うがああぁぁぁああ!」

 アスタロトに光が直撃し、悶え苦しむ絶叫がこだました。

 「マールシェ!!!」

 ボッシュの叫び声と同時に、マールシェが光の射線上に身を投げ出した。

 その左手にはラウンドシールドが握られ、力強く前方に押し出して光を遮断する。

 「アスタロト様!ご無事ですか!?」

 マールシェが必死に光をブロックしながらアスタロトに声をかけた。

 アスタロトは体の一部が黒く焼け、その部分から白い煙が出ていたが、光の照射時間が短かったことから、命に別状は無いようだった。

 「……マールシェ……助かりました………」

 アスタロトはそう言うと、力を振り絞って再び人間の女性の姿に変身すると、シールドの影に隠れるように体を移動した。

 本来の悪魔の姿では体が大きすぎて、シールドに隠れるのが困難だと判断したのだ。

 マールシェはラウンドシールドを持ちながら、自らも身を隠そうとしていたが、さすがに全身を隠しきる事は難しく、足が光に晒されて煙が立ち昇った。

 「………!!!」

 マールシェは片膝をついて、低い体勢となって何とか光から自分と、後方のアスタロトを守ろうとする。

 アスタロト自身も雨上がりの地面を這ってマールシェに近づき、盾に隠れるように体を小さくする。

 『コスメール!急いで頂戴!』

 マールシェからの悲痛なメッセージを受け取ったコスメールは、光を辿りながら発生元となる海に向かっていた。

 遠くの海岸には一隻の小さな帆船が停泊しており、そこから光が発射されていた。

 コスメールは船を回り込むようにヒポグリフを旋回させると、帆船の真上から急降下させた。

 東方人は夜目が利かない。従って、この攻撃は絶対に気付かれない!

 「もらった!」

 コスメールは鞍を蹴って空中に飛び出ると、双剣を目の前でクロスさせ、頭からデッキ上の巫女に向かって突入した。

 すると巫女は、コスメールの居場所が分かっていたかのように、突然光を真上に向かって放ってきた。

 「!!!」

 反射的にコスメールは体を捻りながら、クロスしていた双剣を力一杯薙ぎ払った。

 コスメールが放った斬撃は衝撃波となって船をを襲い、デッキが爆発して木片が飛び散りマストが折れて横倒しとなり、穴が開いたデッキからは白煙が立ち込めた。巫女は御付き衆らと共に船の下層へ落下したようだったが生死までは不明であった。

 コスメールの攻撃によって光の軌道が逸れて、コスメールは何とか光の直撃は免れたが、そのまま海に突入して帆船のすぐそばに水柱を立ち昇らせた。

 かなりのスピードで海中に突入したコスメールだったが、何とか意識を失う事も無く体も無事だった。

 だが、如何に夜目が利く魔族といえども、水中はまた別であり、そもそも海中で目を開ける事も出来なかった。そのため、海中では上下左右が全く分からなかったが、体にかかる水圧の違い感じ取る事で、何とか上下だけは把握する事ができた。

 幸いにも、レザーアーマーは浮力があり、双剣もそれほど重くはないため、徐々に海面へと上昇して行った。

 「ぷはーっ!」

 水面から顔を出して思いっきり空気を吸い込むコスメール。

 ここでやっと周囲の状況を確認すると、目の前には東方人らが乗っていた船の船首がそびえ立っていた。

 これくらいの高さであればよじ登れるだろう………。

 コスメールはそう判断し、船に向かって泳ぎ始めた。

 すると突然背後に水柱が上がると同時に、甲高い咆哮がこだました。

 コスメールは頭から海水を浴びながら振り返ると、そこには海面から鎌首をもたげた大蛇がコスメールを睨んでいた。

 鱗に覆われた表面は深い青色で、頭の後ろから背びれが連なっており、腹は黄色みがかったベージュ色のその大蛇は、海の守護者に相応しい堂々とした風格ある姿を晒していた。

 「サ、サーペント………」

 海竜とも呼ばれるサーペントは、海においては絶対的な強さを誇る。

 地上において天才と呼ばれるコスメールであっても、水中ではサーペントに対しては為す術もないだろう。

 そんなサーペントが東方人に肩入れしている………アースドラゴンがそのような事を言っていた気がするが、その時はサーペントが敵になるという重大さをあまり認識していなかった。

 それもそうだろう。これまでサーペントとは接点が全く無かったのだ。

 サタンがあえてサーペントに対して魔族化を強要しなかった事も、それぞれが生きる世界が全く違うためだ。つまり、暗黙の了解でお互いの支配地域には関与しなかったのである。

 大陸に住む者達が決して海に出ることなく生活をしていた事が良い例だ。

 だが、今こうして巨大な姿を現したサーペントを目の当たりにすると、5色騎士団のコスメールであっても恐怖を感じた。いや、圧倒的な絶望感と言った方が正しいだろう。

 それでもコスメールはキッとサーペントを睨みつけ、毅然とした態度で臨んだ。

 「私は魔族5色騎士団の一人コスメール。海の守護者サーペントよ。私は貴殿に危害を加えるつもりは毛頭なく、不本意ながら海に墜落したまでだ。即刻立ち去るので気にしないでもらいたい」

 コスメールは敵意はなく、すぐに陸に戻ることを宣言した。

 だが、サーペントは黒い瞳をコスメールに向けて大きく裂けた口を開いた。

 「魔族の人間よ、私は東方人に協力することに決めた。そして先ほどお前が攻撃を加えた相手はその東方人だ。よって、このままお前を黙って帰しては私も立場が無い……残念だがここで死んでもらう!」

 「待て!海の守護者よ!」

 コスメールは立ち泳ぎをしながら必死に叫んだ。

 「……これまで貴殿と我々魔族はあえて接点を持たず、お互いに関与もしないで生きてきたではないか!?……なのに、どうしてこの度は東方人に協力し、今、こうして私に対して敵意を見せるのか!?」

 「簡単なことだ………東方人は古くから海に対して敬意を表し、敬い、崇め、海と共に生きて来た種族だからだ!」

 「そ……それは……どういう……?」

 コスメールは状況的にもしっかりとした思考が働いておらず、サーペントの話を理解できずにいた。

 サーペントはそれを見越して、もう少し噛み砕いて説明する。

 「お前たち大陸の者たちは、海とは接点を持たないように生きてきた。しかし、東方人は四方を海に囲まれた小さな島国という事もあり、昔から海と共存しなければ生活することが出来なかったのだ。故に、東方人は海の幸を手に入れる代わりに、海への感謝を忘れない種族だったのだ………海の守護者である私が、そんな彼らを拒む理由がどこにあるというのか!?」

 「………!」

 コスメールは一瞬言葉が出なかった。

 東方人は古くから海と共存していた………確かに、東方人らが大陸に渡ってきた時の船の数を見ればそれも理解できる………。

 「……では……先ほどの光の攻撃を手助けしたのは貴殿なのか!?」

 コスメールは、夜目が利かず、あれほどの長距離を正確に狙う事など、東方人だけの力では不可能と考えていた。しかも、嵐は治まったと言っても増水した川から海へ流れる水量はかなりのもので、河口に位置するこの場所がその影響を全く受けず、波一つない状況はあまりにもおかしいと思っていたのだ。

 「その通りだ……」

 サーペントは肯定した。

 「私が巫女の目となり、光を誘導したのだ」

 「なるほど……」

 これですべて納得した。

 その上でコスメールは双剣を目の前でクロスさせ、サーペントと対峙した。

 「……ほう。魔族の人間よ。海で私と戦うというのか?」

 途端にサーペントの目が細くなり、より一層の殺気を放った。

 「……最初の一撃でもしも私を倒せなかったら、次の瞬間、お前は海中に引きずり込まれ、抵抗することも出来ず死んで行くことだろう。しっかり攻撃するがいい!」

 サーペントはそう言うと大きな口を開いてコスメールを威嚇した。

 だがコスメールは表情一つ変えずにサーペントを睨んでいた。

 ───水面から出ている部分に関しては私の方が速い……!

 コスメールはこの一点に運命を掛けることにした。

 意を決したコスメールは、クロスした双剣の右手だけを横に払い、時間差で左手を払った。

 爆発音と共に放たれた衝撃波はサーペントの顔面を的確に捉え、巨大な体を仰け反らせた。

 サーペントは海竜とは呼ばれているが、正確にはドラゴン族ではない。よって、物理攻撃が全く通らない訳では無かったが、硬い鱗は伊達ではなく、コスメールの必殺の攻撃にも耐えて見せた。

 サーペントは、顔面から血を吹き出しながらも仰け反った上体を戻す勢いで、そのままコスメール目がけて大きく口を開きながら突撃してきた。

 その瞬間、コスメールの左手の攻撃が海面に水柱を噴き上げた。

 目の前が水の壁で阻まれたサーペントだったが、海に暮らす者がそんなもので怯むはずもなく、そのまま頭から水柱に突っ込むと、コスメールがいた海面目がけて突入しようとするが………!!!

 「いない!?」

 海面にいたはずのコスメールの姿がそこには無かった。

 人間が海中に逃げるはずが無い。サーペントは無意識に空を見上げた。

 するとそこには、自分で放った衝撃波の反動と水柱の力を利用して空中へ跳んだコスメールの姿があった。

 「それで逃げたつもりか!?」

 コスメールが空中へ逃げたと言っても、その高さは数メートルほどしかなく、サーペントとしてはそれをキャッチするだけで良いのだ。

 青の大蛇は青の騎士を狙って、その大きな口を開きながら襲いかかった。

 コスメールは背後の船の外壁を蹴ると、瞬間的に凄まじい速度で横方向に空中を移動した。

 サーペントはその動きについて行けず、頭から船に激突した。

 「ヒポグリフ!!!」

 コスメールの叫び声に応えるように遠くで甲高い咆哮が轟くと、海面すれすれを滑空してくるヒポグリフ。

 「逃しはしない!」

 サーペントは船首に大穴を開けながらも、血まみれの頭を擡げてコスメールの位置を把握すると、尻尾を振り上げてコスメール目がけて振り下ろした。

 鱗に覆われた尻尾がコスメールに直撃する刹那、ヒポグリフが掻っ攫うようにコスメールを前足でキャッチし、サーペントをすり抜けて船の甲板を掠めて上空へ舞い上がった。

 こうなるとサーペントとしてはもう手足が出せず、ただ見送ることしか出来なかった。

 コスメールはヒポグリフの首を掴んで鞍までよじ登ると、やっと一息つくことができた。

 「またお前に助けられたよ……ありがとう……」

 そう言ってヒポグリフの頭を撫でると、ヒポグリフはまるで猫のように喉を鳴らした。

 コスメールは船の上空を旋回しながら下の状況を確認すると、コスメールの衝撃波とサーペントの激突によって大破した船は、船首から海中へ沈み始めた。

 サーペントがまだ船の傍にいるらしく、海面にうねる様な黒い影が浮かんでいた。

 おそらく船が沈むのも時間の問題だろう。このまま東方人を乗せたまま海中へ没してくれればいいのだが、サーペントがいる限りどうなるかはわからなかった。

 だが、コスメールものんびりと船が沈むのを待っている時間はなく、急いでヒポグリフを翻すと陸地へと針路をを取り、自分の右手にケット・シーの王城とそれを取り囲むデュラハン部隊を横目で見ながら、アスタロトとマールシェの元に急ぎ駆けつけた。

 丁度、アスタロトのワイバーンが到着しており、アスタロトは裸体のままワイバーンの鞍に何とか座っていたが、左の肩甲骨から左腕まで巫女の術によって焼けただれていた。

 そのワイバーンの前には片膝を地面につき、頭を下げているマールシェの姿があった。

 「アスタロト様!」

 コスメールはそう言いながらヒポグリフから飛び降りると、マールシェの隣に並んだ。

 「コスメール。無事で何よりです。私とマールシェは消耗が激しいため一度戦線を離れ体制を立て直します。コスメールはボッシュを助け、速やかに撤退して下さい」

 「承知しました」

 コスメールは返答し、立ち上がってヒポグリフに乗ろうとすると、アスタロトがそれを止めた。

 「お待ちなさい。コスメール……」

 「はい」

 何事かと思いながら再びアスタロトに向き直ると、アスタロトが話を続けた。

 「マールシェも巫女の光を浴び左足を負傷しています。コスメール、マールシェをヒポグリフへ乗せる手助けを……」

 アスタロトの言葉を聞き、驚いてマールシェを見るコスメール。マールシェは負傷している素振りなど全く見せずに整然と片膝をついている。

 すると、マールシェは横目でコスメールを見ながら口を開いた。

 「私に手助けなど不要。コスメールはすぐにボッシュの元へ行け!」

 「し、しかし……」

 躊躇するコスメールだったが、マールシェは更に鋭く言い放った。

 「早く行け!!」

 マールシェの迫力にコスメールはビクッと震えると、反射的に駆け出して自分のヒポグリフに飛び乗り大空へ舞い上がった。

 「コスメール!!!」

 マールシェは叫びながら、円形の物体を空に投げ放った。

 コスメールはそれを空中でキャッチすると、下のマールシェを見る。

 「その盾をお前に貸してやる!見事、ボッシュと共に帰って見せろ!」

 コスメールの手には、漆黒のラウンドシールドが握られていた。

 そうだ。このラウンドシールドは光の術を受け止めた実績がある盾なのだ。

 コスメールは力強く頷くと、北に向かって飛んで行った。

 「そう……それでいい」

 マールシェはコスメールの後ろ姿を見て呟いたのだった。





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