第9話
「――ソフィ様。息を止めてください」
「ふぐっ!」
朝の光が差し込む寝室で、私はメイドのルーシーにコルセットの紐をグッと引き絞られた。
いつも通りの優雅で、いつも通りのせわしない、我が公爵家の朝の日常である。
「ふう、ありがとうルーシー。…ねえ、昨晩の私の宣言、完璧だったわよね?」
「ええ。大広間の中心で『正々堂々真っ向勝負であなたを叩き潰して差し上げますわ』と堂々と仰いました」
「おかげで今朝の我が家には、各方面から『ソフィ様がいよいよ乱心された』と、心配のお便りが届いております」
ルーシーは表情一つ変えずに淡々と答えながら、私の髪を手際よくローポニーテールに結っていく。
鏡に映る私の瞳には、一切の迷いはなかった。
婚約破棄されたからって、大好きな殿下を諦めるわけがない。
あの泥棒猫に、殿下を近くで拝める権利を渡すなんて万死に値する。
「泣いても笑っても、今から向かう先はルミナス学園。さあお嬢様、背筋を伸ばして行ってらっしゃいませ」
ルーシーに容赦なく制服の上着を着せられ、そのままいつも通り馬車に乗り込んだ。
車内で勝利の妄想を繰り広げているうちに、馬車はあっという間に華やかな生徒たちで賑わう学園へと到着した。
ルミナス学園の廊下は、案の定、昨晩の噂でもちきりだった。
「あれが殿下に喧嘩を売った…」
「あまりみないほうが…」
周囲の生徒たちが昨晩の噂でザワザワとこちらを見ながら何言っているが、私はそれを「私の殿下への愛の深さに、学園中が感服しているのね!」と120%ポジティブに受け流しながら廊下を歩く。
すると、そんな私の前に、一人の美しい少年が立ちはだかった。
「やあ、ソフィ。昨晩の夜会は見事な大立ち回りだったよ。さすが元婚約者だ、胆力と身のこなしだけは認めてあげるよ」
カイルはふっと意地の悪い、だけどどこか楽しそうな笑みを浮かべて私を見下ろした。
昨晩のパーティー会場で、一人でオロオロしていた常識人のカイルである。
私はふふんと胸を張る。
「お褒めに預かり光栄ですわ、カイル! 愛する殿下を泥棒猫に渡すわけにはいきませんもの。宣戦布告、完璧にキメて差し上げましたわ!」
「それは頼もしい。…で? オリビア嬢とは一体どうやって決着をつけるつもりなんだい?」
「 彼女は隣の国の村娘だけど戦闘の才能がとんでもない上に、最近じゃ光の聖女とまで噂される魔法の天才だぞ。君はどんな決闘ルールを指定するんだ?」
カイルのその極めて冷静な言葉に、私はピタリと足を止めた。
……決闘ルール。
……光の聖女。
……魔法の天才。
「…おや?」
私の口から、間の抜けた声が漏れる。
(…あれ?)
「…ねえ、カイル。決闘って、もしかして魔法とか剣とか、そういうもので戦うのが一般的なのかしら」
「当たり前だろ。貴族の宣戦布告だぞ?」
「まさかドレス姿で素手のキャットファイトでもする気だったのか?」
カイルは、はあぁ…と深い溜息をつき、信じられないという風に盛大に頭を抱えた。
「いいかい、ソフィ。よく考えてみなよ」
「君は実技は壊滅的だよね。魔法も使えないし、鉄の武器は持つとボロボロになって使えない」
「対するオリビアは光の魔法の得意な聖女だ。そんな相手とまともに戦ったら、君は手も足も出ずに負けると思うが」
「 …まさかその現実に今この瞬間に気づいたのか?」
「…本当ですわ。私、絶対に負けますわね。」
「今更気づくなんて遅すぎるよ!! なんで勝算ゼロで堂々と宣戦布告したんだよ!」
カイルの怒号のようなツッコミが朝の廊下に盛大に炸裂する。
周囲の生徒たちがビクッと肩を震わせている。
しかし、私はフンスと鼻を鳴らし、一切怯むことなくぎゅっと拳を握りしめた。
負けると分かったところで、一度売った喧嘩を今更やめる公爵令嬢ではない。
殿下への愛は、その程度の絶望で揺らぐものではなかった。
「困りましたわね。でもこれも殿下を近くで鑑賞するため、やるしかありません。」
「はぁ…。本当に君ってやつは…」
「でもあれだけ大見得を切って宣言したからにはもう後戻りはできないからね」
「覚悟を決めて、まぁ死なない程度に頑張ってくれ」
カイルは完全に諦めた目で私の肩をポンと叩いた。
こうして、オリビアとの戦いに足を踏い入れるのだった。




