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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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彼岸花に滴る涙

恵は驚愕した。

庭の一角にベットリと血痕が広がり、

しかもそれが鮮やかな赤なのにも関わらず、死体がないのだ。

そして最も不可解な事に、血痕の中央に、大輪の彼岸花が咲いているのだ。

鮮やかな血の中にあっても、一際鮮やかな彼岸花。

それも、後から掘って植えられたものではない。

ずっと昔からそこに植わってあるかのように、

花茎をのばし咲き誇っているのだ。

その彼岸花は、

この世に存在するありとあらゆる赤が混ざったような色彩で、

魔性のように美しく、

思わず見とれてしまう程であった。

荒唐無稽で非現実的な光景。

しかし伝恵は、

それが「美純」の起こしたものであると直感し、

絶望と諦観に近い様子で、

「美純、美純!」

と娘の名を呼びながら、屋敷中を駆け回った。

しかし、どこにも彼女の姿はない。

頭が混乱して支離滅裂だったが、

何をすれば良いのかが余りにもわからないため、

なにはともあれ警察に連絡した。

科学検査の結果、

血液のDNAは、


美純と同じものだと断定された。


伝恵は衝撃を受けたが、そのような予感はしており覚悟もしていた。

血はあるのに遺体はない。

だけど彼岸花が咲いている。

このように不可解な状況のなか、

警察は捜索を開始したが、

伝恵は『遺体は見つからないだろう』と確信していた。

そして諦めようとしていた。

夫を毒殺され、娘すらいなくなる。

愛する人を失う悲しみを、『仕方のないことなのだ』とあきらめる事で、

伝恵は自分の心を守ろうとした。


ある日、優一が屋敷を訪れた。

「美純さんがいなくなった…?な、なぜ…?」

ひととおり事情を話し終えた後、

優一は明らかに動揺し、青ざめていた。

彼と会ったのは、美純が子供のように泣いていたあの日、

ほんの少しだけ顔を合わせたとき以来だ。

時折すれ違う他には、優一とは何の面識もない伝恵であったが、

優一のへスタイルや服装や雰囲気は、

以前と比べて、明らかに質素になっていた。

あの時美純と何を話していたのか、

そして何故そこまで雰囲気が変わったのか。

そこに何故か共通項があると予感して、

伝恵は優一に、あの場で何があったのかを尋ねた。

「美純さんと、話をしていたんです。

もっとも、僕の方から一方的に話しかけていただけですし、

彼女の方は、僕とあまり、話したくなさそうな様子でしたから…。

だけど僕は、どうしても美純さんに、自分の思いを打ち明けたくて…。

僕、美純さんの事が好きなんです。愛しているんです。

だから、その…お気を悪くされたら申し訳ないのですが、その…

美純さんに、交際を申し出たのです。

怒り狂って我を忘れている美純さんに向かって、交際を申し出たんです。

そうしたら彼女は膝から崩れ落ちて、しばらく呆けた後、

その…失禁してしまって…。そうしたら急に彼女が、

屋敷から小刀を持ってきて、僕を殺すと脅して…。

それに対して僕は、『それで君の気が済むなら僕を殺してもいいよ。

君にだったら、殺されたっていい』と、言ったんです。

そうしたら奥様もご存じのとおり、子供のように泣きだして…。

あ、あの、ぼ、僕が、僕が、美純さんを、追い詰めてしまったんでしょうか…?」

優一は慌てて、伝恵にそう尋ねた。

その顔はまるで、

飼い主に捨てられた犬のような、

母親を失った子供のような、

見ているこちらの方が涙しそうになるほどの、切実さに満ち溢れていた。

娘に対する誠実な思いを感じ取った伝恵は、

『きっと寛が殺されなければ、美純と彼は、幸せな恋をしていたかもしれない』

と思い、そして、

運命の擦れ違いの残酷さに、思わず涙を零した。

しかし結果として、

寛は死に、美純もいなくなったのだ。


西郷優一。


彼もまた、

美純とは方向性こそ違えど、

美しい心の持ち主で、

そして危うい性質の人間だ。


『彼を、北条家の悲劇に巻き込んではならない。』


そう決意した伝恵はわざと険しい顔をつくって、

「優一さん。悪い事は言わないから、美純の事は忘れなさい。

あまりにも噂されているから御存知だと思うけど、

美純は父を毒殺された挙句、あまりにも世間から不当な扱いを受けたので、

怒りのあまり、誰の事も愛せない人間になってしまったの。

あの子と一緒になったって、良いことなんか一つもないわよ。

母である私の事ですら、おそらく彼女は蔑んでいたのだから。よいこと、優一さん。

あなたは悪い妖怪に化かされたの。そして今もその妖術にはめられて、

あなたは冷静な判断力を失っているの。

もう一度言わせてもらうわ。美純の事は忘れなさい。

あなたならば女性も引く手あまただし、

大手印刷会社の御曹司ともなると、伴侶を探すのにもいろんな苦労があるだろうけど、

だけど、あなたには必ず良い人が見つかるわ。

あなたはまだ若いし、焦る気持ちもあるだろうけれど、私の言うとおりにしなさい。」

と、まくしたてるように言った。

冷徹とも言える伝恵の言葉を聞いて、

優一は絶望的な顔をして、こう尋ねた。

「お母様は、美純さんと僕が付き合うのに、反対なのですか…?」

しかし伝恵は表情を変えず、

「反対とか賛成とかの問題ではないの。幸せか不幸かの問題なの。

美純にはもう不幸しかない。だけどあなたは、幸せと不幸、どちらかを選べる。

そういう問題なのよ。」


それを聞いた優一は、

とうとう泣きじゃくりながら、


「僕は…僕は、例え幸せになれなくても、美純さん以外の女性なんか、

考えられません!美純さんは、悪い妖怪なんかじゃありません!

僕の良くない所を治してくれる、僕の天使です!冷静じゃなくてもいい、

化かされててもいい、僕は、僕は…彼女の事しか愛したくないんです!

いくら美純さんのお母様だからって、そんなに、そんなに…

娘の事を悪く言わないでください!たった一人の娘なのに、『母さん』なのに…。

世間がどれだけ彼女の事を悪く言っても僕は気にしない、だけど、

お母さまだけは、彼女のことを悪く言わないでください!

だって、『母さん』なんですから…!」

その様子に、

娘の幼い頃の姿を見たようで、

伝恵はひどくいじらしい気持ちになった。

しかし伝恵は、

彼の思いが本物であればこそ、

これ以上美純の事について、

彼を煩わせるわけにはいかないと、

あくまでも険しい表情を崩さなかった。


聞く者の心さえ、

涙に浸水させる、優一の泣き声。


『これ以上ここに居てはいけない。』


彼の涙に感化された伝恵は、

足早に、

屋敷の中に立ち去った。


背後から、優一の声が聞こえる。


「あなたが、『母さん』が、そんな風に美純さんの事を悪く言うから、

美純さんは悲しみのあまりいなくなったんだ!あなたは結局、

娘に拒絶されるのが怖くて、彼女の心に最後まで寄り添うことができなかったんだ!

我が身可愛さに、娘を苦しめたんだ!その良心の呵責があるから、

娘のことを悪く言って、自分のきもちに嘘をついているんだ!

…母さんなら、母さんなら…なにがあっても、

子供の事を悪く言うべきなんじゃないのに!

この世でたった一人の、母さんなのに…!」


号泣し取り乱しながら、

伝恵を謗る優一の姿は、

まるで、

『寂しい思いをさせた母親に、怒りや不満をぶつける子供』のようであった。

彼の言葉は、

伝恵の胸にも、刃のように突き刺さった。


『彼の言う通りだ。私はあれこれと節介を焼くだけで、

彼女の根源的な苦しみに、何一つ寄り添おうとしなかった。

それどころか、抱きしめてあげることすら、できなかった。

いいえ、しなかったのだ。拒絶されれば心が痛む、その我が身可愛さ故に。

宝飾品を贈ったときの、美純の激しい拒絶。

そしてその後の、少女のように純粋無垢で、痛んだ顔。

何故わたしは、あの痛んだ顔に、何の言葉もかけてあげられなかったのだろう。

抱きしめることができなかったのだろう。』


伝恵は、自責の念に駆られた。

屋敷の庭に突っ伏して、

土に髪と顔を擦りつけ、

子供のように泣いている優一。


今すぐにでも彼を抱きしめてあげたい。

力の限り。


しかし彼はもう、

美純と関わってはいけない。

でなければ彼も、

彼女と同じ末路を辿ることになるから。

伝恵は、

優一を障子越しに見守りながら、

ひとり寂しく泣いていた。

やがて泣き疲れた優一は、

顔や髪や衣服についた土を払った。

飛び散って庭を汚さないよう、丁寧に。

そして、屋敷に向かって一礼した後、

とぼとぼと歩き、

門を開け、

そして再び深々と一礼して、去っていった。

その姿がいじらしくて切なくて、

伝恵は咽び泣いた。


『…これでよいのだ。私は美純に拒絶されるのが怖くて、何も出来なかった。

だけど今回は、例え自分の心を痛めてでも、正しい行いが出来た。

…しかしそれが本当に、果たして本当に、正しいと言えるのか。

ひょっとして私は再び、最悪の行いを、してしまったのではないか…』


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