第14話「後始末にも、値段がある」
大屋根の中央支持フレームが、谷底の巨大な木組み支持台へと着座した瞬間、低く重い地響きが町を揺らし、そして止まった。
衝撃吸収用の積層ゴムと油圧ダンパーがすべての自重を受け止め、金属同士が擦れ合う長大な余韻を残して、ネリヴァの空は静止した。
主幹配管を通じて地上へ導かれた残留魔法は、広場や工房の前に並べられた数十基の中和容器へと分散され、安定砂の白い煙の中に吸い込まれていった。
青紫の光の渦は消え去り、あとには雨水を含んだ冷涼な風だけが吹き抜けていた。
町を押し潰すはずだった破滅の危機は、去った。
だが、本当の仕事はここから始まった。
大屋根の一部を開放したことで、ネリヴァの町には数十万トンの本物の雨が降り注いでいた。
低層区の通りは泥水で洗われ、側溝からは水が溢れ、第三共同住宅の地下室や市場の倉庫は床上まで水に浸かっていた。
雨を避けるために築かれた町が、初めて雨に濡れたのだ。
商店街の看板は傾き、多くの店が営業を休止せざるを得なくなっていた。
トア・レキネは、泥にまみれた長靴を鳴らしながら、低層市場の瓦礫の前に立っていた。
手には、復旧作業の手順書と、真新しい見積帳が握られていた。
「トアさん! こっちの排水ポンプの魔法石が目詰まりを起こしている! 見てくれ!」
水道組合の職人が声を張り上げる。
「すぐ行きます!」
トアは駆け寄り、泥水の中に躊躇なく手を突っ込んで、詰まったストレーナーを引き抜いた。
工具を使って手際よく配管の泥を掻き出し、予備の真鍮パッキンを噛ませて締め直す。
水流が息を吹き返し、浸水した店舗の床から濁水が勢いよく汲み出されていく。
作業を終えたトアへ、店舗の店主がタオルと、泥で汚れた革袋を差し出してきた。
「ありがとう、トアさん。いくら払えばいいかい?」
トアは一瞬、いつもの癖で「適当でいいですよ」と言いそうになった。
だが、彼は自分の胸ポケットに触れた。
そこには、今朝ミレから手渡された、新しい契約書の控えが入っていた。
トアは見積帳を開き、鉛筆を走らせた。
「ポンプの分解清掃とパッキン交換、それに泥の掻き出し作業で、銀貨一枚と銅貨六枚です。内訳は、部品代が銅貨八枚、残りは専門技術料と危険手当です」
店主は提示された明細をまじまじと見つめ、それから小さく笑って頷いた。
「分かりやすいな。何にいくら払っているのかが分かれば、こっちも気持ちよく払えるよ。あんたの腕に対する正当な代金だ、受け取ってくれ」
トアの手のひらに、銀貨と銅貨が落ちた。
硬い金属の感触とともに、その重みをしっかりと受け止める。
◆ ◆ ◆
設備局の本庁舎前の広場では、住民たちを集めた大規模な公聴会が開かれていた。
石段の上に立ったガルド・エスニは、局長の記章を外し、平服の姿で群衆の前に立っていた。
その手には、自らの罪を告白した指示記録の原本が握られていた。
「……二十年間にわたり、私は町の生活水準を維持することを最優先とし、処理しきれない残留魔法を大屋根の支持層へ隠蔽し続けてきました。その結果、町を未曾有の危機に晒し、多くの怪我人と損害を出しました。すべての責任は、私個人にあります」
ガルドは深く頭を下げた。
集まった町民たちから、怒号と厳しい野次が飛ぶ。
しかし、ガルドは言い訳をせず、警察と査問委員会の求めに応じ、すべての記録と個人資産を町の補償基金へ差し出す書類に署名した。
続いてセナ・オルミが石段の上へ進み出て、新しい設備運用規定の草案を広げた。
「本日をもって、設備局の旧来の運用基準はすべて破棄されます!」
セナの声が、広場のざわめきを静めていく。
「これより新設される『ネリヴァ設備保全機構』では、三つの原則を義務づけます。第一に、魔法設備の使用料には、将来の廃棄・中和処理費用をあらかじめ上乗せして徴収すること。第二に、すべての設備の点検と認可は、役所だけでなく民間の回収屋と職人組合による第三者査察を通すこと。第三に、町内の全配管の魔力圧データは、住民が誰でも閲覧できる公開元帳として毎日開示することです!」
広場に、どよめきが広がった。
◆ ◆ ◆
一ヶ月が過ぎた。
谷間に差し込む陽光は、開け放たれた大屋根の隙間から差し込み、石畳の道路に乾いた白さを取り戻させていた。
屋根の破損した鉱石板は順次取り外され、区画ごとに滑車とワイヤーで手動開閉できる、頑丈で簡素な新しい骨組みへと改修工事が進められていた。
トアの作業場には、以前のような雑然とした薄暗さはなかった。
新しく開けられた明かり取りの窓から、柔らかな光が木製の作業台を照らしている。
壁の工具棚には、トアの私物だけでなく、新しく仕入れた規格化された回収器具が整然と並んでいた。
扉が開き、ミレ・タシュが入ってきた。
その右腕はまだ包帯で巻かれていたが、すでに三角巾は外され、指先は器用に動いていた。
彼女は左手で分厚い帳簿の束を作業台へ放り出した。
「ほらよ、トア。今月の回収器具の製作・修繕見積もりだ。水道組合からの発注分が銀貨十二枚、市場の運搬具の定期点検が銀貨八枚。私の工房の取り分と、お前の工賃はきっちり折半で計算してあるよ」
トアは帳簿を受け取り、数字を指で追った。
訂正線は一本も引かれていなかった。
「助かるよ、ミレ。……腕の調子はどうだ」
「医者が言うには、あと二週間で完全に骨がくっつくそうだ。来月からは新しい荷車の量産に入るよ。今度は最初から、アース線と逆流防止弁を組み込んだ、絶対に暴走しないやつをね」
ミレは快活に笑い、作業台の端に置かれていた木製の丸椅子に目を留めた。
そこには、以前は一脚しかなかったはずの丸椅子の隣に、トアが自分で木を削って作った、全く同じ寸法の新しい椅子が並んで置かれていた。
ミレはニヤリと口元を歪め、トアの肩を小突いた。
「へえ……椅子、増やしたんだ。誰が座るのか、聞くまでもないけどね」
「からかうなよ。仕事の打ち合わせ用だ」
「はいはい、仕事熱心なことで。じゃあ私は邪魔者は退散するよ。夕方までに配達が三件残ってるんだ」
ミレは手をひらひらと振りながら、軽やかな足取りで作業場を出ていった。
入れ違いになるようにして、開いた扉の前に、見慣れた濃紺の外套を着た女性が立っていた。
セナ・オルミだった。
新設された現場設計・安全基準統括課の腕章を腕に巻き、小脇には使い込まれた黒革の図面ケースを抱えている。
「こんにちは、トア」
「セナ。入ってくれ」
セナは作業場へ足を踏み入れ、新しく並べられた丸椅子を見つめた。
彼女はわずかに頬を緩め、迷うことなくその新しい方の椅子へ腰を下ろした。
「第三区画の開閉試験、無事に合格しました。これで、天気の良い日は町全体の半分に直射日光が入るようになります」
セナは図面ケースを開け、新しい大屋根の開閉配線図を取り出そうとした。
「それから、来週から始まる低層区の配管改修計画についてですが、回収屋の立ち会い日程を調整したくて……」
彼女が早口で仕事の用件を並べ立てようとしたとき、トアは静かに手を伸ばし、彼女が広げかけた図面の端を軽く押さえた。
セナが驚いたように目を瞬かせ、トアを見上げた。
作業場の窓の外では、谷間の空を覆う雲が茜色に染まり、夕暮れの穏やかな光が差し込んでいた。
長屋の暖炉からは、心地よい薪の燃える匂いが漂っている。
トアはセナの瞳をまっすぐに見つめ、息を整えて言った。
「セナ。夕飯、食っていかないか。親父さんの食堂から、シチューを鍋ごと分けてもらったんだ」
セナの唇がわずかに開き、それから彼女は持っていた図面を見つめた。
「ですが、明日の朝までにこの安全基準の数値をまとめなければ……」
「仕事の相談は、明日にしてもいいか」
トアは柔らかく微笑み、言葉を重ねた。
「飯が冷めちまうからな」
冷めきった料理を前にして図面を睨み合っていた、かつての夜の言葉を思い出したのだろう。
セナの表情から、技師としての張り詰めた緊張が、ふっとほどけていった。
彼女は目を細め、胸の奥から湧き上がるような柔らかな笑みを浮かべた。
「……そうですね。冷めたシチューほど、味気ないものはありません」
セナは広げかけた図面を丁寧に丸め、黒革のケースの奥へと静かに戻した。
そして、新しく設えられた自分の椅子に深く座り直し、温かな眼差しでトアを見上げた。
町を覆っていた重い雲の向こうから、夜の静けさが優しく降りてこようとしていた。




