第12話「町中が回収屋」
ネリヴァの中央広場に、けたたましい警報の鐘が乱打されていた。
頭上を覆う大屋根の南側――谷の入り口に面した一角が、青白い燐光を噴き出しながら、目に見えて数メートルほど低く傾いでいた。
鉱石板の継ぎ目が外れ、谷底へ向かって、これまで屋根に遮られていた冷たい外の雨が、霧のような飛沫となって吹き込み始めている。
「落ち着いてください! 走らず、指示された誘導路に従ってください!」
広場の中央で、セナ・オルミが拡声器を片手に指示を飛ばしていた。
手元には、大屋根の解放計画図が何枚も広げられている。
広場には、低層区から避難してきた住民たちと、町中から駆けつけた職人たちが入り乱れ、騒然とした空気が渦巻いていた。
だが、そこにはパニックによる混乱はなかった。
第四共同住宅の管理人カルツが、腕章を巻いて住民たちの誘導を指揮していた。
「南側の住宅の人は、全員北側の第一、第二共同住宅の集会場へ移動してくれ! 部屋割りはもう済んでいる! 貴重品と毛布だけ持って、列を崩さずに進むんだ!」
「炊き出しの準備ができたぞ!」
三日月堂のパン屋の店主が、湯気の立つ巨大な平鍋を載せた荷車を押して広場へ入ってきた。
妻がその脇で、焼きたての丸パンを配り歩いている。
「温かいスープとパンを腹に詰めな! これから長い夜になるんだ、腹が減っちゃ戦はできないよ!」
広場の片隅の荷捌き場では、トア・レキネが数十人の職人たちを取り囲んでいた。
集まったのは、鍛冶屋、配管工、木工職人、そして銀滴工房のオズワルド率いる魔法細工師たちだった。
皆、自前の工具袋を肩に提げ、真剣な眼差しでトアの手元を見つめている。
トアは作業台の上に、青銅の捕集筒と、分解した真鍮の吸引ノズルを並べた。
「みんな、よく聞いてくれ!」
トアの声は、広場のざわめきを切り裂いてよく通った。
「これから南側区画の緊急排気弁を開ける。配管から溢れ出るのは、長年溜まり続けた残留魔法だ。性質は主に三つある。青く光るものは『浮遊』、赤く濁ったものは『熱』、黄色くパチパチ爆ぜるものは『衝撃』だ!」
トアは真鍮のノズルを持ち上げ、職人たちへ見せた。
「浮遊魔法には、導魔糸を編み込んだ繊維ノズルを使い、力を横へ受け流す! 熱魔法には、安定砂を吹き付けた肉厚の耐圧容器を被せて空気を遮断する! 衝撃魔法は絶対に直接触るな、木製の案内レールで地面のアース板へ誘導して力を逃がすんだ!」
オズワルドが一歩前に出た。
「レキネさん! 銀滴工房の全設備を解放し、耐圧容器を三十基、突貫で溶接して持ってきた! 中和剤の備蓄も工房にある分はすべて運ばせる!」
「助かります、オズワルドさん! 魔法の識別は工房の職人たちに任せます! 配管の締め付けは水道組合の職人たち、木製レールの敷設は大工たちで班を組んでください!」
トアは集まった人々を見渡した。
「危険な回収作業は、今説明した手順を理解した者だけで行う! 道具の扱いに慣れていない人は、容器の運搬、記録の記載、立ち入り禁止区域のロープ張りをお願いします! 誰一人、無理をして一人で抱え込まないでください! 少しでも異常を感じたら、すぐに手を離して合図を送るんだ!」
「応ッ!」
地を揺るがすような返答が、職人たちの喉から一斉に放たれた。
彼らは迷うことなく班ごとに分かれ、資材を担いで南側区画の各配管口へと散っていった。
ミレが、荷車の隊列の先頭で手信号を振っていた。
怪我をした右腕をかばいながら、左手一本で巧みに手綱を操り、空になった荷車を資材置き場へ、満載になった容器を隔離処理場へと休むことなく差配している。
「トア! 搬送路の確保は完了したよ! いつでも弁を開けて大丈夫だ!」
トアはミレに向かって力強く親指を立てて応えた。
トアは広場の中央制御車へと駆け戻った。
車内では、セナが設備局の技師たちとともに、持ち込まれた中央認証盤の配線を繋ぎ終えていた。
ガルド局長が傍らに立ち、各系統の水圧計と魔力計の数値を読み上げている。
「セナ、地上の受け入れ態勢は整った!」
「了解しました。南側第四区画、外周排気弁の遠隔操作シーケンスを開始します」
セナは金色の最高認証鍵を盤の鍵穴へ差し込み、半回転させた。
盤面の無数の真鍮ランプが、一斉に赤から緑へと切り替わる。
「排気弁、一段階開放!」
セナがレバーを引いた瞬間、町全体を揺るがす重い金属の摺動音が南の空から響き渡った。
大屋根の南端、巨大な青銅のルーバーがゆっくりと外側へ向けて開かれた。
溜まりに溜まっていた残留魔法の海が、青白い光の奔流となって、配管と大気中へ向かって一気に噴き出した。
直後、ネリヴァの町に、かつて誰も経験したことのない事態が訪れた。
ザァァァッ、と、激しい水音が石畳を叩いた。
屋根の開口部から本物の雨が、容赦なく町の一角へと降り注いできたのだ。
冷たい雨粒が道路を洗い、看板を濡らし、建物の屋根を叩く。
だが、混乱は起きなかった。
水路の防護板は事前に引き上げられ、溢れ出た雨水は迷うことなく設計されたバイパス水路へと吸い込まれていった。
地上へ噴き出した青や赤の燐光に対しては、待ち構えていた職人たちの班が即座に取り付いた。
「浮遊の青だ! 繊維筒を構えろ!」
「熱核が来るぞ、容器を回せ!」
職人たちが叫び合い、トアが教えた通りの手順で魔法を捕集していく。
だが、素人が扱うには魔法の圧力はあまりに強大だった。
木製の案内レールを構えていた大工たちの腕が、暴れ狂う衝撃魔法の反発力で跳ね上げられる。
「うおぉっ!」
悲鳴とともにレールが吹き飛ばされそうになり、数人の職人が泥水の中へ無様に倒れ込んだ。
封じ込めようとした耐圧容器が火花を散らし、蓋を押さえる若手の顔が恐怖に引き攣る。
「レールをもっと寝かせろ!」
泥に塗れたトアが駆け込み、大工たちの背中を力任せに押さえつけて軌道を修正する。
「容器の蓋は一気に締めるな、圧を逃がしてからだ!」
コリンが素早く弁の隙間に真鍮のくさびを打ち込み、ミレが左手一本で荷車を盾にして暴風を遮った。
素人の恐怖を、職人の怒号と的確な指示が強引に繋ぎ止める。
オズワルドの工房の若手が耐圧容器の蓋をボルトで締め込み、大工たちが木製レールで衝撃を地面へと逃がす。
運搬班が満杯になった容器を次々とミレの荷車へと積み込み、馬車が隔離処理場へと走り去っていく。
地上へ溢れ出たエネルギーは、人々の連携した手によって分散され、安全な容器の中へと封じ込められていった。
「南側区画の魔力圧、四十パーセント低下! 構造崩壊の危険領域を脱出しました!」
セナが歓喜の声を上げた。
制御車の中に、技師たちの安堵の吐息が広がる。
「やったぞ……! 第一段階は成功だ!」
トアもまた、胸の奥から込み上げる熱い感情に拳を握りしめた。
雨に打たれながら作業を続ける町民たちの背中は、泥にまみれながらも、誇らしげに輝いて見えた。
「次だ、セナ。西側第三区画の排気準備に入ろう」
トアが次の指示を出そうとした、そのときだった。
中央制御盤の警告ブザーが、鼓膜を突き破るような鋭い音を立てて鳴り響いた。
盤面の中央、赤く点滅する大きなランプが一つ、激しく点滅を始めた。
ガルド局長が計器に飛びつき、老いた顔の血色を瞬時に失った。
「な、何だと……中央主幹支弁からの応答が途絶した!?」
セナが素早く遠隔操作レバーを叩いたが、レバーは中央の位置で固くロックされたまま、ピクリとも動かなかった。
「駄目です、操作信号を拒絶されています! 中央弁の内部で、長年の浮遊魔法の澱みが結晶化して、ギアを完全に噛み合わせているんだわ!」
セナが顔を上げ、トアを見つめた。
その瞳には、再び戦慄の色が走っていた。
「遠隔操作が効かない……! 中央弁が開かなければ、外周区画から逃げ場を失った残りの魔力がすべて中央支持柱へ集中して、屋根の天秤が崩れるわ! あと二十分で、中央構造ごと屋根全体が町の真ん中へ落ちてくる!」
谷の空を見上げると、大屋根の中心部――最も高くそびえる主幹支持塔の周囲で、青白い光が狂ったような竜巻を描いて渦巻き始めていた。
機械の遠隔操作は死んだ。
残された道は、ただ一つしかなかった。
トアは濡れた作業服の襟を正し、道具鞄を肩に掛け直した。
そして、セナの手元にある手動解除用の工具セットを見つめた。
「セナ。登るぞ」
「……ええ」
二人は躊躇うことなく制御車を飛び出し、雨と燐光が吹き荒れる中央支持塔の梯子へと向かって走り出した。




