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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
13/30

 そこから、サウス・ケンジントンに向かう――と思いきや、ジャックは「腹が減ったな……」と、ベイカー通りに向かうバスに乗り込んだ。


「いいんですか。あの警部補に先を越されたら……」

 ネロは落ち着かないが、ジャックは悠々と構えている。

「越されると思うか?」

「いや……そうは、思いません……」

「それに、ひとつ確認しておきたいことがある」

「何をですか?」

「捜索願だ」


 言われてみれば当然だ。

 家族が帰らないとあれば、警察に捜索願を出すのは必然的な流れだ。


「これまでに分かったことと、おまえの推理をまとめるとこうだ」

 ジャックは語り出した。


 ジェフリー・ブラックマン(仮称)はブラック・スワンの幹部であり、何らかの理由で死を予期していた。

 そこで彼は、自分の立場を知らずにいる大切な家族へ、精一杯のお礼――もしくは謝罪をしようと考えた。


「ここでおまえは、『なぜ最後の晩餐に、自宅ではなく、高級レストランを選んだのか』と疑問を持った」

「はい……」

「それは恐らく、『本当の家族ではない』からだ」

「つまり……」


 ――愛人。

 内縁関係にある彼女が、ジェフリー・ブラックマンにとって、最も大切な人物だった。


 マフィア幹部という立場から、敢えて家族を持たなかったのかもしれない。子供ができてからも、籍を入れられなかったのかもしれない。

 毎日は、会えなかったのかもしれない。


 そんな彼女の苦労を労うために、そんな境遇に置いてしまった娘に謝罪するために、ジェフリー・ブラックマンは、高級レストランでの最後の晩餐を計画した。

 しかしそれには、彼女と娘に、ドレスコードに合う衣装から用意しなければならなかった。


「サウス・ケンジントンの仕立て屋には、さすがに妻と娘を連れて行っただろう。仕立てってのは、生地選び、仮縫い、仕上げと、何段階も打ち合わせがある。だから、連絡先の嘘は吐けない」

 ネロは目を見張った。

「なら、その仕立て屋を見つければ、ジェフリー・ブラックマンの正体が分かるんですね!」

「いや、分かるのは妻の方だ。ドレスを縫うのに、男はいらない。金を先払いすれば用済みだ」

「けれど、奥さんが分かれば、ジェフリー・ブラックマンの正体も分かりますよね」

「そうだといいけどな……」

 ジャックは浮かない顔をしている。

「もうすぐゴールじゃないんですか?」


「捜索願だ」

「はぁ……?」

「捜索願が出されているか、出されていないかで、接し方を変えなきゃならない。出されていれば、ある程度覚悟はできてるだろう。しかし、出されていなければ……」


 最愛の人の失踪すら知らず、平穏な日常を送っているところに、無慈悲な通告をしなければならない。


 愛人という立場で、毎日は顔を合わせていない状況ならば、後者の可能性が高い。

「そんな母娘(おやこ)に、いい加減なことを告げたくない。今のところ、俺たちの推理の根拠は、おまえのスキルだけだしな。目に見える、確かな証拠を手に入れたいところだが……」


 ネロは軽く微笑んだ。

「ジャックさん、優しいんですね」

 すると、意外だとでもいうように、ジャックはキョトンとネロを見返した。

 そしてすぐに、照れを隠すように前髪をクシャクシャと搔く。

「女が泣くと、手に負えないから……だ」



 ――――――――



 喫茶ハドソンの扉を入る。

 夕闇迫る閉店間際の店内に、客は一人だけだった。

 カウンターでコーヒーを啜っていた男は、ジャックの顔を見るなり甲高い声を上げた。


「オーギュスト・キャンベル中尉。あなたはなんてことをしてくれたんですか!」

 フルハタ警部だ。彼もまた、退役軍人として、ハドソンの常連なのだ。

 ジャックはクシャクシャと髪を搔き、不機嫌な目で神経質な日系人を睨んだ。

「その名はここでは使わない約束だぜ、フルハタ少佐」


 ジャックはフルハタと並んで座る。マスターに「いつもの」とオーダーし、胸ポケットのタバコを手にして、すぐに手放す……この店は禁煙だった。


 マスターがネルの袋に湯を注ぐのを手持ち無沙汰に眺める。芳しい香りが辺りを満たしていく。


 この店の味は世界一と言っていいと、ジャックも思っている。

 しかし、人相の悪い退役軍人ばかりが集まるから、一般の客は入ってこない。しかも、何も知らずにエスプレッソを注文しようものなら、フライパンで叩き出される理不尽さだ。


「あいよ」

 マスターがジャックの前にカップを置く。軽く口に含めば、澄んだ風味の中で、ズシリとコクが主張する。


 やっと一日が終わる……ジャックはふうと一息吐いた。


 だが、隣の人物は気が済まないようで、白いカップを手に包んで、ジャックに顔を向ける。

「あの少年は何者ですか? ワットソン警部補に勝負を挑むなど、なんて恐ろしいことを……」

「ブラウン先生の差し金だろ」

 ジャックは煩わしさを隠しもしない。

「面白いスキル持ちを拾ったから、試しに連れてっただけだ。恨むんなら、あんたのところにあのボンクラを差し向けた上司を恨むんだな」

「別に、恨んでなどいませんよ……少々、胃薬の量が増えそうではありますがね」


 神経質なこの警部は、胃痛が原因で退役し、スコットランド・ヤードに入庁したという経歴を持っている。いつもスーツのポケットに、胃薬を忍ばせているらしい。


「コーヒーは胃に悪いんじゃないの?」

 ジャックが冷やかすが、フルハタは、

「マスターのコーヒーを飲まないで一日を終える方が、精神衛生上良くありません」

 と、カップを口に運んだ。


「で、どうなんだ? あの死体の身元捜査は?」

「敵に塩を送るほど、私はお人好しではありませんよ」

 と言いつつも、フルハタは大きく溜息を吐く。

「正直、参っています。不法移民を調べようにも、記録が残っていないから不法移民な訳で……」

「だろうな」

「他にも手を尽くしているんですがね。タワーブリッジ周辺の聞き込みに、彼が着ていたものの特定、犯罪歴……」

「司法解剖は?」

「事件性を確定できなければ許可は下りません」

「窮屈だな、警察ってのは」

「正直、あなたがたが羨ましいです。違法捜査も揉み消せるお墨付きが、私も欲しいです」


 そこでジャックは、例の件を訊ねてみた。

「捜索願は当然、調べたんだろ?」

「もちろん。しかし、昨日の今日ですし、それらしいものはなかったです」

「…………」


 沈黙するジャックを見て、フルハタは眉を上げる。

「こちらがこれだけ情報を出したんです。あなたも分かったことを出さなければフェアではありませんよ」

「そうだな……」

 ジャックは考える素振りをして答えた。

「ピクルスだけのサンドイッチは、美味くない」


 フルハタは唖然とした後、声を上ずらせた。

「そ、そんなこと、教えられるまでもありません!」


 だがジャックはそれを無視して、

「ご馳走さん」

 と立ち上がった。そのまま扉に向かう彼を、マスターの声が引き止める。

「ツケはいつ払うんだ?」


 ジャックは気まずい顔で振り返った。

「明日だ。明日返すから、ちょっと待って。お願い、この通り!」

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