――――第3話――――
「まさか、本当にあの聖女様が求婚してきたとは……」
聖女の襲来から、半刻後。
例によって執務室。ゼノルとスウェルスは、突然ぶち上がった大問題について話し合っていた。
スウェルスが納得いかないような表情で言う。
「いくらなんでも、妙ではありませんか」
「そうだな……」
「ゼノル様にばかりこれほどの縁談が持ち込まれるなど。しかも噂の聖女様は、貴族令嬢もかくやというほどの美女ときている。あまりにも出来すぎています。これは何か、大いなる意志が働いているとしか……」
「貴様はまたそれか」
ゼノルが呆れきったように顔をしかめる。
「貴様はオレに何度妬み嫉みを聞かせれば気が済むのだ。オレの方を見てぶつくさ言うのではなく、自分でさっさと結婚相手を見つけろ」
「そうはおっしゃいましても、仕事が忙しく……」
「ああ聞きたくない聞きたくない。この流れも何度目だ! ここからオレがならば部下を育てろとか言うのも毎回ではないか! いいから目の前の問題について話し合うぞ」
「ここで私が、じゃあ仕事に戻りますかと言うところまでが一セットですね」
しれっと言ったスウェルスが、表情を引き締めて続ける。
「して、どう思われますかゼノル様。正直私は、前代未聞すぎて何が何やらという状態ですが」
「前代未聞なのは当然だろう。なにせあの女以前の聖女は、八百年前に存在したきりなのだから」
ゼノルが鼻を鳴らして続ける。
「最後の聖者ですら、二十年ほど前に死んでいる。現状唯一の聖者にして史上二例目の聖女だ。そんな女からの縁談など、参考にできる前例がないのも無理はない」
「ただあらためて考えてみますと、これまで存在した聖者は普通に結婚していたりしますよね。彼らの子孫などもいますし。聖女様も聖者の一人であると考えると、縁談の申し入れ自体はそれほど特異なことではないのでは?」
「……そう単純な話なら楽なのだがな」
重い溜息をついて、ゼノルは自らの補佐官に視線を向ける。
「スウェルス。あの女についてはどの程度把握している?」
「聖女様についてですか。私もそれほど詳しいわけではありませんが」
スウェルスが眼鏡を直して続ける。
「まず、名はラニス。平民の出であるため、家名はありません。王国西部にある小さな村の生まれですが、その村は聖女様が七歳の頃、大規模な盗賊団の襲撃に遭って焼かれています。聖女様は辛くも逃れ、近くの都市の教会で保護されたようです」
「有名な話だな」
ゼノルが呟く。
聖ラニスの持つ逸話の一つだ。襲撃を逃れられたのは神の加護があったためである、などという言説とセットで語られることが多いが、ゼノルは馬鹿馬鹿しいと思っていた。
スウェルスは続ける。
「その後ほどなくして、あらゆる神器に選ばれたという、かの聖女オリアンネと同じ特性を持つことが発覚。それからは教団の神官らと共に王国内の各地に出向き、神器を用いて慈善活動を行ってきたようです。四十人目の聖者に認定されたのは今から五年前、聖女様が十三歳の頃ですね。それ以前から、民の間では聖女と呼び称えられていたようですが」
「無理もあるまい」
聖女オリアンネの逸話は有名だ。神器によって荒れ地に豊穣をもたらし、災害を鎮め、無法者を神の教えに目覚めさせた。物語の形で親が子に語ることも多いため、子供でも知っている。
ラニスが神器で奇跡を起こす様を目にすれば、民は必ず初代聖女を連想することだろう。
「そもそも、聖女というのは正式な称号ではない。ラニス以前に聖女と呼ばれていたのは、オリアンネただ一人だったのだ。教団も聖ラニスのことは現状、聖者の一人としてしか扱っていないはずだ」
「ダグライ殿も、聖女様のことは一度も聖女と呼んでいませんでしたしね」
しかしながら、今後はどうなるかわからない。
教団がいずれラニスを正式に聖女と称するようになっても、不思議ではない状況ではあった。
同じ可能性を考えていたのか、スウェルスが言う。
「とはいえ教団のこれまでの動きとしては、各地で慈善活動を行わせるなど、聖ラニスを喧伝するかのようなものが多かった印象です。市井に広がる聖女の呼称を否定もしていませんし、史上二人目の聖女を正式に認める準備をしていたと捉えることもできます。ただ、その場合……今回の縁談申し入れが、まったく不可解なものになってしまいますが」
「……そうだな」
ゼノルが難しい表情で同意する。
「弱小貴族ならまだしも、ロドガルドのような力のある家に取り込まれてしまえば、聖女は教団の制御下から外れる。これまで行ってきた聖女認定の準備を、自ら台無しにしてしまうような行為だ」
せっかく聖女に認定したところで、そのコントロールを手放してしまっては、教団にとって利がなくなってしまうように思われる。
ただ……現在の教団に聖女が本当に必要なのかと問われれば、うなずきがたいものがあるとゼノルは考えていた。
利用価値がある一方で、聖皇を差し置いて民衆の支持を集めてしまうなど、かえって害をおよぼすこともありうる。
しかしそれを懸念するならば、最初から表に出さなければよかっただけのこと。喧伝するような真似をしなければ、これほどラニスの存在が世に広まることもなかったのだ。
いずれにせよ、教団の行動に矛盾があることには違いない。
スウェルスがゼノルに問いかける。
「一応ダグライ殿は、その理由としてロドガルド領に影響力を持ちたいからだと語っていましたが……やはりゼノル様は、あれは偽りだったとお考えですか?」
「偽りとまでは言わん。そういった事情もありそうだ。ただ、それがすべてではないだろうな」
ゼノルはダグライの言葉を思い出しながら続ける。
「そもそもこの地に影響力を持ちたいのなら、もっと違う方法があったはずだ。教団主導で大教会建築をもちかけるとかな。大教会認定の話がまとまってから、まるで慌てたように聖女との縁談などという搦め手をとるなど、妙としか言いようがない。必ず何か、裏の理由があるはずだ」
「な、なるほど……。思えば縁談という方法をとるにせよ、聖ラニス様を正式に聖女と認定してからの方がずっと効果的な気がしますしね。妙であることは確かです。しかし、裏の理由ですか……」
「……まあ、ある程度想像はつくがな」
なぜか苦々しい表情で言ったゼノルに、スウェルスが驚いたような顔をする。
「ええっ、そうなのですか?」
「ああ……いくつか、思い当たる節がないでもない。そのうちの複数が絡んでいても不思議はないな。ただ……」
そこでゼノルは、思案するような顔で言う。
「……肝心のあの聖女自身がどういうつもりなのかが、まるでわからん」
「聖女様自身の思惑、ですか。いわく、ゼノル様との婚姻が神の意志であるから、とのことでしたが……」
「本気で言っているのなら、ただのイカレ女だな」
主の暴言に、スウェルスは戸惑ったように言う。
「い、いや、なにもそこまで……」
「言うほどのことだ。神がどうとか言いながら貴族に求婚するなど、頭が沸いているとしか言いようがない」
王国では、民や貴族の信仰心は決して低くないものの、高くもない。
ほとんどの者は、神の存在を意識しないまま日々を過ごしている。仮に教団の教えに背いたり、神を貶める言動をとったとしても、せいぜいが眉をひそめられる程度だ。村を追い出されたり、貴族社会でペナルティを受けたりすることもない。
だから逆に、ラニスのような神にすべてを委ねるがごとき言動も、受け入れられがたいものがあった。
「……ですが、ゼノル様」
スウェルスが眼鏡を直しながら言う。
「かの聖女オリアンネは、神の姿を見、神の声を聞いていたという話ではありませんか。であれば、あるいは……とは考えられませんか?」
「まさか本当に、神があの女に自らの意志を伝えていたとでも? なんだ貴様、そこまで信仰に篤かったのか」
「いや、そういうわけではありませんが……」
「八百年前の伝説など真に受けるな。神が人間に語りかけることなどあるはずもない。百歩譲ってあるとしても、人間の婚姻ごときに口は挟まんだろう」
「まあ、そうかもしれませんが……」
「神の意志など妄言にすぎん。問題は……あの女がそれを、どのようなつもりで口にしたかだ」
ゼノルは嘆息しながら言う。
「本気でそう信じているただのイカレ女なら、楽なのだがな」
「……ゼノル様は、聖女様のあの言動も、何か裏の意図があってのものだと?」
「正直、何もわからん。単に教団から、そのような振る舞いをするよう言い含められているだけの可能性もある。ただ……」
ゼノルは思い出すように言う。
「あの場では、教団側の使者であるダグライではなく、聖女自身が交渉の主導権を握っているように見えた。ただのイカレ女でも教団の傀儡でもないと、想定しておいた方が賢明だろう」
「なるほど……」
スウェルスは一瞬沈黙した後、続けて問う。
「……して、ゼノル様。前向きに検討するとのことでしたが……もしかして、縁談を受けることも考えていらっしゃるのですか?」
「何を言っている」
ゼノルは思い切り顔をしかめて言う。
「受け入れるわけがあるか。常々言っているだろう。オレは絶対に、結婚などしないと」
「ですよね。しかし、それならばなぜあんな気を持たせるような返答を?」
「ふっ……遅滞戦術だ」
ゼノルは口の端を吊り上げて言う。
「あの場で断ってしまえば、奴らは断られた時のために用意していた手を即座に打ってきただろう。そうなればこちらは必ず後手に回ることになる。それは前回、レイシアとの一件で学んだ」
「は……はあ……」
「だが返答を保留にし続ければ? 奴らは用意していた手を打てず、判断に迷い続けることになる。それはある意味、こちらが先手を打っているに等しい」
ゼノルは不敵に続ける。
「奴らにはなんらかの思惑がある。そしてそれには、おそらく期限があるはずだ。オレも聖女もまだ十八。婚姻に焦るような時期ではないにもかかわらず仕掛けてきたということは、今でなければならない理由があるのだ」
「それはまあ、考えられるかと思いますが……」
「返答はしない。催促されようが、とにかく保留し続ける。そうなれば期限が迫った奴らはいずれ、なんらかの行動を起こすだろう。その内容から、奴らの思惑を探る……。どうだ、スウェルス。オレの完璧な一手は」
不敵に笑う自らの主に、スウェルスは言いにくそうに言う。
「その、なんと申しますか……警戒のしすぎでは?」
「む……」
「もしも単に貴族との婚姻が目的だった場合、断れば素直に退いた可能性もあります。ゼノル様以外にも貴族はいるのですから。というか一般的に、一つの縁談に固執して強引に呑ませようとしてくることなど、そうはありません」
「……」
「むしろ無闇に断りの返答を長引かせれば、関係者の心象を害し、教団との関係がこじれかねませんよ。大教会の建築を控えた現状、それはあまり望ましくないのでは? こう言ってはなんですが、ゼノル様……レイシア嬢との一件がトラウマになっていませんか?」
「……何を言う。そんなわけがあるか」
ゼノルは顔をしかめる。
「貴様は甘いぞスウェルス。聖女の方は知らんが、少なくとも教団側の思惑としては、聖女の結婚相手がオレでなければ困る可能性が高い」
「そう、なのですか……?」
「聖皇を動かすほどに、教団は本気なのだ。強引に縁談を呑ませようとしてきても不思議はない。最終的に関係がこじれる程度で済めばむしろ上々だ。この程度で警戒が過ぎるということはない」
「……まあ、ゼノル様がそうおっしゃるのでしたら……」
「それと言っておくが、オレは断じて、レイシアにトラウマなど植え付けられてはおらんぞ。オレの圧勝だったのだ。奴との一件がオレに与えた影響など、微々たるものにすぎん」
「わかりましたよ……」
微妙な表情の補佐官から目を離し、ゼノルは呟く。
「……オレは絶対に、結婚などしない。たとえそれが、神の意志に反するとしてもだ」
まるで自らの創造主に唾吐くかごとき不遜な表情で、ゼノルは言った。
「まずは、奴らを焦らし尽くす」




