――――第13話――――
「状況を整理しよう」
レイシアを追い返した後、執務室に戻ったゼノルは、傍らに控えるスウェルスに向かって話しかける。
「勝手に炎上して沈んだ、謎の帆船。あれはまず間違いなく、レイシアの仕込みだ」
「一応、カダルグが虚偽の内容を話している可能性はありましたが……」
スウェルスが眼鏡を直しながら言う。
「レイシア嬢の提案内容から、それは否定されたと考えていいでしょうね」
「まったく、してやられたものだ……。あんなことは事前に備えていないとできん。醜聞への対抗策としてオレが軍船を遠征させることは、どうやら完璧に読まれていたようだ。海賊討伐の計画自体は元々隠していなかったからな……。おかげで、あの女の実家にまんまと利益を献上する羽目に……!」
ゼノルが、ぎぎぎと歯を食いしばる。
そんな主をたしなめるように、スウェルスは言う。
「過ぎたことは仕方ないでしょう。それよりも今は、レイシア嬢の奸計にどう対抗するかです。ゼノル様は、例の訴訟についてどのようにお考えですか?」
「む……そうだな。普通に考えれば――――」
ゼノルが、口元に手を当てて言う。
「――――はったりだ」
「やはり、そう思われますか」
スウェルスはそう言って眼鏡を直す。
問いを発したスウェルス自身も、同意見だった。
ゼノルは言う。
「偽の商船を用意し、不審な動きを見せてロドガルドの船に攻撃させる。その後わざと炎上させて沈め、高価な積み荷が失われたのだと訴える……。完全に訴訟詐欺だ。しかも請求額が半端ではない。裁判となれば取引履歴なども徹底的に洗われる以上、こんな無理が通るはずがない。王立裁判所での偽証は重罪、この規模ならば死罪もありうる。いくらレイシアが糸を引いたとて、商人どもがこんな危険な賭けに最後まで付き合うとは思えん」
「下手をすれば、レイシア嬢自身にまで累が及びかねませんしね……」
「ああ。あの女が破談の醜聞をばらまいた時も、結局アガーディア公爵を巻き込みはしなかった。奴の性格からも考えにくい」
自らの考えを整理するように、ゼノルは続ける。
「訴状は届いたものの、審理の開始はまだ二ヶ月も先だ。レイシアに仲裁を頼むまでもなく、このまま放っておけば商会が勝手に訴えを取り下げる可能性は高い。というより、まずそうなるだろう。ただ――――」
ゼノルがこめかみに指を当てる。
「――――これはあくまでオレの、希望的観測にすぎん」
「ええ、そうですね……」
スウェルスが重苦しく同意する。
「もし、訴えが取り下げられなかったら。もし、商会側の主張が認められてしまったら。……あの請求額をそのまま支払うことになれば、財政に甚大な影響がおよぶことは避けられません」
請求されている賠償金は、それほど巨額なものだった。
可能性は低い。だが、万が一が起こってしまったら。
領地経営へ出る影響を考えると、迂闊に捨て置けない。
「……と、我々がそのように葛藤することまでを計算に入れた策なのでしょうが……わかっていてもどうしようもありませんね。レイシア嬢の思惑を看破したところで、状況のコスト、リスク、リターンは変動しないのですから」
と、スウェルスが主へ話を向けるも、ゼノルは何も答えなかった。
口元に手を当て、考え込むように視線を机の天板に向けている。
「ゼノル様? どうかなさいましたか?」
「……いや。あらためて考えれば、あの女は今回、結構な対価を支払ったと思ってな」
「はあ……」
「考えてもみろ。船が一隻沈んでいるんだぞ。カダルグに言わせればボロ船だったらしいが、それでも商船だ。安いわけがない。それに、人もだ」
「人、ですか?」
「零細商会に担がせるには、今回の訴訟詐欺の片棒は重すぎる。こんなことをさせるには生半可な対価では足りん。何か弱みを握ったか……過去の大きな借りを返してもらったと考えるのが自然だろう。いずれにせよ、レイシアは一度しか切れん札の一枚を切ったということだ」
「たしかに……。それだけ、今回の策に賭けている、ということなのでしょうか……」
「今回だけかはわからんがな」
軽く溜息をついて、ゼノルは訊ねる。
「あの女の資産や人脈の現況はどうなっていた?」
「以前にも報告した内容ではありますが」
スウェルスは眼鏡を直しながら答える。
「レイシア嬢の経済状況は非常に良好です。アガーディア公爵からいくつかの農園を任されており、その経営手腕によって収益を伸ばしています。所有する個人資産は中規模商会に匹敵するかと。また人脈については、学園でレイシア嬢を中心とした派閥が形成されております。同学年の指導者に近い立場となっており、一方で他学年へも顔が広く、どの有力者と繋がっていても不思議はありません」
「ふむ……」
ゼノルはわずかに考え込み、言う。
「学園での奴の様子をもう少し探っておけ。特に派閥周りを念入りにだ。それと、ブランキ商会自体についても。なんらかの関わりが見えてくるかもしれん」
「はっ、かしこまりました。……しかし」
スウェルスが言いにくそうに言う。
「密偵に探らせるとしても、調査結果が上がってくるまでには時間がかかります。審理開始までには、おそらく間に合わないかと……。訴訟への対応はどのようにいたしますか? やはり、ここは静観でしょうか」
「いや」
ゼノルは即座に否定する。
「さすがに捨て置けん。ただ手をこまねいているのも、オレの性に合わんしな……。ブランキ商会に手紙を出せ。示談に向けて、一度話し合いたいと」
「は……示談、ですか?」
「ああ、そうだ。レイシアの出した仲裁案は、婚約云々を抜きにしても受け入れられんからな」
スウェルスは困惑する。
レイシアの提案に乗れば、こちらは銅貨一枚たりとて支払う必要がなくなる。これ以上に有利な条件など、普通に考えればありえない。
「オレが直接、奴らの使者と交渉する」
ゼノルは椅子の背もたれに身を預ける。
「愚かな弱小商会には、思い知らせてやらねばならん」
そして、不敵な笑みとともに言った。
「このオレを謀ろうとした者が、どのような目に遭うのかを」




