――――第12話――――
ゼノルの予言は的中することになる。
訴状が届いてから、二日後の午後。
「此度の海賊討伐にかかる大戦果、おめでとうございます。ゼノル様」
屋敷の応接室の長椅子には、公爵令嬢レイシア・リヴィ・アガーディアの姿があった。
相変わらず、まるで親しい友人の住まいを訪れたかのような落ち着いた仕草で、出された茶を嗜んでいる。
一方、ゼノルはといえば。
「やはり顔を見せたか」
忌々しげな目つきで、レイシアを睨んでいた。
「オレはまどろっこしい前置きが嫌いだ。したがって単刀直入に訊く。今度は何と引き換えに婚約を要求しにきた」
「さて、なんのことでしょうか?」
レイシアは、かわいらしい仕草で小首をかしげる。
「わたくしはただ、ゼノル様にお祝いの言葉とお礼を述べに来ただけですわ」
「……」
「なんと言っても……なぜかわざわざ隣のアガーディア領近海にまで赴いて、海賊を退治してくださったのですもの。お父さまも、とっても喜んでおりましたわ」
満面の笑みで言うレイシア。
主の背後に控えていたスウェルスは、ゼノルの額に青筋が立ち、微妙に痙攣していることに気づいた。
かなり怒っている。
「……」
ただそれも、無理からぬ話だった。
武力の誇示による牽制という意味合いを失った海賊討伐は、ただただ隣の公爵に親切にしてあげただけの慈善事業と化した。
結果的には、アガーディア領沖の根城を制圧できたために宝物をたんまり回収し、出費を補填できてはいる。
しかしそれは、あくまで結果論だ。レイシアにしてやられたことには変わりない。
そのうえで煽られたとあっては、ゼノルでなくとも怒りくらい湧くだろう。
「幸運なことに例の醜聞も、王国史上稀に見る快挙に比べれば霞むのか、すっかり鳴りをひそめたようです。おかげでわたくしも学園で居心地がいいですわ。でも……ゼノル様まで軍船に乗り込んでいたというのは、さすがに冗談ですよね? ふふっ」
さらにもう一煽り入れてくるレイシア。
公爵令嬢の背後に控える従者たちは、ゼノルの怒りの波動が伝わっているのか、全員氷像のごとく凍り付いていた。
そんな中でレイシアだけは、まるで友人に接しているかのように落ち着き払っている。
スウェルスは、感心を通り越して畏怖し始めていた。
胆力があるという次元ではない。大男ですら怯むゼノルの眼光を、年端もいかぬ少女がそよ風のごとく受け流している。
「……本題を」
ゼノルの声が、まるで地鳴りのように応接室に響き渡る。
「本題を、早く言え……オレの怒りが限界を超えんうちに……!」
レイシアはもったいつけるように、たっぷり時間をかけて茶を一口飲んだ。
それから、微笑とともに口を開く。
「何事も、勢いの付いている時ほどつまずきやすいものです」
ゼノルもスウェルスも、レイシアがようやく本題に入ろうとしていることを察した。
公爵令嬢は、あくまでしとやかに続ける。
「風の噂で耳にしました。海賊討伐の折、誤って商船を一隻沈めてしまったと。そして……船と積み荷の持ち主であったブランキ商会から、訴訟を提起されていると」
「……不思議なものだ。訴状が届いてからまだ二日。この事実を知る者は、まだほとんどいないはずなのだがな」
「ふふ。本当に、人の口とは油断ならないものですわね」
ゼノルの追及をさらりと躱し、レイシアは続ける。
「さすがのわたくしも、賠償額がいくらなのかまでは知りません。きっと経済力のあるロドガルド辺境伯にとっては、ささいな額なのでしょう。ただそれでも……穏便に収められるのなら、それに越したことはないのではありませんか?」
「何が言いたい」
「まったくの偶然なのですが、わたくしはブランキ商会に伝手があります」
ゼノルの眉が、ピクリと動いた。
レイシアは変わらない調子で続ける。
「ゼノル様が王立裁判所まで出向かずに済むよう、取り計らって差し上げてもかまいませんわ」
「……取り計らう、と言われてもな。ただの示談ならば、貴様の手を借りずとも……」
「ああ、失礼いたしましたわ。まどろっこしいのはお嫌いなのでしたわね」
レイシアが、にっこり笑って言う。
「ブランキ商会には訴状を取り下げさせますわ。もちろん、ゼノル様は銅貨一枚すら支払う必要はありません」
「……そう来たか」
ゼノルが苦々しい顔で呟く。
それはもはや、企みの自白も同然の提案だった。
「ただ」
レイシアが、急に物憂げな顔になって言う。
「さすがにわたくしも、赤の他人にそこまでするのは気が引けますわ。ゼノル様としても、一方的に恩を売られるのでは収まりが悪いでしょう」
「……」
「ですが」
レイシアは一転、満面の笑みを作って言う。
「未来の夫に対してであれば、協力を惜しむ理由はありませんわ。夫婦になれば、貸し借りもなし。ゼノル様としても、そちらの方が気が楽でしょう」
無言でうつむくゼノルに、レイシアは身を乗り出すようにして告げる。
「さあ――――わたくしと結婚してくださいませ、ゼノル様」
ゼノルは、おもむろに顔を上げた。
そしてレイシアを見つめながら――――応接室の出入り口をまっすぐ指さし、告げる。
「帰れ」