第80話 表と裏
奥へと駆けていくキョウヤを援護しながら、ミレイは思案していた。
あのシルヴァンという男はフィノアの兄、ランドが亡くなった元凶だと聞いている。そんな相手に服従する彼女の言動は異常だ。
おそらく、戦いを挑んで徹底的に打ちのめされた。そして絶望したところに付け入られ、やむなく従ってしまったのだろう。
「ミレイ……あなたまで私の邪魔をするのね……」
キョウヤを取り逃がしたフィノアがこちらに向き直る。どうやら意識まで乗っ取られているわけではないらしい。
「フィノア、どうしちゃったの……?」
「私は、一人では何もできなかった。だから、力が必要だった」
「騙されてるよ。シルヴァンは、あなたのお兄さんを手にかけた敵でしょう?」
「そんなこと、分かってる。それでも、このまま無様に死ぬ前に、腐った領主の一人くらいは殺しておきたかった……! それに、私は幸せそうに暮らしている人たちが妬ましくて仕方ないの……!」
怨嗟を口にするフィノアに、ミレイは思わず息を呑む。憎悪の対象は個人にとどまらず、数多の人々にまで及んでいる。
もはや洗脳されているとしか思えない。だとすれば、原因は分け与えられたという闇の力だろう。語りかける前に、まず彼女を蝕んでいる闇をなんとかしなければならない。
「分かった。じゃあ、戦おう。フィノアの想いはわたしが受け止める」
「……私の道を妨げるなら、あなた相手でも容赦はしない」
言うや否や、開戦の挨拶とばかりに一つの氷塊が飛んできた。
素早く身を躱すと同時に彼女の胸元を目がけて雷の矢を放つと、その前に氷の障壁が展開され弾かれる。もちろん、この程度の攻撃が届くとは思っていない。
フィノアに危害を加えるつもりはなかった。この戦いの目的は、倒すのではなく救い出すこと。彼女にマナを使い切らせ、対話に持ち込む必要がある。
今度は複数の氷柱が空中に生成される。ミレイは咄嗟にフィノアの周囲を旋回するように駆けた。襲いかかる冷たい連撃を間一髪のところで回避していく。
避けられる攻撃に防御魔法を使っていては、こちらのマナが先に尽きる可能性もある。これは我慢比べだ。
「ミレイ、どうしたの? 本気でやらないと死ぬよ……?」
息つく暇もなく、新たな氷塊が飛来した。瞬時に火球を作り出して放つと、それは氷を溶かした勢いのまま飛んでいく。
フィノアにとっては予想外の反撃だったのか、紙一重で回避した彼女の顔が歪んだ。
「……ッ! さすがミレイ。知り合った時からずっと思ってた。あなたのような才能が備わっていればどれだけ良かったか……。それなら、私が兄さんを護ってあげられたのに……!」
羨望と嫉妬が入り交じったような言葉が胸を抉った。
自らがコインの表だとすれば、フィノアはその裏。言い方は悪いけれども、自分は当たりを引き続けていただけだ。
もし光の力が宿っていなければ、この身は凡人といって差し支えない。廃坑の惨劇にしても、犠牲になっていたのはランドではなくキョウヤという可能性もあった。
どこかで歯車が狂っていたら、闇に堕ちていたのはフィノアではなく自身だったかもしれない。
「うん、認めるよ。わたしは、恵まれていただけだった。フィノアの苦しみが理解できるなんて言える立場じゃない」
「だったら邪魔しないで!」
「それでも、あなたを救いたいという気持ちは変わらない。間違った道を行かせるわけにはいかないよ」
彼女はまだ後戻りできる。過ちを犯す前に止めてみせる。悲劇はここで終わらせる。
「……煩い。煩い、煩い……! 私にはもう何も残っていないっ……! もう、どうでもいいの……ッ!」
逆上したフィノアが杖を構えると、その先に漆黒の炎が生まれた。《シャドウフレア》――使用者の生命力を削る闇魔法の一つだ。
「やめて! それは駄目!」
「煩い。私はこの力であなたを越える!」
膨れ上がった闇の一撃が迸る。《セイクリッドバリア》を展開したものの、凄まじい圧を前に軋んでいるのが分かる。
フィノアは苦悶の表情を浮かべながらも、立て続けに闇魔法を使っていた。暗黒の矢と闇の炎、加えて黒い靄のようなものまで飛んでくる。
少しでも気を抜けば光の結界は撃ち抜かれ、致命傷を負うことになるだろう。しかし、本当に危険に晒されているのはフィノア自身だ。これほどの闇の力を使って無事でいられるはずがない。
予想通り、先に音を上げたのは黒の少女の身体だった。攻撃が止んだと思うと、彼女は膝をついて地に倒れ伏してしまう。
「フィノアッ!」
即座に駆け寄り、仰向けに寝かせて治癒魔法を行使する。こんな形で彼女を喪うわけにはいかない。
「どうし、て……私、なんかを……」
「大事な友達だから」
「とも、だち……?」
「わたし、同性で初めて仲良くなれたのがフィノアだったの」
相棒を除けば、友人と呼べるのはフィノアとクロエくらい。それ以外の知り合いはどちらかといえば先輩だからだ。
元の世界で失敗したからこそ、この世界では繋がりを大切にしたい。その思いに偽りはない。
「友達……」
「うん、友達だよ」
「……私、やり直せるのかな」
「やり直せるよ。一緒に帰ろう?」
心が通じ合ったのか、フィノアの闇が鎮まったように見えた。とはいえ、それだけでは足りないと直感が告げている。
「お願い……これ、壊して……」
その時、彼女が震える手でローブの中から何かを取り出した。着用している首飾りに吊られた黒い宝石のような物で、禍々しい力を感じる。
ミレイは慎重に持ち上げてフィノアから遠ざけると、光の力でそれを破壊した。首飾りのチェーンが切れて地面に落ちる。同時に彼女を覆っていた闇の気が薄れていった。
「ごめん、なさい……私、ミレイにも、キョウヤさんにも、酷いことを……」
静まった空間にポツリポツリとフィノアの懺悔の言葉が響く。負の支配から脱却し、虚ろだった目には光が戻りつつあった。
「もういいんだよ。独りで抱え込まないで、わたしを頼って」
「ミレイ……う、うぅ……ッ!」
闇から解放された少女の目から雫が落ちる。そして彼女は、その涙が枯れてしまうかと思うほどに号泣し続けた。




