第79話 宿敵
兄の仇であるシルヴァンに対し、フィノアが攻撃を仕掛ける様子はなかった。それどころか、まるで彼の忠実な僕であるかのように佇んでいる。
「シルヴァン、彼女に何をした……!」
「うん? 闇の力を分けてあげただけだよ。実は昨日も彼女に会ってね。餌を撒いたら来てくれたんだ」
「ふざけるな。フィノアがお前の提案に乗るはずがない!」
「ハハハッ! 提案じゃなくて、服従させてあげたんだよ。絶望に付け入るのは簡単だった。一番憎んでいた相手なのに、皮肉だよねえ」
シルヴァンは彼女の肩に腕を回し、答え合わせをするように見せつける。
フィノアの瞳は変わらず虚ろで、嫌がる素振りすら見せない。最悪の現実を突きつけられ、嫌悪感が募る。
「それにしてもタイミングが悪いなあ。今から持ち帰って遊ぼうと思っていたのに。顔は悪くないし、楽しめそうなんだよねえ」
「……ッ! シルヴァンッ!」
下品な発言で挑発するシルヴァンに斬りかかろうとした瞬間、彼は少女を盾にするように後ろへと下がった。
咄嗟に足を止めると、フィノアが生成した氷塊が飛んでくる。直撃は免れたが、これでは手出しができない。
「ボクは疲れているんだ。相手は彼女にしてもらいなよ」
彼はそう言うと、背を向けて歩き出す。それを守るようにフィノアが立ち塞がった。
「フィノア……頼む、目を覚ましてくれ」
「私は正気ですよ……。これ以上、あなたの顔は見たくありません。ここで死んでください……!」
彼女が杖を掲げると、空中に複数の氷柱が生成された。《アイシクルレイン》――中級魔法を行使するその姿に躊躇は感じられない。前回とは違い、本気で殺しにきているのが理解できる。
しかし、放たれた氷柱は《セイクリッドバリア》に阻まれて霧散した。ミレイが護ってくれたのだ。
「キョウヤ、あなたはシルヴァンを追って」
「でも、フィノアが……」
「彼は力を分けたって言っていた。この機会を逃したら、また犠牲者が出る。大丈夫、フィノアはわたしが必ず救うから」
「……分かった。頼む」
こんな状況でも彼女は冷静だった。確かにシルヴァンはペラペラと喋ってくれている。疲れているというのも本当なのだろう。
フィノアと対峙する相棒を横目で見ながら、宿敵の追跡を開始する。こちらに向けられた攻撃のことごとくが光の結界に弾かれる中、脇目も振らず奥へと駆ける。
シルヴァンの姿はすぐに見つかった。まるで待ち構えるかの如く立ち尽くしていた。
「やれやれ……キミは毎回空気を読まないね。大人しく《ヴォイドガーディアン》に殺されておけば良かったのに」
「また魔物を呼び出す気か?」
「そうしたいんだけどねえ。あの女に力を分け与えたせいで、そこまでの力は残っていないんだ」
「……その割には余裕そうだな」
一度相対しているから分かるが、彼は上手く事が運ばなければ口調が荒くなる。人を苛つかせるような態度をとっているのは、自分が優位に立っている自信があるという証左だ。
「知っているかな? この先にはボス部屋があるんだよ」
「それがどうした。また魔物をけしかけて逃げる気か? 随分と臆病なんだな」
「ハハッ、まさか。ボクはキミが絶望する顔が見たいんだ。逃げるつもりなんてないよ」
一瞬の後、シルヴァンは手をかざして水の槍を作り出していた。キョウヤは回避のため、神経を集中させる。
だが、いつまで経っても射出する様子はない。彼は構えたまま徐々に後退し、奥の部屋に入っていった。
明らかに罠だと分かる行動ではあるが、ここで逃げるという選択肢はない。
不意打ちされないように慎重に後を追い、顔を覗かせて部屋の中を確認する。
シルヴァンは巨大な墓標に向かって歩いていた。彼がそこへ到達した直後、黒い霧が噴き出す。
揺らめくようにして現れたのは、人の二倍程度の大きさに杖とローブを装備した骸骨――迷宮のボスである《デッドネクロマンサー》。
しかし、その後の光景にキョウヤは困惑した。ボスがシルヴァンを襲うことはないと思い込んでいたのだが、さも当然のように標的にされていたからだ。
「……どういうことだ?」
「キミはせっかちだなあ。今からとっておきを見せてあげるよ」
シルヴァンが敵の攻撃を躱し、振り向いてニヤリと笑った瞬間、彼の全身が闇に包まれる。それはたちまち魔物に吸い込まれていった。
「まさか……」
「そのまさかだよ」
巨大な骸骨そのものから声が発せされる。それは紛れもなくシルヴァンのものだった。
「ボクに与えられた能力は《憑依》。こうやって魔物に乗り移って自在に操ることができるんだ。もちろん、元々持っていた力も上乗せされるから弱体化することもない」
「……まるで不正行為だな。魔神にでも貰ったのか?」
「ご名答。まあ、本当はあまり使いたくないんだけど、キミは面倒だからねえ」
この男は口が軽くて助かる。これで世界に魔神が存在することは確定した。対となる女神がいる可能性も高まった。思わぬ収穫だ。
それから、使いたくないということは、何かしらのデメリットがある可能性が高い。勝ち目のない戦いと言い切るのは早計だろう。
「中身のないお前にはお似合いの能力だと思うぞ」
「チッ……あまり苛つかせるなよ。キミを半殺しにした後は、あの銀髪の女もボクの玩具にして、目の前で弄んでやる。己の無力を思い知って絶望しろ、雑魚が」
軽く煽ると、異形の姿と化したシルヴァンがいきり立った。本当に分かりやすい男だ。
彼が荒々しい動作で杖を振り回すと、キョウヤもまた剣を構えて開戦に備えた。これまでの悲劇に終止符を打つために。




