第73話 祝福を受けし者
翌朝、ミレイは手っ取り早く軽食をとり、足早に自宅を出た。
空は分厚い雲に覆われて朝日が届かず、まだ仄暗い。おまけに寒々とした空気が肌を刺した。
寝台で布に包まっていたいという欲を押しとどめ、身体に鞭を打って冒険者ギルドへ向かう。
自分の足音しか響かない往来は物寂しさを感じた。また二人で並んで歩くため、今日は絶対に相棒を取り戻すのだ。
ギルドはまだ開いたばかりなのか、少人数の冒険者が依頼掲示板を眺めているだけだった。
ミレイは入口から一番近い位置の椅子に座り、協力者の到着を待つ。焦る気持ちがないとは言い切れないものの、昨日とは違い冷静を保つことはできていた。
最悪のパターンを引いた場合の手段も脳内にはとどめてある。あとはその時が来るのを待つだけ。
「あらミレイ、早いわね。ちゃんと休めた?」
しばらくすると入口の方から快活な声が上がった。赤毛の魔法使いマリーだ。
彼女は長い髪を揺らしながら駆けてくると、椅子の後ろに回り込み、首に手を回して顔を寄せてきた。
「わっ……! マリーさん、近いですよ!」
「ふふ、元気そうね。思い詰めていないか心配したのよ?」
耳元で甘く囁かれ、身体がビクリと浮き上がる。不快感はないけれども、気恥ずかしさが込み上げてくる。
体つきは自分とほとんど変わらないのに、その余裕のある態度からは大人の雰囲気が感じられた。
「マリー……ミレイさんが困っているでしょう」
「えー? そんなことないわよ。ね、ミレイ?」
後から来たリーゼから叱責が飛ぶも、マリーは離れる様子がない。再び至近距離で声をかけられ、吐息が耳をくすぐる。
「んっ……えっと……! 嫌ではない、ですけど……」
「ほら、この子は許してくれているわよ」
「やめなさい。つまみ出されたいのですか?」
「はいはい。まったく、リーゼは堅物なんだから」
ようやく観念したようで、背中からマリーの感触が消える。突然のスキンシップに、ミレイは呆気に取られるしかなかった。
しかし、不思議と身体が温かくなり、安心感が充足している。自分は独りじゃない――彼女に勇気を貰った気分だ。
「揃ったようだね。ソフィーさんにも来てもらったよ」
「お待たせいたしました。本日はよろしくお願いいたしますね」
程なくしてアインスに連れられたソフィーが合流する。ギルドの制服を纏った彼女は、いつにも増して気品を醸し出していた。
自分も清潔感は意識しているものの、他のメンバーと比べると見劣りしているのは否めない。
「フリードには先に行って話を通してもらっている。あまり待たせるのも悪いし、早速行こうか」
珍しくアインスが軽口を叩くことはなかった。彼の表情は真剣そのもので、こういう時は本当に頼りになる。
「行くわよ、ミレイ」
マリーに促されて立ち上がる。出し抜けに繋がれた手は強固で、容易には振り解けそうにない。
「ちょ、ちょっと、マリーさん……!」
「いいから、黙って付いてきなさい」
未だ冷え込む王都の道を歩く間も、彼女がその手を放すことはなかった。
その温もりは全身を包み込むようで、心身の寒さを遠ざけてくれていた。
王都の西側にそびえ立つ王城に近付くほどに、ミレイはその威厳に圧倒される。
流れ込む川に架けられた大きな橋を渡ると二つ目の城壁があり、その内側は貴族の住居だと言わんばかりに高貴な建物が連なる。
一般人は決して立ち入れない区域を、《光の剣》の四人は悠々と歩いている。あのソフィーでさえ緊張した面持ちだというのに。
マリーに手を握られていなければ、その場で足を止めてしまってもおかしくはなかった。
王城は丘の上に建てられているようで、仰ぎ見れば白亜の城壁や尖塔が視界に映る。
整備された階段を一歩一歩慎重に上っていくと、広大な庭に次いで本城の門が見えてきた。
「お話は伺っております。どうぞこちらへ」
「ああ、手間をかけて申し訳ないね」
城門を警護する者は、衛兵ではなく騎士と呼ぶ方が相応しいだろう。銀の鎧に身を包み、隙のない所作をしていた。
彼とアインスに続いて中に入ると、大理石と思しき床や天井のシャンデリア、そして煌びやかな装飾の数々が目に入ってくる。
住む世界が違う――出てきた感想はそれだけだった。情報量が多すぎて、他のことを考える余裕が全くない。
やがて一行は会議室のような広い空間に通された。大きな円卓が設置されており、奥の半分ほどには騎士が座している。
そのうちの一人、長身の男性が立ち上がり、こちらへと歩み寄る。その圧倒的な重圧感だけで、彼がこの場を統べる者だと理解できた。
「《光の剣》の皆様、ようこそおいでくださいました。罪人に関して重要な話があると聞いております。どうぞ奥の席へ」
驚くべきはその若さだった。顔つきや声質からして年齢は二十代と推察できる。そんな歳で数多の騎士を統率するとは、相応の実力を誇る人物なのだろう。
「ルキウス殿、お時間を取らせてしまい申し訳ありません。こちらで結構ですので、本題に入らせていただけますか」
一歩前に出たアインスが丁重に対応する。お互い敬意を表してはいるものの、張り詰めた空気が和らぐ様子はない。
「構いません。しかしその前に……冒険者ギルドの職員の方はともかく、そちらのお嬢さんは一体?」
ルキウスと呼ばれた騎士に探るような目を向けられ、ミレイは縮こまった。発言すべきか迷っていると、手を繋いでいたマリーが口を開く。
「彼女はミレイ。証人となる可能性が高い冒険者です。どうかお手柔らかに」
「……承知しました。では、用件を伺いましょう」
彼の鋭い視線が外れ、アインスの方へと戻った。右隣に立つマリーから「大丈夫よ」と小声が届き、ひとまずは安堵する。
「昨日の午後、黒髪に黒いコートを着た男が捕らえられたと聞いていますが、それは真実でしょうか」
「ああ、件の黒い炎を放っていたという者ですね。本日尋問するつもりでいましたが……」
「即刻、解放していただきたい。彼は我々と共に魔物を討伐した功労者です。異質な力を持っていますが、断じて罪人ではありません」
アインスの言葉に、円卓を囲んでいた騎士たちがどよめく。ルキウスも予想外だったのか、目を見開いている。
「……詳しくお聞かせ願えますか?」
「昨日の動向は私が保証します。市場に現れた盗人を追い、彼と共に都市の外へ出ました。賊を捕らえた後、現れたアンデッドの軍勢を彼は持てる力の全てを使って掃討しました。昨日お伝えしたシルヴァンという者と対峙し、召喚された《ヴォイドガーディアン》討伐にも一役買っています」
リーゼが淡々とした口調で真実を告げると、ルキウスの顔が曇っていく。信じられないとでも言わんばかりに。
「ですが、黒い炎というのは闇魔法の一種でしょう。アンデッドの軍勢を一掃するほどの強大な闇の力を持つ者を信じるというのは、いささか無理があります。彼の自作自演という可能性は捨て切れませんよ」
やはり一筋縄ではいかないようだ。冤罪だとすれば、騎士として面目が立たないのかもしれない。
思わずロッドを持つ左手に力が入る。想定していた最悪の事態もあり得る状況だ。
「では、僭越ではございますが、彼――冒険者キョウヤのこれまでの実績をご報告いたします」
今度はソフィーが張りのある声を上げた。《アルドラスタ》の襲撃事件から直近に至るまでのキョウヤの目ぼしい活動が次々と報告されていく。
「――以上です。冒険者ギルドは彼が善良な冒険者であると全面的に支持いたします」
ギルドとして動くことはできないと伝えられていたのに、彼女は堂々とそう宣言した。
たった一晩でキョウヤの記録を洗い出したのか、あるいはブラフなのかは分からない。
「し、しかし! 彼が誰も見ていないところで悪事を働いていたということも……!」
「彼は冒険者ミレイとほぼ常にパーティを組んで行動しております。《オルストリム》の空白期間はございますが、王都周辺における強力な魔物の出現はそれ以前から頻発しておりますから、疑うのは無理があるかと存じますよ」
往生際が悪いルキウスに、ソフィーは率直な意見を述べる。後ろで控えている騎士たちからも納得するような声が飛んでくるようになった。
「……ミレイ殿のランクは?」
「現在3ですが、それ以上の素質を秘めております」
「は、ははは……ただの下級冒険者の目を信じろというのも無理がありますな」
ルキウスは狼狽えるものの、過ちを認めようとはしなかった。あまりにも見苦しい言動に、怒りが湧き立つのを感じる。
「マリーさん、もう大丈夫です」
「ミレイ……?」
怪訝な顔をするマリーの手を振り解くと、ミレイは《光の剣》より数歩前に立った。これ以上は口論するだけ無駄だ。
「ただの冒険者かどうか、試してみます? あなたの剣程度でしたら、防ぐ自信はありますけれど」
「……なんだと!? 下級冒険者風情が、王に命を捧げるこの私、騎士団長ルキウスを愚弄するか!」
凄まじい剣幕とともに、ルキウスは腰の剣を抜き放った。今ならまだ許してやるとでも言いたげに、剣先をこちらに向けて威圧する。
彼の背後の騎士たちから、憤怒や焦燥といった様々な感情が飛び交っているのが分かる。
「ちょっとミレイ! 何をやってるの!」
「ミレイさん、まさか……!」
マリーやソフィーの取り乱した声が響く。しかし、ミレイは振り返ることなく真っ直ぐにルキウスを見つめ、ロッドを構えた。
「いいだろう! 貴様に私の剣技を見せてやる。覚悟はできているのだろうな!」
「いつでも、どうぞ」
冷たく返答すると、ルキウスが目に見えて憤る。直後、彼は飛ぶように距離を詰めてきた。
構えは刺突、そして軌道は左肩。せめて急所は外すという情けは感じられる。アインスの圧倒的な剣技を何度も見せられているおかげで、既に目は慣れていた。
ガキンッ――剣が何かに衝突する音。刃は、ミレイの身体には届かない。
左肩の前方付近を中心に形成された光の結界が、ルキウスの渾身の突きを遮る。
彼の表情が驚愕に歪む。それでも、騎士団長としての意地なのか、そのまま貫こうと力を込めてくる。
――ずっと悩んでいた。訳の分からない光の力を持たされて、この世界でどう生きるべきか。
秘匿して平穏に暮らすこともできた。逃げて、逃げて、キョウヤに依存し続けるだけの道。自分が望めば、心優しい彼は付き合ってくれただろう。
それでも、冒険者は捨てられなかった。この世界では後悔したくないという、それだけのちっぽけな理由だけれども、その選択をしたのは自分自身だ。
だから今この瞬間、この力で相棒を救うことができるのならば――ここで、これまでの弱い自分に別れを告げる。
「わたしはもう、自分の力から逃げない!」
刹那、剣が弾かれると同時にルキウスが後方へ吹き飛ぶ。短い悲鳴とともに、彼は床を転がっていく。
室内が静寂に包まれる。まるで時間が止まってしまったかのように、誰もが息を呑んでいた。
やがて、ルキウスはゆっくりと起き上がると、その場で片膝をついて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。女神の祝福を受けし者、ミレイ殿」
彼がその言葉を発した直後、背後の円卓から歓声が上がった。
続いて騎士の一人に釈放の指示が出され、その者が慌てて部屋から出ていく。
「ミレイ! 大丈夫!?」
「あ、はは……ちょっと、疲れちゃいました……」
緊張が解けた途端、膝から崩れ落ちる。マリーが駆け寄ってきて肩を支えてくれなければ、きっと倒れてしまっていた。
ギリギリの賭けだったけれども、自分の力で希望を掴み取ることができた。今は、それだけで十分だ。
――やったよ、キョウヤ……。




