第62話 一波乱
どれほどの間、身を預けていたのだろうか。ほんの数秒だった気もするし、数分が経ったようにも思える。
再び目を開けた時も、ミレイの身体は密着したままだった。途端に羞恥心に支配され、抱擁を振り解いた。
「落ち着いた?」
「……いや」
「じゃあ、もう少し続ける?」
「勘弁してくれ……」
悪戯っぽく微笑む彼女に対し、キョウヤは身を仰け反らせながら拒否する。
不安感や恐怖心は消え去っていたが、今度は別の意味で落ち着かない。これは相棒の境界を越えている。
「そういうことは安易にするべきじゃない」
「あなただって、森で勝手に抱き締めてきた気がするけど」
《クラルミッド》郊外で再会した時の話だろう。意識は朦朧としていたはずなのに、しっかりと記憶されていたらしい。
「いや、あれは! 俺も必死だったんだ。忘れてくれ……」
「無理。忘れてあげない」
恥ずかしい過去を掘り返され、ミレイの顔を直視できない。
天使と小悪魔が入り交じったような彼女の態度には参るばかりだ。
「……少し外の空気を吸ってくる」
「いってらっしゃい。お昼には帰ってきてね」
「分かった」
付いてくるかと思ったが、意外とあっさり解放してくれた。動揺を見抜かれていたのかもしれない。
それにしても、自宅で「いってらっしゃい」と見送られるとは。これではまるで――
「……そんなわけあるか」
頭を振り、馬鹿馬鹿しい妄想を払拭する。
好意を向けられたせいで浮かれていた。こういう時は街を散策するに限る。
思えば、ここ数日はずっとミレイと同行していた。一人で出歩くのは本当に久しぶりだ。
断じて彼女が邪魔だと思ったことはないし、一緒にいて不快だと感じたこともない。
むしろその逆。共に過ごすほどに温かさが心に染み、存在が大きくなっていく。
「はぁ……市場にでも行くか」
元気付けてもらったお礼として、何か美味しい物でも買って帰ればミレイも喜ぶはずだ。
こういう時に食べ物というのは安直だと思うが、他に何を選択すれば良いのか見当もつかない。
程なくして広場付近に辿り着く。《オルストリム》ほどではないが、王都だけあって市場は活気に満ちていた。
ぼんやりと歩いているうちに、一つの露店の前で足を止めていた。
アクセサリーの類だろうか。キラキラと輝く小物が目を引く店で、奥には妙齢の女性店主が座っている。
「お客様、何かお求めでしょうか? ご相談も承りますよ」
よりにもよって高そうな商品を扱う店から声をかけられてしまった。だからといって、ここで蔑ろにするのも良心が痛む。
「ええと、世話になっているお礼に何を贈ろうか悩んでいまして」
「なるほど。どのような方かお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「銀髪で、白が似合う少女で……俺の相棒みたいなものです」
「あらあら、もしかして想い人でしょうか」
「ち、違いますよ!」
頬に手を当てながらニコリと微笑む女性に、慌てて手を振って否定する。
ミレイが隣にいなくて良かった。こんなやり取りを見られたら、機嫌を損ねてしまうのは目に見えている。
「うぅん、それだとネックレスは重いかな。指輪もちょっと……」
彼女は何やら独り言を発している。見繕ってくれるつもりだろうか。
とはいえ、家を借りたばかりで金銭的にあまり余裕はないし、そもそも相棒が装飾品に興味を示すとは限らない。
「お客様、こちらはいかがですか? 髪飾りなのですが」
逃げようかと逡巡していると、彼女が一つのアクセサリーを示す。
三日月型の金色の髪飾りだ。値段は決して安くはないが、手が届かない範囲ではなかった。
ミレイが身に付けている姿を想像してみる。すると、片側に流した銀髪に髪飾りが見事に調和した気がした。
「買います」
「あら、思い切りが良いですね。ありがとうございます」
別に他意はなく、少しばかりの礼にすぎない。喜ばれなかったとしても、別に悲観するほどでもないだろう。
ポーチから硬貨を取り出し、代わりに受け取った髪飾りを収納する。高い買い物ではあったが、後悔はしていない。
「きゃっ!」
礼を言って立ち去ろうとした瞬間、店の前を人影が横切った。
視線を戻すと、店主の手元にあったはずの代金が消えていた。掠め取られたのだ。
「おい、待て!」
取引直後の隙を狙っていたのだろうか。だとしたら相当に手慣れている。
《ウィンドブースト》を使用して後を追うが、相手も同じように風を纏っている。常習犯としか思えない手際の良さだった。
細い路地に入り込まれてしまい、距離は思うように縮まらない。盗人はそのまま大通りに抜け、都市北門の方角に逃げていく。
「キョウヤ、待ちなさい」
がむしゃらに追跡を続けていると、不意に金髪の女性に腕を掴まれた。
よく見れば、王都に向かう途中で知り合ったリーゼだ。白を基調とした修道服のような装いは、以前のローブ姿とは異なっていた。
「何をそんなに急いでいるのですか? 危ないですよ」
「リーゼ! 盗人を追っているんだ、放してくれ!」
「……! 失礼しました。でしたら、手を貸しましょう」
「助かる!」
止めようとした衛兵までもが軽やかに躱され、盗人は都市の外へと走り去る。
だが、遮蔽物もない街道に出たのは相手のミスだ。こちらには正確無比の弓使いリーゼがいる。
彼女が素早く弓を構えると、魔法の矢――《マジックアロー》を放った。脚を射貫かれた賊が転倒して這いつくばる。
「今すぐ盗んだ物を返しなさい。さもなくば、二度と歩けない身体になりますよ」
「ひ、ひぃ! 許してくれ!」
リーゼに踏みつけられながらドスの利いた声で脅され、彼は瞬く間に屈した。
奪い取った硬貨が地面に置かれると、追いかけてきた衛兵に引きずられていく。
「助かった。ありがとう」
「いえ、お役に立てたようで何よりです」
疾走する人間を正確に射止めるとは、とんでもない実力の持ち主だ。
その上、悪人に対しては容赦のない冷酷さを併せ持っている。絶対に敵には回したくない。
「じゃあ、俺は持ち主に金を返しに戻るよ。リーゼ、良かったら何か奢らせてくれないか?」
「ふふ、意外と律儀なのですね。では、ありがたくいただきましょう。なんでも構いませんよね?」
意外という言葉が棘のように刺さったが、わざわざ追及するのも野暮だろう。
彼女は不敵な笑みを浮かべていた。あまり高価な物を要求されないことを願う。
背後、街道の北側から悲鳴が轟いたのは、談笑しながら都市へ戻る最中のことだった。
隣を歩いていたリーゼが身体を震わせたかと思うと、目にも留まらぬ速さで踵を返す。
不吉な予感が心を乱す中、キョウヤも彼女に続いて駆け出していた。




