第58話 屋根の下
翌日、キョウヤはミレイを引き連れて王都の住宅地に足を踏み入れた。
ゲーム時代にはハウジングエリアと呼ばれ、プレイヤーが自由に家を飾り立てた場所だ。
こちらの世界でもその面影は変わらず、整然と並ぶ貸家が軒を連ねていた。
王都での長期滞在を考えるなら、宿屋に泊まり続けるより家を借りた方が安上がりだ。それに、自分だけの空間は心の平穏をもたらすはず。
キョウヤがこの都市で最も期待していたものだったが、この様子ならば裏切られる心配はなさそうだと安堵する。
「ここが、はうじんぐ……?」
「ああ。ゲームでは色々と改造して、自分好みの家にすることもできたよ」
「わぁ、楽しそう……!」
疑問符を浮かべるミレイに答えると、彼女の赤い瞳が好奇心で輝いた。
キョウヤ自身はハウジングに興味が薄かったが、かつての友人イーリスがこのシステムに夢中だったことを思い出す。
ミレイもまた、そんな女性らしい楽しみ方に心を惹かれているようだ。
「まあ、ゲームのようにはいかないだろうけど、宿屋よりは快適な生活が得られるだろうな」
「じゃあ、まずは下見だね。安くて二人でも窮屈しない家、あるかな?」
「……二人?」
ミレイがとんでもないことを言い始め、キョウヤは愕然とした。別々の家を借りることを前提としていたのは言うまでもない。
「違うの?」
「違うな」
「はぁ……?」
「いや、当たり前なんだが」
宿屋では何度も同室で過ごしてきたが、それは成り行きでしかなかった。もちろん、過ちを犯したことは一度もない。
だが、同棲となると話が変わってくる。キョウヤの脳内で警鐘が鳴り響いていた。
「やっぱり、わたしと一緒にいると疲れる?」
「そうじゃなくて、プライベートも大事だって話だ」
「……そっか。そうだよね」
ミレイが納得したように頷くのを見て、キョウヤは一安心した。
だが、彼女の距離感があまりにも近いことに、動揺が収まり切ることはなかった。
相棒とはいえ、なんでも従うわけにはいかない――そう自分に言い聞かせる。
「おや、もしかして貸家をお探しですかな? 良ければ案内しますぞ」
気を取り直して周囲を見回そうとした瞬間、唐突に声が割り込んだ。
初老ともいえる風貌をした男が、上品だがどこか胡散臭い笑みを浮かべて立っていた。おそらく地主の一人だろう。
「はい。なるべく安い一人用の物件を探しています」
「一緒に住まわれるのではなく、別々ですと?」
「……そうですよ」
「ふむ、なるほど。事情は分かりました。では、行きましょうか」
渡りに船だと思ったが、男の視線に妙な含みを感じる。
彼が二人を交互に見やり意味深な笑顔を見せると、キョウヤは得体の知れない不安を覚えた。
――どうして、こんなことに。
数時間後、寝台以外には何もない、がらんとした部屋の中でキョウヤは頭を抱えていた。
地主の巧みな話術にまんまと乗せられ、気付けば賃貸契約を結んでいたのだ。
部屋は一辺が五メートルから六メートル、約九坪の平屋だった。
冒険者一人には広すぎるほどの空間だ。そう、一人であれば何も問題はなかった。だが――
「……これは悪い夢だ」
「夢じゃないよ。二人で折半したでしょう?」
「君は警戒心がなさすぎる」
「節約できるし連絡もすぐ取れるから、これが一番効率的」
ミレイのあまりにも無防備な言葉に、キョウヤは脱力した。
異性として見られていない。その事実に、苛立ちと何か別の感情までもが胸を襲う。
彼女は設置されていた寝台の一つに腰かけ、こちらを見上げていた。もし自分がその気になれば、一線を越えることも不可能ではない。
「……何?」
「怖くないのか?」
「キョウヤはそういう人じゃないって信じているから」
上目遣いで見つめるミレイの無垢な瞳に、キョウヤは完全に屈した。この少女を悲しませるなど、考えただけで胸が締め付けられる。
「はあ……君には勝てる気がしないな」
「なんの勝負?」
「いや、なんでもないよ……」
とにかく、契約してしまったのだから後戻りはできない。宿屋の同室と同じだと割り切り、邪な考えを振り払う。
最悪の場合、自分が宿に戻れば良いだけの話だ。その時はその時で、話せば彼女も理解してくれるだろう。
「とりあえず、椅子と机くらいは用意しておくか。出費がかさんだから、明日からはまた稼がないと」
「そういえば、中級冒険者の試験は受けないの?」
「……それもあったか」
混乱していて頭から抜けていたが、それも冒険者を続ける上では重要な話だ。
冒険者ギルドには、ランク3では中級、ランク6では上級の冒険者に昇級するための試験が存在する。
これは実力のない者が上位の冒険者になれないよう振るい落とすストッパーの役割を担っている。
ゲームではプレイヤースキルがない者は苦戦を強いられた。こちらの世界でも甘いものではないだろう。
「ミレイは大丈夫だとしても、俺は一発で通るか怪しいところだな……」
「大丈夫だよ。キョウヤの実力はわたしが一番よく知っているから」
「……ありがとう」
キョウヤの不安をミレイが一蹴する。彼女の確信に満ちた言葉に、胸の奥から不思議な自信が湧き上がった。
「じゃあ、明日は朝一で冒険者ギルドに行こうか」
「うん。また寝過ごさないようにね」
「君だって一昨日は寝坊しただろう……」
「それはキョウヤに付き合ったからだよ」
「俺のせいにするな。ほら、家具を買いに行くぞ。ついでに飯も」
ミレイの茶化すような口調に軽く突っ込みを入れ、キョウヤは家を出た。
暖かい光と爽やかな風が頬を撫でる。王都での新しい生活が幕を開けようとしていた。




