第117話 ただ一つの願い
怒り狂うキョウヤの剣がクラウザの身体に届くことはなかった。
ミレイが再び目を開けた時、二人の間には一つの人影が割って入っていた。
「……オ前、ハ……」
「おいおい、つれない奴だな。名前くらい呼んでくれてもいいんじゃないか?」
刃を防ぐのは頑丈な大盾。その身に纏うのは銀の鎧。
赤みが混じった茶髪の下、凛とした茶色の瞳が真っ直ぐに前を見据えている。
強大な力を前にして一歩も引かない立ち姿は、まるで要塞のように堅牢だった。
「リベルさん……!」
「ミレイ、大丈夫だ。ここは任せろ」
彼は振り向くことなく、受け止めた剣を徐々に押し返していく。
形勢不利と判断したのか、キョウヤは攻撃を中止して回り込もうとした。
しかし、リベルが一気に距離を詰めたため、目論見は失敗に終わる。
「悪いな、キョウヤ。お前の先輩として、少し指導させてもらう」
剣が見境なく振るわれ、その全てが盾に受け止められる。
金属同士がぶつかる度に火花が散り、鋭い衝撃音が森に反響した。
リベルが攻勢に転じる様子はない。ひたすらキョウヤの刃を弾き返し続けていた。
「これは……何が起きているのですか!?」
「やっと来たか、マリウス。もう少し身体を鍛えた方がいいんじゃないか?」
「ティアナとアストラに強化魔法をかけるように指示したのはあなたでしょう!」
「ああ、そうだったな。てっきり息切れでもしているのかと思っていたぞ」
遅れてやってきたマリウスは珍しく狼狽していた。そんな彼に対してリベルが軽口を叩いてみせる。
おそらく、彼らは魔物のうちの一体を討伐した。残りはティアナとアストラに任せ、二人だけ先行してきたに違いない。
「とにかく、お前には皆の治療を頼みたい。特にソフィーさんが深刻だ」
「殺ス……! クラ、ウザ……ダスト……ッ!」
「……それから俺の強化も切らさないでくれよ。こいつを生身で受け続けるのは難しそうだからな」
リベルは斬撃を防ぎつつ、的確な指示を飛ばしている。
まるで暴風の中でも揺るがない岩のようで、その胆力には驚嘆するばかりだ。
「無茶苦茶言ってくれますね。私をなんだと思っているのですか?」
「大魔法使いマリウスだろう。頼りにしているぞ!」
「まったく、人使いが荒いですよ……!」
口では不満を垂れながらも、マリウスは満更でもなさそうな様子を見せている。
彼は長い金髪と深緑色のローブを揺らしながら、優雅な動作でスタッフを掲げた。
「先にまとめて治療します。ミレイさん、クロエ、動かないように!」
直後、空中に靄のようなものが現れ、淡い光がソフィーとクロエ、そして自分の三人に降り注いだ。
これは《ヒーリングミスト》という名の治癒魔法だと、キョウヤに教えてもらった記憶がある。
とにかくマナ消費が多い上に制御が難しく、一度試した時は散々な結果に終わってしまった。
そんな高度な魔法を完璧に使いこなすマリウスには舌を巻くしかない。
「ひとまずはこれで良いでしょう。あとはソフィーさんですね」
頭の痛みは完全に引いていないけれども、全身の痺れは収まっている。
クロエも自力で動ける程度には回復しており、特に問題はなさそうだった。
ソフィーは意識が戻っていないものの、今はマリウスが駆け寄って治療してくれている。
辺りを見渡せば、この状況を作り出したリリアはいつの間にか姿を消していた。
反面、クラウザとダストは気を失ったままだ。強烈な攻撃を受けたため、当分は動けないだろう。
「ドケ……! ソイツラハ、殺サナイト……ッ!」
「お断りだ。お前に誤った道を進ませるわけにはいかない」
彼らの前にはリベルが立ち塞がり、キョウヤを抑え込んでいる。ただ、暴走が止まる気配はない。
「邪魔ヲ、スルナアアッ!」
怒号とともに彼が突進していくと、リベルは盾を突き出すようにして反撃する。
またしても甲高い金属音が響き、キョウヤの持っていた剣が根本から折れた。
「……武器を酷使しすぎだ。もうやめろ」
「オオオオオオッ!」
「まだやるつもりか……! マリウス、頼む!」
武器を失ったかと思えば、今度は漆黒の炎が生成されていた。その揺らめきは絶望の象徴のようだ。
マリウスが咄嗟に氷の障壁を展開すれば、爆発の反動でキョウヤが後方へ吹き飛ぶ。
「グッ、ウアアッ……!」
彼が苦しんでいるのが分かる。何もできずに見ているだけの自分が嫌になる。
不器用だけれども優しくて、心の支えになってくれて、一緒に歩んできた大切な相棒なのに。
「リベル、これ以上撃たせてはいけません! 無力化するべきです!」
「後輩に手を出せって言うのか!?」
「気持ちは分かりますが、このままではキョウヤさんが持ちませんよ!」
闇に呑まれたキョウヤを見れば見るほどに、胸を抉られるような痛みが募る。
自分の身体が傷付けられたり汚されたりする以上に、彼が壊れていくのが我慢できない。
「おい、ミレイ! 無茶をするな!」
無意識に駆け出していた。足が勝手に動いていた。
吹き荒れる嵐の中心に向けて疾走すると、肌を刺すような冷たさが襲ってくる。
それでも立ち止まることはない。たとえ伝わらなくても、今は彼に寄り添いたかった。
「キョウヤッ……!」
「ア、ァ……ミレ、イ……」
立ち上がったキョウヤの懐へ飛び込む。腕を回して強く抱き締める。
彼の身体は闇に染まりながらも、まだ温かさを残していることに気付く。
「うん、わたしはここにいるよ……! 痛かったよね、苦しかったよね。何もできなくて、ごめんね。あなたにばかり辛い思いをさせて、本当にごめんね……! 今度はもっと頑張って、わたしがあなたを護るから……! だから、もう無理しなくていい……! わたしの一番大切で、大好きな相棒でいてくれれば、それだけで十分だから……ッ!」
その瞬間、時間が停止したような感覚に包まれた。
風が止み、音が消える。渦巻く闇が凍結し、世界に凪が訪れた。




