第103話 力の使い手
早朝の《プリスティ霊山》は、再び神聖な空気に包まれていた。
空は青く染まり、木々の緑が目を癒す。前日の荒れた天気が嘘だったように静まり返っている。
三人で挨拶を交わした後は下山を試みる。地面は乾いてはいないが、慎重に歩けば問題はなさそうだ。
一応、神殿から出る前にも女神像がある大広間に立ち寄ったが、ソラスの気配は全く感じられなかった。
彼女が宣っていた通り、あとは向こうから連絡が来るのを待つしかない。期待するだけ無駄な気もしているが。
山を降りて麓の村で軽食をとった後、すぐに《リリーフ平原》に入り、足早に王都を目指す。
立ち塞がる魔物はクロエが先陣を切って屠っていった。その気迫は凄まじく、世界に抗うという意志がひしひしと感じられる。
「お二人とも、遅いです。のんびりしていると置いていきますよー!」
数メートルほど前方を歩いていた彼女が振り返り、こちらに向かって手を振ってくる。
よく知っている控えめな態度とは異なり、血気盛んで上機嫌だった。
「……なんかキャラ変わってないか」
「吹っ切れてテンションが上がっているのかもね……」
隣を歩くミレイと顔を見合わせ、つい苦笑いしてしまう。フリードのような戦闘狂になってしまわないか、少しだけ気がかりだ。
いずれにせよ、早く帰還しなければいけないことに変わりはない。クロエを預かるのは一日だけの予定だったのに、とっくに期限は過ぎているのだから。
魔物に突撃していく彼女を追うため、相棒に目配せして草原を駆ける。晴れ渡る空の下、両手剣を豪快に振り回す紺の少女はキラキラと輝いていた。
王都のとある宿屋の前で、キョウヤたちは《フリーダム》と再会した。
四人は一階の酒場で待機していたらしく、宿に入ってすぐに引き返してきたクロエの背後から現れた。
「ご心配をおかけして、本当にすみませんでした」
開口一番、謝罪とともに頭を下げる。今回の冒険は見通しが甘かったと言わざるを得なかった。
彼らは丸一日帰ってこなかったクロエを心配していたに違いない。自分だって、相棒が連絡もなしに戻らなければ不安になる。
「おいおい、頭を上げてくれ。誰もお前を責めようなんて思っていないぞ」
「キョウヤ、あなたは責任感が強すぎるわね。もう少し肩の力を抜いたらどうかしら?」
リベルとアストラの言葉を受けて頭を上げると、二人は穏やかな笑みを浮かべていた。
「西の山に登るって話は聞いていたからね。どうせ悪天候で下山できなかったんだろう?」
「そろそろ戻る頃かと思っていましたよ。私の計算に狂いはありませんでしたね」
ティアナとマリウスも、まるで気にしていないようだった。
改めて格が違うと認識させられる。多少のことでは動じない精神力は、長く冒険者を続けている証か。
「で、どうだった? クロエはあんたらの役に立てたかい?」
「もちろんです」
「なら良かったよ。託したのは間違いじゃなかったね」
ティアナはそう言いながら、当人の頭を撫で回していた。クロエも満更でもないようで、嬉しそうに受け入れている。
「私たちも無事に試験を終えて、ようやく上級冒険者の仲間入りよ」
「アストラ、何が無事だ。お前が見境なく暴れたせいで、盾役の俺の評価が危うかったんだぞ」
「あら、あれでも手を抜いていたのよ? 合わせられない方が未熟なんじゃないかしら」
「お前なぁ……」
アストラの報告にリベルが異議を唱え、その場に笑いが伝搬していく。
彼女が武器を振るう姿はまだ目にしたことがないが、優雅な外見と性格からは想像できない戦い方をするらしい。
「それにしても、クロエは随分と雰囲気が変わりましたね。キョウヤさんとミレイさんに同行して、何か得られたものがありましたか?」
そして、マリウスはやはり鋭い。この短時間で彼女の変化に気付くとは、恐ろしいほどの慧眼だ。
クロエがこちらを向いて頷く。諸々の話を切り出すには丁度良い機会だった。
「……皆さんは女神ソラスの存在を信じていますか?」
彼女が口を切った瞬間、談笑していた面々が黙り込んだ。この少女がふざけた冗談を口にするとは思っていないのだろう。
「クロエ、どういうことだ?」
「えっと……」
「俺から説明しますよ」
訝しげなリベルに対し、クロエは何から話せば良いのか分からないといった様子だ。
咄嗟に助け船を出したが、女神から告げられた真実の大半は転生に関係している。
伝えられたのは、女神と魔神の存在、光と闇の力の由来、魔神の勢力の暗躍。この三つだけ。《共鳴者》や《負の共鳴者》といった単語を出すこともできなかった。
「……女神に魔神か。まさか実在しているとは驚きだが、お前たちを疑うつもりはない」
「魔物を使役する奴がいるとは聞いていたけど、魔神の仕業ってわけかい」
「色々と納得がいくわね。実は私が大怪我をしたのも、未知の魔物の襲撃のせいなのよ」
リベル、ティアナ、アストラが矢継ぎ早に発言する。彼らは驚愕しつつも、意外にもすんなりと受け入れてくれた。
信用してくれているのに全てを明かせないのは心が痛む。だが、今はまだ言うべきではないと直感が告げている。
「ふむ、なるほど……」
そんな中、マリウスだけは顎に手を当てて考え込むような反応を見せた。真意は測りかねるが、彼も何か思うところがあるようだ。
「つまり、ミレイは女神に選ばれた人間ってわけだね。凄いじゃないか!」
「ティアナ、そんな単純な話じゃないわよ」
ミレイが案じるような視線を向けてくる。何が言いたいかはすぐに察した。
この身に魔神に繋がる力が備わっているという事実は、どう足掻いても覆すことはできない。
ティアナはあえて話題を逸らしたようだが、既にこの場にいる全員が理解しているはずだ。
「キョウヤ、一ついいか。これまでの話が全て真実だとして、お前は魔神から力を授けられたのか?」
「……それは俺も分からないんです。魔神に会ったこともないですから」
「そうか。まあ、実際どうでもいいんだけどな」
「え……?」
追及されるかと思ったが、そうではなかった。予想外の返答に固まっていると、リベルは再び口を開いた。
「俺はな、力というのは使い手次第だと思っている。光が善で闇が悪? 違うだろう。たとえ世界を護る女神に認められたのだとしても、人道に反する行いをする奴は悪だ。世界を壊す魔神の力だろうが、それを使って人を救えば善になり得る。だから、お前はお前でいればいい。自分を見失うなよ」
考えたこともなかった。己は闇に蝕まれているのだと思い込んでいた。
彼の言葉が、凝り固まっていた考えを溶かしていく。それは紛れもなく救いの一手だった。
リベルだけではない。ティアナもアストラも、マリウスさえも温かく微笑んでいる。
「俺たちを信じてくれてありがとう。世界を脅かす魔神の勢力、上等だ。共に戦おうじゃないか!」
彼らはどうしようもないほどに強く、どうしようもないほどのお人好しだった。
キョウヤは込み上げる熱い気持ちを抑え込み、差し出されたリベルの手を固く握り締めていた。




