手を握って
――場所 研究室01
「で『あれ』はどうしてる?」
「どうって、相変わらずよ。まだ朝だし」
「そうか」
「それより貴方、夢に見られたみたいよ? 気をつけなさい。あの子はいいけど『あれ』に見られたら疑われるわ」
「わかっている。今回の実験、もし失敗したなら――」
以降、助手が退席したため会話なし。
宴は、悲しみに暮れる友人に、どんな言葉をかければいいのかわからずにいた。
友人は、夢ちゃんは、自分と見ている世界が違う。普通の景色が見える宴とは違い、彼女は化け物が蔓延る世界で生きている。夢の憂いを帯びた瞳は、その苦しみを心中で反芻しているようだった。
「だから、あざみ先生のこと、突き放しちゃった。いつもなら平気なのに。我慢できるのに」
「…」
「でも、宴ちゃんはこの世界で唯一まともに見えるんだ。だから今日隣にいてくれて、すごく安心した」
穏やかな笑みをたたえながら夢が紡いだ言葉を聞いて、友人の為に自分が出来ることが僅かでもあったことに、宴は救われたような気がした。
いつもの調子に戻ってきた友人は言う。
「あざみ先生のことを我慢できなかったのは、多分朝見た変な生き物のせい。あんなの今まで一度も見たことなかったもん」
「そいつ、どこに行ったの?」
「渡り廊下。別館に向かっていったみたい」
「よし! じゃあ退治しに行こう!」
「え?」
突飛な宴の提案に、夢は大きな瞳をさらに見開いた。
「だ! 駄目だよ宴ちゃん! 危ないよ!」
「大丈夫! もしかしたら新任の先生かもしれないし!」
「…本当に行くの?」
「うん。あざみ先生には置き手紙をしておこう」
宴はリュックから付箋を取り出し、やや癖のある丸文字で「さぼります」と書くと教卓に貼り付けた。
「夢ちゃん、どうする? 待っててもいいんだけど…」
「行く。あざみ先生と二人じゃ、またおかしくなっちゃう」
夢は宴の手を握った。友人の手は思ったよりも冷たくて、思ったよりも震えていた。
宴は夢の手を引きながら、渡り廊下までやってきた。渡り廊下に、人の気配はない。
「夢ちゃん、大丈夫?」
「うん。宴ちゃんがいるから、大丈夫」
お互い何も言わず、別館への道を歩く。張り詰めた空気を和まそうと、宴は努めて明るい口調で口火を切った。
「今日ね、お兄ちゃんがお弁当を作ってくれたんだ」
「え、そうなの?」
「うん! 料理下手なお兄ちゃんが、一生懸命作ってくれたの!」
宴は玄朔が失敗しながらも懸命に料理を作っている姿を想像し、一層兄が愛しくなった。宴は兄と結婚したいと心の底から思ったが、そこまでは口にしなかった。
「宴ちゃん、お兄ちゃん大好きだよねー」
呆れたような顔のまま、夢が微笑む。
「私もお兄ちゃんいたけど、嫌いだったな…」
「そうなの?」
「うん。平気で私を殴ったりしたから」
夢の言葉を聞き、宴は調理実習で夢が腕を捲った際、白く細い腕に大きな痣や傷跡があったことを思い出した。
「ごめん、辛いこと思い出させちゃったね」
「ううん。今は宴ちゃんもいるし、全然平気」
「ええっと、じゃあ夢ちゃんも私のお兄ちゃんの妹になろう!」
宴の言葉を聞いて、夢は鈴を転がしたように笑った。
「なにそれ、面白いね。そしたら私は宴ちゃんのお姉ちゃんかな?」
「そしたら夢お姉ちゃんだね!」
友人にはいつも笑っていて欲しい。はやく化け物の正体を暴かなければ。宴はそっと、繋いでいる手を握り直した。




