森の朝と、最初の小さなお客さま
深い緑に囲まれた「迷いの森」の入り口に、一軒の小さな木造店舗がひっそりと佇んでいる。
木漏れ日が柔らかく差し込むテラス席、作り立ての木の香りが残る店内。今日からここが、僕――ルーカスの新しい城だ。
「よし、看板の設置も完了!」
僕、ルーカスは20代半ばのどこにでもいる料理人だ。
街の賑やかな大衆食堂で働いていたけれど、人混みや忙しすぎる毎日に少し疲れてしまい、念願だった「静かな森のカフェ」をオープンさせることにした。
料理の技術と、素材の良し悪しを見抜く『絶対味覚』。それと、料理や清掃に役立つ少しの『生活魔法』。
特別な戦闘力なんてないけれど、ここなら自分のペースで美味しいものを作りながら、のんびり暮らしていけそうだ。
「さて、今日の仕込みを始めようか」
厨房に入り、パチリと指を鳴らして『生活魔法・微火』を呼び出す。
手製のかまどに火を点け、大きな鍋に水と、森で摘んできた新鮮なハーブ、野菜、そして旨味の出る干し肉を入れて煮込み始める。
ぐつぐつと心地よい音が響き、やがて甘く優しいスープの香りが部屋いっぱいに広がった。
焼き上がったばかりのふかふかパンを切り分けていた、その時だった。
「……くぅん」
店の扉の外から、弱々しい声が聞こえた。
「ん? 風の音……ううん、何かいる?」
不思議に思いながら扉を開けると、足元に『それ』はいた。
銀白色の毛並みをした、大きな子犬のような生き物だ。
右後ろ脚を少し痛めているらしく、お腹を極限まで空かせて力尽きたように倒れ込んでいる。
「大丈夫かい!? 大変だ、怪我をしてる……」
僕が慌てて駆け寄ると、その子はびくっと身体を震わせ、青い瞳で怯えるように僕を見上げた。
「大丈夫だよ、怖がらせてごめんね。怪我、痛いよね」
刺激しないよう、優しく静かに声をかけながら手を差し出す。
すると、クンクンと僕の手の匂いを嗅いだ子犬は、僕が敵ではないと分かったのか、安堵したように「きゅぅん」と小さく鳴いた。
「お腹もペコペコみたいだね。ちょっと待ってて」
急いで厨房に戻り、先ほど作った温かい野菜スープを小さめの深皿に注ぎ、小さくちぎったパンを浸した。
熱すぎないよう『生活魔法・微風』でフーフーと冷ましてから、子犬の前にそっと置く。
「はいどうぞ。召し上がれ」
子犬はスープの匂いを嗅ぐと、目を丸くした。
そして次の瞬間――
「ペロペロッ、がががっ!」
猛烈な勢いでスープを平らげ始めた。
熱々のスープを含んだ柔らかいパンを、夢中になってハグハグと食べていく。よほどお腹が空いていたのだろう。
「ふふ、そんなに急ぐと喉に詰まらせるよ」
あっという間に皿はピカピカになった。
子犬は満足そうに「ふぅ……」と小さな息を吐くと、僕の膝にすりすりと頭を擦り寄せてきた。
「おいしかった? よかった」
撫でてあげると、喉をコロコロと鳴らして嬉しそうに目を細める。毛並みは驚くほどサラサラで、まるで上質な絹のようだ。
「君、お名前は? ……なんて、喋れないよね。毛並みが綺麗な鈴みたいだから、『ベル』って呼んでもいいかな?」
「ワンッ!」
まるで言葉が伝わったかのように、ベルは元気に尻尾を振った。
その時、ベルの身体からふっと温かい光が溢れ出た。
光は傷ついた足をやさしく包み込み、一瞬でかすり傷を癒やしてしまう。
(えっ……自力で回復魔法を……!?)
光が収まった瞬間、ほんの一瞬だけ、ベルの後ろに巨大で荘厳な「銀狼」の幻影が見えた気がした。
森の伝承に聞こえる、伝説の魔獣『フェンリル』――。
(まさか、ね……。こんなに甘えん坊でかわいい子犬が、伝説の魔獣なわけないよね)
僕の膝の上で丸くなり、すやすやと眠り始めたベルを見つめながら、僕は苦笑いした。
こうして、僕の森のカフェ「のんびり亭」に、最初の小さなお客さま(兼、居候?)がやってきたのだった。




