第7話「また、ここで」②
§ 兄ちゃんの顔
仕事が終わった父ちゃんと、上野駅までもどって来た。
「コマゴメ、じゃないの?」
改札口をでながら、健二が聞いた。
「引っ越しはまだだろ。行くのは、病院だ」
父ちゃんが言う。
「病院って」
健二の返事で、逆にびっくり顔になったのは父ちゃんだ。
「なんだ知らなかったのか。てっきり、それで電車にのっていたのかとおもったぞ。阿部さんに聞いてないのか」
「なんのこと」
そういえば、あのときべべ子が、まだなにか言っていた。逃げちゃったから、もうほとんど聞こえなかったけれど。
父ちゃんが健二の頭をなでた。そして、かがむように健二の前に立つ。
「いいか。いま、兄ちゃんは手術中だ。なに、たいしたことはない。盲腸だ」
「モーチョー……、手術って、兄ちゃん、病気なの? 死んじゃうの?」
「だいじょうぶだ。おなかをすこし切るだけだから、心配するな」
「でも」
「ほれ、あのバスにのるぞ」
父ちゃんが健二の手を引いて走った。
兄ちゃんの中学校から家に電話があったのは、母ちゃんが夕ごはんの買いものに行こうとしたときだった。
兄ちゃんのおなかいたが、あまりにもひどいので、むかえに来てほしいという連絡だった。盲腸かもしれないから、早く病院につれて行ったほうがいいと言われたそうだ。
母ちゃんはすぐに仕事中の父ちゃんに連絡をした。それから、自動車を持っているべべ子の家へ行った。事情を聞いたべべ子のおじさんが、すぐに母ちゃんを自動車にのせて、学校へむかってくれた。
茶の間にあった手紙は、そのときに母ちゃんがいそいで書いたものだった。
中学校で兄ちゃんを自動車にのせ、すぐに病院へむかった。やっぱり盲腸だった。すぐに手術がはじまることになり、母ちゃんはそのまま病院にのこった。べべ子のおじさんに、健二のことをたのんで。
だから父ちゃんは今日、仕事を交代してもらって、早い時間に帰ることができたらしい。
「健二をおいて、引っ越すわけがないだろう。バカものが」
――コツン。
バスにゆられながら、小さなゲンコツが健二の天然パーマ頭にあたった。父ちゃんは健二の手をにぎったままだった。それは、健二のなみだが、ずっととまらなかったから。
健二はどうしていいか、わからなかった。モーチョーって、どれくらいいたいのだろうか。たいしたことない手術なんてあるはずがない。おなかを切るのだ。だって、きのう健二は言ってしまった。
『兄ちゃんも、キライだ』
もしこのまま兄ちゃんがいなくなってしまったら? あれっきりになってしまう。
どんなに父ちゃんが言ってくれたって、健二の頭のなかは、いちばん考えたくないことばかりが、ぐるぐるまわっていた。
「だいじょうぶだ」
また父ちゃんが言ってくれた。
病院の玄関についたとき、ちょうど母ちゃんもろうかの奥から、こちらへむかって来るところだった。父ちゃんを見つけて、かけよって来た。
「いまさっき手術が終わったところ。ええ、心配いらないそうよ。手術は成功だって」
「そうか。よかった」
父ちゃんのちからも、ぬけたみたいだった。ここで母ちゃんが健二に気づいた。
「おや健二、あんたもいたのかい。いま阿部さんのとこに、電話をかけに行くところだったんだよ。ごはんは? もうすんだのかい」
「いや、それが――」
かわりに父ちゃんが返事をしてくれた。父ちゃんが今日のことを説明している。そのあいだ、ずっと健二は父ちゃんのズボンをにぎったまま、父ちゃんの背中からでなかった。
「ぼくのせいで、兄ちゃんはモーチョーになったの?」
母ちゃんが健二の手を引っぱる。そして言った。
「そんなバカなことがあるもんかい。ほら、兄ちゃんのところに行くよ。まだねむってるけどね」
ずんずんと、ろうかを引っぱっていかれた。
病室に入ると、白いベッドが五つもならんでいた。母ちゃんはいちばん奥のベッドのよこに健二をつれて行った。
目を閉じてねむっている兄ちゃんは、兄ちゃんだけど兄ちゃんじゃない人に見えた。まゆげにちからが入っているみたいで、たまにぴくりと動いている。
「ほら、兄ちゃんは元気だろ。いまは薬のせいでねむっているだけでね、もうすぐ目をさますさ」
母ちゃんはかんたんに言う。こんなにくるしそうな顔なのに。
健二は兄ちゃんに近づいた。健二がひっかいた傷も、まだほっぺたについている。
「兄ちゃん、ごめんなさい。ほんとうはキライじゃないよ。だから早くよくなって。死んじゃいやだよ」
「バカ。えんぎでもないことを、お言いでないよ。さあ、これで安心したろう。健二は帰るよ」
母ちゃんが言った。兄ちゃんの着替えやら、荷物を準備しないといけないらしい。ここは父ちゃんにまかせて、母ちゃんはいちど家へもどる。健二はまたバスにのることになった。
§ ぼくもみんなも家族だ
帰りのバスはすいていた。健二は母ちゃんとならんでイスにすわっていた。なにかはなしたいけれど、声がでてこない。
よこ目でそおっと母ちゃんを見る。いつもの母ちゃんよりも、すこしつかれたみたいな顔だった。
健二はすぐに目をそらして、窓の外を見た。夜の町を走るバスのなかは、へんに明るい。窓が鏡みたいで、健二はずっと自分のしょんぼり顔を見ていた。
家についた母ちゃんは、すぐにあちこちの電気をつけた。それから茶の間に行った。
健二は電気のついた玄関にほっとしていた。すると茶の間から、母ちゃんのわらい声が聞こえてくる。
「どうしたの」
言いながら健二は走った。
茶の間につくと、母ちゃんがちゃぶ台の前にすわっていて、あの紙を見ているところだった。健二に気づいて、またわらう。
「あはははは。ああ、ごめんよ。ここへおいで」
健二も母ちゃんのとなりにすわった。母ちゃんはまだ紙を見ている。そして言った。
「これじゃあ、健二があわてるのもムリないねえ」
「……」
「母ちゃんもいそいでて、せっかちなことしか、書いてなかったね」
「うん」
「電車にのったんだって、父ちゃんに聞いたよ。こわかったろう」
「…うん」
「おどろいたねえ。いつぞやの雨の日は、ぴいぴい泣きながら、父ちゃんの帰りを改札口の外で待ってたっていうのに」
「そんなの、わすれた」
「成長するのも早けりゃ、わすれるのも早いときた」
「なんのこと」
「いいや。べつに」
なぜか母ちゃんがわらっているように見えた。よくわからない。
「おとなが言うことは、みんなわかりにくい言葉をつかうから、いけないんだ」
「ははは。違いないね」
母ちゃんの左手が、健二の頭の上にのった。
「母ちゃんね、今日は健二が帰って来るとおもってた。だから、ここに手紙をおいたのさ」
母ちゃんの手のひらが、頭の上で動いている。
「もう六年生になるんだものねえ、大きくなったもんだ。ひとりで電車にのれた。兄ちゃんの心配もできる。りっぱな男だ」
「母ちゃん?」
「これからは健二にも、ちゃんとはなそうね。家族のいちだいじは、家族みんなのものだ」
「うん」
「母ちゃんはこれから、兄ちゃんの荷物を持って、また病院へ行く。今晩は帰らないよ。母ちゃん、兄ちゃんのところにいてもいいかい」
「うん。家族のいちだいじと母ちゃんは、家族みんなのもんだ」
「うまく言ったもんだ。さすが六年生だね。母ちゃんと交代で父ちゃんが帰ってくるから、それまで、阿部さんのおたくで待ってておくれ」
「わかった」
やっと健二がわらったから、母ちゃんもにっこりとした。さっきのつかれた顔は、どこかへ行ってしまったみたいだった。
すこししてから、母ちゃんといっしょにべべ子の家へ行った。
旅館のドアを開けると、すぐにフロントのなかにいたべべ子のおばさんが走って来た。兄ちゃんのぐあいと、健二がなかなか帰って来ないこと、両方を心配してくれていたらしい。
母ちゃんが頭をさげる。なん度もなん度もおじぎをして説明していた。健二はすこしはなれて、ロビーのイスにすわっていた。そこへべべ子がやって来た。
かなりのむっすり顔だ。
うでを組んで、お得意の仁王立ちだった。健二は思いだした。
以前、べべ子が親せきのお姉さんのことを、うれしそうにはなしていたことを。
「さっきはごめんよ。きょうだいがいないから、なんて言って」
「ふん」
おかっぱ髪がゆれる。
「もう。健ちゃんったら、なにも聞かないで走るのがいけないのよ。ちゃんとおしえてあげようとしたのに」
「そうだね」
「あら。今日はすなおなのね。おどろいた」
「そうさ。もうすぐ六年生だからな」
「去年も、にたようなこと言ってたわよ。もう五年生だからって」
「うるさいやい。今年は違うからな、見てろよ」
「そうね。どうせまたおなじクラスでしょうから。よおく、見ておくわ」
「ああ」
ここで健二のいきおいが止まった。
また心臓がドキリとなる。頭から足まで音がなっているみたいに、ドキドキしはじめていた。
ぼくだけ転校する。みんなといっしょの六年生はないんだ。
べべ子が髪を手ではらう。ちらりと健二を見てから、ロビーの奥へ歩きはじめた。
「さあ、こっちよ。お母さんたちの話もすむころだわ。台所で夕ごはんを食べましょう」
言いながらべべ子は行ってしまった。
ちょうど母ちゃんの話も終わったようだ。母ちゃんは健二に声をかけると、いそがしそうにまたでかけて行ってしまった。
§ また、ここで
あの日、タンちゃんは健二の家へむかえに来てくれていたらしい。けれど留守だったので、べべ子の家へ行ったそうだ。そこで兄ちゃんのことを聞いたから、すごく心配してくれていた。
つぎの日学校に行ったら、すぐに走って来た。
学校でみんなに転校のことを言ったとき、ベーゴマ星人タケシやクラスのみんながびっくりしていた。けれど、三学期のおわりの日に教室でお別れ会をしてくれた。
きのう、父ちゃんが小学校行ってへ転校の手続きもした。
今朝は父ちゃんもいっしょの朝ごはんだった。母ちゃんはすっかり元どおりの母ちゃんになっていた。兄ちゃんの様子が順調だから、病院へ行くついでに、またあちこちで立ち話もしているらしい。
母ちゃんが言った。
「引っ越しまでに、兄ちゃんは退院できるそうだけど、ちから仕事はムリだね。こんどの引っ越しは兄ちゃんのぶんも、健二にがんばってもらわないとね。たのんだよ」
言ったあと、父ちゃんと母ちゃんの手が止まったのがわかった。健二のこたえを待っている。
健二はのこっていたたまごかけごはんを、いっきに口へかきこんだ。そして、からっぽの茶わんを母ちゃんに見せて、元気よく言った。
「おかわりっ! 兄ちゃんのぶんと、ふたりぶんだね。引っ越しは、ぼくにまかせて。いまから、ちからをつけておかないとね」
母ちゃんが父ちゃんを見る。父ちゃんは健二の肩をたたいた。
「ああ、たのむぞ」
母ちゃんが、山もりごはんをよそってくれた。
*
三月の終わり。
今日は上野さいごの日。
健二は春のお山にいた。
目の前には、夕やけ色の不忍の池が見える。下の八角形の屋根、そこでガマの油売りを見た。あっちには白クジラのジャンプ、むこうは動物園だ。
あちこちにある秘密の場所は、これからもずっと秘密のままとっておく。
「ぐすっ」
となりでタンちゃんが鼻をすすった。健二は口にちからを入れたままだった。
もっとたくさんはなしたいのに、ちからをぬいたら、目と鼻のちからもぬけてしまいそうで。
どうしたらいいか、わからない。
「ずっ、ぐし」
タンちゃんはさっきから、ずっと夕やけを見ている。健二もだ。
もうすぐ夕日が、町のむこうへしずむ。
もうすぐ、ふたりの時間が終わってしまう。
健二は気づいた。がまんしているなんて、もったいない。
「タンちゃん。……ずっ」
ほら、やっぱり。ちからをぬいたとたん鼻水がでてきた。でも、もういい。
「タンちゃん」
「うん」
夕やけのほうを見たまま、うなずく。
「ぼくね、転校しても友だちはつくらないよ。だって、いちばんのなかよしはタンちゃんだから」
「その逆だよ、健ちゃん。いっぱいつくってよ、新しい友だち。だって、そのほうがぼくの鼻が高くなるってもんさ」
「タンちゃん?」
「こんなにたくさんの友だちのなかで、ぼくがいちばん健ちゃんとなかよしなんだって。みんなに自慢できるもん。だから、たくさんたくさん友だちをつくってよ」
「タンちゃん。うん、そうだね。そうする。もっともっと友だちをつくる。そして、いちばんは、ずーっとタンちゃんだ」
「ぼくもだもん。中学生になっても、新しいクラスになっても、違う学校になっても、ブルーインパルス隊はずっといっしょなんだ」
「すぐにまた会えるさ」
「うん」
「ここで遊ぼう。秘密基地で待ち合わせだ」
「うん。健ちゃん、ふたりの場所、わすれないでね」
「わすれるもんか」
「いっぱいあるよ」
「タンちゃんこそ」
「わすれないもん」
「……」
「……」
夕日がしずんだ。
オレンジからピンク色に変わった夕やけが、ふたりのなみだと鼻水に反射する。
「へへへ」
健二がわらって顔をぬぐった。
「ふふふ」
タンちゃんもわらう。健二が言った。
「ねえ」
「うん」
タンちゃんもうなずく。健二がタンちゃんの顔を見た。
「こういうときってさ」
「そう。かならずね」
カサリと音がした。同時にこのキイキイ声。
「なによ」
「やっぱりな~」
さいごは健二とタンちゃんの声がそろった。
「ううん」
「べべ子の七不思議だもん」
「なに。それ」
フンとべべ子が大げさに鼻をならす。
健二はタンちゃんとべべ子を見た。そしてまた夕やけに顔をむける。
「やっぱり、こうでなくっちゃな。ここは」
言いながら、一歩、二歩と歩いた。そしてふたりをふり返った。
「なっ、またここで遊ぼう」
「うん」
「そうね」
三人の声が上野のお山に、池に、空に、ひびいた。
第7話「また、ここで」おわり
そこで待っててね~あのときの僕ら~ 完
未熟者でしたが、皆さまのおかげで完結することができました。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
次作品でまた、お会いできたら嬉しいです。(ざらめ)




