三日月と溺れる子守歌
※
「いや、諦めては頂けませんかな?」
団長室へ入ってジェッタの第一声がそれだ。
ちなみにルエもハヤトも何も言っていない。
「ジェッタ様、お願いします!この子、帰る場所がないんです!」
「ほう、帰る場所が?」
肘をつき、ジェッタはルエの腕に抱かれている子犬に視線をやった。威嚇するように吠える辺り、どうやらジェッタのことは敵だと認識したらしい。
ゼロも含めた三人が、団長室に来たのはつい先程のことだ。
いつも通り、ノックと同時に扉を開けたゼロに続いてルエが、そしてゼロに何かしら言いながらハヤトが入ってきた。それ自体はいつもの、とは言い難いが、少し前までは大して珍しい光景ではなかったので、ジェッタも、特に何も言うでもなく三人を迎えたのだが。
ルエが抱いている子犬を見た瞬間、全てを悟ったかのように冒頭の言葉を言い放った。
「だんちょー、頼むよー。ちゃんと面倒見るからさ、ハヤトが」
「勝手なことを言うな!団長、違います。俺は、いや私は止めたのですが……」
各自、思い思いのことを言っているが、そもそもとして、なぜ犬を飼いたいことを団長の自分に言ってくるのか。いや、両親を亡くしたルエの親代わりではあるのだし、これは親にお願いをしに来ている体と同じなのだろう。
言い出しっぺはあの白髪の騎士に違いない。ハヤトはむしろ本当に止めたのだろう。
「はぁ。まずですな、ルエ様。なぜルエ様は、その子犬が帰る場所がないとお思いなのでしょう」
「えっと……その、私のところに来たから、とか……」
「ルエ様は、その子犬を引き取って、どうやって世話をするおつもりですかな?ご自分のスケジュールを把握しておられますか?」
「それは、その……」
別に責めているわけではない。
ただ、ジェッタとしてもハヤトと同じ考えなのだ。どこから、どのように、どうやって入ってきたのか。それがはっきりしない以上、簡単に城内に留まらせるわけにはいかない。
それが小さな子犬でも、だ。
「わかったわかった!じゃ庭園で飼おうぜ!庭師に頼んでさ、決まった時間にオレらで見に行くって感じで!」
「わん!」
「ほら、こいつもいいって言ってんじゃん!」
抱かれた子犬の頭を撫で、ゼロは決まりだと言わんばかりに笑みを浮かべる。子犬も何度か吠えて返すと、手足をバタつかせてルエの腕から抜け出した。
「よし、じゃ早速庭園に行こうぜ!ルーちゃんも!」
我先にと扉を開けて、子犬と共に出ていったゼロの背中を追いかけていくルエ。ハヤトはそれをため息と共に見送り、それから静かに扉を閉めた。
ジェッタに向き直ると、騎士団団長は、ルエに向けていたものとは比べ物にならないほどに、冷たい光を目に宿していた。余り見ないそれに少し気後れしつつも、ハヤトもまた真剣な顔つきでジェッタを見返す。
「盾の騎士、狼に気をつけろ」
「狼?」
「人狼がいる。いや、本当の人狼かもしれん。私も最近見ていないのでな。それしか言えん」
「……肝に命じます」
右手を胸に当て深く頭を下げる。そしてハヤトも二人を追い、また庭園への道を気怠いながらも歩き始めた。
扉が完全に閉まり、部屋にジェッタだけになると、彼は頭を掻き深く息を吐いた。
「これは、グレイ辺りを小突いてみるか……」
人狼について詳しく、かどうかは別にしても、ショコラリエ家前当主ならば知っていることも多いだろうと踏み、ジェッタは痛む腰を擦りつつ立ち上がる。そういえば今日は、自分も夕食時に約束事があったと思い出しながら。
途中すれ違った騎士たちに、またかという目で見られたが、今更それを気にするゼロではない。確かに剣の騎士である自分が、犬と追いかけっこしているなど笑える光景かもしれないが、普段から真面目な態度なわけでもなし。
噴水広場まで走り終え、そのまま庭園へと駆けていく子犬に手を振ってから、ゼロは噴水の縁に座った。
暮れていく日と、代わりに出てきた月を見上げ、そういえば日が沈むのが早くなったと思う。穏やかな気候の中央では見たことはないが、もうすぐ雪というものが降るのだと、東の国王からの手紙で知った。
一度見てみたいと笑っていると、少し遅れて走ってくる黒髪が遠目に見えた。手を振ってやり、隣に座るよう促すと、息を切らしていたルエは大人しく並んで座った。
「もうっ、ゼロ、早い……!」
「ごめんって。でもついてこれただろ?ルーちゃん騎士としての素質あるって」
「そう、ですか……?」
自信なさげに指先を弄り、それからルエはゼロを上目遣いに見上げた。それに「当たり前だって」と明るく笑ってやると、ルエもまた、自信が出てきたのか同じように笑う。
「そういえば、あの子は?」
あの子、とはもちろん子犬のことだろう。ゼロは庭園の方角を示し、
「行っちまったよ。大丈夫だって、あいつ賢いからさ」
「そんな適当な……」
そう答えるルエにもわかっている。あの子犬は確かに賢く、そして二人がついていかずとも庭園に向かったであろうことくらい。
だからルエも、それ以上を追求することはせず、ゼロと同じように空を見上げた。
「塔にいた時のこと、ゼロは覚えてます?」
「覚えてるよ。二人でよく抜け出して、グレイに怒られたなー」
消灯の時間だというのに、近くの湖まで二人で抜け出して、そのまま水遊びしたことも。探しに来たグレイにしこたま怒鳴られ、次からは一言断ってから行くようになったことも。
まだ一年も経っていないのに、それらは遙か遠くの思い出のように感じられた。
「ゼロ」
「んー?」
「私、ゼロが来てくれなかったら、きっと今でも一人ぼっちだったと思うんです。私と会ってくれて、来てくれて、ありがとうございます」
そう笑うルエは、ゼロの好きな表情のひとつ。昔から変わらない、ずっと大切にしたい笑顔。頭を優しく撫でると、その笑みがさらに和らぐのも昔から変わらない。
「久しぶりに会ってもお前らは変わらずなようで何よりだ」
「ハヤト、なんだいじけてんのか?」
ゆったりと歩いてきたハヤトに意地悪く笑い、ゼロはルエの隣を示してやる。座る以外の選択肢はないらしく、ハヤトはため息と共に腰を下ろした。
「三人なら、別に見られたって構わないだろ?なんたって、オレは剣の騎士でお前は盾の騎士なわけだし。王女サマを挟んで座ってても問題ねーよ」
「全く……」
下手な気遣いをさせたことに申し訳なく思うが、しかしとハヤトは考える。
自分の執務はゼロの分もこなしている。つまりは、ゼロがきちんと仕事をしていれば、そもそもとして自分が激務になることはないのだ。
「ゼロ」
「おっと言わせねーぜ。今だけはオレへのお小言はなし」
どうやら自覚はしていたらしい。間に挟まれたルエだけが、不思議そうに二人を交互に見ている。
「ささ。愛の囁きのひとつやふたつでも、なんならエッ」
「凍るか?」
「寒いのは勘弁」
二人のやり取りを聞いていたルエが、耐えきれないとばかりに笑みを零す。そういえば、こんなやり取りですら久しぶりだ。それに釣られてゼロも笑い出し、ハヤトは呆れているようで、それでも口の端を少しだけ持ち上げて。
ひとしきり笑った後、ゼロが立ち上がりズボンを叩いた。辺りはすっかり暗い。時間が経つのはあっという間だ。
「さて、そろそろ飯の時間だな。どうする?ルーちゃん送ってくか?」
「いや。悪いが、レイナさんに呼ばれていてな。今日は向こうで泊まる」
「団長じゃなくて?団長怒らね?」
「それぐらいで怒っていたら、俺はきっと今生きていないだろうな」
ゼロは少し思案し、確かにそうだなと納得する。あの背丈が低い、一見すれば少女のようなハヤトの義母を、あれでもジェッタは大事にしている。もちろんそれはハヤトに対してもで、結局のところ、きちんと愛されているのだ、この親友は。
「んじゃ、行こうかね。ルーちゃん、帰ろうぜー」
城へ歩き始めたゼロは、なぜか少しの距離を取った後立ち止まった。かといって振り向くわけでもなく、その場で二人に背を向けたままだ。
ルエにはその意図が汲み取れないが、ハヤトは違ったらしい。ルエの顎を少しだけ持ち上げると、触れるだけの口づけを落とした。
「おやすみ」
「……ぁ、あ。お、おやすみなさい!」
真っ赤になりながらも、なんとかそれだけ絞り出し、ルエは慌ててゼロの元へと駆けていった。
二人を見えなくなるまで見送ったハヤトもまた、久しぶりに帰るウィンチェスターの家に向かうため、反対側の城門へと歩いていった。




