純潔を持たない勝者と敗者
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それは王名の儀の、七日前。
ハヤトは、今日も今日とて書類作成に追われていた。特別こういった作業は嫌いではなく、むしろやれ訓練だやれ巡回だのと、身体を動かすよりも好んでいる。
王城の一角にある執務室には、騎士団からの報告書の山が積み上がっており、近くの森の異変、町の治安、そして民からの嘆願書と、目を通さなければいけないものは多い。
同じように机に向かっているのは、各隊の隊長たちであり、本来ならば、ここにはもう一人いなければいけないのだが。
「……はぁ」
手元のペンをくるりと回し、ハヤトは無意識にため息を零した。それに反応するように、隣に座っていた女騎士がハヤトを見、にたりと笑う。
「あらん?盾の騎士様は退屈なご様子。アタシも退屈だし、イイコトでもする?」
そう言い、程よくついた筋肉と胸元を強調してみせる。騎士たるもの、節度ある行動と服装をしろと言っているのだが、この女騎士ユンシャルは守ろうとはしない。
彼女もまた、騎族と呼ばれる由緒ある騎士の家系の人間なのだから、上に立つ者としての自覚を少しは持ってほしい。
ハヤトは心底面倒くさそうに、そしてユンシャルには視線をやろうともせずに手元の書類にサインをつけた。そんなハヤトの腕に、ユンシャルは豊満な胸を惜しまずに押しつけつつ、耳元に唇を寄せていく。
「つまんない。普通の男ならこれで引っかかるのに」
「普通でなくて悪かった」
「やっぱりあれ?王女様の身体が一番イイの?」
その言葉に反応するように、ハヤトが腕を思い切り振り払った。その反動を利用し、後ろに飛び退いたユンシャルは「あはん」と唇をぺろりと舐めた。
「ランドウルフが……。いい加減にしろ」
冷たい氷のような視線に、普通の騎士ならば縮こまってしまうだろう。しかし、ユンシャルはたくし上げたスカートの中から何枚かのカードを取り出してみせ、それをハヤトにチラつかせた。
「アタシも、王女様だーいすきよ?泣かせたい。思いっきり懇願させて、涙と唾液でぐちゃぐちゃにするのぉ」
「この変態騎族が」
ハヤトもまた腰から銃を抜き、忌々しいとばかりにユンシャルに向けた。二人の間の空気が張り詰める中、黙ってペンを走らせていた中年の男が咳払いをひとつ零す。
「おほん。騎士同士のいざこざはご法度だ、二人共わかっているのだろうな?ユンシャル殿、仕事中に他の騎士に構うのはやめて頂きたい。それからハヤト殿」
「……」
「盾の騎士と言えど、通常時は我らと同じ、つまりは我の指揮下ということを理解して頂きたい」
「……はい」
この男、王宮騎士団一番隊隊長ヒューデに、ハヤトは渋い顔をしつつも了承の意を答える。騎士団をまとめる団長の下には五つの隊があり、その五つの隊長をまとめるのは一番隊の彼の役目だ。しかし今は神使の隊が不在な為、実際にあるのは三番隊までとなる。
厳密に言えば、ハヤトは騎士団の中でも特殊な騎士であり、どこの隊にも所属はしていない。しかし、通常時はこうして隊長と同じ扱いを受ける為、一応はヒューデの下につくことになるわけだ。
「あはっ。怒られちゃったわねぇ、盾の騎士様」
カードをスカートの中に戻し、ユンシャルは大人しく机へと戻った。挑発的な視線をハヤトに向けることを忘れずに。
元はと言えば、ルエが騎士団をきちんと再編しましょうと声を上げたのが始まりだ。
前王時代の騎士団を、前王が崩御した際にほぼほぼ解体し、残ったのはウィンチェスター家が保有する騎士だけになった。それを他の騎族に所属する騎士も入れ、今の形に再編したのだが。
なぜユンシャルが選ばれたのか。ルエは彼女に襲われたではないか。それをルエに進言はしたのだが、そういったことを気にせずに、新しく騎士団を作りたいというルエの押しには勝てず。
今の形になってからかれこれ二ヶ月は経っているが、ハヤトは未だに慣れないでいる。
再び走らせ始めたペン。それから紙ズレの音。今日もいつも通りの時間が過ぎていくのかと思い。
どれほどか経ち、もうすぐ昼時かという頃。慌ただしく扉を叩く音が鳴り響き、全員の視線が扉へと釘づけになる。
「入るといい」
ヒューデが声をかけると、一人の若い騎士が深く頭を下げ、それから少し息を切らしながら口を開いた。
「し、失礼します!どうやら敷地内で喧騒が起こりまして」
「騎士たちはどうした」
「その、大変言いづらいのですが……。剣の騎士殿と、ウィンチェスター家の方らしく……」
ばたん。
ハヤトが机を軽く叩いて立ち上がった。その表情は面倒なこと極まりないと言いたげだ。
「わかっていると思うが、騎士同士の」
「承知しております。少し抜けさせて頂きます」
ヒューデからの返事を待たずして、ハヤトは若い騎士に軽く礼を告げ出ていく。その背中を見送り、ヒューデは小さく「返事くらい待たんか」と小さく項垂れた。
この広い敷地内で、そういった喧騒が起こる場所と言えば、庭園か城門前の噴水広場辺りしかない。どのみち噴水広場を経由しないと庭園には行けない為、ハヤトは急ぎ足で階段を駆け下りる。
外へ続く扉にいる騎士に軽く挨拶をすると「噴水広場です」と言われた。それに礼を言い、よりにもよってなぜそこなのかと頭を抱えたくなった。
広場に近づくにつれ、騒ぎ声と野次の声が飛び交うのが嫌でも耳に入ってくる。どうやら民が遠巻きに見ているようで、人だかりが出来ていた。
「……なんでお前はオレに突っかかってくんだよ!」
「あァん?オレはただ道を聞いただけだろぅが。愛しい愛しい王女サマはどこですかってなァ」
「お前に教える道はねーよ!」
人だかりの合間を縫って輪の中心へ出ると、そこでは白髪碧眼の少年と、茶髪に黄の瞳の少年が、騎士たちに羽交い締めにされながらも、お互いに罵声を浴びせあっていた。
さらに痛くなる頭を押さえつつ、しかしこの場を抑えないと説教されるのも自分な為、ハヤトは渋々と二人に近づいていく。
「あ!ハヤト!聞いてくれよ、ショウが」
「おいおい、勘弁してくれよ?オレは最近、国外任務から帰ってきたばっかで道がわかんねェだけだろぅ?それを、高貴な剣の騎士サマに聞いてンだよぉ」
茶髪の少年、ショウは、確かに最近まで南大地で任務に出ていた。帰ったと報告があったのはつい一週間ほど前で、ならばその時に城へ来ればいいものを、と思わないでもない。
対して白髪の少年ゼロは、自分と対を成す剣の騎士であり、本来ならば彼も執務室で仕事をしなければいけない。なぜ、こんなところにいるのか問い正したいのだが、どうせ返ってくる答えは決まっている。
「……騎士同士のいざこざは禁止だ。それが剣の騎士でも、従騎士でも同じだ。わかったらさっさと」
「うるせー!あいつを殴らせろ!ルーちゃんに下心ありありなの、わかってんだからな!」
「あァん?男が女に下心持ってるのがいけねぇなんて聞いたことねェなァ」
どうやら何を言っても無駄らしい。
それならば、もうお互いに殴り合ってくれたほうが解決するのではないか。説教はこの際受け入れて。
いや、そうすると、午後の貴重な時間が無くなってしまう。午後、ダンスレッスンの後時間があると言っていた愛しい恋人の姿を思い浮かべ、やはりどうにかして諌めるしかないと思い直す。
「あー、もう、離せ!殴る!ぜってー殴る!」
先に騎士を振り解いたのはゼロだ。まぁ、彼を押さえられる人物など数えるほどしかいない為、容易に想像は出来たのだが。
ショウもまた、羽交い締めにしていた騎士を力任せにゼロへ投げつけ、懐からナイフを何本か取り出した。
ゼロは投げつけられた騎士を受け止めるが、その反動で尻餅をついてしまう。周囲から悲鳴が上がり、流石にこのままではまずいと、ハヤトは意識を集中させる。
「水の詞、三の章。我が声に応え水滴と成し、氷結せよ!」
右手をショウに向かってかざす。
パキリパキリと、それはショウの足元を確実に凍らせていく。
ショウが、動こうとしない自分の足に舌打ちをしたのも束の間、その足元から登る冷気は一瞬にしてショウを氷像へと変えた。
庇った騎士を立たせたゼロが、ハヤトに明るく笑いかける。今だけはその笑顔をぶん殴ってやりたい気分だ。
「助かったぜ、ハヤトー!」
「助けたつもりはない」
あのままだと民にも被害が出ていたかもしれない、だから自分が手を出した。そしてこの場合、説教されるのは。
「盾の騎士殿、騎士団長がお呼びです」
やはりそうなるのか。
ハヤトは深いため息をつき、騎士たちに後始末を頼むと、貴重な時間を割きに団長室への道のりを歩いていった。