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十  素直になれる勇気を


 どうして私の名を呼んでいらっしゃるの?


「セシカさん」


 夜が訪れる度、夢見ておりました。

 甘いお声で、私の名前を呼んでくださる夢を。

 輝く月を背に、星のように微笑まれて魔法の言葉を囁かれるのです。お迎えに参りましたよ、一緒に帰りましょう、と。

 はい、軍曹さん。

 泣きたいくらいに嬉しくて、私は、軍曹さんの元へ走り出します。ですがどれだけ走ろうとも、何故でしょう、追いつくことはできないのです。

 軍曹さん。

 走って、転んで、それでもまた走って。輝きを増す月は大きく膨れ上がり、ああ、眩しくて何も見えません。どこですか軍曹さん。

 行かないで。行かないで。行かないで。

 お願い。


 けれども。

 必死で手を伸ばすけれど、私の指が掴むのは空だけ。軍曹さんはどこにもいらっしゃらない。私の元に帰って来てくださらない。お迎えに来てくださらない。

 私は、今日も、一人。


 目を覚ますと私の枕はしっとりと濡れていて、お洗濯物と共に朝日に干される運命でした。


 いつもの夢を、私、見ているの?


「セシカさん」


 夢です。


「セシカさん、あなたの元へ帰ってまいりましたよ」


 ゆ、めです。


「どうか私に声を聞かせてくださいませんか?」

 夢なのに。

 期待してはいけないのに。なのに囁かれるお声がとても甘いから、馬鹿な私はまた魔法にかけられてしまうのです。

 期待と言う魔法を。

「ぐ、ん、そう、さん?」

 

 もう夢だって構いません、お逢いできるのなら。

 こうしてお呼びしてもきっとお返事はないのでしょう、心の半分は諦めておりました。

 ですが。

「ええ。私です、セシカさん」


 え…?


「黒ウサギさん、そのリボンは私の為ですか?」

 今度こそ涙がぶわりと浮かびました。

 だって。

 リボンに、気が付いてくださった、の?

 ドレスに合うようにイレフ様は、花の髪飾りをご用意くださいました。それを私はお断りし、無理を言って持参したリボンを侍女様方に結っていただきました。

 黒いリボンを。

 華やかな場に相応しい色ではございません。

「肯定してください、黒ウサギさん」

 はい、軍曹さん。

 あなたと出会った頃、黒を身に着けていた私を、あなたは黒ウサギさんとお呼びくださいました。あなたの死亡通知書を受け取った日から、私の髪にはいつも黒のリボン。

 軍曹さん。

 あなたのお帰りを願って。

「私も、あなたを想っていました。どんな時も。今も」


 ど。


 どっどうしよう。どどどっ、どうしよう。

 これ、ゆっ夢ですよね、それとも妄想ですか。う、嬉しいですけれど、本当はとっても嬉しいですけれどもっ。

 胸に住まう小鳥が大きく羽を広げ、私の心をくすぐります。

 目を開けて、軍曹さんのお姿を見たいのに、どうしてこんなにも瞼が重いのでしょう。身体だって、痺れて動けないのです。

 はっ。

 そ、それとも負った怪我が原因で、私、死んでしまったのでしょうか。もしかして神様が憐れんで、軍曹さんに逢わせてくださったのでしょうか。

 なら。

 とても、とても嬉しい。感謝いたします、神様。ああ、白百合の方にも。


 死んで、良かった。


 たまらなく嬉しくて、でも、込み上げる涙をぐっと我慢いたしました。

 だって、私、これだけはどうしても笑顔で言いたいのです。

「お帰りなさいませ、軍曹さん。お国の為に、お勤め、本当にお疲れ様でした」

 

 ああ、やっと、お伝えできました。


「セシカ、さん」

 お帰りなさいと言った後には言おうと決めていたのです。ははは恥ずかしいですけれども、が、頑張ります。

 神様、素直になれる勇気をください。

「わ、たし、ずっと、お逢い、したかった、です」

「セシカさん…」


 温かな指が、私の髪に触れました。優しく梳いてくださるのです。

「ただいま戻りました。私もあなたに逢いたかった、とても。とても」

 どうしよう、心地良くて。

 どうしよう、こんなにも。


 ただいまが、嬉しい。


 ただいま戻りました、セシカさん。

 おかえりなさいませ、軍曹さん。

 あの頃には気が付かなかったのです、こんなにも幸せな言葉だと。


 神様、もう少しだけ。

 もう少しだけ、お力をください。私はどうしても軍曹さんに言わなくてはいけないことがあるのです。

「軍曹さん、お聞き、くださいますか?」

「何でしょう、愛の言葉でしたら嬉しく思います」

 甘い囁きに私の胸に住む小鳥が、さわさわと羽を揺らすから、堪え切れずに一粒の涙が頬を伝ってしまいました。


 朧月、星々、さやけし夜よ。どうか私に力をください。


「ぐ、軍曹さんに謝らなければなりません、私、あのお家を守ることができませんでした…」

 私は弱虫です。

 ごくりと喉が鳴りました。

 きっと軍曹さんはがっかりなさるでしょう、あきれ果て、私に幻滅してしまわれるでしょう。そう思うと、こわくて胸が詰まります。

 でも、告白しなければなりません。

「行き届かず、軍曹さんのご親戚から、き、嫌われてしまいました」


 軍曹さんとお父様の訃報が届けられたあの日。

 告げられた大罪にお屋敷中が慄き、その中をご親戚の方々がいらっしゃいました。メネリック家に訪れた悲劇は、全て私のせいだと指さされたのです。

 何をおっしゃっているのか、理解できませんでした。

 私の?

「全てお前のせいだ、お前さえいなければ」

 悲しかった。

 軍曹さんと血の繋がるご親戚に嫌われて、私、とても悲しかったのです。

 違います、違いますと泣き叫んでしまいたかった。でも、できませんでした。メネリック家の危機は目前でしたから。

 だから、私は。

「か、勝手に領地を手放してしまいました」

 国の信頼も、当主も失ったメネリック家の為に私にできることは?

 領地を国に返還する以外、思いつきませんでした。ミレイ様のように頭脳明晰であったなら、もっと良い案が打てたでしょう。

 ごめんなさい、わ、私に力が無くて。

 社長のお仕事をお手伝いするようになって初めて、領地と領主の関係を勉強し、私の浅はかさを思い至りました。

 ごめんなさい、軍曹さん。

 メネリック家を守りますとお誓いしましたのに。

 軍曹さんの大事な家族だと知っていましたのに。

 マァヤ様やココノエ様。

 友だちになってくださったウルさんにカイエさん。

 料理長さんに御者さん、皆さまを、私、大好きでした。


 なのに、何一つ、守れませんでした。


 何も持ち出すな。

 さっさと出ていけ。

 二度とこの家と関わるな。

 そうおっしゃられて、引き下がってしまったのです。今思い返せば、もっと努力すべきでしたのに、なのに私は。

 恥ずかしくも、嫌われていると自分の悲しみに浸り切り、守り切れなかったのです。


 ごめんなさい。


「あなたって人は」

 くしゃりと耳元の髪が覆われる音がして、星のようにきらきらとした、懐かしいお言葉が降ってまいりました。

「困ります、セシカさん」

「ご、ごめんなさい」

 や、やっぱり呆れてしまわれた。じ、自業自得です。

「あなたはいつでも私を困らせる。今、どんなにあなたを抱きしめたいか、分かってくださらないでしょうね」

 え。

 えっと、ぎゅっとしてくださったなら、とても嬉しいのですけれど。わ、わ、私ったら何てはしたないことを。

「あなたは貧血を起こしています、血を見たからでしょう。今は、頭に血を巡らせる体勢でいないと」


 …え、ひんけつ?

 貧血?

 いつもの、あの?


「抱き潰してしまいたい程、あなたは可愛い。だのにいつでもそうさせてくださらないあなたは、本当に困った人だ。セシカさん」

 でっ、では。

 わ、私がぎゅってしても、よ、よろしいの?


「それに、何故、こんな所へ来たのですか。ここはあなたにとって最も」


 え?


 突然、声が苦し気なものへと変わり、そして、途切れてしまいました。

 え。

 撫でていてくださった手の感触も、夢幻の如く、消え去ってしまったのです。

 軍曹さん?

 不安になった私は、またも息が苦しくなり、はっはっと短い息を繰り返しました。きぃんと耳鳴りがして、目の前の白い闇がぱちぱちと爆ぜるのです。

 ぐ、軍曹さん、どこですか。

 お願い、もう離れないでください。

 動きにくい手を必死で動かして、ようやく服の感触が指に伝わりました。絶対にもう放しませんとぎゅっと握りしめた筈なのに、すっと消えてなくなってしまったのです。

 な、ぜ。


 手は、やっぱり、空っぽ。


 あなたは、いない。




 まぶ、しい。


 あれ程重く感じた瞼はゆっくりと開きました。

 情緒ある照明に、あの朧月は追い払われてしまったのでしょうか。瞬く星も、優しい夜もございませんでした。

「アサツキっ」

「ウサギさん、気が付いたのかい?」


 私は罪深い女です、何故、死んでいなかったのだろうと思ってしまいました。

 

 眉を寄せられた社長やイレフ様のお姿に、ここが何処なのか、自分の状況を思い出しました。そう、ここは帝都。

 華やかで美しくて、海の底の桃源郷。


 軍曹さんのいらっしゃらない場所。


 目の前に広がる現実は、胸の小鳥の羽をむしり取るよう、痛くて。

 なら、夢のままで居たかったのに。


「傷が痛むのか、アサツキ」

 焦りを帯びた社長のお声に、居たたまれなくなり、きゅっと唇を噛み締めました。


 〈武〉を冠する身でありながら、人気のない場に行く軽率さ。

 自身の身すら守れない弱さ。

 それに止まらず、ドレスをご用意くださったイレフ様のご厚意も、身支度くださった侍女様の努力も無碍にしたのです。

 何より、大勢の方が集われる交流会を台無しにしてしまいました。

 わ、私はなんてことを。

 イレフ様のご助言も生かせず、私を連れて来られた社長のお立場さえ、辱めてしまいました。それなのに心配してくださるなど、申し訳なくて。

「ごめんなさい」

 せめて泣かずに謝りたいのですが、えぐえぐと息は震えるのです。


 こんな私なんて消えてなくなってしまえばいいのに。

 そう思ったからでしょうか、また白い闇が降りてきて、意識が薄れて行きました。

「アサツキ?」

 社長、ごめんなさい。

 ごめんなさい、私。


 考えなければならないことがぐるぐる巡る中を、私の意識は遠のきました。



「あの、お暇を」

「僕の責任だ、どうか償わせて欲しい」

 寝台から降りる許可はいただくことができず、仕方ありませんとその上で正座をした私の言葉は途切れました。

 もう横になっていなくても大丈夫です、イレフ様。

 ようやく意識がはっきりした私は、設えの良いお部屋で寝かされており、敷かれた絨毯はとても高価そうでした。

「償いって、あの」

 あのような騒ぎを起こしたにも関わらず、イレフ様も社長も、一切私を糾弾なさいませんでした。

 それどころか、他の客に知られることなく無事交流会は終了したよと、優しく微笑んでくださるのです。

 まして償いって、そ、そんな。

 む、むしろ叱ってください。

「君を叱る?まさか」

 ぎゅっと左手を握られてしまいました。

「僕は君に言うべきではないことを言った。だからこんな傷を君は負ったんだよ。叱られるべきは僕の方だ」

 お医者様に診ていただいた私の右手は包帯が巻かれ、その白が染みるようにイレフ様は目を細められました。

「責任を取って、君に申し込むよ」


 はい?


「結婚しよう、ウサギさん」


 は?


お読みいただき、ありがとうございました。

ようやく軍曹さんのターンです。

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