文と悪魔の選択肢
「どういうこと……許せない……」
怒りのオーラに寒気がして、俺は目を覚ました。
「あら、起きたわね」
どきんの膝枕だ。筋肉でふかふかである。
「起きたの!坂!」
文の怒号。
「ご、ごめん!ごめんなさい!俺がついていながら半兵衛が……」
土下座をしたら頭を踏まれた。
「そんな役目ははなからザコいあんたには期待してませんけどぉ〜」
ぐりぐりと。ごもっとも。
「あっさり気絶してのんびり寝てるのにはイライラしてたのよぉ〜」
「好きなだけ踏んでくれ。面目ない」
素直に踏まれていたら「ふんっ!」と文は足を離してくれた。
ぱんつはミントグリーンのしましまだった。
すでに手紙を読んで、状況はみなわかっているようだった。
「いま何時だ?」
「夜の9時。学校追い出されたから道端で悪いわね」
あたりを見回しながら体を起こす。裏門の脇でたむろしていたようだ。ごり、文、どきん、真子ともっちがいた。
「それで、どうしましょうか」
「どうって言われてもなあ、のこのこ出ていく以外にどうしようもないぞ、半兵衛が人質じゃあ」
「もうそれでいいわ。正々堂々、殴り込んで勝つわ。任せて。絶対ぺんちゃんは取り返す」
「真子ともっちは来なくていいぞ、危ないから」
「そう言われて引き下がると思ってるんですか」
「私も行きまスー」
「人質にとられる可能性を考えたら、見える範囲にいてくれた方が安全かもしれないわね」
「しょうがねえな、逃げる準備だけとしけよ」
「はい」
「じゃ、坂も起きたことだし解散して、各自よく寝て、朝7時に集合だ」
話はほぼ決まっていたようだった。
□ ■ □ ■ □
朝。身体が痛いのでいろいろ時間がかかってしまい、俺が到着したのは7時ぎりぎり過ぎた頃だった。
「遅い!」
ごり、文、真子、どきん、もっち。
6時半には全員そろっていたらしい。申し訳ない。
指定された花楽史公園は学校から10分ほどの場所だ。
ごりは金属バットを持っている。あとバールのようなものを「とりあえずおまえの持てそうな武器がこれしかなかった」と真子に持たせている。役に立つのかはわからない。
入り口にたどり着いたところで、広場の向こう側にある大きなすべり台の上に座っている赫月が見えた。その横に先日と同じ、普賢丸とデストロイヤーが控えている。
「いらっしゃい。せっかく人質を取ったからね、まずは交渉だよ。ごりくんを渡してくれれば人質は解放しよう。
素直に渡してくれない場合は、身の安全は保証できない」
「ぺんちゃんはどこなの!」
赫月がうなずいてみせると、普賢丸はコートの前を開けた。異様に膨らんで奇妙な形になっている胴体が、めこめことさらに肉をわけて骨が出るようにして、先日俺が見た鳥かごのような形態に変形していった。
目隠しと猿ぐつわをされ、後ろ手に縛られた状態で力なく丸まっている半兵衛が中に閉じ込められている。
ぴくりとも動かないから、意識を失わされているのだろう。
「待て文……」
その姿を見ただけで文の堪忍袋の緒は切れてしまったようだ。
無言でひとり飛び出していってしまった。
だが、俺はどこかで、文の強さならなんとかなるのだろうと安心してもいた。
だが。文が、足をもつれさせて転んだ。
どじっこの文にはつまずくこけるは珍しいことではない。
すぐ立ち上がってまた走り出すだろうと思いながら俺たちも小走りに文を追いかける。
しかし、文の様子がなにか変だ。
確認するように手をぐーぱーしたり足を曲げ伸ばしたりしている。
「どうした文」
うしろから声をかけるごりを無視してかぶりを振って、また文は走り出した。
すべり台をつーっと降りてきて、殴りかかる文の腕を赫月は軽く受け流す。
殴る蹴るの応酬が一時続いた。
そこまできてようやく、文の調子が出てないことに気付く。
ブチ切れているあの態度からして、自分で力を制御しているということはないだろう。
常人離れしたスピードとパワーを見せてはいるが、精彩を欠くというか、以前に赫月を殴りつけたような馬鹿みたいな威力が出ないようだった。
「おかしい……おかしい……なんで!」
ざっ、と砂を踏む音を立てていったん文は距離を取った。
『教えてやろうか』
ぎょっとするほど不気味な声がした。誰かと思ったが、動いているのは文の口だった。文の声だが文の声じゃない、地の底から響くような低い声だ。
どろどろした眼球が眼帯を押しのけて左目から姿を現す。
『契約者が不在だからおまえの力は半減しているぜ』
「なに言ってんの……私?アンドロメダなの?」
『まったく変な名前つけやがって、おまえの悪魔、アンドロメダちゃんだよ』
「どういうことなの?」
『おまえ、俺と契約のサインをしたのはぺんちゃんとか言うやつだろう。そいつがいない――というかそこにいるのは見えているんだが、エネルギーが届かない。なにか封印的なことをされてる』
「へえ。そうなんだ」
感心したように赫月がこぼす。
「うちの普賢丸は追跡されないように、あらゆる生体反応を外側から検知できないようにできるらしいんだけれど。悪魔的な力にまで及ぶとは思ってなかったよ」
『そうらしいな。まるでリモコンをなくしたエアコンだよ。リモコンでしか操作できねえやつな。こんなの俺もはじめてだ』
「ぺんちゃんを取り返さないとあんたの力は満足に出せないってことなの?」
『意識を失ってるせいもあるかもしれんな。電波が弱まってるみたいなもんだからな。はじめてだからなんとも言えない』
「そんなの……なんなのよ!ぺんちゃんを助けられないんなら、そんな力なんの意味もないじゃない!」
『でもそれだけじゃねえってことだよ、リモコンしか使えないエアコンが、スイッチ入ったままリモコン失くしたらどうなるよ』
「は?それは温度の設定が変えられないだけでしょ、最後に設定した操作のまま動き続けるわ」
『だからそういうことなんだよな』
「なんなのよ!」
『こないだのおまえの馬鹿力を見たせいだろうな、意識的にか無意識的にか知らないが、そのときからだろう、契約者として、おまえの力をセーブしてんだよ、おまえが勝手に壊れないようにな』
「……そういうこと……」
『つまりおまえの大好きなぺんちゃんはおまえに力を使わせたくないのさ。口でもそう言われてるんだろう』
「そうだけど」
『自分が捕まったときにも、おそらくそれを強く思っただろうな。その状態でそのまま“接続が切断”されたから、いまおまえの力はその程度なんだよ。ぶちぶち筋繊維や血管が切れたりしない程度の、身を滅ぼさない程度の力ってことさ。ぺんちゃんの強い願いの力が、おまえを縛っているんだよ』
「じゃあ……どうすればいいのよ……」
□ ■ □ ■ □
一方で、文を追いかけて走り出した中で突出したどきんはデストロイヤーに足止めをされていた。
「あなたは……強い……知っています」
「それはありがとうね!」
どきんは回転をかけたハイキックを繰り出すが、ばちんと肉のぶつかる音がして、手のひらで止められてしまう。
だがノーダメージというわけでもなさそうだ。人差し指が変な方向に曲がっている。
「いまので指一本ってことは、地に伏せさせるには何回蹴ればいいかしらね!?」
二発、三発。多方向からの連続キック。
腕でガードするのをそれごと破壊する勢いでどきんは蹴り続ける。
「痛い……」
「しぶといわね!」
デストロイヤーはなかなか倒れない。どきんに疲労の色が見えた一瞬の隙を狙って、こちらも叩き落とすような蹴りを繰り出した。
腕でガードするどきんだが、めきっと嫌な音がした。
「防御力……私の筋肉の方が……上だったようです」
どきんの右腕がだらんと力なくたれる。
「やだわ、折れたかしら」
「たぶん……折りました」
「左手も足も残ってるんだから大丈夫よ!」
降ってくるデストロイヤーの蹴りを、腕でまともに受けないように避けながら、どきんも足技の応酬を続ける。
足が高く上がった一瞬を狙い、下から抱え上げるように左手で腿をつかみ上げる。
「そこから……どうするんです」
左手は塞がれている。デストロイヤーの体重がかかり蹴り上げても威力が足りないだろう。
体をひねって逃げようとするデストロイヤーだったが、背中から思わぬ衝撃が突き抜けて、全身を震わせた。
「右……手……?」
折れていたと思われたどきんの右腕が、その拳が彼女の体の中枢を深く抉っていた。
「背骨……折れました」
がくっと失神したのを確認して、どきんはデストロイヤーの体を投げ捨てた。
「まだいけるわ!」
□ ■ □ ■ □
『ひとつ方法があるんだ』
「なによ教えなさい」
『ぺんちゃんを殺すんだよ』
「はあ?なに言ってんの?」
『メガネの方は強いが、檻になってる方はそんなに力がなさそうだ。捕まえる専用みたいなかたちしてやがるもんな』
「あいつを狙うのね」
『でもあいつ殺したら中のぺんちゃんはどうなるかわからんしな』
「そうね」
『だから檻ごとぶち殴ってふたりとも殺そう』
「なにを言ってるのよ」
『壊れたリモコンはいらねえだろ、壊せば俺にコントロールが戻ってくんだよ、そしたらおまえは俺の強さをまた使えるようになるぜ、まあメガネを倒せる程度にはな』
「なにを言ってるのよ」
『だっておまえ、力が欲しいんだろう。おまえの力を邪魔しているのはあいつだ。あいつの制限のせいで充分な力が出ないんだ。あいつのせいで力はおまえの自由にはならないんだ。だからおまえはあいつを助けることができないんだ。
だからあいつを殺そう』
「なにを言ってるのよ」
『あいつを殺せば俺はもっと強くなる。なんでもできるぞ。
あいつを助けるための力がいるんだろう。
それはあいつを殺せば手に入る。
だからあいつを殺すのがいい。
でなければ、おまえは、あいつを、助けられない』
「なにを……言ってるのよ」
『ぺんちゃんを殺そう。よし。
ぺんちゃんを助けるためにぺんちゃんを殺そう』
違う。違うわ。
ぺんちゃんを殺してしまったらなんの意味もない。
アンドロメダにとって、ぺんちゃんは邪魔なのだ。
私なら簡単に誑かされてしまうけれど、ぺんちゃんはそうじゃない。
だからぺんちゃんが契約者なのはこいつにとってとても不便なのだ。
ぺんちゃんが死ねばこいつはもっと自由になるのだ。
だから私にこんなことを言うのだ。
だが文は混乱していた。
体の半分を、悪魔にやってしまったのである。
それは、脳も少なからず影響を受けているということだった。
黒い染料に染められていくように、悪魔の思考が流れ込んでくる。
まるで自分の考えのように。錯覚。
まるで自らそう思いついたかのように。錯覚。
どうしようもなく、染まっていく。
「あああああああ」
脳が真っ黒になったような感触で、体中を足の多い虫が駆けずり回るような感触で、血管が身体の端からカビていくような感触で、底なし沼に突き落とされたような感触で、肺に油粘土が絡みついてくるような感触で。
『だってさ、』
『どうせおまえ、なにもいらないんだろう』
そう。なんにもいらないの、私。
ぺんちゃん以外なにもいらない。
ぺんちゃんさえいればそれでいいし、ぺんちゃんがいないならもうなにもいらない。
ぺんちゃんがいなければ、なにもいらない。
いらない。
いま、ぺんちゃんと私は切断されている。
違う、切断されているのはぺんちゃんと悪魔だ。
でも悪魔は私だ。
広大な宇宙の中で、ぽつんとひとりぼっちになったような、自分がただの黒い点になってしまったような、感覚。
ぺんちゃんがいない。
ぺんちゃんが感じられない。
違う、それは悪魔の感じていることで、ぺんちゃんはそこにいる。
でも悪魔は私だ。
視界が黒いもので狭められていく。
視界からぺんちゃんが消えていく。待って。砂しか見えない。待って。
この世界にはどうせ砂しかない。
待って。
どうせこんな無意味なものしかない。
『だから、じゃあなにもいらないんじゃないか』
そう、だったらなにもいらない。
それが本心だ、間違いない。
「なにも……いらない……」
俺には何が起こっているのかよくわからなかった。
ただ文が早口でぶつぶつとうろんに呟いているように見えた。
なにか恐ろしい感じだけがして、足がすくんでいた。
そして文は、半兵衛を捕えている普賢丸に向かって駆け出した。
「なんにもいらない……」
「ぜんぶ……こわせばいいんだ……」
普賢丸も状況がよく見えていなかったらしい。
というかふつう、人質を真っ先に殺そうとは思わない。
向かってくる文から、わずかに逃げようとするが、半兵衛を抱え込んでいるせいだろう、動きが重い。
拳が迫る。
ごすっとすべり台ごと地面が軽く陥没した。
顔面に打撃を受けて普賢丸が転がり落ちる。
馬乗りになり、確実に腹の檻めがけて文は二度目の拳を振り下ろす。
直前。
「駄目でスー!」
飛び込んできたのはもっちだった。
聡明な彼女は、ぶつぶつ言う文の独り言を細やかに聞き取って、状況を把握したらしかった。
文が、半兵衛ごと普賢丸を殺そうとしているという、異様な状況に、ただひとり気付いたらしかった。
それは、文の半兵衛への溺愛っぷりを普段からよく知っているがゆえの、俺たちからは、とても考えつき難い選択肢だった。
抱きかかえるように、拳と檻の間に割って入る。
だが錯乱している文は、そのまま拳を振り下ろした。
拳はもっちに打ち付けられた。
「えっ?」
予想外の柔らかい感触に、文は動揺する。
さあーっと目の前の黒いものが急に晴れたように感じた。
そして目の前でぐったりしている金髪の少女に気付く。
「え?」
文の浴びた返り血はその小柄な少女のものだ。
「もっち……?」




