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どろどろしたどろどろ

 部室を出た半兵衛はなにか首を傾げて眉をひそめながらも、気配とやらをたどっているらしく、

「あちら……」

 方向には迷うことなく足早に歩いていってしまう。

「あっち、生物実験室だよな」

「ははーん、あやつさては剥製フェチだな?」

 なにか思い出しかけた。この壁……たしか……

 俺は寒気を感じながら、生物実験室へ続く薄暗い廊下の周囲を見渡した。赤黒い汚れがところどころに残っている。

 だがそれは文字ではなかった。引きずったような跡が薄くあるだけだ。

「剥製ってたしかにロマンがありますよね。死体を美しく、ずっと取っておいて飾っておくって。ホルマリン漬けとか、蝋人形とかも」

「真子殿、おぬしか……やはりなかなかやりおるな」

「なにもやってませんよ!?」

 ぞろぞろと連れ立って緊迫感のないやりとりをするごりたちに、見間違いだったのかな、と俺は混ざろうかと口を開きかけた。




 どちゃっ、と泥をかき回すような不愉快な音に、俺はその口を閉じた。

 生物実験室の扉を開けたから中の音が聞こえたのだろう。


「文……なんてことを……」


 立ち尽くす半兵衛のただならぬ様子に俺は駆け寄った。

「坂さんたち、見ない方がいいかもしれません」

 目を背けたまま扉を閉めようとする半兵衛の手をかいくぐって、

「見るなと言われたらよけい見たくなるだろうが!」

 ごりが大股で部屋の中へ入っていく。


「ああ、なんだこりゃ」

 珍しく意表をつかれた、溜息のようなごりの声を聞いた。その反応には俺も気になってしまう。


 なまぐさい。

 机をどけた教室の真ん中に文が座り込んでいた。


 床には魔法陣のような複雑な図形が描かれていて、その上からなにか泥のような……どろどろした……赤とも黒とも言い難い半固体が、こぼれ出したように覆っている。

 意思を持つように蠢いているそれは、文の腹から湧き出している、ように見えた。


 虚ろな目で文が半兵衛を見上げている。

 罪悪感とも安堵ともつかない表情。


 その片方の目が、眼窩から溢れ出した赤黒いものに押し出されて床に落ちた。どろどろが蛇のように、落ちた眼球に喰らいついて飲み込んだ。

「ぺ……あ……」

 くぐもった声は喉の奥で湿った音を出す。もう一声、発しようとした文は口からもどろどろを吐き出した。

 がくがくと勝手に震える肩を自分の片手で押さえ込んでいる。二の腕を強く握りしめると指はめり込んでいき、粘土を掴んだように腕から下がもげて落ちた。

 落ちた腕はまた鎌首をもたげたどろどろに喰われてどろどろと同化していく。



「あ……うわああああああああああああああ!!」


 俺は頭を抱えて喉が枯れる勢いで絶叫した。


 すこん、とごりに殴られて壁に叩きつけられる。

「騒ぐな、まだ校舎内に生徒残ってんよ」


 はっとして口を塞ぐ。そのまま壁に頭をこすりつけるようにして俺は嘔吐した。




「なんか変な声しなかった?」

「変質者出たとか? やだ」

 ざわざわ、と喧騒が近付いてくる。


「おう」

 扉から顔を出してごりは外にいるどきんにアイコンタクトを送ったようだった。そして扉をぴしゃりと閉める。

「任せて」

 その、なにかやばい気配を察知したどきんは真子を引っ抱えて駆けて戻っていった。そして、おそらく部室の前あたりまで着くなり、

「うおああああああああいやああああ!はああああ!」

 さっきの俺の絶叫に劣らないほどの雄叫びをあげた。

「やっだああああ!真子ちゃんたらああああ!急にあたしのおしりさわらないでよおおおおおお!!!」

 途中からコミカルな響きを混ぜた怒声が遠くから響いてくるのを、俺は嘔吐物を鼻からも出しながら聞いた。

 落ち着いてやがる、さすがだあいつ。




「え、なになんの声なの? いまの?」

「ゾウとか逃げ出してきたんじゃね?」

「やっだあああ!人が集まってきちゃったあああ!恥ずかしいいい!」

「あ、すいません、あの、やわらかくてついですね、なににさわったのかわからなくって、私……」

 どきんに促されてなのだろう、しどろもどろに真子も対応している。あの様子なら真子は生物実験室の中を見てはいないのだろう。よかった。

「えええ、だから何回も揉んだのおおおあたしのおしりいいいい!もうやっだああああ!」

「なんだよゴリ子かよ、うるせえな」

「ちょっと聞いてよ真子ちゃんがあたしのおしりさわるのおおお!」

「ゴリ子のけつとかどうでもいいわー」

「その言い方はなによ!こう見えてやわらかいのよ!さわる?あんたもさわる?いいわよいっぱいさわらせてあげる!!!」

「そう、やわらかいんですよびっくりしました、私もかたいものだと思ってたのでほんとにびっくりして」

「まー!筋肉は力を入れてないとやわらかいのよ!」

「え、なにあのごりらの子、生徒?」

「うちの生徒だよ、あいつまた騒いでるよ、いつもうるせえんだよ」




 あそこで騒いでくれていればこちらに人は来ないだろう。

 扉越しに聞こえてくる、和やかないつもの学校の喧騒に、なんとか正気を保ちながら俺は教室の中に向き直った。


「だいたい、把握しました」

 不気味なほど冷静に半兵衛は、散乱した書物や床の魔法陣の形状を確認し終わると、自分の親指を落ちていたナイフで少し切って、血を床に垂らした。

「竹輪文に代わり我、半辺半兵衛が契約を引き継ぐ。契約者は我なり。我に従うべし」

 魔法陣の一部が輝き、半兵衛は拇印を押すようにそこに親指の腹を押し付ける。

 輝きが床全体にまわり、ぎしぎしと揺れるようにひとしきり鳴ると、地の底から響くような低い声がどこからともなく聞こえた。


「……契約は……成立した……」


 暴れていたどろどろが、文の体に収束していく。

「なぜ……いえ、なぜかは、わかります……」

 数度咳き込んで、文はやっと声を出せるようになったようだった。舌がもつれるような口調で、少しずつ言葉を刻む。

「ぺんちゃん……ごめん……私、またどじっちゃった……でも、私……」

 半兵衛は暗い目をしている。

「力が……欲しかったのよ……私……なんにもできない自分が許せなかった……」

 半兵衛は文と目を合わせようとしない。

「だから悪魔と契約したの、しようとしたの、私の身体を半分あげるから、力をちょうだいって……ぺんちゃんの本持ち出して、自分で魔法陣描いて、儀式を、したの……ぺんちゃんを守れるだけの力をちょうだいって……」


「それでなんでてめーがどろどろになってんだよ。スライムとか強くねえんだぞ、知らねえのか」


 顎に手を当てて、ごりはいつものように不躾な視線で、じろじろと文を眺め回している。たじろいだ様子はすでになく、切り替えがはやいというのか、なんなんだこいつの精神構造は。



「最後に完了のサインをする分の、とっておいた血を、うっかりこぼしちゃって……あわててる間に、呼び出した悪魔が私の中に入って、半分をもらうって言われて、そしたら全身がなんか、こんなふうに……血をもう一回出さなきゃって、自分の身体、でも切っても切っても、どろどろしか出てこなくなっちゃって、サインをする血が……もうどこからも出てこなくって……どんどんどろどろになって……切れば切るほどどろどろが出てきて……飲み込まれて……儀式を完了できなくて私このままなくなっちゃうんだって思ったところに、ぺんちゃんがきてくれた……私、ほんとに駄目……駄目ね……ほんと……」


「本来なら契約者と生贄は別なのでこうはならないのです。自分の身体の一部を捧げる場合も、右腕とか、どこと明確に区切るのです。それを……半分なんて雑に言うから、こんなことに……場所ではなく概念として半分を悪魔に同化されたのでしょう、細胞ひとつひとつの半分、というのが近いのかもしれません。体液は資材ですから、無駄に流出し続けることがないように、還元され続けるようにこの形状になったのでしょう、半分が手のうちにあるのならそれが効率的なのだから」


 目を合わせないまま半兵衛がかたい声で解説をする。


「また助けてもらっちゃった……ぺんちゃん……私、怖かった、怖かったの……悪魔がじゃないわ、ぺんちゃんに必要とされなくなることがよ……あなたとふたりならなんにもいらないって思ってた、でもあなたは違った……映画とかいってごりらに頼ろうとするし、強いメスごりらは出てきて一緒に戦うし、私、もう、ほんとに……」


「文が戦う必要なんてないんです」


「嫌……守られてるだけなんて嫌、あなたと同じ場所に立ちたい、ごりらがそこに並んでるなんて絶対嫌、その場所には私がいたい……ぺんちゃんのいちばん近い場所は私の場所じゃなきゃ嫌なの……」


「だからって……こんな……禁呪を!」


「自分の身体を捧げれば力が手に入る、欲しい、欲しかったのよ……だってちょうどいいじゃない、私こんな身体いらないもの……本当に自分が嫌いだわ、だから引き換えられるんなら差し出すのよ、こんなもの……いくらだって差し出す、力をくれるのなら……ぺんちゃんを守る力が欲しいの……」


 力のない笑い。虚ろな視線は、こちらも半兵衛の方を見ようとはしない。


「これからは私が守ってあげる、ぺんちゃん。ぺんちゃんのつらいこと、私がぜんぶ、壊してあげる。壊すわ、あなたを苛むもの、すべて、私が壊すの、この力で……ぺんちゃん。ねえ、ぺんちゃん。だから、ぺんちゃん。ぺんちゃん。ぺんちゃん」


 どろどろの中にほとんど埋もれていた文は、あらかた人のかたちを取り戻していた。

 落ちた片目と片腕はまだ戻らず、どろどろが蠢き続けて、その身体の穴から小動物のように出たり入ったりを繰り返している。



「そんなことを……私が望むと……思ったのですか……」


 絞り出すような半兵衛の声は、生物実験室に入ってからはじめて感情を見せたようだった。

 握り締めた拳が震えていて、それをゆっくり力を込めて開く。そっと振り上げ、文の頬を叩こうかという動きをわずかに見せたが、振り下ろされることはなく、ゆっくりと、半兵衛はもう片方の手でそれを仕舞うように胸元に戻す。




「あーーー!!!てめえらいらいらすんな!殴るなら殴れよはやくよお!!!」


 ごりが突然叫んで、どかどかとふたりの間に割って入った。そして片手で文の頭、片手で半兵衛の頭を引っ掴むと、力任せにごちんと双方を叩きつけた。


「あう」

「たっ」


「馬鹿か!馬鹿なのかてめえは!半兵衛がなんで怒ってるのかわかるか!わかんねえんだろうなくそ!てめえはゲーマーをなめてんのか!」


 ほんと空気を読まねえなこいつ。なんの話をしだすつもりだ。


「強化はフリマじゃねえんだぞ!血と汗の結晶なんだよ!血豆つくるまで連打して自分の足で稼ぐんだよ!自分が嫌い?自分の身体なんていらない?てめえはそのいらねーものとなんか知らんがすげえつよい力を引き換えようとしてんのか!?ふざけんなよ!いらねえものってゴミか!てめーがやってんのはなあ、ゴミを相手の足元見て高く売りつけるような詐欺師の手口なんだよ!ゲームで言えばチートだ!

 ほんっと、チートプログラムのゲーマーまじむかつくわ!チートで高得点出せるやつは『ゲームがうまい』わけじゃねえだろ!朝晩練習してうまくなったやつを見下して『なに真面目にやってんの』とか言うんだよ!あああ腹立つ!!」


 ゲームの話についていけないのか、文はきょとんとしている。


「ここまで言えばわかるか、わかるよなあ、おまえらは『わたしのためにこんなにぼろぼろになって自分を犠牲にして……!』みたいな表面的にはお花畑を演じようとしてんだ、お互い、尊い自己犠牲の精神で、相手のためにつくした、だから私はあなたが好きだしあなたも私を好き、みたいな、美しいやつだよ。でもほんとは違うんだ。文、てめえがやってんのはゴミを押し付けて、でもこのゴミあなたにとっては価値があるんでしょう?そうでしょうお高いものをあなたにわざわざあげるのよっていう詐欺師の常套の恩着せなんだよ!半兵衛は、でも文をこんなふうにしたのは自分のせいだから責任はとらなきゃいけないってくそ真面目に考えながらも、でもこいつ自身が持ってるなんかすげえ力は、こいつがその真面目さで、真面目に真面目に努力して手に入れたものだろうが!それをゴミと引き換えられて、てめえの努力なんてゴミ以下だって言われてるのと同じだから怒ってるんだよ!てめえがやってんのはこいつのいままでの人生の全否定なんだよ!頭に来ないわけねーだろっつうの!

 おまえがやるべきことはわけのわからねえものに頼ることじゃねえ、強くなりたいんならまずは筋トレからはじめろ!まずはなにもない地面で転ばないようになれ!そっからだ馬鹿め!楽しようとすんじゃねえ!」


「あ、あの……」

 いつもの困り顔の半兵衛に戻っている。なにか言おうとしては、ごりの勢いに押されて口をはさめない。


「あーほんと!自己犠牲が大好きだよなあ脳みそお花畑野郎どもは!最近のアニメの自己犠牲キャラもほんと腹立つんだよな俺!あれ!なーにが『私がそうしたかったからそうしただけ』だよくそ!相手に責任を感じさせないあたくしって素晴らしいから、そんなあたくしに、好かれたらあなたも嬉しいから好きになるでしょう?みたいなやつ!重くない私なら大事にするでしょうっていう!逆に重い!逆に重いわくそ!ものわかりいいような顔してよお!都合のいい女になるから愛されたいのかくそ!男の理想みたいなきもちわるい皮かぶってんじゃねえよ!」


 だん、と地団駄を踏むようにいらいらを一度床にぶつけて、そしてターンして半兵衛をびっと指差した。


「それを!てめえもいい話にまとめようとしてずっと我慢してんじゃねえぞ、ふにゃくそはんぺん野郎!人がいいふりしてんじゃねえぞ、てめえも文に嫌われたくねえからそれを一生口に出さねえでやり過ごすつもりなんだ、ちんこもげてんじゃねえぞ!」


 自分で言ってごりは一瞬、頭の中で性別が迷子になったのか、

「ちんこ、うん」

 頷いて再度指差した。

「ちんこ!」

 ひどい。これはひどい。半兵衛は完全に困っている。




「もういい……わかった……わかったから……」

 湿った声なのは先程とは質が違う。涙声だった。文が肩を震わせている。これも、おそらく、自分の気持ちによるもの。


「わかってた……私、ずるいの、わかってた……」


「ごりさん、その、さすがにそこまでは思ってませんから、その」

 おどおどと半兵衛は、どこからどこまで否定したものかと迷っているようにも見える。そこまでではない、というのは多少は肯定だということだ。指摘されて、少しすっきりしたようにも見える。


「それに……そうは言っても、文はきちんと代償を払っています」



「ああ、でかい代償だな。なんたって」

 わざとやってるのかわからないが、ごりは難しい顔をキープしてうざいくらいにためた。


「半兵衛の信頼だ」




 涙が粘液状になって、溢れる傍から蛇のようにしなり、それを片目から出ているどろどろが食っていく。


「ぺんちゃんに失望されてもよかった。私は力が欲しかった。


 そしてぺんちゃんは、私が錘になれば、


 優しい顔で黙って縛られてくれるって、甘い考えを持ってた」





「そうよ、くそごりら。それ以上暴かないで。お願いだから」





「お願いだから。


 黙れくそごりら。


 私とぺんちゃんの問題に口を出さないで」




 はーあー、と、わざとらしくごりは肩をすくめて溜息をついた。


「そうはいくかよ。部員がみんな仲良くするようにはからうのは部長の務めだからな」


 腕を組んで、にやりといい顔を決めて、鼻息をすうーっと吐いた。



 そしておもむろにまたふたりの頭を掴んだ。


「なんて言うかと思ったかくそども!見てていらいらすんだよなんとかしろ!俺の精神衛生のために!これはまじで!」


 ごちん。



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